2020年10月10日土曜日

ホンノ一言の追加: 「学術会議騒動」の今後の進行を予測する

 前回の「ホンノ一言」を補足したい。


標題だが、まずは格下の『独立行政法人に移行する』という線で片を付けようと政府は考えるのではないかと予想する。国立大学はすべて国立大学法人に移行し、「文部教官」は「文部教員」に呼び名が変わっている。学術会議も同じであっておかしくはない。業務内容にも大幅変更が加えられると予想する。


それに対して、学術会議側に剛直の士がいれば、これを機会に民間の独立団体として再生しようという提案が出るだろう。もしそんな人がいれば…だが。


しかし、純民間団体になれば、政府の科学研究費配分に影響力を行使することが困難になる可能性がある。特に多額の予算を必要とする実験系自然科学者は純民間団体への移行に不安を感じるかもしれない。あるいは学術会議があってこそ潤沢な研究費がある意味で保障されていた研究テーマがあるのかもしれない。もしあれば、純民間団体への移行には反対する動機をもつだろう。


文章を書いたり計算をしたり出来ればそれで学問ができる分野とどうしてもカネが要る分野と、水と油のような二つの学問分野の利害が対立し、分裂する可能性もある。現在でも数学者はカネに無頓着でラディカルな人が多いように感じるが、物理学者は理念よりは経験重視で(特に実験系の人は)カネの為なら長いものに巻かれるのも仕方がないと割り切る傾向がある ― という人もおり、これは教授会の席上で小生が感じてきた大雑把な印象とも合っている。印象ということでいえば、理念を重視する憲法学や経済学の純粋理論で仕事をしている方には反権力で筋を通す(=融通がきかない)人をしばしば見るのだが、データやコンピューター資源を必要とする実証系の人は人文、社会科学分野であっても、わりと(?)交渉上手である ― これまた教授会でずっと受けてきた印象である。


本当は、科学即ち学問ではなく、リベラルアーツも含めた総合的な学識がその国の文化水準を決定する、小生もそう考えているのだが、現在の政府は「実学重視」、というより「実学偏重」の兆候を示し始めている。


明治初期の実学重視が儒学否定と表裏一体であったのと同様、いま技術開発で世界に後れをとりつつある日本が、人文軽視・科学重視という路線を徹底するとしても小生は驚かない。政府の危機感はおそらく広く経済界の危機感とも重なり合っているのである。その危機感は、一部、自然科学分野の研究者でも共有されているように感じる。


こんな風に今後の進展を予想しては(正直)楽しんでいるのであるが、いずれにしても極めて厳格な審査の上はじめて入会が認められる「日本学士院」の存在には、今回は手が付けられないのだろうと思う。文字通りの「沈黙せるアカデミア」になっている現状の是非もあるし、戦前以来の伝統である「官学の拠点」という香りを良しとするかもあるのだが。



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