総理大臣による学術会議の任命拒否騒動。案の定、尾を引いていきそうな気配になってきた。
尾を引くとすれば、それは野党が政府攻撃の材料にするからでもあるが、もっと本質的な理由もあるからだと考えなければならない。大体、解決に手間取り、長引く問題には、構造的な原因がある。
そもそも学術会議の行動履歴、内部構造などに関して、世間が周知するよりは根の深い問題が潜在しているからではないか?単なる言葉のやりとり、その場の物言いで事態が深刻化するというのはあり得ないものである。また、もし単なる言葉のやりとりで険悪化するのであれば、携帯か何かで話をすれば済んでしまう話である。根の深い原因があるとすれば、何があるのだろうか?
こう考えなければならない。そして、こう考える方が本当は遥かに「面白い」はずなのだ。
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政府と学術会議とをめぐっては、歴史的かつ微妙な関係性がある。それだけではなく、学問世界における勢力分布、ヘゲモニー、科学研究費の配分への影響力行使までを含めれば、問題は今回の学術会議騒動をはるかに超える、深い問題につながっていくのは誰もが想像できるわけだ。
大体、前々会長は次期会員推薦名簿のドラフトを首相官邸、内閣府と擦り合わせていたにも関わらず、前会長は擦り合わせ不必要との判断から推薦名簿を直球勝負のごとくぶつけたわけである。前会長は9月末で会長を退任し、新会長は10月に就任し、まったくお気の毒なことである。前々会長は東大、前会長は京大、今月に就任した現会長は東大である。
平成になってから、もう何人もの学者が学術会議の会長に就任したが、前会長を除けば全員が東大から出ている。
フ~ム、なにか見えてくるような・・・と想像するのは下世話な井戸端会議である。
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TV主導のマスメディアは、
一般的な問題はありましょうが、これはマア別問題でして、まずは今回なぜこの6名の方々が任命拒否されたのか?どこが問題だったのでしょう?この話題が先だと思うんです。
こんなシツラエでワイドショーを作っている。
こんな話を続ければ、そのうちこの6名についてあらゆる憶測記事が書かれ、ひどい表現をすればそれこそ身ぐるみ剥ぎ取られるような記事が週刊誌に掲載される。目に見えるようである。そして、当人たちには何の責任もないにもかかわらず、研究者としても傷つくのである。
本質的には今回の6名に何の責任もないと、小生は6名のうち一部分しか熟知していないが、それだけで「本人たちには何の責任もない」と確信できるのだが、任命拒否という政治的騒動に巻き込まれた。結果としてTV業界のプロデューサーは視聴率向上の格好の素材が得られた。番組編成現場は喜びを禁じ得ないはずである。
解決するには、今回の問題を一般的な観点から見直し、問題発生のメカニズムを把握することが第一である。しかし、関係のない視聴者の「下世話な」関心を刺激するには、拒否された6名が一体どんな人物であるのか、何をやらかした人物なのか、こちらに焦点を絞る方が「面白い」のだ。「面白い」、残念ながらただそれだけなのであろう。
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マスメディアは、伝えるべき重要な情報を選んでいるのではなく、視聴率が上がる情報を選んでいる。伝えるべき情報とは社会の問題解決をはかるために周知させた方がよい情報である。それに対して、視聴率が上がる情報とは多人数が面白いと感じる情報だ。この二つは同じではない点に営利を目的とするマスメディア産業の限界がある。
「不十分な情報」は自由な市場が失敗する幾つかの理由の一つ、というのは経済学のイロハである。情報番組が想定する視聴者とは、当たり前だが「情報の不十分な人々」である。故に、事情をよく知らない、情報の受け手である視聴者が求めるものを提供していては、社会的に望ましい状態にはならないわけである。ところが、スポンサー企業は、最大多数の視聴者の関心を刺激してほしいと願うのだ。ここに、スポンサーがメディア企業を金銭面で支えるというビジネスモデルの社会的欠陥がある。
もはや報道ではない。能力も実績もある得難い人材を多人数のエンターテインメントのために消費する活動になっている。小生にはそう見える。
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