2020年8月6日木曜日

覚え書き:徴用工訴訟に関する言葉の遊び

韓国徴用工訴訟で裁判所による資産現金化の手続きが進む見通し。

この件は、当の韓国側の政府も何とかしたいと考えてはいる気配もある。裁判所の意思決定に介入するのは、大統領権限の強い韓国・行政府にとって可能であることは可能であると(小生は)推測するが、実際には「不可能」なのだろう。

ポリティカリー・コレクト、いわゆる「ポリコレ」がいまの世相を象徴しているように、日本政府が韓国政府に求めていることは、韓国政府にとっては「ポリティカリー・インポッシブル」(Politically Impossible)であるに違いない。

しかし、正確に言えば「ポリティカリー・インポッシブル・フォア・ミー」。つまり「私には出来ない」ということなのだ。いかに権限が強くとも韓国側の政治家に「ミッション・インポッシブル」を要求しても此方の意は通るまい。わが身を犠牲にして他国の政府の意に沿う人など誰もいない。日本にもいない。日本は日本で「私には出来ない」ということなのだろう。

当事者双方が、ただ同じ意味合いの言葉を発言しているという状態は、《政治的不作為》である。

ひょっとすると、両国とも近年流行りの言葉を用いれば《戦略的不作為》(Strategic Omission)と言いたいのかもしれない。それも非常にレベルの低い……

やれやれ、言葉の遊びだ。これまた最近のような「言葉が重要なのです」という時代に合った遊びということで……まったく、「言葉が重要なのです」とオオッピラに言われる時代に、本気で汗をかいて黙々と努力する人など、現れるはずもないわけである、な。

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