2020年11月3日火曜日

一言メモ: 科学リテラシーと前後則因果の誤謬(post hoc ergo propter hoc)

 こんな記事がある:

日本工学アカデミーは緊急提言を2017年と2019年に出している。わが国工学と科学技術力凋落への危機感から書かれた提言は、共に科学技術政策担当大臣に手交された。

「情報時代を先導する量子コンピュータ研究開発戦略」「2030年の超スマート社会に向けた次世代計算機技術開発戦略」「新たな働き方、生き方、社会の在り方の実現に向けた提言 テレイグジスタンスの社会実装へ」「医療の高度化と医療制度のサステイナビリティの両立に向けて」と、他の提言も具体的で将来を見据えたものである。

出所:アゴラ-言論プラットフォーム『日本学術会議は日本工学アカデミーに学べ』

URL: http://agora-web.jp/archives/2048777.html 

上の提言をみて、「このアカデミーの提言は政府の基本方針とほとんど同じだから、この機関は政府から独立してはいないようだ」と、そんな批判をする人もいるかもしれない。

政府の方針に沿って、民間機関が将来の方針を決めているのであれば、やはりこの国は政府主導で動いていると、そう観るのが「正しい」ということにもなるのだろう。

しかし、そう簡単ではないと思う。

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いわゆる「前後則因果の誤謬(post hoc ergo propter hoc)」を連想してしまう。

稲妻が光った後に雷鳴が轟くが、だからと言って稲妻が雷の原因であるわけではない。本当は二つ同時に発生している。雷鳴が稲妻の後から聞こえるのは観察者までの距離による。後で観察されたからと言って、先に見たことの結果であるとは限らない。ただ「そう見える」だけである。

政府が政策方針を検討するとき、関係各界の意見を聴くものだ。政府の方針が公表されると、それに併せて財界や企業も同じ方針で具体的な計画を発表する。だからと言って、民間企業が政府に合わせているとは言えない。政府主導で物事が進められているとは限らない。ただ、そう見えてしまう。

これもやはり"Post Hoc Ergo Propter Hoc"の誤謬の一例だろう。

「民間が政府から独立していない」のではなく、「政府が民間から独立していない」のだとすれば、むしろ良いことだろう。

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観察された事実や現象をどう説明するかは、現象の背後で働いているメカニズムを洞察し、立証しておくことが不可欠である。

同じ現象に対して、異なった複数の説明の仕方を列挙し、どれが真相に当てはまっているかを検証するのが科学的方法の核心である。

統計学の授業では事件捜査を例に引いて話したことが何度かある。

捜査の段階では複数の容疑者が現れるものだ。その容疑者は「推定無罪の前提」に立てば、最初は全員がシロである。シロがクロになるのは集められた物的証拠から「彼はシロではありえない」と結論されるからである。ということは、シロの可能性を否定する十分な証拠がなければ、シロの前提を覆すことはできない。故に「疑わしきは罰せず」なのである。容疑者が真にクロであるときに、証拠をもってそれを立証する能力を統計学では「検出力」という。誤ってシロの容疑者をクロと判断するのは「第1種の過誤」、クロであるにも関わらずシロであると判定して立件に至らないとすれば「第2種の過誤」になる。これらは統計学の基本中の基本である。

往々にしてやりがちな非科学的議論がある。

それは直観的にクロであると結論したい何かがある。そこでクロの想定を支持する証拠を一生懸命に集める。そして「これだけの証拠がある。だからクロである」と結論を出す。これは典型的なデータ・クッキングである。シロの前提に立ったときに、同じ証拠がどの位の確率で得られるのか、その点の評価をしなければならない。

「実証的」と言いながら、実は一方的な、偏った「検証」をしている例は余りにも多いと感じている。結局は、「科学リテラシー」の問題である。


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