2020年10月20日火曜日

ホンノ一言: 日本が行った「戦争」の分類

日本の近現代に対する歴史的興味がここ最近高まっているようだ。特に昭和戦前期をどう考えるかという問題は、ここにきて、関心の深さも広さも一段とレベルアップしたように感じることがある ― もちろんその裏側では数多くの歴史学者の努力があったわけだ。

東条英機という人物のありのままの姿をもう一度確認しようという著作も増えてきた。本当によいことだと思う。

それにしても「戦争」ほど極限的な国家行為はあるだろうか?

経済が社会を動かすことは誰もが知っている。それと同じ程度に、「戦争」の研究をすることは、その国、その国の国民を深く理解するうえで欠かせないテーマであると思う。

日本人がもっている根源的な理念や国民的なホンネは戦時においてこそ表面化し、露わに見えて来るものだ。日本人が絶対に譲れないと思っていることや何を心から信じているかも戦争を決意して臨むときにこそ分かる。勝利した時の態度、敗れた時の態度にもその国の個性が現れる。生死がかかるときにその人の人格が露わになることと同じだ。どんな「戦争」をするか?戦争の仕方をみてその国について分かる事は多い。

小生は経済史の専門家でも、経済学説史の専門家でもなく、まして歴史学となると完全な門外漢だ。それでも

  • 日本が一定の戦略の下で開始し終結させた戦争は、日清、日露戦争と満州事変の3回のみである。
  • 日中戦争(日華事変)は「戦争とは認めずそのまま停止不能になってしまった戦争」、真珠湾奇襲以後の太平洋戦争は「戦争したくはなかったがやってしまった戦争」、つまりマネジメント・ミスによる戦争である ― 要するにマネジメント・システムが壊れていたという単純な事実がわかる。これを前提として当時の事を検証する方がよいということも分かる。
  • その他、戦前期の日本の軍事行動は多くあるが、第一次世界大戦時の山東出兵、シベリア出兵など、どれも好機に乗ずるという意味では機会主義的かつ場当たり的な軍事行動だった — 現場は懸命に働いたが、得たものが少なく失ったものが多い。小生の田舎の方言でいう「キョロマ」がやることは全てがそんなものだ。

この程度のことは《仮説》として検証したいものだ。2番目と3番目のカテゴリーに属する戦争を止めるメカニズムを欠いていた所に戦前期日本の統治機構の大きな欠陥があった。このことと、その時代、その時代の経済的背景、社会的背景との相互関係を調べてみるのは、非常に面白そうだ。

ま、陳腐な問題意識だと思うが、メモしておきたい。

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