2020年8月28日金曜日

ほとんど再投稿: 長期政権の終焉

 以下のリンクボタンだけなら文字通りの再投稿だ。


「移り行く感覚」がいま共有されつつあるのかも


一部を引用すると:

この漠然とした「移り行く」感覚、「盤石であった一つの時代がいま過ぎ去っていく」という感覚。この感覚は、国文学風にいえば多分「無常観」という言葉になるのだろうが、昨日の優勝争いをTV観戦していて、そんなことを想った。

この末尾は『辞任の意向表明があった本日の首相記者会見をTV視聴していて、そんなことを想った』とそのまま書いてもよさそうだ。

現政権については数えきれない回数、その時の感想を投稿してきた。が、2013年5月に投稿した初期の内容に比べると、小生の印象も年がたつごとに随分良くなったようである。やはりアメリカが抜けたあとTPP締結を主導したこと、欧州ともEPAを結んで、自由経済圏を確かなものにした実績が大きい。あとは、消費税率引き上げは民主党政権からの申し送り事項であるし、教育無償化は部分的、集団的自衛権等の法制化も小手先業だ。「アベノミクス」も全体としては、マネー偏重で、創造的な起業、規制緩和、実態的な成長支援となるともう小泉政権の腕力に比べるべくもない。


やはり前の投稿にも書いたように、「新型コロナウイルス」が想定外の「黒船」になって、日本社会も変わっていくのだと想像する。今流にいえば「ブラックスワン」か……。日本を停滞の15年から抜け出させ、色々な意味で変えることが出来たのは、「変人宰相」でしかなかった、というのは単なる語呂合わせではないわけである、な。


上記投稿の末尾にある『多分、世界共通の新型コロナウイルスというパンデミックの中で、何かが終焉を迎え、新しい状態へと移り行く感覚が、グローバル・スケールで共有されることだろう』という箇所だが、この感覚は2010年代の社会から2020年代の新しい社会へと変化していくことで現実に実感されることになるに違いない。


もう元の社会は戻らない、というこの事がいつ本気で了解されることになるのだろうか?


こうして「現世代」は「ひとつ前の世代」になり、新しく誕生してくる世代が「現世代」となって、新しい社会を日常化させていく。


昨日までの社会は、今日の社会に戻ることは二度となく、いずれ「現世代」にとっては過去になるのだ。この変化する形だけは、ずっと昔から、変わらないはずである。


この立場から観ると、多くの人の好きな「歴史」は実は「現世代」が「前世代」を議論する活動だ。つまり、歴史は過去を議論しているのだが、その議論は「現世代」によるいまの現実に他ならない。過去は「前世代」が当事者であった。過去は過去であり戻っては来ない。だから、歴史とは何かといえば、それは今現在における理念、理念でなければ政治である。そう思うのだ、な。政治が重要であるのと同じ度合いで歴史も重要である。


とはいえ、小生の好みは、過去を話題にする人よりは、未来を語る人の方である。

0 件のコメント: