2019年7月30日火曜日

そもそも「不買運動」は知恵の足りなさを表す

対韓輸出管理強化をきっかけにいま日韓紛争が進行中である。報道によれば日本品不買運動が功を奏してか、全体としては大体2割から4割程度まで各種日本品の売り上げが落ちているようだ。もちろん、その裏には買いだめをしてから不買運動に参加したという人、秘密裏にネットから購入を続けている人、いろいろなケースがあるのではないかという指摘もあるようだ。とはいえ、傾向として韓国における日本品の売り上げはこの先相当期間にわたって前年比で半減程度にはなっていくのだろうと予測する。

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亡くなった小生の母は太平洋戦争開戦時にまだ12歳であったから小学校の次の下関高等女学校では丸々戦時勤労動員に明け暮れた毎日であったそうだ ― これ自体が戦時徴用による学習機会喪失に該当するのだが、日本人ということで政府からは何の慰撫もなかったようである。

敗戦で崩壊したため軍国主義ばかりが強調されているが、戦前期の日本社会の豊かさには侮りがたいものがあった。夏目漱石も志賀直哉も江戸川乱歩もすべて戦前日本の文学だ。映像的には、例えば朝ドラ『花子とアン』を観れば大体想像がつくだろう。母は祖父の転勤について地方の色々な小都市に移り住んだが、田舎であるにもかかわらず、午後3時にはリプトン紅茶とクッキーを祖母が出してくれていたそうだ。小生がまだ少年期にころ、母が買って帰る紅茶は日東紅茶であったが、何かというと『戦争前はイギリスのリプトン紅茶というのがあってね、まろやかな味がするのヨ』と、別に日東紅茶が苦すぎて飲めなかったわけではないが、母はずいぶん物足りない様子であったことを思いだす。

昭和16年12月以降は世の中から輸入品が次第に消え去り、というか『贅沢は敵だ』、『鬼畜米英』のスローガンの下で英語由来の言葉すら追放する運動が広がることになった。野球のワン・ストライクが「よし一本」になったのはその頃で、父などは余りの馬鹿々々しさに何が目的か理解不能だったそうだ。

まあ、不買運動にせよ、言葉狩りにせよ、何も反撃手段がない大敵と戦うとき、知恵のない官僚や政治家が必ず選ぶ戦術である。アメリカでは日系人が強制収容されたが、日本語追放とか日本品不買運動が彼の地で隆盛を極めたなどとは不勉強のためか耳にしたことがない。むしろ敵国をよく知ろうという理由で日本語や日本文化への関心が高まったと聞いている。

伊豆の小都市である三島に父が転勤となり小生は3年間弱その町で過ごした。母が隣町の沼津市にあるデパートでリプトン(の青箱であったのだろう)をみつけて買って帰ったときの嬉しそうな表情だけを断片的に思い出すのが不思議である。その時の季節や、一日の内の何時頃であったのか、すべて忘れたのだが、嬉しそうな母の声だけは覚えているのである。その後、日本が経済大国になるにともなって紅茶もトワイニングやフォートナム・メイスン、リジウェイやメルローズなどの高級銘柄が出回るようになった。母も色々なブランドの紅茶を楽しむことができた。少女期を過ごした戦前日本よりも遥かに豊かになったと思うのだが、一番嬉しかったのはやはりずっと我慢してきたリプトン紅茶をまた見つけたときであるのは帰って来るなり嬉しそうに私に話した時の声から分かることである。

リプトンやジョニーウォーカー、ダンヒル、ジャズ音楽を日本の役人は国民に我慢させたが、我慢すれば勝てる、我慢しなければ負ける、そんな話ではそもそもなかったのである。ただそのときの為政者の頭が悪かったことだけが分かるエピソードである。日本が酷い負け方をしたのは当たり前であったという理屈だ。

2019年7月28日日曜日

一言メモ: 英新首相の戦略はどうなるか

英国がBREXITを願望する根底にはロシアと和そうとするドイツへの反感がある。そもそもドイツは旧敗戦国である。そのドイツに徹底抗戦したのが英国である。ドイツが経済、外交でEUを仕切っている情勢そのものからして「堪忍できん」と感じてきたとしてもそれは自然だ。加えて、英国にとってロシアは中近東など東地中海地域において利害が敵対する「天敵」である。ロシアに対して融和的なドイツの姿勢に引きずられるEUは英国にとって国益にならない ― 親仏姿勢に変わろうとするEUをみてまた英の心理も変わるかもしれないが。EUから脱却した英国は米国、その他カナダ、豪州、南アなど英連邦国家(=英語国群)との絆が頼りなのだろう、中でも米国との連携を強化することにより大英帝国の遺産をアメリカを後ろ盾にして守りたいと考えるだろう。

が、その米国は中国との覇権闘争を展開しているところだ。ロシアは軍事力だけの存在であり、経済的にはもうアメリカの敵ではない。価値観を共有しえない真の敵は中国である。しかし、中国とロシアを同時に敵に回す国力は米国にはなくなった。おそらく米国は中国への警戒心を優先するのではないだろうか。

ロシアは経済制裁解除が最優先事項だろう。制裁解除が達成され、近年の外交的(軍事的?)成果が確認されれば米中闘争では中立を保ちたいと考えるだろう。

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米国は現在唯一の覇権国家として対ロシアでは融和的、対中国で攻撃的な姿勢をとるのではないだろうか。が、この姿勢は英国には望ましくないだろう。英国はアメリカに対ロシアで敵対、対中国で協調的な姿勢を望むのではないか。その時、英国はEUとは別に独自のスタンスで中国との経済交流を進められる。

日本は米中対立が続く中で対中関係は和らぐ。米+日と敵対するより、敵対するのは米のみに限定した方が楽である。中国から対日融和が提起されるのは自然だ。そもそも日中は経済的に共同利益を追求できる機会が多い。日本としては米中は対立的、米ロは融和的である状況が望ましいと考えるのではないだろうか ― 対中国の距離感が微妙ではあるが。

米中の協調を進め対ロシアで対決するのは中国が望まないだろう。これまた英国には不利だ。中国が経済発展を開始する時点においては中国にとって米中接近は有益であったが、そもそも中ロは同じ核保有国であり長い国境で隣り合っている。敵対は危険である。

