2011年4月18日月曜日

震災復興、いくつかの疑問(その3)

3月29日4月1日に大震災、原発事故について疑問や覚書を書いておいた。


震災を織り込んだ諸々の経済データが出始めるのは今月末あたりからだ。統計屋の話題としては今は端境期だ。こんな風なので、最初の疑問がその後の時間経過の中でどう解消されてきたか、確かめたくなった。


下が最初の疑問だった。
  1. 首相、官房長官以下、被災者支援、原発対応等々で忙殺されているのは分かるが、いずれも息の長い仕事である。首相官邸は基本方針を立てて人を使う役割を期待されている。いまなお忙殺されていて、何分かの記者会見しか説明の時間を持つことができないのか? ⇒ 官房長官は頻繁にやっているが、首相はほとんど出てこない。時折、メッセージと称してやっているが、「あの無内容な」演説は何とかならないかと酷評されている。
  2. 多忙を理由に国会を休会にしているのは理解できる。常任委員会に出席し続けるのは無理であろう。(注を追加: 参院予算委員会の本日開催を確認)それなら「大震災復興特別委員会」を設置し、政府の基本方針を国会に説明するべきである。なぜ国会に早く特別委員会を設置しないのか?なぜマスメディアは国会が震災復興に関連した審議を行っていない点を批判しないのか? ⇒ 特別委員会は出来ないようだ。議論されているという報道もない。与野党参加で会議を作りたいと首相は考えているらしいが、野党は乗ってこない様子。何故に、国会の場で集中審議するのではなく、首相官邸の会議室で会議をやりたがるのか、遠隔地からみている小生には全く理解不能。現内閣の<国会軽視>を象徴している。こう言われても仕方がないのではないか。
  3. 計画停電についてはわざわざ東電の記者会見を遅らせてでも首相自らが説明した。しかし農産物の県内一律の出荷停止については指示責任があるにもかかわらず首相自ら説明をしていない。何故か? ⇒ この点に関してはその後も説明なしと存ずる。ただ一律停止指示は控えられ、自粛などという穏やかなやり方にシフトしている。あれはパニックだったのではないか。
  4. なぜ震災翌日の時点で、まだ担当大臣、担当局長、東電社長も詳細を把握していないにも拘わらず、ほとんど情報を持たないままで(本当にそうだったのか?)、福島第一原発を首相が直接視察する必要があったのか?視察したことで、いかなる知見が得られたのか?それはどう生かされたのか? ⇒ 国会でも追求された。視察で応急措置が遅れたということはないと弁明している。この関連だが、東電社内に統合本部を設けたことは「東電に任せていたらどうなっていたかわからない」と判断を評価する向きもあるらしい。
  5. 官房副長官が各府省連絡会を隔日で開催しているというが、いつまでこの体制を続けるのか? ⇒ 週刊誌には「復興構想会議」が設けられハシゴを外された官房副長官と評されている。
  6. そもそも閣議と震災復興に関わる案件処理の関係はどのような状態になっているのか?内閣の意思決定は適法に行われているのか? ⇒ <聞くところでは>20以上の会議が既に設けられているよし。それぞれの検討事項、役割、相互関連は首相官邸のホームページを見ても全く不明。
このように書いてくると、小生は何がなし暗澹としてくる。寂しい、悲しいという表現にも近いが、虚無感、漂流感も混じっている心持ち。無情という言葉も使いたいし、哀情をも感じる。これはむしろ作家、詩人の領域かもしれない。

最近になって新たに疑問を感じる点も出てきた。
  • 東京電力という企業が、結局は、残るという見通しが週刊誌の記事になっているかと思えば、賠償負担は長期分割払いにする、かと思えば支払い上限を設けるべきだ、福島原発関連業務を切り離し別企業にするべきだ、とにかく原発事故をとりまく状況は百家争鳴だ。しかしながら、事故の原因と責任を分析する事故調査委員会について全く構想が漏れ聞こえてこない。賠償も東電処理も事故調査の進展と密接に関連していることではないのだろうか。おそらく事故調査委員会には米、仏の専門家が何らかの立場で参加することは必至と小生は思っている。分析も結論も国際的な透明性を持たせる必要がある。それなのに事故調査体制について何故いっさい憶測が流れてこないのか?首相が語るべきだと思うのだが、なぜクリントン長官訪日後も一切憶測が流れてこないのか?
  • 経団連の米倉会長が数日前に「東電にはいっさい責任はないし、賠償の責任もない。悪いのは安全基準を設けた国であり国有化などはとんでもない話である」という趣旨の発言をした。その後、経済界の人はなぜ会長発言をフォローしないのか?あれでは一発花火になる。東電に頼まれて発言をした。もう義理は果たした。このように痛くもない腹を探られるだけではないか。なぜだろう?
  • 復興庁は出来ると思っていたが、どうやら出来ない方向だ。それでは復興総合計画は行政事務としてはどの官庁が所掌するのだろうか?1995年時点では国土庁もあり、経済企画庁もあり、政府内の総合調整を担当する組織もあった―中央省庁再編があったのは2001年1月だ。経済企画庁の前身の経済安定本部は戦後復興の中で誕生した。もう復興でもないだろうというので廃止された。いまはまた復興が政策課題ではないか。2001年時点の状況と同じ考え方で政治行政が回るのだろうか?
追加した三つはどうも相当深刻な論点でもある。いずれフォローアップしたいが、中々、すっぱり解消とは行かないだろう。

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