2020年8月17日月曜日

一言メモ: 日本人の「合理的な怖がり方」を治す治療法は合理的でなければならない

 少し以前にこんな投稿をしている:

インフルエンザを怖れることがない、予防接種すらも怠って平気な日本人がなぜ新型コロナウイルスをこれほど怖れるのか?

一見非合理的なこの日本人の集団的反応を《合理的に》解釈する理論をみつけるのが、社会科学者、とりわけ経済学者に与えられた課題だろう。医療専門家の「過渡の懸念」を言挙げして、同じ土俵に参入して、ニワカ論争を吹っ掛けることに学者の良心があるとは、小生にはどうしても思えないのだ、な。

非合理的な現象は要するに「不思議な現象」なのである。不思議な現象が実はなにも不思議ではなく、当たり前の反応なのだということを解明することこそ、科学的思考の本質であり、科学的成果だけが新型コロナウイルスを怖れる日本社会を正常化させる第一歩であるに違いない。

大多数の日本人にいま共有されている心理は、間違いなく『できればコロナには罹りたくない』というところだろう。 

一部の経済学者は(当然でもあるのだが)《経済活動重視》の観点に立っている。それはロジックとしては分かる。小生もそれは同感だ。

しかし、『この当たり前の理屈が理解できない社会が間違っている。故に、チャンとした専門家が啓蒙しなければならない』という発想をとる限り、問題解決には貢献できないと思われる。というのは、日本人の大多数がコロナ感染を怖れている現象には一定の《合理性》があると小生には思われるからだ。現に合理的な行動をしている日本人全般に対して、経済専門家たちが自ら「合理的」だと考える状況判断をいくら繰り返し連呼しても、多くの国民は聞く耳をもつまい。人は、非合理な間違いにはいつか気がつくが、合理的に行動している限り、自分の誤りを認めるときはやってこない。なぜなら間違っているわけではないからだ。


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メモを書いておくのは、簡単な点に過ぎない。新型コロナに対する日本人の恐怖を緩和するには、政府が(いまでも信頼されていると前提する限りだが)正確で十分な量の《情報》を普通の人が閲覧できる方法で、提供するのが最も有効のはずである。

行動は情報に基づいて決定される。

新型コロナウイルスに関する情報環境を整えるだけで、多数の国民の《合理的な誤認識と誤判断》は正しい方向へと修正されていくであろう。国民の要望を記述するコーナーも設け、AI(人工知能)を駆使して、結果のレポーティングをさせれば、これも有用な結果になるだろう。更に、その結果に対して政府の何らかのレスポンスが義務化されれば、社会を覆っている不透明感はかなり解消されるであろう。

このくらいは誰もが思いつくような簡単なエグザンプルである。つまり、出来ることは幾らでもあるということだ。


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PCR検査を飛躍的に拡大するべきだという意見が一部のTV局のワイドショーで力説されるかと思えば、他局は対抗的に異論を述べたいのかどうか分からないが、『ほとんど陰性が出るのが分かっているのに、全員検査をするなんてナンセンスだ』という論者に話をさせる。そもそも民間テレビ局は、興味を刺激して視聴率をとるのが目的であって、最も必要とされる的確な情報を提供しようなどとは思っていない。それは政府の役割である。

ところが、政府のオープンデータの窓口である

Data.Go.Jp (データカタログサイト)

e-Stat (統計でみる日本)

いずれにあっても、コロナ関係のデータは一切提供されてはおらず、(前にも書いたが)いまだに「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会」という名のリンクボタンが、ボロボロになったノボリよろしく、残されている。現時点の政権の問題意識がこんなところにも象徴されている気がするのは、小生だけだろうか?

マスメディアは「怖い、怖い」といつまでも国民を煽るものなのだ。それはマスメディアという民間企業の特性から仕方のないことである。戦争でも、暴動でも、そうであったのだ。

正確で、使いやすい情報提供の場を整備することが、国民心理の鎮静化には有効だろう。記者会見でクラブ記者相手に、大臣が口先で何を語っても、効果はほとんどない。具体的な効果を得るには、やはり汗をかき、作業をするという現実の努力が必要である。医療現場と等しい分量の汗を政府部内でもかいて、求められている課題に対応するしかない。

以上は、政府にできて政府が行うべき施策だが、経済学界側にも出来ることはある。それは、国民が選択する行動類型と、それがもたらすマクロ的帰結について、シミュレーション計算をして分かりやすく伝える。たとえば、こんな作業をするだけでも、医療専門家による感染シミュレーションの弱点を補う効果があるというものだろう。

政府にも専門家・学界いずれの側にも、汗をかく分量がまだまだ足りていないのではないか、と。そんな印象がするのだ、な。文字通りの「戦争」ではないが、マクロン仏大統領の表現を借りれば、これも「戦争」である。技術を磨くには専門家にとって格好の舞台とテーマが眼前にあると思うのだが……、若い現役世代が羨ましくもある今日この頃である。


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