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日本と英国は望むベクトルが反対である。

ジョンソン英新首相の描いている国家戦略は次第に明らかになるだろう。

シナリオ・バンドリングをグループワークすれば面白い主題になると思う。

2019年7月25日木曜日

またまたエンターテインメント産業のトラブルか

またまたエンターテインメント・ビジネスで不祥事が発生しているようだ。吉本興業である。ジャニーズ事務所もそうだし、日本相撲協会と貴乃花親方との激闘もそうであったが、ホント、このビジネス分野には色々なトラブルの種が地雷のように潜在していることが分かる。

大阪万博との提携路線で事業は順風満帆にみえたのだが、今度の騒動で一体誰が得をするのであろうか……。得をする者を探せというのはトラブル理解の第一歩である。

それはさておき:

この種の話題、TVのワイドショーを見ながら、カミさんとの雑談の話題となるのは自然である。

小生: サッカーのKH選手が言ってたけど、結局、何が悪かったんですかってサ。ハッキリ悪かった人は誰かいるの? 
カミさん: 一番悪かったっていえば、振り込め詐欺をしていた人たちだよね。 
小生: 「反社会的勢力」って奴だね。そこに呼ばれて行ってサービスをして報酬をもらったってことなんだけどサ、それがいけなかったっていうことかな? 
カミさん: 相手が犯罪組織だって知ってれば悪いでしょうや。 
小生: でも、相手については知らなかったんだろ? 
カミさん: 当人はそう言っているみたいヨ。 
小生: 相手は逮捕もされず、そこにいたんだろ?そこにいる人たちに呼ばれて、仕事をしてカネをもらったら、仕事をした方が悪いってことになるのは変な話だよ。悪い奴なら警察が逮捕しておけよって思うけどネエ。犯罪組織ならサ、普通にイベントなんてさせちゃあ駄目だろ。出来ないはずだろ?なんで普通にやってられたんだろうね? 
カミさん: そんなことは知らないよ。逮捕するだけの証拠がなかったんじゃないの? 
小生: それならサ、普通の人たちだと思っても仕方ないだろうさ、呼ばれたらいくだろ?そこで普通に生活しているみたいだけど、本当はこの人たち逮捕されるべき犯罪に手を染めているんじゃないのかなあ…なんてさ、そんな心配をしなくちゃならんの?そんなこと言ったらさ、反社会的勢力を率いているボスの息子がさ、大学に合格して入るとする。ほんとはこいつも犯罪行為に協力している可能性があるのじゃないかってさ、そこまで心配しなけりゃならんよ。 
カミさん: なんで報酬はもらわなかったなんて言ったんだろうね。
小生: 「反社」だってことが世間で騒がれて、それで「もらってない」とわが身可愛さで言ったんだろうけど、「もらってしまいました、まさかそんな人たちだとは知りませんでした」って最初から言えばよかったのにねえ……。まあ、保釈中の犯人が普通に生活してたりするからねえ、他人をみれば悪人と思えって言いたくもなるだろうけど、それじゃあ世の中まわっていかないよ。悪い奴なら逮捕されてるはずだって普通の人は思うからね。

この2,3日をみると、所属していた会社が批判されている始末だ。そもそも会社に隠して引き受けた仕事から始まったことである。どうにもしようがなくなって会社に相談したのであるが、もし小生なら辞表を懐に会社に謝罪し、後始末だけを依頼すると思う。別に自慢するほどのことでもない。普通のビジネスマンならこの程度の事はできるのではなかったろうか。巻き込まれた会社の側も気の毒だ ― ま、会社のマネジメント能力が露見したのはかえって幸いであったかもしれないが。

2019年7月24日水曜日

一言メモ: 李舜臣の心境かも…

日韓輸出規制紛争は予定通り(?)WTOの場に移って「ガチンコ勝負」となった。

日経の報道は、大略、以下のようだ:
世界貿易機関(WTO)の一般理事会が23日、スイス・ジュネーブで始まった。日本と韓国が半導体材料の対韓輸出規制を巡り討議する。双方が正当性を主張して加盟国に理解を求めるが、WTOルール違反にあたるかどうかの議論は平行線に終わる見通しだ。韓国はWTOへの提訴の準備を進めており、「安全保障上の適切な措置だ」とする日本の主張が認められるかが焦点になる。 
WTOの一般理事会は2年に1度の閣僚会合を除けば実質的な最高意思決定機関で、通常は加盟164カ国・地域にかかわる全体の貿易課題を議論する。2国間の紛争を取り上げるのは異例だ。日韓からともに高官が参加したが、対韓輸出規制を巡る議論は24日に持ち越しとなった。 
日本側は外務省の山上信吾・経済局長が説明する。強調するのは今回の措置が安全保障上の懸念に基づいた輸出管理である点だ。軍事転用の恐れなどの問題がある商品を規制することは、関税貿易一般協定(GATT)第21条で例外規定として認められている。
(中略) 
韓国側は一般理事会で金勝鎬(キム・スンホ)新通商秩序戦略室長が演説し、韓国企業だけでなく世界貿易にも影響を与えると強調する。「加盟国の理解を深めてコンセンサスをつくる」(産業通商資源省)ことで日本に圧力をかける。 
一般理事会は加盟国が意見を表明するが、何らかの対策を決定する機能はない。焦点は実際にルール違反かを判断する提訴後の審理に移る。 
韓国は「WTOへの提訴を準備中」としている。一般理事会で各国の反応をみて「提訴した場合の勝算を探る」(ジュネーブ外交筋)との見方がある。提訴には具体的な被害額の算定といった作業が求められるため、実行に移すまでには時間がかかる見込みだ。
(出所)日本経済新聞、2019年7月23日

日本側代表団にとっては先に敗訴した「東北海産物輸入禁止措置事案」のリベンジが
出来る好機でもあり担当者は大いにヤル気(?)を感じていることだろう。

海産物禁輸の上級審で逆転敗訴した背景には以下のような点もネットでは書かれている。

…「米国の懸念を反映した可能性がある」と分析します。米国は、WTO加盟国が貿易を規制する主権に、上級委が立ち入るような判断を下すことに批判的でした。川瀬氏は「上級委は米国の意向をくんだ可能性がある」とみています。超大国の思惑は韓国に有利に働いたのかもしれません。

