2020年10月23日金曜日

一言メモ: 当たり前の成り行きになってきた「野党合同ヒアリング」

 日本学術会議の6名任用拒否問題について日本共産党、立憲民主党ほかが参加する野党合同ヒアリングが開催されている中、与党がその実情を検証すると言い始めているそうだ。

「野党合同ヒアリング」で対座する官庁側職員と大勢の野党議員達をTV画面を通してみると、もう50年ほどの昔になったが大学全共闘による「大衆団交」が思い起こされるような雰囲気だ。野党議員のスピリット、というかエートス(=精神的態度)が如何なるものかが自ずから浮かび上がってくるわけで、正に『三つ子の魂百まで』なのであるが、それが今は国会議員の公的な権力に裏打ちされた活動になっている所が違う。若い学生達が数を頼みに大学を管理する総長や学部長に処分を怖れずに肉薄する、そういう図式とは正反対の展開になっているのだ、な。権力関係としては。長い時間が経ったのだと改めて感じるのは小生だけではあるまい。

「野党合同ヒアリング」について検証するというこの成り行きは当然だ、と。以前にはこんな投稿をしている。要点はこの部分か:

「野党合同ヒアリング」は法的に正当な手続きを経て実行されている行為なのだろうか?

「野党合同ヒアリング」はいずれかの委員会で採決されて実施されているのだろうか?

裁決されていないならば、議院の意思ではなく、国政調査権の行使には該当しないのではないか?

 出席する行政府の官僚には税金から俸給が支払われている。官僚の出席には機会費用としてコストが生じている。正当な法的根拠のない税金の支出は認められない理屈だ。

「野党合同ヒアリング」については分からないことが多い。

まったく「野党合同ヒアリング」は分からないことが多い。野党は官僚ではなく、政務3役の誰かが出席してほしいと要求しているともいう。であれば、これは政治家が担当するべき職務であることになる。もしそうなら、これは「政治」である。民主党政権下では政府委員廃止が論議され、国会の場で官僚が答弁するのは本当は不適切であるという認識が為されている。この認識が本筋であると小生も思う。

官僚が出席すれば、政権にいる与党政治家を擁護する意見を述べることを心理的には強要されるわけであって、事務的・技術的な業務にあたる官僚に担当させるのは適切ではあるまい。省庁の政務3役が部下の官僚に押し付けているのか?万が一、そうなのであればパワハラにも該当するかもしれない。体調不良に陥った職員がパワハラ被害で提訴すればどうなるのだろう?よく分からない、と同時に多くの問題を隠しているような気配がするのが「野党合同ヒアリング」である。 

「政治主導」は現実には「政治家主導」であるに過ぎないが、時にはこれが堕落して「政治家上位・官僚依存」にもなりうるわけで、「台本付き演技型官僚主導」が「バカ殿気まま型官僚主導」に変化しているだけのケースもあるだろう。「バカ殿連」を子守する人手が増しコストを払っている分、行政の実働部隊の効率性が低下し、低生産性体質になってしまっているのかもしれない。


政党、政治家どうしの論争、闘争は正に「政治」であり、国会の中で展開する筋合いだ。技術的な質問は国会の事務局を通して文書で行えば済む話だ。官僚は、要するに「白鳥は白い」という当たり前の事実だけが回答可能なのであって、法を逸脱することは禁止されている。官僚本人を呼ぼうが呼ぶまいが、(本来)回答が変わるはずはない理屈である。敢えて担当職員を査問する理由が生じれば、衆参いずれかの議院の公式手続きに基づくべきだろう。ま、キリがない、筋を通す理屈は幾つでも出てくるわけだ……

にもかかわらず担当職員を呼んで答弁を求める。有効であるはずはないのに。理屈に合わぬ。野党の戦術の狙いがどこにあるか、まあ、想像はつくが、適法かどうかは疑問だ。本当に「野党合同ヒアリング」には分からないことが多い。

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