2020年3月31日火曜日

冬眠から醒めた「魔女」は昔の「魔力」を使えるか

小池百合子・現都知事が冬眠から醒めたかのような活動期に入っている。

こんな記事がネットにはある:

封じ込めに効果があり、都民の支持があれば経済活動が止まってもいい。命と医療体制の維持が優先である――。小池氏の判断は冷酷だが、冷静でもある。
URL: https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59975


若者の「カラオケボックス」、「ライブハウス」、中高年は「バー」、「クラブ」。これらの場所は行くのを自粛してほしい、と。正にピンポイントで<密閉・密集・密接>が重なりクラスター発生確率が高まる場所を特定したわけだ。

先日の投稿にメモした「今後の予測」では:
但し、クラスター形成の確率が非常に高くなる活動、つまり下図の3条件を満たす活動は時限的に、例えば1年間程度は禁止もしくは自粛要請されたり、あるいは入場時の体温チェックが義務付けられるのではないか ― 具体的にどの分野、施設で何が求められるかは、ちょうど「軽減税率」対象品目を指定するのと似ていて、恣意性が混じるのは仕方がないが。もしその間に喪失所得が発生するなら、幾ばくかの所得補償が失業保険と併用しながら別に立案されるだろう。
こんな方向も個人的予測の一つに含めているので、都知事の自粛要請も内容自体としては大して独自性のあるものではない。 むしろ当たり前のことである。

しかしながら、政府の主だった誰も臆病な遠慮からだろうか、口には出来なかったことを敢えて発言したのであるから、一定の勇気(あるいは蛮勇?)はある。首相、厚労相のグダグダぶり、オタオタぶりが際立ってしまった、という効果はあった。

見事なり、小池女史!

久しぶりにヤンやヤンやとなっているのだろうか。

ただ、最初の引用でも書かれているが、
命と医療体制の維持が優先である
この見方はどうだろうネエ・・・ドイツでは対応に絶望したヘッセン州の財務相が自殺したらしい。

せめて「店の側に生じる喪失所得は国と交渉して保障してもらうつもりだ。私を信じて、営業を自粛してほしい。店の利用者は行くのを控えてほしい」と。この位は言わないとナア。責任からは巧みに身を避けている。これもどこゾでみたデジャブ感がある。

感染者の命は守りたいが、そんな店を経営している人、従業員で働いている人、彼らの命が亡くなってもそれはいいのです、と。

ずっと以前、希望の党を立ち上げた時にも小生は投稿で書いたことがある:
それにしても、「政治が趣味」という人もいるんだねえと小生はツクヅクと感じる。頼まれてもあんな修羅場には出向いていかないが・・・、人は色々、人生いろいろである。
本当に、「人は色々」である。つくづくそう思うナア。
△△は死ぬまで治らない
口先に丸め込まれる人は、やはり、いつでも、どこにもでもいるようだ。

2020年3月29日日曜日

ツイッター風に一言メモ: 外出自粛要請の実効性について

東京都で外出自粛要請が出されて今日あたりはさすがに街が閑散としているという報道だ ― それにしては新橋駅周辺など、小生がずっと昔に徘徊していた頃とそれほど変わらないように見えるのだが。

ただ、TV画面に登場する人たちがいみじくも話しているように、あくまでも「自粛の要請」であるから、「予定がある」と言い張る人にまで外出を禁止する法的根拠はない。

ただ、実質的に外出を困難にする方策は幾らでもあるだろう。

本日はツイッター風に:

公共交通機関へのアクセスを極度に困難にする。例えば、JR、私鉄、地下鉄、バスなどは定期券を持っている乗客のみ利用できるものとする。

SUICAなど交通系の電子マネーは稼働を停止する。乗車券の自動販売機は販売を停止する。

いわば秋山小兵衛や長谷川平蔵の頃の江戸の交通事情に近いものとするわけだ。

そうすれば、買い物、散歩、レクレーションなどは基本的に徒歩圏内の近場に限定できる可能性が高い。ネット通販も活用できる。

鐘ヶ淵から四谷まで歩けば運動にもなる。

乗用車の利用者が増えるだろうが、渋滞が予想され、不要不急の外出は抑えられる。遠出も避ける。

ガソリンスタンドは基本的に商用車のみに対応する。

乗用車保有者は緊急時に備えて不要不急のドライブを避ける。

数日前に投稿したように無症状・軽症感染者は自宅療養が基本になると予想する。独身者のリスクを考えると、一時滞在先を確保する必要はある。

これにはホテル、特に都内に多数のホテルを保有するチェーンホテルが適切だ。食事も洗濯もできるので生活基盤は十分だ。

観光客数が激減しているホテルが、軽症感染者を引き受け、売り上げ収入を確保することは、終息後の後始末を考えても有難いはずだ。

・・・これに近い線で対応されることを今後の予想に加えておこう。

ただ、カミさんに話してみると、そんな事できるワケがないと一蹴された。

2020年3月28日土曜日

「専門家の助言に従ったのか」という批判の表と裏

新型コロナウイルス禍で現政権は何度か重要な「政治的判断」をしてきたところだ。

その都度、マスメディアを含めた各方面から様々な批判の声が上がっている。批判それ自体は望ましい事であるのだが、頻繁に耳にする批判が『専門家の意見に基づいた判断なのか』という指摘であり、これに対して『政治的に判断したところであります』と安倍首相が応じると、『思い付きで決められても困る』と。この応酬、どこかで耳にしたようなデジャブ感を覚えるのだ、な。

***

「専門家の意見をまず聴け」というのは、確かに正しい指摘である。

しかし、この思想が極端になると、太平洋戦争中、というか日清戦争、日露戦争の時から既にみられた帝国陸海軍の通弊、つまり「最高司令官」ではなく「参謀」による作戦指導が正しいのだという思い込みが出来てしまう。これが最も悪質な思い込みである。

専門家にも色々ある。

戦争のときは戦争の専門家である参謀組織の助言によるべし。医学上の問題が生じた時には専門家である医師の判断によるべし。大恐慌のときは経済専門家の考え方によるべし。そんな考え方は果たして問題解決につながるのか?