URL:https://style.nikkei.com/article/DGXMZO44823770V10C19A5EAC000/

前回勝利の立役者である韓国側の金室長ではあるが、今回の事案では立場と状況が正反対である。とはいえ、韓国の国益を守るために同氏は懸命の努力を重ねる事であろう。彼を使った文大統領は今回の「対韓輸出規制強化」を壬辰倭乱(=文禄の役)になぞらえ李舜臣を引き合いに出したそうだ。

李舜臣は何度かの海戦で輝かしい戦果をあげたにもかかわらず壬辰倭乱後には職権乱用の罪で告発され死刑を宣告されたのだが、国王宣祖によって「免死」処分となり、「白衣従軍」(=最下級への降格)を強いられた。丁酉再乱(=慶長の役)で名誉が回復され復職したものの撤退する日本水軍との露梁海戦で指揮をとる中、流弾を受けて戦死した、とされている。この辺りの経緯は韓流時代劇「不滅の李舜臣」でも詳しく描かれている。

宮仕えである以上はたとえ勝算が乏しくとも命じられれば職務を全うしなければならない。義務である。日本の代表団は「不足のない相手」だと考えているだろう。愚かな政治家が招いた紛争ではあるが、現場の担当者は論敵への敬意をもち、武士道の華をみせてほしいものだ。

2019年7月22日月曜日

一言メモ: 参院選後にまた確認されたこと

昨日の参院選、投票率は48.8パーセントとなり歴史的な低さであったとのこと。もちろん、民意はこれで十分以上に正確に把握できている。この点を理解できない向きが多いようだが、開票前の抽出聴取り調査(=出口調査)でほぼ正確に当選確実かどうかを出せている事実からも理解できるはずだ。単に「民意」を知りたいのなら、100万人都市であれば抽出率を5%に設定して、5万人程度の無作為標本に投票してもらえればそれで十分以上に正確だ。全有権者に投票を求めるのは民主主義の形式的要件を実行することに目的がある。【以下加筆7月28日】投票所に行かなかった集団は「投票せず」という意志表示をしているわけであるが、この集団の支持傾向は有効投票が示す結果と大きくは異ならない、そう推測されても仕方がない(し、実際大して傾向は違わないと小生は思っている)。

さて、今回の選挙も含めて一貫して観察されている傾向がある。それは20代の自民党支持率が最も高く、野党、中でも立憲民主党などの左翼シンパを支持する世代は60代以上の高齢層であるという兆候で、これは最近年において一貫して観察されている。

『若年層は経験も浅くよく知られているメジャーな(?)政党を無意識に支持しているのではないか?』などと憶測する向きもあるようだが、であれば高齢者は政治や社会について真剣に考え、深い洞察から野党を支持していると考えてよいのだろうか?

とてもそんな風には見えませんぜ。無責任な御仁は若者にだって年寄りだって、ア、浜ノ真砂も及びがつかネエってものでござんす……

ま、そんな風であって、やはり若者にとって左翼シンパは魅力がない。というより、共感できないことを伝えている。データはそう解釈するのが本筋だと思う。というのは、小生も左翼シンパの選挙前プレゼンはまったく内容がないと感じたからだ ― せめて共産党のように高所得者や富裕層の租税負担率を引き上げることで消費税率引き上げを中止するべきであると、そう言えばまだマシであったはずだ。もっと踏み込んで、現行の利子・配当・譲渡益分離課税を廃止して総合課税に一本化する、と。そこまで断言すれば、中の上から上の階層は全然支持しなくなる代わりに、それ以下の階層からは熱烈に支持されるだろう。人数では低中階層が多いのであるから、政権を奪取できる可能性は一気に高まる。できるのにしないのは、当の左翼シンパに属する国会議員自らが高所得層に属しているからである。小生はそう観ているのだ(やや言い過ぎか?)。

端的に言えば、立憲民主党などの左翼シンパは有権者にとって選択肢の一つになっていない、いわば「現政権以外のその他」という選択肢として選択可能である。これでは魅力が出てこないのは当たり前である。

そこにいるだけである。なので「もういなくてもいい」と。その発想が短絡的ということなら、確かに若者は短絡的であるかもしれない。

有能な革新勢力が他ならぬ共産党であることこそ日本政治の閉塞感の根因であることは既に投稿した。

2019年7月20日土曜日

断想: 「戦争状態」と「戦争」について

「戦争放棄」を憲法で定めていても、現実に自衛のための戦力を保有している以上、どこか他国が日本本土を攻撃すれば自動的に「戦争状態」になる。日本は憲法上それを「戦争」であるとは宣言できないだろうが、誰が考えてもそれは欺瞞である。

戦争を放棄する意志を本当にもつなら、かつて経済学者・森嶋通夫氏が展開したロジックに従って、武力攻撃された場合は直ちに「降伏」するのが筋が通り、嘘のない誠実な態度である。直ちに降伏するつもりなら自衛隊という戦力を保持する必要はない。武力攻撃に抵抗する姿勢をとっていること自体が「戦争能力」をもつことを認めている証拠だ。戦争能力を現実にもっていること自体が心の奥底では戦争放棄を本当は決意していない証拠である。

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明日の参院選挙を前にして、今回の選挙運動では「憲法改正」は全くといってよい程、争点にならなかった。もっぱら「年金」と「暮らし」である。

それは確かに分かるのだが、与党・自民党の党首が「憲法改正」を主たる争点に掲げているにもかかわらず、選挙前に議論もしない、対抗的反論もしないというのは(野党はしていると主張するのだろうが)、何のために政治家になったのだろうと感心してしまう。

年金は暮らしの安定に望ましい。暮らしの安定には平和が望ましい。平和の維持のためには外交や安全保障が大事だ。大前提で問題が発生している情勢の中で年金を議論してもあるべき政治にはならないのではないか。

9条の改正には国民の半数以上が慎重である、というのが世論調査の示すところだ。しかし、欧州諸国はそれぞれ軍隊をもっている。アジア諸国も軍隊をもっている。軍隊をもっていてもそれが原因となって国際的な平和が阻害されるという結果にはなっていない。むしろその逆ではないだろうか。無秩序の横行を防止しているのではないか。そして、日本の自衛隊は要するに「軍隊」であり「国防軍」である。

世界の現実と憲法条文との乖離について公論を始めようとしないのは、日本ではもはや「論壇」も「論客」も「専門家」も消失した証拠である。まったくいつまで待っていても始まらないのは驚きに値する……前の投稿からずいぶん経ってしまったが。

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現実に起こりうる事態を概念として想定していない「法」は、法として穴があいている状態である。憲法で想定していない危機が発生するとき―それは戦争ではない戦争状態になるが―法が適切に事態を管理できない、つまり無法状態になる理屈だ。法の真空状態において日本に軍事政権が生まれ「想定外の事態」を根拠に憲法の無効を宣言するだろう……。

経済SFも面白いが、政治SFもミステリアスで面白い。可能性の追求に関する頭の体操だ。

いずれにしても憲法の矛盾点を放置するのは危なくて愚かだ。


2019年7月19日金曜日

「われらの敵」をつくる政治戦術は誰が始めたか?

