主たる対象が、創業期のベンチャー企業におけるリーダーの役割だから、いわゆる組織分析の目線は比較的薄い。とはいえ、ホンダが採用したリーダー養成のシステマティックな組織戦略、SONYが陥った大企業病、京セラが形成した極めて日本的な、それでいて創造的な企業文化。大半の時間は、常に革新を生み続ける組織とは何か、について話しをしたのである。
戸部他5名の共著になる「失敗の本質」は、今や古典である。
小生も随分昔に読んで、折あるごとに参照してきたが、最終30頁はあまり熟読した記憶がない。確か自己変革組織について何か抽象的なことが書かれていたなあと、今度また、読みなおしてみたわけだ。傑作です、これは、やはり。なぜもっと丁寧に読まなかったか。元来、この本は帝国陸海軍はなぜ組織として自己変革できなかったのか、その原因分析をしている研究書である。最後の30頁は、一番大事な勘所ではないか。そういうことも分かった。
成功するにせよ、衰退するにせよ、組織は必ず五つの因子がバックボーンになっている。
第1は<組織の価値>。口でこう言っても多分分からない。建前ではないのだ。「何をもって貴しとなす」と各成員は考えているか?これである。理念ではない。帝国海軍は理念としては、たとえば「大東亜共栄圏」とか「八紘一宇」とか唱えていた。これはお経である。そうではなく、こうありたい、このように行動したい、それは当然評価するべきでしょ、そんな価値尺度をどこに置いているか?それが企業組織だけではなく社会組織にとっても最重要な因子であるというのだ。帝国海軍にあっては「艦隊決戦」。ズバリ、この言葉にトドメをさしている。バルチック艦隊と大海戦をやって勝利した連合艦隊のようでありたい。帝国海軍軍人たるもの、正面から海戦を挑んで戦う、それこそ疑いのない美事である。航空戦力よりは大艦巨砲、そのための猛訓練。海戦に至るまでの敵戦力漸減作戦。全ての戦略は、組織が最高善と認める価値尺度から導かれている。これは卓見だと思いませんか?
第2は、組織の価値を体現した<英雄=ヒーロー>が必ずいるものである。この指摘。海軍だと東郷平八郎。参謀タイプであれば秋山真之先任参謀。分野を問わず誰でも憧憬の人物はいるであろう。物理学者であれば湯川博士?数学者であれば岡潔?(古いか)SONYであれば井深大か、それとも盛田昭夫か。ホンダであれば創業者本田宗一郎か、それとも販売の神様である藤沢副社長か。組織の成員が目指す人物像がずっと同じであるということは、組織の価値尺度もまた変わっていない、同じであることを意味している。
第3は、<リーダー>の役割。リーダーシップといえば同義反復なのだが、つまりは組織の価値をリーダーの言動を通して再確認するわけだ。その組織を象徴するヒーローの代わりに現時点のリーダー、現在のトップの言動に毎日、毎日、触れることによって、全ての成員は自分がどんな人間であるべきか、どんな風に行動するべきか、仕事を通して何を求めるべきかを再確認する。それが組織運営の日常においては最も大事なステージであると書かれている。
第4は<儀式>だ。文字通りの式典、たとえば入社式や表彰式だけではない。賞罰もそうだが、いわゆる会議、委員会。これらもまたプログラム化された一連の行動、慣習化された言語表現、挙措動作などを学習し、再確認するための場なのであると指摘されている。最近、日本企業で復活しつつあると言われる社員旅行。小生は、若かりし頃に某オフィスに勤務したことがあるが「意識統一」という言葉を盛んに使った。会議を頻繁に開催する目的は、何かを結論として得るというよりも、「同じ釜の飯を食う」という経験を、追経験することにある。いわばそのためのプロトコル、つまりは挨拶に類した目的を持っているのだという指摘だ。ここまで書いて、こりゃ目から鱗だな、と昔感じ入ったことを、いま思い出した。
第5は、その組織の<行動規範>である。銀行はいかにも銀行マンらしい。具体的行名を使って恐縮だが(他意はありません)、三井住友マンはいかにも三井住友の色に染まっているし、みずほの方はいかにもそうである。東レの人は銀行の方とは雰囲気が違うし、丸紅の人は話しをするとやっぱり商社の香りがする。色々な業界の方が勤務している部署で若い頃仕事をしたのだが、その賜物かどうかは分からないが、企業にはその企業、その企業で社風がある。企業文化がしっかりと形成されていることに異論を唱える人はまずいないだろう。それが大事だと指摘している。その企業文化は、それ自体が大切なのではなくて、最初の<組織の価値>を追求するための方策として、自然に形成されてきたものである。そんな風に説明されている。
