2020年10月13日火曜日

一言メモ: 非正規社員の賞与・退職金不支給に合理性はあるのか

 新型コロナ感染拡大で全国の学校、特に大学の理工系学部で徴収される施設充実費に疑問が寄せられるようになったのだが、それに対して大学側は『施設充実費は当該学期中の施設使用に対する使用料として徴収するものではなく、長期的な施設拡充計画に充当するため一定金額を均一に負担していただくためにお願いしているものである。故に、コロナウイルス感染予防のためキャンパスを閉鎖し、授業を遠隔化する場合においても施設充実費納入の必要性は変わらない』と、大体このような説明を行ったそうである。

対面授業が中止されて実験も実習も行われないにも拘わらず、施設充実費を請求される保護者の立場にたってみれば、まことに釈然としないが、理屈はその通りであろうと小生にも思われる。

そして、このロジックと、本日の最高裁判決で示された『非正規従業員に対する賞与、退職金不支給が不合理な格差にはあたらない』という判断と、何となく通底しているように感じられるのは小生だけだろうか。

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なるほど毎日毎日の日常業務に正規社員と非正規社員とで違いはないケースは多い。しかし、観察可能な業務の外形をもって「正規社員と非正規社員が同一業務に従事している」と結論するのは正しくはない。

何を担当しているかという職務範囲は、日常的に現に行われている業務内容を観察するだけではなく、あらゆる可能性の下で担当することが予想される全ての業務と責任を考慮に含むべきである。

ルーティンワークへの従事だけではなく、緊急時への対応、トラブル発生時の責任、期待されている超過勤務、期待されているスキルの向上等々、たとえ日常的に従事している業務内容に違いが観察されなくとも、可能性のある色々な状況の下で要求されるであろう業務負荷の期待値に違いがあるとすれば、「同一労働」とは言えずあらかじめ支給する給与などに差を設けるとしても、理にかなった格差たりうる。

むしろ、経験と能力が十分で、より高い業務責任と給与を希望する意欲のある非正規従業員に正規化の道を積極的に開くことが一層重要であって、こちらのほうを政策論としては強調するべきだろう。そして、この方向を前に進めるには正規社員を過剰に保護している制度を改める、つまり解雇規制を緩和することが必要だ。正規社員は不安だろうが、そうした方が雇用側、被雇用側双方にとってフェアで納得できる社内環境を実現できるはずだ。現在でも正規社員として入社する若者世代の3分の1程度は短期間のうちに辞めていく。辞めるより非正規従業員に移行すれば働きたいように自由に働けるチャンスがある。成長して気が変われば同じ会社の正規職に戻るか、別の会社の正規職を探せばよい。自分の人生である。多様な人生航路をその人その人が選択できるように支える政策がより生き易い世の中をつくることにもなるだろう。

「働き方改革」の最終的目標は、残業時間を減らしたり、休暇をとりやすくしたり、テレワーク等の多様な勤務形態を導入するという外形的なことより(これらも無意味ではないが)、理に適うことからもたらされる「納得感」を広げることが必須の要素であるはずだ ― もちろん給与はもらう側にとっては多いに越したことはなく、払う側にとっては少ないに越したことはない。技能レベルごとの需要供給の関係で給与の相場が決まってくるメカニズムそのものは受け入れるしかない理屈ではあろうが、それでも理屈に合わない慣行は日本の職場に余りにも多いはずである。

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