WSJに中々洞察の利いた寄稿がある。特に次の下りは本筋を射ている。

われわれは抑制のない世界に生きている。アイゼンハワー大統領とその人生経験と、トランプ大統領とその人生経験には大きな隔たりがある。そして、核時代からサイバー時代に移行するのに伴って劣化したものは、米国のリーダーシップだけではない。世界的な機関や西側主要国のリーダーシップも劣化した。
(出所)WSJ、2019年7月18日

振り返ってみると、自分たち自身の中に「内なる敵」を特定し、「彼らは敵である」と指さして攻撃姿勢をとる政治戦術は、粗暴な戦前期・日本ではともかく、戦後はずっと自制されてきたように記憶している。その自制を解放したのは小泉純一郎元首相だったのではないか。「抵抗勢力」という一語は、よく言えば新鮮でメリハリがきいてはいたが、戦後論壇に慣れてきた世代がきくと「そこまで言うか、そこまでやるか」という気持ちにもなったものである。

が、更にその源を探っていくと1993年から2000まで米政権にあったクリントン大統領の政治姿勢に行き着くような気がする。彼らのキーワードは「グローバル・スタンダード」であった。また、巷のネット上の書き込みにはヒラリー大統領夫人について次のような一文もある。
かつて元共和党スピーチライターのペギー・ヌーナンは、ヒラリーの「純朴そうな自信」は「政治的なものであり、しゃくに障る」と評した。そこには「自分は道徳的に正しい政治を実践しているのであり、それを批判する人間は、自分より道徳的レベルが低いという暗黙の主張」があるというのだ。
URL:https://www.newsweekjapan.jp/stories/woman/2019/01/22.php

言うまでもなくクリントン時代とは冷戦後の世界である。文字通りのアメリカ一強であり、1980年代までの挑戦者(?)であった日本は「失われた20年」の闇を歩み始めたところだった。簡単に言えば、国益と国益の調整が外交であるところに、クリントン時代の米政権は「何が正しいか」という大前提に立って「上から目線(?)」で圧力を加えるようになった、といえば言い過ぎになるだろうか。「何が正しいか」という発想を政治においてとれば、それは「われらの敵」をつくる戦術になる理屈だ。

そんな理屈、アッシにだってわかりますぜ。要するに、誰もが欲しがる「錦の御旗」。お偉い人たちが口にする「大義名分」って奴でしょう?

そういう事である。

ま、冷戦時代には「対決と自制のルール」があった。自制が失われれば世界が滅亡する可能性が高かったからだ。その敵が消滅した。しかし、政治は続く。敵が消滅した後に出現したのは、階層化された自分たちの社会であった。外なる敵が消えた後に敵となるのは、自らに敵対する勢力である。これは正に論理的必然だったのだろう。

とはいえ、このような政治戦術は社会のマネージメントである「政治」においては採用するべきではなかった。これがますます明白になりつつあるのが、最近の状況ではないだろうか。

競争原理は経済学から導かれる理念である。しかし、目の前の敵を屈服させる戦略は政治学からは最適戦略としては導かれないはずである。

2019年7月17日水曜日

一言メモ: まったく分からないわけでもない「暴言」だが・・・

現実に「トランプ大統領」が出現すればどんな状況になるのか、アメリカの有権者はよく分かっていたはずである。そして、実際にその通りになっているわけだ。

それでト大統領の暴言がまたひと騒動になっているのだが:
悪政で混乱した母国から逃げ出してアメリカにやってきた。混乱する母国を良い国にするために行動することはせずアメリカに移住した。移住してきてから、アメリカの政府は悪い政府だといって政治活動をする。どうして母国でそれをしなかったのだ?いまからでも遅くない。元の国に帰ったらどうか。
小生なりに翻訳するとこんな意味になるか。

まあ、ネエ……、戦争中には日系人も収容所に入れられましたからネエ・・・「帰れ」だってんだから、まだマシだあネ。でもねえ、やっぱり、それを言っちゃあオシメエでござんしょう。なにもトランプさんに受け入れてもらったわけじゃあネエんでしょ?トランプさんが善い国アメリカをどんどん悪い国にしちまうようで黙っちゃいられネエんじゃないんですかい?

そういえば、日本品不買運動を繰り広げている韓国で

日本の品は絶対買わねえって叫びながら、輸出規制をかけるのは怪しからん、俺たちにこれまでどおり売れっていうのも何だか変だネエ…

そんな声が上がっているようだ。

なにか世界は荒れてるネエ……。人命が失われているわけではなくて、叫んでいるだけではあるが、そのうち軽はずみな輩が鉄砲玉のように暴走するかもしれない。暴走した鉄砲玉を世間が甘やかす時に平和は最大の危機に直面する。「法」を貫徹させることが平和の大前提である。

2019年7月15日月曜日

性善説の前提が崩れれば「自由市場」も「自由貿易」も原則ではなくなる

日韓輸出規制の強化が、WTOの自由貿易原理と矛盾しているのか、それとも必要最小限度の安全保障上の例外措置の範囲内なのか、やはりパブリックな議論にゆだねた方がよいのかもしれない ― 韓国側からの問題提起は当然でもあるし、むしろ望ましいと小生は思う。

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自由貿易の基盤には市場経済がある。市場経済を信頼する基礎として、「自由市場」こそが多数の人の生活水準向上に最も寄与するのだという認識がある。経済理論の定理でもある。

が、市場経済を信頼する際には暗黙の前提がある。それは一部の参加者が多数者の社会システムを意図的に毀損する意志を持っていないという性善説である。

つまり、市場に参加する人々は、利益を求めているだけであり、その限りで市場経済の発展を願い、市場機能の維持に協力しようとする。市場経済の覇者として自らの権力を強化し、人々を抑圧したり、支配しようとする政治目的はもたない。あるいは、他の参加者に危害を加えることを意図しながら、その意図を隠ぺいして市場機会を活用するという所謂「闇の勢力」は無視できるほどの勢力しかもっていない。その意味で、市場経済は性善説の仮定に立っている。

