本来のアカデミックな「研究」とは、時代に遥かに先立って行われる純粋の知的活動のことをいう。故に、研究の発端は知的興味であり、その意味では「好きな事を研究している」わけであり、したがってその時の役に立つという発想が研究者にはないとしても、それは言葉の定義から当然にそうなることであると思っている。
現に何かの問題が発生してから、問題解決のために知恵を出し合う活動は、これは「研究」ではなく、マネジメント、つまり「管理」である。
ところがマネジメントに必要な知見を得るために、マスメディアは好んでアカデミックな研究畑の人材に問題の解決法を尋ね、意見を求めることが多い。
専門家に意見を聞くと言いながら、現実のマネジメントには素人である人々に意見を聞いている姿は、しばしば滑稽を通り越して、哀れを催させるところがある。専門分野の異なった複数の研究者が異なった意見を述べると、『どちらかが間違っている』などと言い立て、頓珍漢な迷走を始めたりするのも一場の悲哀である。
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経済統計にはミクロ統計とマクロ統計がある。よくGDP統計と家計や企業に対する標本統計とが乖離していると指摘される。これは実は大きな問題なのだが、すっかり諦めてしまってマクロとミクロと、二つの経済統計は異質なものであると、当然のように思い込んでいる人が多いだろう。
いま「分布統計」と言っても馴染みのある人は少ないと思う。国民経済計算(SNA)体系の一部分に組み込まれた、その意味ではマクロ統計でもありながら、所得分布や資産分布の解析に役立つような統計を開発する努力が、特に1970年代以降、20世紀が終わるまでの期間に、大いに進められていたことを記憶している人はもうほとんどいないかもしれない。
小生が大学に戻る契機になったのは、いわゆる"Macro-Micro Data Discrepancy"というデータ問題(Data Problems)である。更に源を遡ると、大学院生時代のテーマである「集計問題(Aggregation Problem)」という極めて数理色の強い問題に行き着くようでもある。とにかく整合性のとれない異種の経済データに基づいて、ある時はマクロ経済分析を、ある時はミクロ経済分析を、その度に都合の良いデータを取捨選択して計量的に行う、と。そんな作業にどこか気色の悪さを感じる所があったことを覚えている。そもそも日本株式会社という実体があるわけでもないのに、マクロ生産関数を想定して、利潤極大化やマクロ的最適化を論じるのは議論の飛躍だろう、と。コブ・ダグラス型生産関数が成立する条件が当てはまっている点は立証したのか等々、まあ潔癖というか、結構口うるさい院生であったのだ、な。
そんな小生が、経済官庁に入ってアカデミックな研究の道を捨てたのは、単に父が大病に罹ったという家庭環境上の変化ばかりではない。当時の計量経済学が、どこか強引と言うか、"brutal"というか、それよりは純粋理論の存在証明のような、細部にまで意を払う繊細な議論により魅力を覚えた、にも関わらず小生の師は紛れもなく計量経済学者であったという、そんなミスマッチングの感覚も多分に手伝っていたことは間違いない。
アメリカのRichard Ruggles、というより妻のNancy Rugglesが力を注いで展開していた"Macro-Micro Data Integration"は、日本では「分布統計」という名称で長い時間をかけて開発作業が続けられていた。ただラグルズ夫妻は、日本のコモディティフロー法と異なり、家計や企業などのミクロ統計の上にマクロ統計を構築するという発想であり、それだけ原データに忠実であり、例えば所得階層、世帯主の年齢、職業、居住地など家計属性ごとの中間集計もユーザー側の問題意識に沿って柔軟に実行できる、そんな統計体系の構築を目指していた。日本のSNAは、物的接近法の一つであるコモディティフロー法に基づいて基礎的な数値が推計されていたので、ラグルズ流の分布統計を日本のマクロ統計システムの下で数値化するのは至難の業であった(はずだ)。
そんなことを考えると、いま現在でもGoogleで「SNA 分布統計」と入れて検索をかけると当時の成果物が列挙されてくる情景はまるで「経済統計史博物館」を観ているようでもあり、うたた感動を覚えてしまう。
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もしも「マクロ・マイクロ・インテグレーション」や「分布統計」の構築が、現代という今の時代に提唱されていれば、文字通りに「時代の要請」に応えるものであると、マスメディアは歓呼の声をあげ、世論も肯定的に支持したであろう。ただ、バブル景気の余燼が残る1990年代から2000年代にかけての時代においては、まだまだ「格差拡大」という声は弱く、専門家の中には格差拡大は不平等の拡大ではなく単なる高齢化の進行であるという理解をする向きもあったくらいだ。不平等の進行という問題の輪郭すら的確にとらえきれない情況が何年も続いた。そのうち、トマ・ピケティの『21世紀の資本』が日本でも翻訳出版されベストセラーになった。
日本ではいつでも新しい文化は外国からやって来るのだ。そして、不平等の定着、経済格差が明瞭な事実として意識されるようになったいま、かつて分配問題の解明に有用な経済データ体系を構築しようとしたこともある努力の歴史はアカデミックな研究者の世界でも忘却されてしまったようである。
しかし、アカデミックな研究というのは、こういうものなのだろう。美術や音楽の世界でも似たような状況はあるはずだ。だから『〇〇の再発見』などというニュースが時に目に飛び込んでくる。
前にも投稿したが、太平洋戦争中にシンガポールを攻略した日本軍が英軍司令部を調べたところ一編の論文のコピーが出てきた。どうもレーダー開発に関連する貴重な文献に思われた。読んでみると、"YAGI"という略称が随所に複数回でてくる。これが何を意味しているのかが分からない。そこで英軍捕虜に技術に詳しい者がいたので問いただしてみると、これは「八木アンテナ」を発明した日本の八木英次のことであった、と。
このエピソードもまた「研究」と「マネジメント」、「研究者」と「世間」との間の《溝をおいた疎遠な関係》を伝えているように思われ、何事につけ日本のお国柄は、内容を吟味するより前に「貴重な文物は海の向こうからやって来る」、こんな共有された感覚があるお国なのだねえ、と。徒然にそう思われる今日この頃なのである。
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