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一定の環境の下で企業が設立され、次第に成長して、上場を果たし、大企業になる。すべてそんな風にして企業は発展する。一定のモデルに準拠して、その品質を高め、コストを節減し、市場シェアを高めていく。そのための競争をする。これを「適応」というのだが、競争優位に立つために社訓を設け(組織の価値)、肖像画(ヒーロー)を掲げ、リーダーは和を保ち(リーダーの役割)、定例会議をこなしながら(儀式)、手順に沿った仕事を進める(行動規範)、この一連のレベルアップに日本人、ならびに日本の組織は非常に強いと指摘している。
これに対して、環境が激変するときには価値の転換 ― パラダイムシフトともいうが、組織の価値尺度自体を見直さないとならなくなる。価値の転換は、ヒーローの交代であり、リーダー像の変革であり、儀式の改廃、行動規範の変更につながる。自己完成ではありえず、自己否定となる。否定を乗り越えた自己変革。これを著者たちは「進化」という言葉で表現している。
毎年何%かずつ生活水準が上昇する経済成長は、個々の企業組織の適応、つまり条件変化への部内調整で実現するのだが、技術革新やイノベーションが引き起こす真の経済発展は企業組織の自己変革、つまり社会の進化によって初めて実現する。「今までと同じことをやっていてもダメ」と口で言うのは易しいのだが、創造的破壊、これは自己否定なのである。日本社会では極めて認めてもらいにくい言動なのである。今日、同僚と話したことなのだが、日本で真の自己変革が起こったのは二回しかない。それは明治維新と敗戦である。前者は、外国という存在から刺激された意味で受動的な変革、後者は勝利者による強制的価値転換だった。
日本の社会組織内部に備わったDNAが発現して、真の自己変革を行ったことはない。
戦前期の帝国陸海軍は、この自己否定的というか、創造的破壊を伴う真の自己変革、つまりは進化ができない組織であった。この自己変革能力において、日本の軍隊組織はアメリカ軍に対し最も劣後する。これが著者がよって立つ観点である。
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自己否定をともなう組織進化。それは頻繁に、経常的に進められる組織改善とは質的に異なる。ここも大事だ。というのは、組織進化は、ほとんどの場合、組織の異分子が正統派から権力を奪取することによって実現するからだ。この異分子を、著者たちは「突出した部分」と呼んでいる。そのトンガッた部分を、トンガッたまま内部に抱え込んでおくことによって組織は絶え間のない緊張状態におかれる。これが<多様性>なのだが、環境変化によって、組織内部では各勢力が交代する。新技術が普及する局面では、組織内部の均衡は崩れないが、産業史の長期循環における局面転換のように従来とは商品思想が異なる革新期においては、組織の不均衡がもたらす緊張が限界を超えて、従来の組織を維持することが不可能になる。ま、そんな風なイメージである。
日本的組織は、しばしば多様化とは逆の意識統一を過剰に行う。ディバーシファイではなくて、成員の行動規範に到るまで組織の各次元を全て特定の価値尺度に沿うようにユニファイしてしまうのだな。これが特定の環境に対する過剰適応。技術普及局面では勝利できても、革新期ではゲームのルールの変更についていけずに敗北する。自己変革的進化が下手な組織。それが日本的組織であると。今度は何度目か覚えてないが、何度目かの部分読みをしても、やっぱりこれは凄い本だと思う。大体20年くらい前の本である。
これから日本が更に発展していくためにはイノベーションが必要だとよく言われる。しかし、日本の社会組織で「突出した部分」はどのように受け止められ、どのように評価されているのだろうか?ずいぶん昔に大河ドラマで流行した「△△丸は、かくありたい」、ありたい人物像は日本人の心のなかで激しく変わってきただろうか?あんな人間にはなりたかねえ。あんな行動はしたくねえ。今と昔でどれだけ変わったろうか?同じであるとすれば、それは自己否定はしていない、やっているのは進化のための変革ではなくて、調整であり適応である。日本社会の進化の途中では、どこかで価値の逆転を伴わないといけない。自己否定が伴わなくてはならない。そうでなければ、日本社会発展の駆動力となりうる人物が、現実に日本を変えて、新しい活力のある日本国に再生させていく。そんな行動を社会全体が抑制するはずだ。
現実に日本社会で働くのは、反進化力。そんな経路もありうる。これが今日の話だった。
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