たとえば包丁を販売している店は、客がその包丁で人を殺傷する意志はもっていないと最初から前提してかまわない。ゴルフクラブを買う客も、金槌を買う客も、同様である。包丁を買おうとする客が悪意ある意図を持っていないかどうか、売る店の経営者が確認をする責任はない。希望をすれば誰にでも「性善説」の仮定に立って、包丁やゴルフクラブや金槌を売るのが「市場経済」である。

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その市場経済の大前提が21世紀には当てはまらなくなりつつある……、そんな事実認識が形成され始めているのかもしれない。

まず自由貿易への疑念が表面化し、次には市場経済への疑念が高まるのではないか ― いや、もう既に市場経済には疑問を呈する人々が増えつつあるのが現実ではないだろうか。

テロ組織の国内浸透、スリーパー・エージェントの増殖は確かに21世紀型の戦争形態であるようにも見れる。極めて非対称であり、敵対集団の輪郭も位置も姿も不分明であるのだが、核兵器保有に支えられた超大国に戦いを挑み自分たちの政治的意思を実現するには、こうした戦略が最も合理的なのである、と。そんな議論もありうるのが21世紀の特徴かもしれない。そして、この戦略を技術的に可能にしているのが、インターネットと情報通信技術の進歩であるのはもはや説明を要しない。通信技術に加えて、匿名性の高いデジタル通貨が浸透すれば、上にいう様な戦闘集団が伝統的国家に勝利する可能性は一層高まるのではないか。そう思ったりもする。

このように潮流が変わりつつある中で、「市場経済」や「自由貿易」の理念がこれからも「グローバル・スタンダード」であると言えるのかどうか?

微妙な時期に差し掛かっている。確かにそんな一面が現在の世界にはある。冷戦が終わり、アメリカ一強の時代となり、新自由主義と自由貿易への讃歌が高らかにうたわれた時代は確かにもう過ぎ去った過去である。

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自由資本主義が発展しつくしたあと欧米列強が帝国主義に移行した19世紀末から第一次世界大戦までの世相に今は似通っているかもしれない ― 利害と価値を共有できる国家群がブロック経済を形成して分立するのは第一次大戦後のことではあったが。

性善説を前提とするのは市場経済だけではない。現代のインターネットの基盤技術であるTCP/IP。これもまた見直されて一昔前の「専用回線」ではないが、国籍、氏名、履歴、現職などが確認され承認されたユーザーのみで運営されるネットワーク網が「21世紀の自由主義国家群」に再構築される・・・そんなこともありうるのか、と。ま、小生が生きてそんな事態を見ることはないと思うが、絶対にないとは言えない。そう観ているところだ。

一度統合された世界が次第に解体され、地方ごとに分立していく現象は歴史上何度も発生している。「ローマによる平和(Pax Romana)」もそうであったし、世界帝国・唐王朝もつまらない理由で自然崩壊したのである。”Pax Britannica"から"Pax Americana"と続いているメイン・ストリームも次第に多くの細流に枝分かれするかもしれない。その真っ最中に生きている世代は歴史の証人になるだけで誰にも止められはしない。

2019年7月14日日曜日

一言メモ: 国語純化運動は珍しい現象ではない

韓国で日本語駆逐運動が推進されているというのが評判になっている。日本語起源の単語、主として「修学旅行」や「運動会」といった言葉が対象になるのだろうが、それらを純粋の韓国語に置き換えるという運動だ。これも現政権の「反日姿勢」を示すものであるという伝えられ方が多いようだ。

しかし、この方向を推し進めると、「科学」や「数学」、最後には「大統領」という単語まで使用不可にしなければならないというので韓国内でも困惑する向きがあるとか。

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最近の日韓関係悪化の中で「またか」と感じる日本人も多いのだろうが、自国語純化運動というのは珍しい現象ではない。

欧州でもフランスの言語政策(=フランス語保護政策)は有名である。具体的には、現代社会で英語が占めるポジションを無視できないという状況があるのだが、その英語に起源をもつ単語がフランス語の中に無秩序に流入しないよう管理するというのが目的(の一つ)であるようだ。言語、特にその国の公用語を何とするかは非常に微妙で、かつ民族意識を刺激する歴史問題でもあるわけで、多民族が混住している欧州社会では非常に重要な政策課題である。

19世紀以降に西欧文明を導入した日本で作成された和製単語が中韓に輸出され、それがいま改めて国語純化の観点から見直されている現象は、決して共感不可能なものではない。

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日本の明治時代は文明開化の時代ではあったが、明治期も前半の西欧文明導入期と後半の伝統倫理再建期に区分される。明治23年に発布された「教育勅語」は明治初期の文明開化時代の精神からは決して出て来ない内容だと思う。

文政権発足後にいま韓国で推進されている諸政策は、決して韓国語純化運動だけにとどまらない。いわゆる「積弊清算」という言葉で表現されているが、どの高さに立ってこの問題意識を洞察するかも大事なところである。例えていえば、日本の明治政府が果たそうとして困難であった政策課題、つまり旧幕時代に列強と締結した「安政五カ国条約」の是正に相通じるところがあるかもしれない。「安政五カ国条約」は徳川幕府が西欧諸国と締結した「条約」ではあったが、孝明天皇による勅許を得てはおらず明治維新以降の日本人がみれば「仮条約」としか言えない側面をもっていた。しかし、諸外国の立場からいえばそれは日本の事情である。故に、不平等条約改正交渉は困難を極め、最終的な解決は実に日露戦争後に達成された。朴正熙軍事政権が日本と締結した日韓基本条約も「積弊」の一つだという意識そのものは共有されているのだろう。現代の韓国人の目からみると色々と納得しがたい点がある、その心理自体は日本人に理解できないわけではないと思われる。

いま韓国で進んでいるのは、昭和戦前期に入って経済的苦境にあった日本で展開された「国体明徴運動」と似ているところがあるかもしれない。そのコリアン・バージョンだと言えば的外れだろうか。日中戦争から太平洋戦争開戦へと至る主たる動機の一つが、この「国体」という言葉であったことは誰も否定できないはずだ。