日露戦争のときは肝心の作戦参謀がしばしば間違いを犯したことは有名だ。太平洋戦争のときの帝国陸海軍の参謀は神風特別攻撃という作戦指導上のタブーにまで立ち至ってしまった。そもそも参謀の作戦で勝利した事例は少なく、勝ったときはトップのリーダーシップで勝利を得た例のほうが多い。19世紀のロンドンでコレラが蔓延した時、或る水道会社から給水してもらっている地域の死亡率が高いという統計データに着目したジョン・スノウはその水道会社を営業停止にすることを提案した。専門家は「根拠がない」と反対する。そもそも「コレラ菌」という病原の科学的認識にはまだ至ってなかった当時、「根拠」などは得られようはずもなかったのだ。こうして「疫学」という公衆衛生上の概念が新たに確立した。1929年の大恐慌の深まりに際しては、専門家である経済学者は価格の調整メカニズムへの信頼を捨てることができなかった。異端児ケインズがマクロ経済学を創始して問題解決への道筋を提案したのは経済学史上では周知のことである。

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専門家は重大な局面に際してしばしば間違うものであるという歴史的事実がある。

最高責任者は専門外の意見も聴きながら対応を自分自身が決断し、結果について自ら責任をとる。最も大事な事はこの点である。

『専門家の意見に従って判断したのか』という詰問は最高司令官に『参謀の提案に従っているのか』と問いただすのと似ている。このような考え方が帝国陸海軍における「エリート参謀の専横」を招いたのである。

専門家もまた、主流派と非主流派の派閥対立、標準的見解と異端派の論争、ポストをめぐる人事的対立、名誉欲など様々のネガティブな感情から自由ではなく、意見には常にバイアスが混じり、過剰な自己主張をすることから免れるものではない。

最後の重要な政策判断は「専門家」集団に任せるべきではない・・・とはいえ、マア、お笑い芸人がMCしているワイドショーは、あれは番組編成方針からしてバラエティというか、娯楽番組であるから、上で述べたことの範囲外である(念のため)。

2020年3月26日木曜日

一言メモ: マネジメントとクリエーションは必要な才能が異なる

「例によって」と言うべきか、小池百合子都知事が唐突に法的根拠もなく「ロックダウン」を口にしたあと、昨日は外出自粛要請を表明した。

都内の小売店では狼狽的な買い占めが横行し、生活必需品は既に棚から消失しているよし。

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数日前の投稿をまた書いておこうか:

社会不安が高まる際には不安を鎮静化する方策を実行し適切なソーシャル・マネジメントを行うのが行政官たる首長の職務である。

これとは反対に、日常化した状況の中に解決するべき問題を発見し、行政ルーティンを超えた行動をして、問題解決への道を切り拓くのが政治家の役割である。

行政官はマネジメントを緻密に誤りなく行い、政治家は果断に創造的行動をする。クリエーションである。なので、政治家に求められる素質は緻密さというより失敗を怖がらない勇気だろう。

***

昨日の小池知事は、行政官が果たすべきマネジメントとしては粗雑かつ乱暴で概ね「失敗」し、政治家として発言するべき内容としては、その陳腐な二番煎じぶりに失望をかっているようだ。

ま、密閉空間で多人数が密集して近距離で会話することがクラスター発生の3条件であることから、『三つの密』、つまり「密閉・密集・密接」を避けるべしという中国風スローガンをパネルに明記して覚えやすくする配慮をしたところは、さすがマスコミ業界で仕事をしていた元・キャスターであると感じたところだ。

ではあるが、出し方はともかく、やはり「焼きが回った」ということだろうか。

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カミさんと受け取り方が違うのだが、避けるべき事は<密閉 and 密集 and 密接>という積集合なのだろうか。それとも<密閉 or 密集 or 密接>という和集合なのだろうか?

小生は積集合であると理解しているが、カミさんは和集合のことだと言い張っている。

しかし、クラスター発生確率が高い場所とは、3条件のそろった積集合であるという専門家の説明があった。

もしも避けるべき所は積集合であるのなら、野外の集会は認められる。窓のない室内でも少人数で話をしなければよいことになる。和集合がダメなのなら、どちらもダメだ。公園に集まるのもダメ、駅前を歩くのもダメということになる。

どちらなのだろう?

この辺の説明も小池都知事は特にしていない。

3条件のそろったクラスター発生確率の高い場所を厳格に閉鎖したり、人数制限令を出したりするだけでも、感染拡大を抑えるには相当の効果があると小生は思うのだが、命令できる法的権限がないせいか、この辺が曖昧模糊としている。これもまた「日本的」であるということか。政治家が自らの才能を発揮する「売り出しチャンス」と思うのだが。

2020年3月25日水曜日

一言メモ: 「善行」の裏にいつも「善意」をみようとする伝道者的メディアにも困ったものだ

昨年後半には予想もしなかった「新型コロナウイルス禍」。多くの国民の窮状をメディアが報道する中で、いかにして『社会に貢献するか』が時事的な、かつ国民的な課題になっている。そんな風潮に棹さすような言動は中々とりづらいものだ。

とはいえ、小生は何度も書くように「へそ曲がり」であることにおいては人後に落ちない自信がある。

***


不足しているマスクだが、電機メーカーであるシャープがマスクの量産に着手するという件はしばらく以前に公表されている。これに関して、

シャープの親会社である台湾、鴻海(ホンハイ)精密工業の郭台銘(テリー・ゴー)前会長の号令一下、中国子会社のフォックスコン(富士康)もマスクの量産を始めている。非常時における反射神経の良さは、日本企業も大いに学ぶべきだろう。 
(中略)これぞ企業の社会的責任の果たし方である。シャープも政府に供給して余ったマスクについては、自社のECサイトで販売する計画だ。
 URL:https://blogos.com/article/445407/


ジャーナリストは、社会のために何かためになることを発言したいと考える人たちが志願する職業だ。つまり、自分自身は特に具体的な事を何もしないのだが、社会のためになると思われる事を伝えて説明するという仕事をしている。こんな仕事が真の意味で社会のためになっているのかどうか、小生は詳しいことを知らない。ジャーナリストが他のジャーナリストの仕事を紹介して称えるという例をそれほど見ないということは、当のジャーナリストも自分の仕事がそれほどまで社会に貢献しているとは考えていないのじゃあないか。こんな風に邪推することが実は多いくらいだ。

