2020年8月18日火曜日

「経済を止める」という言い方は軽くて薄く、浅い

 いま世の中は《感染を止めるか》、《経済を止めるか》の究極の二択を迫られているという。

これは「究極の二択」などという高尚な問いかけではない。メディア好みの「究極の言葉遊び」である。現実の暮らしを「言葉遊び」にして弄ぶマスメディアの傾向は足元でますます顕著になっている。

これは放っておけず思わずメモを書いておきたくなった。

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『感染を止める』というのは、まだ分かる。

さしあたって感染者をずっとゼロにするということではないのだろう。そこまでは願ってはいないのだろう。

1年間を通して新型コロナは毎月コンスタントに全国で47人、都道府県平均で毎月1人。年間でその12倍の564人。この位なら大満足なのであろう。いや、倍々ゲームの青天井で感染者が増えていくのが怖いということなら、せめてインフルエンザ並みであればいいか。ならばザっと年間1千万人。1日平均では2万7、8千人・・・いや、これはダメだ。新型コロナはこれよりずっと少ないが、日本人には怖くて仕方がないようだ。せめてその10分の1、1日平均なら2千人から3千人。要するに、ここ最近の状況に近いが、こんな状態がこの先もずっと続いてくれる「見込み(?)」があるのなら、それで満足するのかもしれない。

このように『感染を止める』というのは、漠然としてはいるが何を願っているのかイメージが明確である。

しかし、『経済を止める』という表現はサッパリ分からない。そもそも、文字通り『経済を止める』を実行すれば、GDPの減少は年率で▲27.8パーセントどころではすまない。完全に止めれば▲100パーセント。GDPはゼロになるのに決まっている。

世界で『経済活動を完全に止めた国は一国もない』。これは明白である。

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正確ではないというだけではなく、「経済を止める」という言い方そのものに問題の本質をまったく理解できていない不見識振りが象徴されていると小生は思う。

正確に言えば、

アフターコロナ時代に過剰となった産業をスリム化し、成長を支援するべき産業を拡大する。要するに、「経済を止める」ではなく、「一部を廃棄し、一部を伸ばす」、大事なことは「経済を調整する」である。「止める」ではない。

元の状態を「守る」ことに(火事場のバカ力で)成功してしまうと、日本はアフターコロナの新たな環境の下では経済的負け組に転落することは必至である。

いま首都圏の貸しビルでは飲食業の閉店・廃業が激増し、それと入れ替わるようにテレワークをするビジネスマンが落ち着けるスペース提供店舗が「雨後の竹の子」のように増えてきているという。文字通りの「雨後の竹の子」だ。

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育ちそうな「雨後の竹の子」の中には、もう既に幾つも有望株が見つかっている。これらは、新型コロナウイルスの感染が一段落してもなくなるものではない。そもそも「テレワーク時代」、「働き方改革」、「経済のデジタル化」は、この10年間、ずっと将来を先取りして、トップダウン式で進めようと努力してきた政策目標に外ならない。

政府が旗を振ってきた「働き方改革」を、現実に成し遂げた最大の功労者は「新型コロナウイルス」になるだろう。コロナには勲章をあげたいと考える人がそのうち出てくるだろう。

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経済の構造調整が進むとき、必ず敗退する産業がある。これらは、新型コロナウイルスの被害者ではない。もともと調整されることが企図されていた産業分野である。調整されるべき産業を死守することを「持続化」などと呼ぶのは、不良債権化したゾンビ企業に「追い貸し」をした1990年代の大失敗と同じ類型に属する。というか、個々の金融機関の経営ミスではなく、社会の世論が旧い業態を守ろうと声をあげ、政府がそれに影響されるのであるから、これは悪しきポピュリズム、衆愚政治の好例となるに違いない。

「経済を止める」のは半分は正しい。止めるなら観光関連産業、ズバリ言うなら「オ・モ・テ・ナ・シ産業」である。これは現政権が戦略的に何年にもわたって育成してきた産業部門である。が、残念ながら実を結ぶことなくコロナの嵐に沈むしかないのが現状だ。このようなリスクがあろうとは「想定外」であったのだ。近年の観光ツーリズムで、観光関連産業は明らかな「過剰投資」に陥っていた。残念ながら、その投資は実を結ばない。来年の東京五輪の正常開催が絶望視されつつあるいま、もはや五輪関連投資のかなりの部分はサンク・コスト(=回収不能化した資本支出)である。日本文化を継承するコアな分野を残して産業レベルのスリム化を目指すのが正しい選択であろう。その意味で経済を止めるのは半分は正しい。

過剰設備の状態にある産業では転業・廃業を促進し(=経済を止め)、需要超過(=供給能力が不足に陥っている分野)になっている分野に資金を投下していくという目線が、現時点のテーマにならなければ、真っ当な議論はできない。そのための障害になる制度的要因があれば、洗い出し、粛々と法改正を進めていくのが王道だ。

まあ、テレビはいつも一方通行で話したいことを話しているから、「真っ当な議論」などをする意志はないのかもしれないが、しかし、不見識が露呈するワイドショーはいずれスリム化され淘汰されていくであろう。これまたマスメディア業界の構造調整で、ほぼ確実に予想される進展である。


今日は、別の話題を書くつもりだったが、あまりに「感染を止めるか、経済を止めるか」という言葉の遊びで世間は騒然としているようなので、一言メモを記しておくことにした。


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