どちらにしても相手国が時に暴走するとしても、自国もまた暴走をした時代を経験したのであって、「暴走」それ自体を口を極めて非難するのは成熟した国が採るべき道ではないと感じる。国際交流が繁栄に向かう王道であるのは経験からも立証されていることだ。どこかの段階で、正常な軌道に戻す努力が求められるだろう。

2019年7月13日土曜日

断想: タバコと猫のリスクについて

大学に戻るまでは小役人生活をおくっていた。その頃は、机の上には灰皿が置かれていて、電話で折衝する際もストレス防止のタバコが不可欠であった。灰皿の中で吸い殻が山のように増えていくのは必然であった。その時代、吸い殻の山をみても誰も何とも言わなかった ― 嫌煙者は嫌な思いを我慢していたんですと、リベラル好きな人なら多分反論するだろうが。

「時代」というのは変わるものである。

37歳になって大学に戻り、タバコの必要性は減った。折衝ごとからは解放された。授業では禁煙だ。何より一人ずつ与えられている研究室は狭く、タバコを吸ったあとの不快な臭いがこもりやすくなる。それに紙巻き煙草に含まれるタール成分。それが肺がんを誘発する効果を無視することはできなかった。なぜなら大学に戻って2年目に亡くなった小生の母は肺がんが原因だったのだ。母は、しかし、喫煙者ではなかった。夫である父は確かにタバコを吸っていたが、終日、タバコの煙を傍で吸っていたわけではない。

亡くなったとき母の実弟である叔父は『お義兄さんが亡くなってから君のお母さんは猫を飼うようになっただろ?猫をそばで飼っていると肺がんを誘発するということを私は聞いたことがあるんだ。うちは癌の家系じゃないし、姉さんはタバコも吸わなかった。猫が原因じゃないかと思うんだよ……』。父が亡くなったあと、淋しさを紛らわすため何かペットを飼うように勧めたのは小生である。

★ ★ ★

「もういいんじゃないか」と思って、最近になって電子タバコ(プルームテック)をふかすようになった。電子タバコは有害なタール成分をほぼ全て除去している。肺癌を誘発する作用はないと言明してもよい。

しかし、それでもニコチンはやはり含まれている。そのニコチンが有害であるというので、電子タバコを禁止するべきであるという提案が専門家から多く寄せられているようだ。

★ ★ ★

小生は寡聞にして、喫煙が原因になって交通事故を引き起こしたり、運転ミスをした事例を聞いたことがない。頻繁に聞くのはタバコではなく酒である。飲酒は時に暴行事件の契機にもなるのではないか。また、世間はアルコールが健康に及ぼす害について大らかである。アルコール摂取が誘発する肝硬変、肝臓癌は患者を大変悲惨にする。本当は<禁酒法>を立法化し、施行したほうが善いのだ。

しかしながら、こんな思考に沿っていけば『猫を室内で飼うことは肺癌を誘発する』という指摘を今でもネット上で見ることもあるくらいだから、その正否について科学的検討を加えてみるべきだろう。『猫にはリスクがあるが、犬ならよいのか?』、『小鳥を飼うことに健康上のリスクはまったくないのか?』等々、健康リスク上の疑問は本当は数多くあるのだ。にも拘わらず、近年のペットブームの中で隠れた健康リスクに注意する声は小さい。

電子タバコが本人や周囲に与える健康リスクを評価するには、世間が注目していない隠れたリスクも総合的に評価したうえで、客観的かつ科学的に行なわなければならない。その前に「長生き願望」と「幸福追求の自由」とのバランスを基本的問いかけとして世間でもっと話し合った方がよいと思う。大体、最近騒動になっている「年金問題」も「長生きリスク」への備えに発することでしょうが……、そう思われるのだ、な。

現代社会には一昔前には見られなかった独特の<バランスの悪さ>が浮かび上がっている。バランスの悪さは平和の持続にとっても非常に危険な傾向だと思う。

2019年7月9日火曜日

一言メモ: 似ているとすれば日本の▲▲さん、の話し

カミさんと話した雑談の一下り:

小生: 韓国の文さんサ、『日本には誠意ある協議を求める。韓国企業に実害が出た場合は対応する』ってことを言ったらしいヨ。

カミさん: それって日本が韓国にずっと言ってきたことなんじゃなかったっけ…

小生: 『覆水、盆にかえらず』って諺があるけど、こんな事だろうなあ。

カミさん: そうだね

小生: 何となく、日本の民主党政権のサ、菅直人首相を思い出さない? 文さんと同じタイプなんじゃないかなあ?

カミさん: ウンうん、似ているね。あんな感じだよ。

小生: そうだろ? まさに

この道を 行く人なしに 秋の暮れ

ってさ、夏が過ぎれば、そんな秋を迎えるってやつだろうなあ……

***

うちのカミさんも菅直人内閣の独走(独善?)ぶりはよく覚えているようだ。この辺は、ある意味でマスメディア産業の功か、罪か、どちらか不分明の点もあるが、影響ではあるだろう。

2019年7月7日日曜日

「世論」が重要である場合とはどんな場合か?

参院選挙前であるし、激化の一途にある日韓関係もあり、本日投稿は思いつくままのエッセーとして。


「国内世論」はどこで形成されているのだろう?

この問いかけである。

*** 

こう聞かれれば、回答は幾つかに分かれるに違いない。

昔なら新聞、更には総合月刊誌でほぼ決まりだった。しかし、最近は毎日放送されるワイドショーや夜のニュース特番がある。そしてネットである。

が、どの媒体も世論形成の場としては一長一短で不完全。それが実際の状況だろう。

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ずっとTVや新聞、ネットをフォローしていると、特に米英 ― というのは仏独となると言語面での障壁が高くてとてもじゃないがフォローできない、その他は言うに及ばず ― のマスメディアと日本国内のメディアを比較して感じる印象がある。

それは日本の場合『誰が正しいのか?』という大前提を先ず置いたうえで、そのあとの議論を組み立てるところがある。少なくとも小生はそう感じることが非常に多いのだ。

少なくとも誰か一人は正しいことを言っているとなぜ言えるのか? ある人が正しいと、それ以外の人は正しくはないのか?……、小生は細かいことが気になる質なので、どうも最近のメディアの話しぶりには分りづらいことが増えてきた。

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『何が絶対的に正しいと無条件に認めておくか』という公理的前提は、議論をするなら必ず最初にしておかなければならないことである。福沢諭吉はこの大前提を<議論の本位>という言葉で表現した。

政治家の批評をするなら、「最大多数の最大幸福がそもそも政治の目標でしょう」という大前提もありうるし、そのときには望ましい政治家像も浮かび上がってくる。しかし「国の安全保障が危うくなって何が暮らしですか」という言い分もある。非常に多数ある理念や価値観の中から出発点となる大前提を確認しておかなければ、同じ問題に対して正解が複数出てくるわけだ。

これではまずい。故に、民主主義国家であれば、誰もが認める大前提を必ず持っているはずである。

その大前提とは何か?

