2020年10月29日木曜日

メモ: 「施政方針演説」と「代表質問」は戦前の遺風で旧式だと思う

訳の分からない屁理屈というのは無数にあるものだ。人事について『任命拒否には理由の明示が要る』という指摘があるかと思えば、『説明できることと説明できないことがある』という発言もある。こんな状況では、複数候補がいる組閣時において任命から漏れた有力議員から自分を外した理由を示せという抗議がそのうち公然と出てくるだろう。確かに、情報公開請求が制度化されているのだが、現実の意思決定が幾つかの説明変数から完全かつ機械的に決まっているケースはない。常に「その他要因」が作用して選択や行動には揺らぎが混じるものだ。それが現実である。そもそもの一般原則は『あらかじめ定められた機械的識別を単純反復するという意思決定方式は最低である』というものだ。情報公開制度で期待されているのは、「決められている通りに決定されたかどうか」を確認するのではなく、意思決定システムから余りに乖離した決定には、不合理な(時には不正な)影響があった可能性があるのでその検出を可能にするという点にある。統計的に言えば「異常の検出」が目的である。そしてどこから先が「異常」であるかという臨界点は、緩くみる立場もあるし、厳しくみる立場もある。あらかじめファウルラインが目に見えるように引かれているわけではない。故に、敢えて判断をしたいなら、その権限がある機関、スポーツの試合であれば審判が、国であれば司法に任せるしかない理屈だ。


それはともかく・・・


国会が開会されると冒頭で首相による「所信表明演説」(=施政方針演説)があり、それに対して与野党を含めた各政党から代表質問が行われる。その後、各委員会に審議の場が移り、具体的で詳細な論点をめぐって論争が展開される。

例えば《帝国議会・国会内の総理大臣演説》をみると、第1回帝国議会で行われた山縣有朋首相による施政方針演説の原稿を読むことが出来る。明治23年12月6日。第3代第1次山縣内閣による施政方針である。その以前、第2代の黒田清隆内閣、初代の伊藤博文内閣では「施政方針演説」ではなく、「地方長官に対する訓示」という形をとっていた。第3代の山縣内閣以降、議会の冒頭か良い節目に、首相が衆議院において「施政方針演説」を行う習慣が定着したことが見て取れる。

この慣行は現代まで継承されているようだが、戦前期は元老あるいは内大臣の推薦に基づき天皇が首相を任命し組閣を命じていた。戦後は国会の指名に基づき天皇が首相を任命する。国会は憲法で国権の最高機関と規定されているので、同じく憲法で規定されている天皇の位にある者は国会の指名を拒否することはできない理屈である。

戦前期のように天皇が国会とは関係なく任命する首相であれば、施政方針をまず国会で演説し、各政党が代表質問を行うという形式は非常に理に適っていたと考えられる。

しかし、現在は国会の多数派が首相を選んでいるわけだ。何を施政方針とするかは最初から分かっている話だろう。戦前から伝わる古めかしい形式はもう陳腐化していると感じるのは小生だけだろうか?

首相が与党を代表して施政方針を演説するのであれば、野党も「施政に関する対立案」を演説する方がずっとダイナミックである。そうすれば、国の方向について現行案と対立案の二つがオープンに示され、国民には非常に分かりやすくなる。もし必要なら野党統一案だけではなく、第3極としての意味合いから「施政に関する別案」を示す機会を設けてもよいかもしれない。

どちらにせよ、野党もまた「施政に関する構想」を公開することを義務付けることによって、政党としての責任感、政策案を練り上げる努力を促す効果が期待できる。更に、無責任な放言や欺瞞を抑制する効果もあろう。

与党の演説に与党議員が質問するのは下らないし、野党議員が批判的な質問をすれば十分だ。また、野党の対立案に対しては与党議員が反対質問をすればよい。

泡沫野党は出る幕がなくなるだろうが、それは国会審議を活性化するうえで善いことであると思うがどうだろう。野党を結集させるインセンティブを与える制度改革にもなる。

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