2020年8月19日水曜日

何事にも終わりはある、ということか?

『結局、長いだけの政権であったなあ……』と、10年も経った後のいつか、総括的にというか、追憶的にというか、安倍政権はこんな風に振り返られるのが、何やら明らかになってきた気配がする。

力は人を圧し

気は人を動かす

時に利あらず、人離る

人の離るる、いかんせん

改憲の議や、いかんせん

皇帝になり損ねた項羽の愁嘆場になぞらえるとすれば、こんな心情かネエ…。

『史記』では、このあと

歌うこと数闋、美人之に和す。項王、泣数行下る

と続くが、 当年30歳であった項羽と虞美人ならともかく、現代日本の国会を職場とする爺さん達が「いかんせん」と嘆いても、これは全く絵にはならない。

それとも秀吉にも似て「改憲の議は 夢のまた夢」といったそんなニヒルな心持ちに沈んでいるのかもしれない。

項羽が秦将・章邯に鉅鹿で大勝し、垓下で漢の名将・韓信に敗れるまでが4年間。秀吉が山崎の合戦に勝って、京都伏見城で死ぬまでが16年。4年といい、16年と言い、人間50年の当時からすれば短い時間とはいえまい。現政権は、項羽の2倍、秀吉の半分である。やはり長かったというのが、今という時代を生きる我々の印象でもあるに違いない。

それが「長かっただけ」と言われてしまうと、何だかこの8年間を生きてきた我々全体が愚者の集団であったようでもあり、そのうち恥ずかしさを感じるようになるのではないか、と。そんな思いがよぎる今日この頃であります。

やはり「政治主導」の体制というのは自ずから限界があるようで……。真に才能も徳もある人が総理大臣になればいいのだろうが、そんな人は稀にしか登場しないし、そんな人が国会議員を志してくれるかどうかも不確かだ。「たとえ首相がバカでも、大臣が無能でも」という前提にたって、万人単位の普通の人が手続きを整えて、政府を動かしていくという「官僚行政」がやはり安定的なのかネエ……。その昔、プロシア(≒ドイツ)は「参謀本部」を作ってナポレオン軍に勝利したという故事もあるし……。歴史の歯車を逆回転するのは「保守反動」に過ぎないが、一度逆向きに歩くのも、避けられんかと。こんな風にも思うのであります。

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