確かにシャープがマスクを量産してくれることは小生も嬉しい。

しかし少なくとも言えることは、シャープは「社会のためにマスクを生産する」わけではないということだ。第一に、自社で必要とするマスクが調達困難になっているので自社生産に切り替えたということ、第二は政府が買い取るというので多めに生産して儲けること。より多く生産することでマスク1個の原価を抑えられることにもメリットがある。要するに、いずれも自社利益の拡大のためであり、これらが概ね動機の100パーセントを占めるに違いない。

「社会的責任を果たす」ために生産しようと決断する社長がいれば、ヘソが茶を沸かす前に会社が潰れてしまいますぜ・・・。企業経営は会社のためにすることだ。自分よりも前にまずはお世話になっている世間様に・・・などと、そんな甘いものではありませぬ。ま、口ではそう言った方が利益につながるが。

結果として社会のためになることをやっているから、その動機もまた社会のためになろうという志であったに違いない、と。単純素朴にそんな夢物語を伝導するジャーナリストはもうご退場願いたいものだ。こんな間違ったものの観方が浸透すると、本当に社会のためになる仕事を汚いと言っては嫌がり、社会に貢献できる綺麗な仕事ばかりを探す無為の若者を大量生産するだけだと心配している。

何をどう言うか、まあ些細な事だとまでは言わないが、朝乃山を育てた高砂親方ではないが
口上よりも、行動が大事です
自己利益に基づく企業経営であっても欲しいものを生産してくれれば嬉しいし、他者の幸福を願った行動であるとしても余計なお節介になるのは普通にあるものだ。この点で、小生はカント流の道徳形而上学ではなく、経験論的な功利主義哲学に共感を覚えている。

2020年3月19日木曜日

一言メモ: 米・共和党政権は天敵に勝てるか

小生が愛読しているブログの一つに"Econbrowser"がある。

最近の投稿の一つのタイトルは
だ。

確かに、新型コロナウイルス禍に見舞われている今のアメリカ政府の陣容を視ると「お寒い限り」。この一言である、な。

***

2016年の大統領選挙でトランプ候補が選ばれれば自国がどんな風になるか、アメリカ国民は相当程度の予想ができていたはずだ。その通りになっている。

そういえば、2008年のリーマン危機に際してブッシュ共和党政権は無力だった。1929年の世界大恐慌の時もフーバー共和党政権は無為無策であった。父ブッシュ政権も共和党政権であったが1992年の再選の年に景気後退に見舞われクリントン民主党候補に現職でありながら敗れてしまった。

アメリカの共和党政権の天敵は「経済危機」である。


***

それにしても・・・

『嘘つきの政治家は嫌いだ』という嫌悪感ほど非現実的で自分の首を絞める心情はない。「嘘つきヒラリー」には投票したくないという主観的心情を貫いた人たちは自分の願望を達成できたのだろうか。政治家は皆すべて嘘をつくのだ。政治家はただ国益を拡大してくれればいい。そうすれば、結果として多数の人には悦ばしい。これだけは確かだろう。

心は左に、財布は右に

フランス、というより欧州のリアリズムは政治を政治らしくしている。そのヨーロッパの意思決定が時には自ら壁に衝突して傷を深めるような確信犯的頑迷さを呈するのは実に不思議なことだ。

一方は愚かで、一方は賢い。しかし、問題解決には両方とも失敗しそうだ。政治家が賢いか、バカかというのは、社会の政治的安定にはどうでもよいのかもしれない。かと言って、部下さえ優秀ならそれでよいというなら、これも間違いなのだが、本当によく分からない。

⇩ ⇩ ⇩

上で「分からない」と書いた点に関して: 上が下を動かして組織をマネージするというのが組織を活性化する本筋であって、下が個人的思惑から気ままに独走するのは「下克上」になるので処分の対象とするべきだ、というのが原理・原則になる。とはいえ、上の腐敗と退廃が酷いときに下が上の指示に従わない行為はどうするのか、という問題が残る。下は誰でもなれるが、上は選ばれてなるのだから、この種の状況は稀であるという経験則があるなら、結論は明らかだ。やはり上意下達の原理原則を厳格に守るべきだという理屈になる。しかし、必ずしもそうでない。組織トップが誠心誠意、組織のミッション達成に努力するのではなく、個人的思惑から自身のミッションよりも自分の個人的な目標達成を優先させるかもしれない。意外とこんな状況が発生する確率は高いかもしれない。そうするとトップをどの程度信頼すればよいかという点で疑惑が生まれる。昔の戦国大名なら、オーナーである自家が生き延びるためなら、戦っても降伏してもどちらを選んでもよい。自分が責任をとればそれで済んだわけだ。家臣は主君に着いて行くならそうすればよい。嫌なら辞めるか、敵に内通すればよい。しかし、現代社会の「雇われトップ」はオーナーではない。一定範囲に制限された管理権限しか与えられていない。しかし、それでは上が下の勝手な我意を抑えることができず、組織改革も困難になる。(多くの国、多くの組織では)下は組織のことは考えないと前提できるのでこれは問題だ。で、議論は延々と続く・・・・・・

トップによる強い指導力が、望ましい場合もあれば、望ましくない場合もある。事前には正しいかどうかが分からないのだ。

安直に言えば、経営にせよ、政治にせよ、「結果オーライ」で割り切るべきなのだろうか。勝海舟が『痩我慢の説』を著した福沢諭吉に返事を出したように
行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候
(行動は自分で決めること、それを誉める貶すは他人がすること、自分はあずかり知らぬこと )
 勝海舟の行動と後世の評価も相当程度は「結果オーライ」ということなのだろう。リアルタイムの評価は、幕府内部で散々であったらしいから。

『結果良ければ全てよし』という諺があるが、ある意味、経験的に学ばれた知恵である、と。そんな風に感じることは多い。そういえば『毛を吹いて きず を求む』という句が漢文の教科書にもあったなあ。しなくともよいのに重箱の隅をつついて混乱を招く愚行のことだ。

