2020年10月17日土曜日

議論には建前があるが、政治が建前にしばられては機能しないというギャップ

日本学術会議騒動は当分の間は続くのであろうなあ、という予想が広まりつつある。

つまり、ある意味の「政治闘争」が進行しつつあるとみておいたほうがよさそうだ。一体、どことどこの闘争か?そもそもアカデミックな学術界と発足後1カ月の菅政権とが全面闘争するのだろうか?これは偶発か?にしても、「闘争するべき関係にあった」というのは非現実的な認識だ。それもあって何回か前の投稿では国鉄の「順法闘争」華やかなりし頃の思い出を書いて「デジャブ感」と標題をつけたわけである。やはりあの当時も結局は社会的力学によって問題が解決された。話し合いで問題解決できたのではなかった。

TVのワイドショーでは『この6名の方がなぜ任命拒否されたのかという理由はまだ政府から説明されておりません」と、おそらくフリをしているのだろうが、分かっていないかのような同じセリフを反復している。が、もうこの段階では国民の多くはウスウス、というよりマルっと分かってきているはずである。しかし、それをマスメディアは口にしない。なぜなら日本には建前があるからだ。

今日もカミさんと話をした:

カミさん: ほんとに拒否された人たち、なんでだろうね?

小生: そんなの決まってるヨ。

カミさん: 政府に反対したから?

小生: というより、共産党系の大物だからだよ。シンパも入っているみたいだけど、影響力のあるポストはもう与えないっていうメッセージじゃないかな。

カミさん: そうなの?

小生: 政府に反対しているのに任命された人もいるからネ。小者ならいいんだろう。そもそもこの件を大々的に問題視したのは共産党機関紙の『赤旗』だからネエ。

カミさん: ふう~~ん

小生: まあ見ててごらんヨ。(自らは中道だと言っているが)創価学会も応援している保守と共産党が応援する革新がガチンコでぶつかる力勝負が始まるかもしれないヨ。いま日本の隅々まで根を張って人を動員できるほどの組織的な勢力は(警察、税務署を除けば)宗教団体と共産党しかないからね。菅政権がどのくらい意識しているかは分からんけど。でも、安倍首相の頃から政府はかなり本気で共産党系の勢力を一掃しようと内心で決めていたんじゃないかなあ……。コロナの中で五輪を控えて過敏になっている時期でもあるし。口では「そうです」なんてとても言えないけどね。

カミさん: だって思想の自由があるでしょ。ひょっとすると大ごとだね。

小生: それは変わらないよ。思想は自由さ。やるかもしれないのは、政府の要職からは外していくってことで、何だかこれからそうなりそうな気配だなあ。マア、左と右は反対だけど、日本と韓国はそれほどは違わないってことかもネ。

これも政治のうちと言えば、確かにそうなのかもしれず、より大事なテーマは『なぜそんな時代になってきたか』だろう。「安倍政権があ・・・」ではない。「なぜ安倍政権が機能しえたのか」を議論しないといけない。日本社会の傾向は21世紀の入り口、ちょうど20年前と比べると、その変化は歴然としている。この社会的変化には背景、遠因、近因があるはずだ。

★ ★ ★

社会主義は現実には機能しない。これは歴史的に立証されてきた事実だ。ソ連の惨憺たる失敗や不平等拡大を何とも思わない中国共産党の(呆れた?)現状をみても明らかである。社会主義に夢はない。共産党に希望はない。にも拘わらず、イデオロギーとしての社会主義はなお残存している。今回のアメリカ大統領選挙戦でもその影というか、亜流が観察できたわけである。

多くの人は色々な社会問題を解決してほしいと願っている。だからと言って、大学進学率が50パーセントを超えるような社会で、経済的自由を享受している普通の人々を相手にして、左翼が右翼を打倒すれば一切が解決するなどという「革命史観」を語っても、普通の人は「なんのこっちゃ」としか反応しない。それが20世紀初めと100年後の現代との違いである。左翼は左翼でマルクスをもう一度読み直してリニューアルをするべきだと感じる。

こんなトレンドの中で共産党機関紙『赤旗』が今回の6名任命拒否をスクープして一大攻勢をかけてきたわけだが、これは来年の衆議院選挙を見据えたうえでの長期選挙戦の仕掛けではないかとも思われる ― でなければ部数減少に悩む『赤旗』のマーケティングである。やはり今回の騒動は共産党が仕掛けた「ロングスパート」であるかもしれず、だとすればその他野党は国会という前線で共産党の駒として使われるだけ、簡単に言えば、共産党に振り回されているのが哀れな現状かもしれない。共産党の応援なくして選挙を戦えないと言われる以上、それも仕方がない。これが実態かもしれない。

小生はこんな図式で(内心では面白がりながら)観ている。が、サテ、仕掛けた共産党が前面に出てきたとき、世間はどう動くだろうか。何しろこのご時世、共産党ですら増税には反対を唱え、筋からいえば主張するべき「大きな政府」と「福祉国家」はもうサッパリ諦めてしまったようである。そんな(堕落した?)極左勢力に魅力を感じる人がどの位いるだろう。「前衛」と自称する共産党ですら理論的政策論を捨て去ってしまったこの現状にこそ日本の有権者の悲哀がある。党創建の理念を忘れ今はただ時流に乗って権力のみを欲しているのではないか。まさかネ。と、そんな風に思っているのだ、な。


マ、任命拒否された6名の学者たちに政治意識はないのかもしれない。やはり学者の本分は政治闘争ではなく、真理の探究にある。学説の彫琢と立証が最優先でなければならない。これだけは確かである。ひょっとすると、朝鮮王朝初期に大義名分と節義に殉じた「死六臣」を想い起こさせるような歴史的存在として記憶される可能性もある。

政府などは相手にせず、政府のいかなる栄典、叙勲も辞退した福翁や漱石の心意気こそ実はイッチャン格好イイのである。任命してくれないことを悲憤慷慨するなど、どちらかと言えば醜態だと感じるのは小生だけだろうか。「血涙相和して数行下る」などという愁嘆場は見苦しい。やっぱり「死六臣」はちょっと無理かも・・・



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