New avenues for improving international nuclear safety
これを見ると、もはやスリーマイル島、チェルノブイリと同じ知名度でFukushimaの名が世界に広く知れ渡っていることが歴然とわかる。う~~ん、そうなのかあ・・・と小生は感嘆、というと少し違う。不謹慎でもある。そう、慨嘆である。そんな心情に陥るのである。Tokyo、Hiroshima、Nagasaki、日本にも世界的に有名な地名があるが、Fukushimaもその仲間入りである。この内、三つは核絡み、というのも因果なことではある。村上春樹氏がカタルーニャ国際賞を受賞した6月9日、「非現実的な夢想家」と題したスピーチで語ったとおり、
我々は技術力を結集し、持てる叡智(えいち)を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿(ばか)だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
本人自らが「非現実的」だと言ってますからね。それはそうなのだが、心情的には思わず賛成したくなるほどの痛みを、Fukushimaという地名の響きから感じるのだ。ナイーブに過ぎますか?
他方、大震災が生産活動にどのくらい甚大な影響を及ぼしたのか、この点についても精密な検証が公表されてきている。経済産業省が公表した
は、必見と思う。本文で記されているが
3月の前月比▲15.5%は、20年10月から21年2月まで続いたリーマンショックに伴う急速な低下の中で最大の低下幅であった21年2月の同▲8.6%を大きく上回る急激な動きとなった。これは単月の低下幅としては昭和28年に現行の鉱工業指数体系が確立して以来最大である。
リーマンショックが地滑りであれば、東日本大震災は陥没だった。文字通り、突然、奈落の底に落ちた。日本を襲ったショックの巨大さがよく分かる。とにかく昭和28年以来、データ作成開始以来の最大のマイナスだったのだから。
それから、よくまあ、短期間の内に生産体制が持ち直したものだ。2008年9月のリーマンショック以降の急降下が底打ちして、生産が持ち直し始めるまでに、優に6ヶ月はかかっているのだ。大震災以降、生産現場でなされた回復への努力は誠に英雄的だ、小生は心からそう思っている。
これに対して、日本国のトップ層、並びに社会の木鐸は一体どうしてしまったのでしょうね?ここでも小生は感嘆、いや慨嘆の念を禁じえないのである。
報道を避ける報道、自分で考えない政治(小野直樹ブログより)
小生なら「報道を避ける報道、政治を避ける政治家」とタイトルをつけたいところである。G8にも入る先進国の総理大臣が、やりたいことをその時々の世間の風を見ながら、社会保障と税制の一体改革やら、TPP参加やら、原発事故対応から新エネルギー推進へと、まるで食い散らすようにツマミ食いを重ね、美しく形容すれば花から花へと飛び回る蝶々よろしく、汚く言えば痩せた野良犬のように節度もなく語ることを変えながら、ただ「やらせてくれ」と力む姿も、同じ国の国民として恥ずかしい。と同時に、知恵なく、愛なく、誠なく、ただ一般大衆の受けを狙う首相に対して、正論を語る政治家が執行部に誰一人としていない民主党も、もうお終いにしてほしい。
上は、論壇Voxで公表された記事だ。何故「政治改革」は困難なのか?この問は、今や世界共通の問題になっているのですね。著者によれば、改革の志が理解されず、結果がマイナスに評価されて、次の選挙で敗北するかもしれないというリスクを負担するよりは、現行システムを(これまでの為政者に責任を転嫁しながら)何とか維持していくほうが安全で賢明な選択だと、そう政治家が考えるからである。ふ~~む。言い出してはブレっ放しの日本の政治家にも当てはまっているかも。
ということは、社会が不安定化し、明らかに将来不安が高まるとき、政治家が現行システムを保守することの誘引が弱まり、改革に挑戦して成功することへの動機が強まるので、求められる真の改革に着手する確率が高まる。そういう仮説である。
実際、GDPギャップの変動(←標準偏差で測定している)が大きく、経済が不安定化している国であればあるほど、財政赤字縮小に向けた政策が実行される頻度が高いという傾向を著者たちは確認している。これが上のワーキングペーパーの眼目だ。
上の資料に掲載されているFigure1によれば、日本経済は全体の中でも安定的に運営されているほうだ。スウェーデン、ギリシャ、それからフィンランドなど、財政健全化政策に乗り出した国は、どこも経済が日本よりは不安定である。不安定であるがゆえに、国民は高い危機意識をもつ。それが単なる人気者ではなく有能な政治家を求める国民心理をもたらす。選ばれた政治家は、おのれが果たすべきミッションを明確に理解しているがゆえに行動にブレがない。決然と国民に耐乏を強いることもできる(もちろん耐乏オンリーを説くような阿呆は、次回選挙で落選するであろう)。
こう考えると日本は、まだまだ崖っぷちに立っていないということか・・・いや、一人当たり国民所得ではこの20年間に随分多くの国に追い越された。これからも世界の順位を更に下げていくと思う。それでも危機意識がない!?日本人は貧乏慣れしているのかね?厳しいビジネスよりは、ほどほどでいいと思っている?
小生は、ここでも政府、官僚、マスメディア、知識人が、国民に広く伝えるべき事実、情報を、率直に分かりやすく国民に伝えていないからである、と思うのだ。
条件が変わったのに考え方はもとのまま(野口悠紀雄、東洋経済オンラインより)
野口氏は、「東日本大震災によって日本経済の条件は大きく変わった。・・・それに合わせて、経済に対する考え方を大きく変える必要がある。企業はすでに対処を始めている。市場条件の変化に適切に反応しなければ、淘汰されるからだ。ところが、経済政策の立案者、ジャーナリスト、エコノミスト、そして大多数の国民は、これまでと変わらぬ考えを続けている。・・・現実に追いつくことが必要だ。そうでないと、経済政策や制度が経済活動の足を引っ張り、変化を阻害する」、このように構造変化の歩みを速めつつある日本の中で、経済の現実から一歩離れた政治家、官僚、マスコミ、専門家の意識の遅れを大変危険であると指摘している。特に政治家や官僚は、日本国の方向を決めるだけの政治的権力をもっているだけに、その彼らが「非現実的な夢想家」に堕してしまうと、国民もろとも間違った方向に走り続けてしまう。そう警告している。
こうなると、形を変えた「大本営△△作戦」と同じですな、戦時中の。小生も、このあたり、非常に同感なのである。
こうならないためには、日本という国に世界が期待していること、日本にできること、日本の強みと弱みを正しく知識として吸収して、どんな風に暮らしていくことが今は可能なのか?どんな風に暮らすことを私たちは望むのか?この問いかけを、人に指示されるのではなく、自分たちで結論を出す気構えが、いま一番大事なのではなかろうか?
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