関係のないことを書き足してしまった。後段の話題は、ま、いずれ改めて。


2020年3月17日火曜日

新型コロナ感染拡大と実体経済の行方

昨日のNY株式市場はダウ平均が▲2997.10ドルの大暴落を演じた。下落率12.9%はワーストではないにしても歴史的である。

10日前にはこんな予測をたてておいた:

今後、本格的に景気後退局面に入れば、株価は更に3割以上は低落するだろう。アメリカのダウ平均は今年2月11日の29551ドルから19800ドル近辺、大雑把に予測すると2万ドルを割り込む可能性も予測範囲には入れておくべきかと思われる。崩落は始まれば急速に進む。が、それがいつの時点で始まるかまでは分からない。ただ、中期的な景気後退から株価急落が始まれば、平均的には1年半程度は弱気相場が続くのが経験則である。リーマン危機でもその経験則に従って2007年末のピークを経て2009年春に株価は反転した。

予測するが早いか激烈な現実がやってきた。

昨日時点でダウ平均は20188.52ドルである。もしもこれから景気後退局面に入るのであれば、更に3割から4割は下押しするであろう。そして本年1月の高値から50パーセント以上下落することになる。これも少々リアルな感覚とそぐわないように感じる。

 たかがコロナ型の1変種がここまでやるとはネエ……、と嘯ていては高齢者の方々に叱られそうである — かくいう小生も高齢者だと言われそうなのだが。

***

トランプ大統領は7月頃がどん底、これから景気後退局面に入りそうだと話したよし。その一言で昨日のNY株価は余計に下げたのだとも。

まあ、「6月から7月どん底説」は、以下の理由からそれなりに賛成する。

しかし、景気後退局面に入りそうだというのは反対だ。データから見る限り、景気は既に後退局面に入っている。株価調整は随分以前から予想されていたことだ。

短いレポートを書いたのでRPubsにアップ、フェースブックでも公開しておいた。



公式の景気判断で使用している累積DI指数を吟味する限り、今回の景気拡大は2018年末から2019年初あたりでピークアウトしていたと思われる。日本のデータであるから日本の景気判断になるが、アメリカ、EUもそれほど異なるものではない(例えば、これこちらも)。

景気後退局面の平均的長さは1年半程度である。

とすれば、もしも新型コロナウイルスの感染拡大という攪乱的要素がなければ、株価は多少の波乱を起こしながらも、今年の夏には底打ちして秋以降は次の拡大局面に入っていったのではないかと推測できる。その意味で、トランプ大統領の7月どん底説は、動物的カンのようにも思われ、やはりカネに関することは侮れないのじゃあないかと観ているところだ。

それにしても景気判断を行う内閣府がこの間ずっと後退の可能性に全く触れてこなかったのは経済専門家としては不誠実である。

2020年3月15日日曜日

一言メモ: 「世論」を知るにはフィルタリングが必要だ

「ネット世論」とは
ネット世論=投稿合計-デマ投稿
として定義されるだろう。

ネット投稿のかなりの部分は個人ベースで公開されているブログが占めている。今ではツイッター、フェースブックなどSNSの投稿がブログの情報量を超えているかもしれない。

本来、ブログとはウェブログ(WebLog)であって、簡単に言えば「紙に鉛筆で書く日記の代わりに、ネットにメモをして保存した作業日誌」のことである。だから、他人の目に触れるものでは本来はないし、ましてブログを不特定多数の人々に読んでもらって、世論を喚起したい、そんな狙いをもって書かれるものは「ブログ」ではない。

このブログも100パーセント、メモである。公開しているのは、限定公開範囲を設けるのが面倒くさいからだ。

旧世代に属する小生は、広く社会に公表する書き物なら、原則として(編集局長かレフェリー等による)審査を受けるべきだと思っている。理由は簡単で、書いていることが嘘か本当か分からないからである。書いた内容の真偽に書き手は責任を持つべきだと思っている。伝聞なら「〇〇氏からの伝聞だ」と明記すべきだと思っている。そうすれば情報元が保存されるからだ。

学問分野では「自由な議論」が不可欠だが、自由だからといって誰でもいつでも意見を公開できるわけではない。例えば、マシンラーニング分野の専門家が頻繁に利用している無査読論文公開サイト"arXiv.com"がある。論文の体裁をとればサブミットできるのだが、しかし余りに低品質で信頼できないと判定されれば既に投稿された論文であっても削除される仕組みだ。

情報提供を業務とする企業・組織は、明らかなデマは情報ではないが故に、デマと判定する投稿は削除するべきだというロジックはここから出てくる。フェースブックもこの方向に沿って努力するようになった。「表現の自由」とは「嘘をつく自由」とは違う。

いまSNS企業に求められているのは、自社のネットワーク品質のマネジメントである。「表現の自由」と「公益」とが対立している。どのような方法で「社会的な絆」を守るのか。守るためにバランスをどうとるのか。これが経営課題になっている。そんな先鋭的な問題意識はまだ日本国内では成熟していない。

★ ★ ★

「△△とは本当か?」というタイトルの投稿は大半が低品質である、そんな印象が小生の中では形成されている。これがバイアスであったり、偏見であれば、むしろ幸いなことだ。かと思うと、「……、やはり最悪の事を考えておく必要がありますから」と言いたいだけの記事も結構ティピカルである。「真の意味で」最悪の事を考えているなら、そもそも呑気に文章などは書いている余裕もないわけである。

こんなパターン化された投稿の元サイトに辿って行って、そこに多数の広告が掲載されているとすれば、それは閲覧数を目的とした営利動機による執筆であることは明白だと判定し、中身は読まない。

そんな<ほぼほぼデマ>に接すると、せめて「いいね」や「賛成/反対」などの評価ボタンがないかと探すのだが、大体においてそんな評価の機会は備わっていない。

ブログは、本来は世論を形成するツールではなかったはずだが、もし世論形成に寄与する目的で投稿をするなら、投稿を受理するサイトはその投稿を評価する仕組みをつくっておくべきだ。この辺の違いがブログサイトを差別化するファクターになるに違いない。

