2020年10月4日日曜日

一言メモ: 「日本学術会議?」辺りの反応でいいのでは

 本日投稿の趣旨は標題に尽きる。

「日本学士院」の会員となれば年金が支給されるので有難く存ずるが、学術会議の方は正直関心外であった。会員は内部推薦で任期が6年であるなどという事情は、(恥ずかしながら)初めて知ったわけである。

「国立アカデミー」といえば、「日本学士院」のことであると今の今までそう思ってきた。「日本学術会議?」が率直な気持ちである。

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日本学士院のほうは、古くは福沢諭吉ほか文明開化の指導者が開設した「明六社」に淵源を有しており、そもそもは政府から独立したアカデミーであった。その学士院が、いつの間にか功成り名遂げた「斯界の大家」が老後を送る機関になり果ててきた歴史には、なにか物寂しい心持ちを抱いてきた。

現時点の会員を一覧すると、なるほど「大御所」と認められる大先生の名前が並んでいる。ただ、小生は三田の経済学部で計量経済学を学んで研究生活を始めたので、この分野から選出された学士院会員がほとんどいないのは、些か淋しい思いがする。とはいえ、学士院のような国立アカデミーになれば、あらゆる自然科学、社会科学、人文分野を網羅した全ての学問分野の名誉職ともなるので、新興の学問分野はどうしても少数になるのであろう、その意味では、学問世界においても勢力分布がものをいう、政治的要素はゼロではない、そういうことであろうと思う。

さて、今回は「日本学術会議」の方で内部推薦の一部が却下され、総理大臣の正式任命が得られなかったというものだ。当然ながら、反・保守陣営(=リベラル派?共産主義者?)は猛反発している。小生も最初の印象は「?」というものであった。しかし、「学問の自由の侵害」、「独裁者である菅総理の本質」等々という急速にボルテージのあがる批判をみるに至ると、思わず失笑がもれたりもするのだ、な。

小生の若い時分を振り返ると(これ自体が老化現象を象徴する表現だが)、「沖縄デー」の夜の騒然とした新宿駅前、あさま山荘銃撃戦、北海道庁爆破事件等々の騒乱が思い出され、ここ最近に見られるこの程度の政府批判はマアどうでもよく、穏やかで素直な若い人、体制順応的な4、50代という概括的イメージは変わらないネエと感じたりもする。変わらない日常の情景の中では、政府批判が大いに盛り上がっている、そこが面白い。「突然炎のごとく」という往年の名画があったが、どこまで燃え広がるかこの炎、というわけだ。

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しかしネエ、大体、政府が育成する「国立アカデミー」などはこんなものではないだろうか?

そもそも、政府に直言することをはばからない硬骨の学者は在野にあってこそ輝きを増すというものだ。

韓国の『反日種族主義』は日韓両国で結構売れ行きを伸ばしたが、著者である李栄薫、金洛年、金容三、朱益鐘、鄭安基、李宇衍の各氏は、まさか自分たちが国立アカデミー(翰林院と呼ぶべきか)の会員に推薦され、現政権から任命してもらえるとは、いくら何でも考えてはいないだろう。名誉どころか、著者たちは国内から非難中傷の標的となったり、名誉棄損で提訴されたりと、韓国内で大変な難儀を蒙っている。しかし、これらの事実をもって韓国では「研究の自由」がないとは小生には思えない。逆に、立腹した公衆が著者たちに抗議をする「表現の自由」を尊重するべきだろうと思う。「研究の自由」とは、あらかじめ政府から法的に、金銭面で、かつ心理面で保護してもらい享受するものではなく、自らがさきに行動し結果として貫いていくものではないだろうか。

19世紀終盤のパリでモネ、ルノワール、ピサロなど新進の画家が「印象派」を立ち上げたが、この「印象派」という呼称は自ら名乗ったわけではなかった。当時、フランス美術界を支配していた「芸術アカデミー」(Académie des Beaux-Arts:アカデミー・ド・ボザール)が主催する展覧会「サロン・ド・パリ」に何度も落選し続けたことに腹を立てた画家達が「審査の偏り」を非難し、公式のサロンに対抗して「落選展」を開催した。それが「第1回印象派展」にまで発展した。「印象派」という呼称はモネの作品「印象・日の出」に由来している。新進の印象派の画家たちが新しいフランス美術を創造し、その後の発展の導火線ともなり、現在ではフランスの宝となっているのは、周知のとおりである。

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政府機関でもある国立アカデミー内部で「親政府派」と「反政府派」の派閥対立が激化すれば、政府がそれを喜ばないのは当たり前である。政府機関内部で反政府的活動が目立つようになれば政府中枢が怒りを覚えるのは当たり前であろう。「国立アカデミー」が次第に親政府的になっていくのは組織の宿命である。

現行憲法がある限り学問の自由は制度として保障されている。理念に基づいた政府批判を主張する場合、主張する場として「日本学術会議」は適切な場ではあるまい。特定の価値判断に立つことなく科学的かつ客観的な指針を示すことが組織の使命であろうと思われる。憲法も一つの理念だ。であれば護憲もまた一つの理念である。たとえ「護憲」であれ特定の理念を是とする主張は価値の主張であり、科学的研究にはあたらないと小生には思える ― 何しろデータ分析でメシをくってきた身であるので。自らが正しいと信じる理念、つまり特定の思想を展開するのであれば政府とは距離を置き適切な場を自ら設立するのが本筋だろう。政府から独立した新組織の方に実績も能力もある研究者が集結する可能性は大いにあるのではないかと小生は思う。学問なり、研究なり、知的活動とは本来そういうものではないか。

マア、「日本科学会議」ではなく、「日本学術会議」であるので倫理、法律、歴史、文学等々、価値判断を本質的に含んでいる学問分野が含まれている。故に、組織丸ごとどこか「ごった煮文化鍋」になっている印象もあるのだが、これも一つのありようなのだろう。が、少なくとも「科学アカデミー」、「社会文化アカデミー」、「芸術アカデミー」、つまり《真・善・美》という知の普遍的価値に応じた組織編成に移行するのが自然であるような気もする。そして政府は、日本経済の現状からしておそらく「科学アカデミー」の意見を聴きたいのだろうと思われる。それならそれで、法改正をするなりして、政策を進めていけばよい。それも民主主義であろう。

要するに、今回の騒動は《運営の不備》に原因がある。これだけは言えるようだ。というか、行政面で発生する問題の多くは、ヒトやモノの問題ではなく、方法の問題、組織構成の問題であると思っている。

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すべて政府お抱えの組織は政府の色に染まるものである。政府の枠内に言動を制約されるものである。だから福沢諭吉は一切の名誉・栄典は固辞した。夏目漱石も文部省による文学博士授与を辞退した。ジョン・レノンも授与された勲章を王室に返納したのであった。

当初の「明六社」が、政府お抱えの「帝国学士院」となり、学士院院長のポストがほぼ常に東大出身者で独占されるに至った学士院の歴史を振り返れば、現在の日本学術会議が置かれた状況も「さもあろう」というもので、正直なところ「怪しからん」などと憤慨する気持ちにはならない。

「怪しからん」というなら、何から何までみな怪しからんだろう。

今回のことは、そんなものである、と言っておけばよいのではないか。


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