大震災と津波の不確実性とリスクについて
福島第一原発の事故は想定を超えた津波によるものだという見方がある。反対に、既存の防波堤を越える大津波は可能性として十分予見すべき事象であって、その意味で今回の事故は東電の過失であるという見方も広まりつつある。
そうかと思えば、原子力発電は客観的には非常に安全な技術であり、自動車やたばこのほうが遥かに危険であるという意見がエコノミストの間で最近話題になっている様子もうかがえる。
本当にたばこが原子力発電よりも危険であるのかという議論をする前に、確率的にものごとを議論する時には、一定の状態を前提したうえでその時の結果を確率的に予測する立場と、何も前提をせずそもそもどのような事象がどの程度の確率で起こりうるのかを考える立場を区別しておかないといけない。この点をまず確認しておこう。確率論においては前者は条件付き確率といい、後者は無条件確率と呼んでいる。
少し簡単な実験をしよう。津波は3メートルを超えると大津波として警報が発令されるそうである。ただ3メートルを超える津波がどの程度の確率で発生すると想定されているのか、その情報は手元にない。そこで先ずは津波の高さは平均的な波高に対する偏差(=平均よりどの位高い波かを測る)で測定され、その分布には(4-5-17:00追加:波高の分布には適切ではないだろうが考え方を述べるのが目的なので)正規分布が当てはまり、期待値はゼロ、標準偏差は3メートルとしよう。
正規分布の管理限界としては通常は3シグマないし4シグマをとるのが現場の常識であろう。とすれば、最大の津波は波高で9メートルないし12メートルという予想になる。安全限界を超える確率はゼロではないが、その確率はほとんど無視できるので、その場合の対処は別途講じておくことにして、防災上は安全限界以内のあらゆる事象に対応できる設計を目指す。
これが管理限界の基本的な考え方であって、金融資産の価格形成に活用されているVaRも同様の観点に立っている。 これは無条件分布から物事をみる立場と言ってよい。上の図は50万回の試行から描いた分布図である。図を見ても明らかなように、12メートルを超える津波が到来する確率は極めて小さいという評価になる。
では実際に安全限界を超えた場合に、どのような事象がどの位の確率で起こりうるのか?これが条件付き分布の観点だ。下の図は高さが12メートルを超える津波が実際に到来するときに、どの程度の津波を予想しておくべきかという確率分布である。
上の図を見ると、12メートルの防波堤を構築しておけば、津波が防波堤を超えるとしても、それは<ぎりぎり>にとどまる確率が高い。しかし12.5メートルを超える確率も無視はできず、13メートル超の津波が到来する確率は一様であると考えておかなければならない。そもそもこの実験は50万回で抽出を止めたから最大値が15メートルで確定しているのだが、確率的に可能な事象をこの後も抽出すれば15メートルを上回る津波も計算に入れておかなければならないという数理は容易に見て取れよう。これが条件付き確率分布の考え方であり、金融資産のリスク評価において浸透しているESF(Expected Shortfall)の考え方と軌を一にしている。
上の数値実験は全体としては正規分布が当てはまっていると想定した話である。実際には、マンデルブロを待つまでもなく自然現象に正規分布が厳密に当てはまっていることはない。本当は色々な確率分布が自然現象に当てはまっていることを考慮に入れながら、事態が安全限界を超えるときの確率分布をおさえておかなければならない。これが科学者に与えられた仕事である。こうした問題についてはグネジェンコがかなり一般的な定理を証明している。
確かに自動車は社会全体において危険である。毎年、自動車が原因で死亡している人は多数に上る。たばこについても同様である。しかしこのリスクは自動車全体から発生している損失であり、1台の自動車を追加することによって増加する危険は(時に人の命を奪うものとはいえ)十分想像可能である。自動車損害保険で対人保障を無制限にしているドライバーは多いと思うが、無制限の保険金支払を数万円の保険料で可能としているのは、実際に事故が発生した場合にどの程度の損失がどの位の確率で起こるのかが、かなり正確に評価可能であるためだ。
しかし、上の津波の高さに関する簡単な実験をみても、原発施設の安全限界が突破され施設が破壊されたときに、どの程度の損害をどの程度まで考えておけばよいか、その計算は決して簡単ではない。自然現象に正規分布が当てはまっていると仮定した場合においてすら、いざ12メートル以上の大津波が来るとしてどの程度までを予想しておけばよいかは、全く違った問題となる。だからこそ、原発事故の損失を保証する損害保険はビジネスとして非常に理論付けが難しい。そうではないのだろうか?
以上述べたことは、「自動車やタバコは原発よりはずっと危険なのですよ」と言われたときに普通の人達が感じる違和感をよく説明するものだ。確率は小さいかもしれないが、本当に事故が起こった時にどんな最悪のことまで考えなければいけないか、その見当がつかないということだ。エコノミストは、そうした問題を<リスク>とは異なる<不確実性>と呼んで、そもそも理論的には対処しようがないものとして片付けがちである。しかし、そんなことはなくやはり適切な確率モデルを使ってリスク計算をしなければならない問題なのである。
ましてそのことをツイッターの場で指摘したら、その指摘をスパムとして処理するようであれば、それは知的誠実さを欠いていると、多くの人は判断するのではないだろうか。
以上述べたことは、著者が勤務する大学で先ごろ行われた学生懸賞論文で第1位を獲得した論文で分析された論点でもあった。卒業間近の学部学生ですら真正面から真摯に「不確実性」という大問題に取り組んでいる。経済分析を職業としている専門家にとって「これは分かっているが、これは分からない」という態度は最も恥ずべきものではなかろうか。
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