社会の中の活動は、それが企業活動であれ、フリーマーケットであれ、違いが差別化の因子となり、優勝劣敗が進むものである。これが偶には『悪貨が良貨を駆逐する』ケースもありうるわけで、デマの拡散とは即ち「情報における優勝劣敗の例外的ケース」に該当する。なぜこんな事象が起きることがあるのか。これもまた学問的には面白いテーマだろう。

2020年3月14日土曜日

一言メモ: 「年金お知らせ便」よりも大事な「お願い」があるのでは

新型コロナ・ウイルスの特性は段々と明らかになりつつある。

乳幼児、若年層の多くは概ね無症状・軽症のまま治るが、高齢層は重症化しやすく、致死率も高い。若年層でも持病がある人は重篤化しやすい。大枠はこんなところだ。

新型コロナに対するワクチン開発を進めている専門家には『人類の60~70パーセントは新型コロナウイルスに罹患する』という見通しを述べる向きもある。Dr. Richard Hatchettである。ドイツのメルケル首相も同様のことを語っている。何日か前は『人類の40パーセントは感染する』という程度だったから、その後の拡大で長期的感染率の見通しも上方修正されたのだろう。

今回の新型ウイルスは、高齢者には怖いが、そうではない年齢層にとっては普通の風邪とほぼ同じだ。医療システム制御で凡ミスさえ犯さなければ、大半の人にとっては怖いという感覚をもつ必要はまったくない。年齢層の間の致死率の違いが非常に大きい。体質によって発症の度合いにばらつきが非常にある。そんな特性がある。

このようなウイルスの特性と長期的な感染見通しに基づいて、どう対応するのが社会的に合理的であるのか。この辺りが今後次第に定まってくると予想している。

そこで個人的な予想を覚え書として書いておきたい ― そういえば、東日本大震災直後も、その時点で予想できたことを書いておいたのだが、半分以上はまだ実現していない(参考はこれ)。なので、以下に書くことの半分も実現されないかもしれない。


  1. 社会の基盤である生産活動は(基本的に)再開されるはずである。発症し感染が疑われる場合は検査を行い陽性の場合は自宅待機とするのはインフルエンザと同様に対応する。こんな方式になると予想する。
  2. 但し、クラスター形成の確率が非常に高くなる活動、つまり下図の3条件を満たす活動は時限的に、例えば1年間程度は禁止もしくは自粛要請されたり、あるいは入場時の体温チェックが義務付けられるのではないか ― 具体的にどの分野、施設で何が求められるかは、ちょうど「軽減税率」対象品目を指定するのと似ていて、恣意性が混じるのは仕方がないが。もしその間に喪失所得が発生するなら、幾ばくかの所得補償が失業保険と併用しながら別に立案されるだろう。
  3. 感染者が自宅で発生した時の「自宅待機」のあり方が最も重要になる。例えば『新型コロナウイルス感染者の自宅待機に関する行動指針』が感染者本人、家族への「お願い」として国内全世帯に郵送配布されるのではないか。日本人は公的な方針に従うことが好きである。全世帯配布は『年金お知らせ便』と同じである。
  4. マスク、アルコール消毒スプレー・ジェル、うがい薬などの適切な使用法なども「お願い」の中で記述されるはずである。
  5. 『接客に際する行動指針』、『勤務に際する行動指針』も必要かもしれない。
  6. 当面1か月、3か月、1年、ワクチン製造の目途がたつまでの2年程度までに分けて、<緩慢な感染拡大>と<死亡数の極小化>を担保するための戦略見通しがメディアを通して伝えられるだろう。
  7. その間の経済対策などは当然上の戦略と併せて示されるはずである。


大体、3月下旬から4月、遅れれば今年のゴールデン・ウィークにかけて、こんな風に物事は進行すると観る。

世間の期待も概ねこんな所ではないだろうか。実際、うちのカミさんとはこんな話を毎日している。現実に関係業務を担当している中央省庁、自治体の職員ならその話しばかりだろう。

ということは、現実の進行が世間に潜在している期待に満たない場合には、政治・経済・社会の各側面で相当激しいバックラッシュが発生するだろう ― 戦略、戦術でミスをすれば強固にみえた日米の政権も夏が過ぎれば実質的に終わっているかもしれない。

社会的に、受け入れることは受け入れ、覚悟することは覚悟し、犠牲を総合的に最小化する合理的戦略を固める時期にそろそろさしかかっている、と観る。パンデミックの中で経済と暮らしの破綻を回避し、新型ウイルスとの戦いを進めるには、まずは犠牲の増大を覚悟しながらも、その最小化を図るのが公益につながる最適戦略である理屈だ。

ワクチンが開発されるまでは「緩やかな感染拡大」を致し方のない現象として受け入れることから、高齢者には厳しい局面が続くことになる。とはいえ、感染拡大は免疫の拡大でもある。「新型ウイルス」の登場は今後将来も予想されることだ。新型ウイルスに対して抗体を形成する能力は年齢と共に衰える。高齢者は何によらず「新型」に慣れにくいものなのだ。今回のようなステージは自然災害と同じく繰り返されるものだ。であるが故に、最適反応戦略は必ずある。公式の「お願い」、というか「行動指針」が要るだろう。

かなりの部分でこのように進んでいくのではないかと予想する。

2020年3月10日火曜日

どのタイプの株価大暴落になるか?