それは、民主主義社会であれば世論がすべての基礎にある。これでしょう、と。そう述べる人は多いと思う。

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小生は偏屈でへそ曲がりであることは何度も断っている。

だから個人的意見を述べるのだが、「世論」が重要であると言えるのは、「政治的意思決定にとっては世論が重要である」ということであって、それ以外に世論が重要だという根拠はない。

大体、世論で科学的研究の結論を出すのは愚かである。家族旅行の行き先を世論で決めるのは余計なお世話である。品物を盗むのは善であるか、悪であるか。これを世論で決めるのは道理に合わない。財産を盗まれても構わない人を世論が選び出すのは非条理だろう。悪いことは悪いと考えるのが倫理であって、多数決の法律一片で悪いことが善くなるものではない。大体、多数を占める人々が昨日までは『善い』と判断していた行為が、今日になれば同じく多数の人が『悪い』と判断する。このような現象はいわゆる<衆愚>と呼ばれているわけで、世論による正邪善悪の判断は信頼できないというロジックになる。なぜ信頼できないかといえば、リアリティの裏付けのない観念的議論を多数決で解決しようとしても、それが正解であることを検証する手段がないからである。

さて、上で言う「政治的意思決定」で追求しているのは、民主主義国家においては「国益」をおいて他にはない。「公益」ともいう。国益とは国民の合計利益である。共有される利益もあれば、私的利益の合計値として表れる利益もある。『どうすれば国益に最も適うのか』という政治的意思決定において、個々人の利害得失は国益の構成要素であるから、一人一人の意見こそ欠かせないキーポイントになる。それを集計した世論は政治的意思決定を行う上で最も重要であるのは当たり前だ。これが基本的なロジックである。

それに対して、『誰が正しいか』という問題について個々人が出せる答えは大半が憶測であり主観である。憶測や主観を合計しても真相にはならない。『何が美しいか』という問いかけも同じである。なので、この種の問題を世論で解くのは不適切である。

端的にいえば、世論が重要であるのは、基本的に利害得失について社会的な意思決定をする場合である。その他の事柄で世論が重要になることはない。そう考えるようになったのは相当以前の事である。

「世論」が重要であるのはどんな時か? 常に「世論」が重要であるわけではないという当然のことに気がついて、小生は幾らかスッキリとした気分になったものである。

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WSJやTelegraph紙などを読んでいると、『米国としてはどうするのが得であるか?』、『英国としてはこうすると失うものが多い』等々、<利害得失>について国民が考える素材が提供されていることが多い。各紙とも党派色を持っているので純粋に客観的・科学的であるわけではない。が、特定の観点にたった利害得失上の見通しが筋道に沿って述べられている(ことが多い)。そこが、小生、非常に羨ましいのだ。

それに反して、日本で最近頻繁に行われる議論は

誰が正しいか? 
どちらが間違っているか?

こんなパターンがあまりにも多いのではないか。まったく……クイズ番組に登場しているのではないのだ。

上に述べたように、世論が正邪善悪の問題に答えを出すのは筋違いであると小生は思うようになった。というより、世論にそんな能力はないはずである。

過半数の日本人が「この考え方は正しい」と口にしたところで、本当に「この考え方は正しい」と結論できる根拠は小生には想像できない。半分以上の日本人が『ピタゴラスの定理は間違いだ』といったところで何の意味もない。3分の2を超える日本人が『明日は全国的に晴れるだろう』と言明したところで信ずるに足りない。全ての日本人が『うそをつくのは悪いことだ』と断定したところで、個別のケースで『本当の事は言わず、こういうことにしておこう』と考える人が多数出てきて世論はなかったことになる。

結論が明らかではない社会的問題の中で誰かが完全に正しいことを言うのは稀である。にも関わらず、誰それが正しい(と思われる)と。そう前提する議論は俗にいう<先入観>であって、<偏見>であることもある。

他方、(例えば)日本の道路交通法を改正して自動車の「左側通行」を「右側通行」に変更する議論をするとき、それに便利を感じ得をする人もいれば、面倒で損失を被る人もいる。だから、議論をするべきことは「右側通行と左側通行のどちらが正しいか?」ではなく、「右側通行に変えることによる利益全体と損失全体のどちらが大きいのか?」という問題である。この判定にはやはり個別の利害得失を合計した「世論」が最重要なキーポイントになる。世論に実質的内容が含まれることになる。

政治問題を世論で解決しようとするなら、その政治問題を利害得失を問う形式に落とし込んだうえで国民個々人の判定を待たなければならない。利害得失を問う限りは「世論」なるものに実質的意味合いが含まれることになる。

世論は民主主義の基盤であるが、世論では答えが出てこない問題と世論で解決するべき問題とがある。この点は案外大事な点だろう。ということは、世論に基づく「民主主義」が望ましい場合と、それは無意味な場合と、やはり二つの場合がある。これも意外と気がついていない点ではないだろうか。

民主主義を追求しながら試行錯誤を繰り返した年数の積み重ねの長短によって、「多数の支配(=デモクラシー)」の仕方にも国によって上手下手が分かれてくるに違いない。

***

このところ日本のマスメディアが愛用している言葉。

誰が正しいことを言っているのでしょう?

