議員1人当たりの有権者数を比較した選挙区間の「1票の格差」が最大2.30倍だった09年8月の衆院選を巡り、全国の有権者が「法の下の平等や正当な選挙を保障した憲法に反する」として選挙無効を求めた9件の訴訟の判決で、最高裁大法廷は23日、選挙は「違憲状態」と判断した。そのうえで、選挙自体は有効として原告の請求を棄却した。衆院選を巡って最高裁が3倍未満の格差を違憲状態としたのは初めて。(出所:毎日新聞 2011年3月23日 16時02分)
小生は法律分野については全くの素人だ。しかし、上の判決に少々疑問を感じることもある。それを覚書きまでに記しておきたい。
判決文によると、問題は一人別枠方式にあると指摘されている。
1人別枠方式は,衆議院議員の選挙制度に関して戦後初めての抜本的改正を行うという経緯の下に,一定の限られた時間の中でその合理性が認められるものであり,その経緯を離れてこれを見るときは,投票価値の平等という憲法の要求するところとは相容れないものといわざるを得ない。
(出所)http://d.hatena.ne.jp/paco_q/20110324/1300914551
別枠方式というのは、まず全選挙区(4/12修正:全選挙区⇒都道府県)に定数を1人ずつ配分し、その後で(4/12追加:考え方としては)人口に比例して定数を上乗せするという方式だ。この別枠方式が一票の格差の根因になっている、というのが判決趣旨だと考えられる。
これを読んで小生は考えこんでしまった。
人口過疎が進めば政治的発言力もその分削減される。それが道理である。そういうことなのか?
下の図で検討したい。左は別枠方式がなく、人口に完全比例して定数を配分する時の考え方だ。人口が3倍である選挙区には3倍の定数が配分される。それに対して、右の図は現行方式の考え方だ。
人口とは無関係に別枠が与えられているので、極端な話、人口がゼロになっても定数があるということになる。したがって人口が3倍になっても定数は3倍未満になる。これが一票の格差であるという指摘につながる。
簡単な数字例をあげよう。ここにA市とB市がある。人口は10年前にはA市が50万人、B市が10万人だった。ところが人口移動により現在はA市は55万人、B市は5万人になったとする。A市が5万人増えた以上は5万人分の行政需要が増えており課題も増えている。だから、それに応じて政治的発言力も比例的に拡大するべきだという議論になる。B市は人口が半分になったわけだが、半分になった以上、社会の維持コストも半分になる。行政需要も半分になる。故に、議員を通して地域の声を社会に伝える必要性も半分になった。
そう考えて良いのだろうか?
このような見方は社会の現実に当てはまっているのだろうか?
私見だが、50万人が55万人に増える時よりも10万人から5万人に人口が半減するときのほうが、地域社会は激烈な影響を被る。様々な施策を実施する緊急性は人口減少地域の方であると、私にはどうしても思われるのだがどうだろうか?
法の前の平等は極めて重要である。しかし、より困っている人たちに、より厚い社会的配慮を加える仕組みを作っておくことは、本当に法の前の平等に違反することなのだろうか?
仮に権利というものが個人に完全に帰属し、個人が地域間で移動をすれば、それに伴って権利も移動していく。そう考えるのであれば、権利だけではなく義務も個人と共に存在すると考えるべきではないか。義務の内には納税の義務がある。全ての国民が等しく納税を行うのであれば平等が維持される。それは人頭税である。しかし現実には個人の経済的状況が考慮されながら課税がなされている。地域社会の現実を配慮しながら政治的発言力のバランスを考えることは本当に法理に反する考え方なのだろうか?
現実には民主党が別枠方式廃止を提唱している。多分、廃止の方向で検討は進んでいくのだろう。しかし、大事なことは、たとえ最高裁大法廷であろうとも、それは現行法制の法理を提示しているのであって、国民がその論理に従わなければならないということを意味しない。<天の声>は<人民の声>であって<最高裁の声>ではない。
こんな意見を述べるのは、私が法律には素人であるためだ。とはいえ、それほど筋違いの論理を展開しているとも思えないのである。
3月の経済データが出てくるのが待たれる。それまでは色々な話でお茶をにごすとするか。
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