昨日のNY株価は2013.76ドルというウォール街史上最大の下げ幅を記録した。下落率でいえば7.79%である。

NY株式市場の歴史に残る株価大暴落としては三つが挙げられている。

  1. 1929年10月の「世界大恐慌」
  2. 1987年10月の「ブラックマンデー」
  3. 2008年9月の「リーマンショック」

この三つである。

1929年の世界大恐慌は何波にも渡って株価大暴落が津波のように押し寄せ、長期低落が底を打った1932年7月の時点でダウ平均株価は29年9月の最高値から90%下落していた。29年10月28日の月曜日の下落率12.8%も、長期低落率90%のいずれも文字通り歴史的である。ダウ平均株価が最高値に戻るまで25年を要した。

1987年10月19日のブラックマンデーは景気回復途上で唐突に発生した大暴落であった。この日のダウ平均の下落率は22.6%で、これはまだなお史上最大の下落率である。14日の取引開始から19日の取引終了までダウ平均は31%の急落を演じた。しかしながら、その後市場は平静をとり戻し、約2年後の1987年8月には株価は元の水準に戻った。

2008年9月のリーマンショックはまだ記憶に新しい。リーマン・ブラザーズ破綻の影響を憂慮して提出された「緊急経済安定化法案」が9月29日に下院で否決されると — その時の下院議長もいまトランプ大統領と対立しているナンシー・ペロシである ― その日のダウ平均は(その時点の)史上最大の下げ幅777ドルを記録した。下落率では6.98%である。しかしながら、リーマン危機を引き起こした景気後退は2009年春先には底を打ち株価も3月初には反転した。ショック前の2007年10月につけた高値に戻るのは2013年2月なので6年を要した。

今回の株価暴落は下落率でいえばリーマンショックを超えている。歴史に残る暴落劇になったわけだ。今後、上のどのタイプの株価低落になるだろうか?

***

株価暴落は「恐怖指数(Vix)」とは裏腹の関係にある。

URL: https://www.barchart.com/

恐怖指数の動きの特性は
急速に上昇し、上昇後は緩慢に低下し元の水準に戻る
というものだ。

いわゆる『あつものに懲りてなますを吹く』という奴だ。

リーマン危機時には9月、10月の2か月で20近辺から瞬間的最高値70まで上がっている。その後、平常時の水準である20近辺に戻るのは2010年2月であるから、1年半を要している。ちなみに実態経済の景気後退期間は平均1年半程度であるというのが経験則である。

今回は年明け直後のVix指数はまだ20未満であった。それが1月、2月、3月にかけて急速に上昇し、昨日の瞬間的最高値は53.15になっている。株価暴落はこの裏返しである。

背景としては、アメリカ国内で新型コロナウイルス感染が拡大しつつあることは勿論だが、何よりサウジアラビアが石油市場でしかけている「攻撃的安値戦略」、というよりロシアによる「安値攻勢」というべきかもしれないが、石油価格(WTI、4月渡し)が一時バーレル30ドル割れにクラッシュしてしまった事がよりショッキングな突発的事象として無視できないところだ。

今後、石油価格だけではなく鉄鉱石、銅、アルミなど国際商品価格にまで低下の波が広がっていくことが予想される。

もともと米株価は「バフェット指数」(=株式時価総額÷名目GDP×100)が昨年11月時点で148にまで上昇していたことから、「株価バブル」が発生しているという認識があった。客観的な状況としては、1929年もしくは2008年に近いかもしれない。

多分「コロナ不況」と呼ばれるのだろうが、ウイルス対策と経済動向は実は本質的関連性は薄く、マクロ経済的な因果関係に沿って、今後不況色が強まり来年春辺りで底打ちする……そんな展開を今は予想している。

来るべき景気後退が来たということではないだろうか。

2020年3月9日月曜日

コロナ禍でいま直ぐに気がつく問題点はまだある

ダイヤモンド・プリンセス内での新型コロナウイルス蔓延に関連して、検疫と医療両面から同時並行的かつ十分な分量でサービスを投入しなかったという点は反省するべき点ではなかったか、と。この点は先日の投稿で記した。

もう一つ気がついた。

日本では
医療上さほどの意味のない無症状・軽症者に対するPCR検査の件数を増やすよりは、重症患者の治療に重点を置き医療現場の崩壊を回避する。現場崩壊を回避することで死亡者数を抑えることを重点目標とする。

このように目標を設定したことはやはり合理性があったと小生も思う。日本の国益にも適う措置であったはずだ。

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ただ、目標を特定化することから、副作用も出てくる。

検査を拡大するよりは抑制的に運用し、医療現場制御の維持と死亡者数の抑制に重きを置いたために、無症状・軽症感染者の検査漏れが大量に発生することは予想しておくべきだった。

この副作用が日本国外にスピルオーバーしないように、同時並行的に「出国管理」をも厳格化しておくことも必要であったかもしれない。

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海外の多くは新型コロナウイルス発生源である中国からの入国を早期に全面的に禁止した。ところが、日本では湖北省(後に浙江省も)に地域を限定し、比較的緩やかな入国管理を続け、2週間の隔離を全面的に義務付ける発表をしたのはつい先日の事だ。日本では緩やかな入国管理ともっと緩やかな出国管理が続けられてきた。

無症状・軽症感染者の多くが日本国内で「検査漏れ」となり、検査から漏れた多数の日本人感染者が中国からの入国を全面的に禁止していたアメリカ等へウイルスを運搬した……、と。こんな非難が今後少なからず出てくるとしても仕方がないだろう。

やはり今回のウイルス禍では、初動・検査防疫・総合的対応の多くの面で日本の施策には多々問題があった。この批判は免れないのではないか。『今回はまずかったよね』と感じている日本人は多いと思う。

『油断シテイマシタ』とすれば、やはりさすがの安倍政権もここにきて「焼きが回った」ということだろう。「反省・検証するべき点は確かにあったと思う」と謙虚に表明できるかどうかだろう。

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早稲田大学は新年度の授業開始を4月20日に延期する決定をしたという。平常の予定より2週間だけ後に延ばしたことになる。最初の一週間はオリエンテーションになるので、授業は実質的にゴールデン・ウィーク明けからという感覚だ。

もしもゴールデンウィークが明けてもまだ新コロナ終息が宣言できず、授業も開始できないという状況であれば、その時こそ「夏の東京五輪開催はとても無理である」と。多くの人はそんな覚悟をするだろう。

日本の側でウイルス抑え込みの失敗が露わになり、それも一つの理由になって今夏の五輪開催を断念せざるを得なくなるとすれば、安倍内閣は夏を越すことは難しいのではないか。

最近の株式市場の動き、公表されている(例えば)景気動向指数の動きをみると、春から夏にかけての景気後退は侮れない度合いになるだろう。

来そうで来ない景気後退であったが、新型コロナが思いがけぬ引き金になって、本格的な景気後退期に既に入っている。小生はそんな風にみるようになった。


実際、一致指数(CO)、先行指数(LE)、遅行指数(LG)の動きをみても、現状判断は決して難しいものではない。

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もちろん反省点はまだある。

1月から2月にかけて、襲来が予想されるウイルス禍とは関係のない「桜の花見」や「IR汚職」を国会のホットイシューとして延々と議論した国会の「ノー天気振り」にも目を向けておく必要があるだろう。

多々あると思う。

2020年3月7日土曜日

メモ: 「コロナ不況」は来るのか?

