「戦後最長の景気拡大」とずっと言われてきたが、景気判断の基礎データとなる「景気動向指数」、特に累積DIをフォローしていれば、遅くとも2018年末にはピークアウトしていたことは実に単純明快であって、マクロ・エコノミストにとっては半ば周知の事実であった。
このシンプルな事実が「明らかなこと」として、周知されてこなかったのは、多分、マス・メディア業界だけ(?)である。その原因は、数字よりも政府がどう発言するかにより高い関心をもっていたからだと推測される。
そもそも景気判断は、何を観るかで違う。このところの新型コロナ感染拡大で何が問題か、人によって、見る指標によって違っているのと同じである。経営者が10人いれば、10人の景気判断があるものだ。政府のつくるデータは集計された平均的な数字である。当たり前である。
ところが当たり前の事実を示すデータがあるのに『政府は総合的な観点に立って経済の先行きをみています』と。そんな公式見解をそのまま伝えるばかりだった。「景気動向指数は総合的な観点から作成されている指標ではないんですか?」と、突っ込みをいれる記者がなぜ一人もいなかったのだろう。言葉が大事だと強調する割には、言葉を駆使して取材をしてこなかった。
真の問題は客観的データよりも言葉のやり取りが重要であると考えて報道してきた点にある。『言葉が大事なのです』というのは著述業の人間の作業目的なのであって、当事者向けのスローガンである。この点がまだ分かっていないのだろう。
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しかし、まあ、ジャーナリズムというのはこんなものなのだろう。
いま天動説と地動説とが論争したとして、天動説を唱える学者が何百年ぶりかで現れたとする。
記者: 科学的には地動説が確立されているわけですが、敢えていま天動説が正しいと主張されるのは何故ですか?学者: 月面に人間が着陸する時代になりましたが、地球は動いて見えましたか? 地球は一定不変の位置に止まっていて、月が動いているように見えませんでしたか?記者: やはり地球は止まっていると、動いているのは太陽や月の方だと・・・学者: 明らかな事実だと考えています。記者: 中世ヨーロッパで激論になった天動説と地動説の対立ですが、どうやらまだ決着はついていないようです。どんな結論になるのでしょうか!?歴史的論争の行方が気になります。
こんな「報道」のあとに
政府高官は「地動説が唯一の真理であるとは言えない」、本日の記者会見でそう発言しました。
こんな話題をワイドショーで放送すれば、事の詳細を知らない世間では『理科の教科書に書いてあったことは間違いだったんだ』などと言って、大騒ぎをすることだろう。科学オンチからイデオロギー主導社会へはほんの一歩である。これが歴史上何度もあった文明の退化である。怖い、怖い……。
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言い過ぎかもしれないが、小生が仕事の関係で同僚と話した内容など覚えていない。その8割くらいは不正確で下らない、責任などはとても負えないような「発言」だったと思う。それもお互い様のことだ。であっても、話し合いが役立つのは、それが頭脳を刺激し、アイデアにつながるからである。会議もそうだ。「…ではないか」、「…という側面もあると思う」といった意見の大半は、審議のメインストリームの中ではノイズのようなものであり、一々責任など負わされたらたまらないというものだ。一々責任などは負えないが、それでも遠慮せず言った方が役に立つ。だから喋るのだ。誰でも現実を思い起こせば、このくらいは当たり前のことだと思うだろう。
言葉のやり取りは、所詮そんな程度の重要性をもつのであって、圧倒的に重要なのは行動である。「言葉」より「行動」、「言葉」より「事実」、「言葉」より「実績」…こんな簡単なことは子供でもわかる当たり前のことだと思うが……
つまり、真の問題は、データの動きよりも言葉のやりとりに過剰な関心を寄せることだ。エビデンスを重視するビッグデータ時代とは逆行するような最近年の世相を象徴している。政府が公表してきた景気動向指数と「景気拡大が続いている」という公式発言とがずっと矛盾していた点を、とことん掘り下げて取材・考察しなかったことに、最近年のジャーナリズムの底浅さが表れている。幾らでも面白い事実が出てくる鉱脈だったろうにネエ、と。別に編集局のデスクではないが、他人のことながら勿体なかったと思う。
イヤハヤ、またまた、「ジャーナリズム批判」、というより「当世メディア批判」を書いてしまった。これまた「キラー・トピック」ということで。
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