こんな言葉がTV画面から流されるたびに、その不見識に呆れるのだ。

WSJでも、The Economistでも、"Who is right?"などという間抜けな報道を目にすることは、まずほとんどない ― 大体、"Who is right?"という疑問を抱くなら、疑問文などは使わず取材した根拠に基づいて"He/She is right"と明確な結論を伝えるのが「報道」であり「メディア活動」であるというものだ。

そのうち『この絵画は傑作とされていますが、果たして本当に正しく描かれているのでしょうか?』などとドン・キホーテ的妄言をはくプロデューサーがどこかのTV局あたりに出現するのではないかと、小生は妄想を抱くことがある。

2019年7月4日木曜日

一言メモ: 前回投稿の続き「対韓輸出管理厳格化の件」

標題の件が明らかになった当初は文字通り蜂の巣を突いたような騒ぎになったが、少なくとも日本サイドでは結構深いところまで洞察の届いた説明もパラパラと目にするようになった ― 韓国側は(といっても日本語版報道だけから察せられるだけだが)、まだまだヒステリックな反発ばかりであるのと対照的だ。

これらの記事を色々と見ていると、日韓共に、というより主体的には韓国の方だろうが、手持ちの選択肢の中の最適解は日韓基本条約の条文で定めている仲裁委員会の設置を受け入れて、元徴用工判決にかかわる日韓協議の場に出てくることであろう。

もちろん上の選択肢ほどではないが現状を緩和する途があるかもしれないが、いずれにしてもその道は仲裁委員会設置に通じる道である。

一方の当事者である日本が意思決定をしてしまった以上、与えられた時間枠の中で問題を解決するなら、進むべき道は唯一つであると思われる。

ま、いつそこに落ち着くかである、な。

予想だが、仮に仲裁委員会が設置されるにしても、韓国を日本の「ホワイト国」から外す決定はもう元には戻らない、そう予測する(賭けるかと言われると少し怖いが、まあ2対1の賭け率ならのってもいい位だ)。今回の件は、単に元徴用工判決に関して韓国が非協力的であることへの報復というわけではない、3~6年程度の中期的スパンで戦略的に意図している別の目的があるのではないかと観ているところだ。

ま、いずれ全体像が分かってくると思う。

2019年7月3日水曜日

一言メモ: 韓国の言い分は日本向けか? それとも自国内向けか?

今回の半導体関係素材の対韓輸出管理厳格化の件。これに関して韓国では下のような見方が(大方を占めているのか、どうなのか分からないが)、一応公式見解であるようだ。
(日本が強制徴用判決を問題視しているのは)三権分立という民主主義の原則に照らして常識に反する措置だ……
どうも分からない。

というのは、日本も韓国もそうだが、民主主義的な国とも非民主主義的な国とも外交関係を結び、経済取引を行っている。それは国益にかなうからだ。国益も利益の一種である。利益は取引を通して得られる。そしてすべて取引は十分な信頼関係の上にたつ。これは当然のことだ。

自国や相手国が民主主義的であるか否かという論点は、国益追求において発生する外交問題を解決しようとするときには無関係の事である。

韓国の元徴用工賠償判決は確かに民主主義的な韓国の中の司法府で下されたものであり、三権分立という原則に照らせば、韓国内で尊重されるべき判断である。

しかし、韓国が民主主義的であるから日本は韓国の判断を尊重するべきであるとか、逆に非民主主義的であるなら日本は尊重しなくともよいとか、そんな思考は日本と韓国が外交関係を発展させるときの役には立たない事柄である。

詰まるところ、日本は日本の国益を求め、韓国は韓国の国益を求めている。この事実は昔も今もなにも変わっていない。「いま私たちは民主主義なのです」と言ったところで、それは相手国の利益になるかどうか全く不明である。

だから分からないのだ。上の公式見解が。

***

民主主義国同士でも、民主主義国と非民主主義国も、また非民主主義国どうしでも外交はある。そして外交の基盤は相互信頼である。相互不信が高まれば敵対する。理の当然である。民主主義であるかどうかは無関係の事柄だ。

なので、韓国が自国の三権分立と民主主義に対日外交の場で言及するという意図がよく分からない。

むしろこの言明は、韓国内向けの発言であって、要するに『今回の判決は三権分立の原則の下で民主主義に沿って下された判決であるが故に、政府にも侵しがたいものである。さすれば、この件に関しては政府は政治的交渉をするという意志をもてないのだ』と。つまり「不作為の責任はない」ということを自国民に伝えようとしている。

そういうことなのか?そう受け止めるしか理解困難である。

どことなく李朝朝鮮時代の両班が駆使したという形而上学を連想してしまう。韓国は「先祖帰り」をしたのかもしれない。

2019年7月1日月曜日

一言メモ: ト大統領の「日米安保廃棄」言及の裏は?

世間ではトランプ大統領が「日米安保条約廃棄」を発言したというので『これをどう議論すればいいのだろう?』という感じで実に心もとない。

文字通りの「廃棄」、つまりアメリカとの同盟を解消するなら国内の米基地を日本が提供する義務もないことになるので、例えば沖縄などは「がら空き」状態になる。それを放置するのは中国(必ずしもそうとは限らないが)に攻撃への誘因を与えるので、結局、日本が自国で国防を引き受けなければならない。こんな単純な見通しになる。更に、丸腰では周辺の超大国の恫喝に対処できないことを考慮すると核武装の必要を認める段階に追い込まれ、そうなると「戦力」の不保持を定めた現行憲法との矛盾はどう解釈しようと覆い難くなる。故に、「日米安保廃棄=核武装=憲法改正」を必然的論理として認めざるを得ない。こんなロジックになるのだと思われる。

その上で米国は日本と軍事同盟を締結するのが経済的にも実践的にも得であろうと発想するとすれば、まあ、そんな思考も人によってはありうるかも、と。そう思われてくる。これがどんな更なる展開を導くか、予想するだに恐ろしいが。

最初はアメリカの選択だが、それによって引き起こされる行動は日本のリアクションである。つまり、現在の日本国の基盤はアメリカの世界戦略の上にある ― まあ、そうでない西側諸国がどこにあるかを逆に問いたいところだが。

しかし翻ってみると、上のような展開は安倍現政権にとっては寧ろ望むところではないだろうか?安倍総理ではなく米国の大統領の発言が契機になって日本で国防論が盛んになる。誰の発言であるにせよ、こんな状況は安倍現政権がそうなることを望んでも国民に反発されるばかりでこれまで為しえなかったことではないのか。

なので、ト大統領の「日米安保廃棄」は安倍首相への「トランプ流応援演説」だと小生には思える ― 巷にはイランによるタンカー攻撃でアメリカの見方に日本が同調しなかったことへの報復ではないか、そんなことを語っている向きもあるが、根拠もなく同調するような浮薄な国家は米国にとっても価値は低いはずである。