しばくら以前に「来そうで来ない景気後退」について覚書を投稿した。その時に予想していたのは、循環的というか、自律的というか、2016年初めに国際商品市況が底打ちしてから既に4年超、さすがに商品価格全般がピークアウトするのではないかという経験則によるものだった。長短金利スプレッドが縮小していたことも判断材料になっていた。

ところが景気後退は来そうで来ない。米国株価は歴史的高値圏に停留したままで一向に下がらない。

不思議だった。

ところが、いよいよ景気後退局面が始まりそうな兆候もある。もし今後、景気後退に入れば「コロナ不況」と名付けられるだろう。

既に感染防止の観点から物的、人的両面で国際的流動には急ブレーキがかかっている。世界の製造センターである中国から発した新型ウイルスであったことから、中国内生産拠点の生産再開が遅れ、世界のサプライチェーンが寸断されている。中でも、インドの製薬業界では中国から輸入している薬剤が供給不足に陥っており、そのため今後ヨーロッパで新型コロナウイルスが蔓延した場合に、治療薬が不足するのではないか、死亡数が増えるのではないかと懸念されはじめた。

恐怖指数(Vix)は短期的な市場ボラティリティ(変動範囲)を予想するインデックスとして参照基準になっている。具体的にはNY市場で取引されている「S&P500のボラティリティ指数」を指す。

その最近15年間の推移は下図のようになっている。


URL: https://www.barchart.com/futures/quotes/VIH20/interactive-chart

既にVixは35を超え、2015年夏の「上海ショック」を超えてきた。その前となると、2011年秋口である。

2011年・・・何があったか?日本では勿論「東日本大震災」が3月11日に発生していた。

Googleで2011年中に発生した事件・イベントを検索すると:

  1. 2月にエジプトのムバラク大統領が辞任、8月にはリビアのカダフィ政権が崩壊するなど「アラブの春」が進んだ。
  2. 大地震は東日本大震災だけではなく、その前の2月にニュージーランド・クライストチャーチでも大地震が発生していた。
  3. 東日本大震災そのものもショッキングであったが、福島第一原発のメルトダウンがもっと衝撃的であった。その後、日本が原発を稼働停止。イタリアも原発再稼働を中止し、エネルギー面で大きな変動が予感された。
  4. 5月には米国オバマ政権がアルカイダのビンラディンを殺害した。7月にはノルウェーのオスロで連続テロが発生した。
  5. 8月には円ドル相場が75円に突入した。
  6. 秋口を過ぎると、タイ全土で洪水があったりしたが、世界を揺るがす大事件は次第に少なくなり、11月には野田首相が「TPP交渉参加」を表明。年末には「福一冷温停止状態」が宣言された。

こう列挙すると、確かに2011年という年、特に前半は「多事多端の年」であった。その2011年の10月、Vix指数は一時45を超えている。

更にその前の山となると、いうまでもなく「リーマン危機」である。

今回のVix指数急上昇をもたらした直接的要因は「新型コロナウイルス」の感染拡大である。しかし、流行病の蔓延はそれ自体としては一過性のショックであり、多数の人は終息後の回復を予想しながら計画を立てるはずである。加えて、ウイルスそれ自体は新型とはいえ、それ程の重篤に陥るような凶悪な病原ではないことも明瞭になりつつある。

Vix指数上昇の原因は、ウイルスそれ自体によるものというより、中国に依存した世界的サプライチェーンの脆弱性が露見したことによる経済的不安だろう。脆弱性への認識、つまりリスク・プレミアムの上昇が資産価格全般を下押しし続けるだろう。

今後、本格的に景気後退局面に入れば、株価は更に3割以上は低落するだろう。アメリカのダウ平均は今年2月11日の29551ドルから19800ドル近辺、大雑把に予測すると2万ドルを割り込む可能性も予測範囲には入れておくべきかと思われる。崩落は始まれば急速に進む。が、それがいつの時点で始まるかまでは分からない。ただ、中期的な景気後退から株価急落が始まれば、平均的には1年半程度は弱気相場が続くのが経験則である。リーマン危機でもその経験則に従って2007年末のピークを経て2009年春に株価は反転した。




2020年3月2日月曜日

一言メモ: 法学や社会科学は素人学問と無縁ではありえない

新たな政党が結成される時には政治が面白い。流通が混乱すると経済学が面白い。

社会が騒然としてくると、覚え書きに書き留めておきたくなることも増えてくる。

いまカミさんが視ているTVのワイドショーをデータ分析をしながら机越しに眺めていたのだが、こんなやり取りがあった。

ある店で売っている商品の「悪口」をネットに投稿した者が「偽計業務妨害」で逮捕されたという話に関連した話だ。

MC: トイレットペーパーがなくなるとか、そういうデマをネットに書き込むことも社会不安を煽っているわけですネ。こうした行為は犯罪にはなるのでしょうか? 
法律専門家: 犯罪にはならないと思います。トイレットペーパーは一般的に販売されている商品で、それに「なくなる」と書くことはむしろ商品が売れる方向に働きますから、妨害にはなりませんね。誰の利益も侵害していないわけです。ですので、犯罪にはなりません。ただ、だからと言って、こういう行為をやってもいいということにはなりませんヨネ。
 いや、いや、ロジックは通ってるネエ、と思いました。と同時に、勉強するとこんな風に考えるようになるよナア、と。いささか自戒もこめて感じいった次第。

もちろん、この話しの裏には転売目的でトイレットペーパーを買い占めている者が、社会に不安を与えて相場をつりあげるためにSNSに「品がなくなる」と全くのデマを故意に流したのだ、と。こんな邪推も一応成立はするのである。だとすれば、これは犯罪でなければならない。が、これはいずれ判明する事だろう。

経済学専攻から現在の仕事に入った小生は上の語りを聴いていて昔の授業を思い出したのだ:

学生: 先生、販売価格が下がるとそれを生産している企業の経営が圧迫されて、人件費圧縮の必要から仕事を失う人も増えると思うんです。そうすると、商品はもっと売れなくなるわけですから、価格の低下には政府が介入したほうが善いのではないですか? 
先生: その考え方は一見正しいように思われるのですが、間違っています。どの商品にも言えますが、買いたくても買えない人、売りたくても売れない人がいるという状態は、社会的には善い状態とはいえないでしょう。希望が実現できないわけですから。需要と供給の均衡をとることが社会では大事です。売りたいと思う人と買いたいと思う人が互いの希望を実現できる社会全体のバランスは価格の変化によって誘導できるのですね。価格に介入すると思わぬところにしわ寄せが出てしまって困る人が増えるのですね。全ての商品の価格は、互いに関係しあいながら、全体としてバランスするように決定できることが理論的には確かめられています。ただ、どんな価格が社会にバランスをもたらす均衡価格なのか私たちには分からないのですね。だから自由な市場に任せる。狭い視野にたって、価格が下がるのは善くないとか、逆に価格が上がると買えない人が増えるとか、そう考えて政府に介入させるというのは誤りなんです。
どの学問分野にも特有のロジックがある。ロジックが貫徹されていると、その学問分野を勉強する人は「素人」よりは知性が高くなったように感じるものである。

***

しかし、法律にせよ、経済学にせよ、ソーシャル・マネジメントのツールとして活用されないのであれば、外に活用される用途は一体あるのだろうか?「存在意義」の話である。もちろん活用されなくとも、どんな「学問」も「学問」たりうるわけであって、大学で「概論」や「原論」という文字が入った授業を教えるという仕事はなくならない。これも用途の一つには違いない。

とはいうものの、ネットに投稿された無責任なデマによって社会不安が高まっているという事実を普通の人が指摘して、これは問題ではないかと問いかけている時に、聞かれた法律専門家の方が「誰の利益も侵害していませんから犯罪(≒法律違反)ではありません」と言っていては、『そうですか。法律ではこの問題を解決できないわけですね。法律以外の方法で解決しなさいということですね』と。こんな議論になっていくだろう ― TV画面ではそんな議論にはならかったが。

セクハラもパワハラも小生が若い時分には法律上の問題ではなかった。憲法で表現の自由が基本的人権として保障されているからだ。にも拘わらず、法律上の問題になってきたのは人々の意識が変わったからである。

社会や人間の事柄に関する限り、人々の意識と学問のあり方は無縁ではありえない。学問的ロジックは専門家にとってのみ有用であって、専門外の人々にまで一般的に通用するものではない。実験に基づく精密科学ではないからである。これは法律や経済学など社会系の学問一般の宿命である。



2020年3月1日日曜日

一言メモ: 年明け後2か月の国会審議は「体たらく」と言うべきではないか

今年に入ってから1月から2月まで中国発の新型コロナウイルスへの対策を総合的な観点から徹底的に練り上げるべきであったと多くの人は感じているだろう。

もし抑え込み戦略を政府内で徹底審議していれば、最初の水際防止作戦、入国管理、経済対策、雇用対策そしてクルーズ船着岸後の検疫・医療と、多数の課題に対して同時並行的にもっと適切に対応できていた可能性がある。

***

この長い時間、政府執行部の主要閣僚は国会の予算委員会出席のためずっと拘束されていた。確かに官僚組織があるが、政治的な意思決定を官僚に委ねるのは適切ではない。政治家は官僚だけではなく、多分野から意見を聴いて勉強することも大事である。

結局、国会では新型コロナウイルスではなく昨年の「桜の花見」の実態追求をとり上げ続けた。

通常国会開会直前の時機に、東京地検特捜部が「IR汚職」に関係した与党政治家A議員を逮捕したこともその後の委員会では与党攻撃の材料となった。やはりこの件も長時間をかけて審議されている。

まあ大局的にいえば『野党は野党であるが故に野党の問題意識は議会の意思とはならず政治的には無意味である』というわけではない。「日本の政治」を改善し、真っ当な状態にするには野党の存在は極めて重要である。

問題発見と解決はいつでも、直ちに着手するべき事だという一般論はある。

とはいえ、「野党」が存在するが故に国会はいかにも国会らしいと国民に思わせなければなるまい。野党の存在価値はそこにしかない。そうでなければ、野党は何もしていないわけなのだから。

***

新型ウイルスの広がりという眼前の問題があるにも拘わらず、関係性の薄い不祥事をとりあげ、しかもその疑惑が国益をどの程度損なっているかどうかの具体的な評価も曖昧なままにして、内閣を拘束し、一つの不祥事を長い時間をかけてずっと審議したという経緯は、大いに国益を損なっていたのではないかと、小生には思われるのだ、な。
時は金なり
である。

疑惑が濃厚であれば「告発」をするべきである。疑惑を裏付ける証拠がないのであれば「不信任案」を動議提出する理屈だ。

告発もせず、不信任案も出さず、疑惑を疑惑のままにして長い時間をかけてとりあげ質問ばかりを続けるのは、野党議員が政治家として極めて不誠実である証である。そう指弾されても仕方がないのではないだろうか。

今期の国会審議は「失敗例」の一つとして今後の検証対象とするほうがよいのではないだろうか。

もっとも、国会の「体たらく」と呼ばれる混迷状態を意図的につくり、社会不安を醸し出すこと自体が、「政権獲得戦略」なのだと考える観方もあるわけだ。だとすると、これは「弱者の核兵器」と言われる毒ガスならぬ「弱者の政略」ではあって相当高級なストラテジーである・・・そうなのだろうか?

いずれにせよ、国会という場は権力闘争が渦巻く闘技場である。であれば、きれいに戦ってもらいたいと感じるのは小生だけだろうか。