2022年3月21日月曜日

「戦争」は歴史のIFを空想させる

 一つ言えるのは

もしも現代社会のような<ネット社会>、<情報社会>であったら、1931年に日本がひき起こした満州事変は成功しなかっただろう

ということだ。

予想外のタイミングで現地駐留の関東軍が暴走した事変は、ネットを経由して、具体的にはYoutubeやインスタグラムを通して、即座に欧米、世界全体にも動画、静止画像がアップされ、世界が日本の軍事的暴走を知ることになったはずだ。そして数日以内にアメリカは日本に強烈な経済制裁をかけていたに違いない。その中には対日石油禁輸が含まれ、日本の軍事資源はその場で麻痺していたに違いない。

・・・日本の作戦は頓挫するが、長期的にみれば、それが日本という国家を救うことにもなっていただろう。


現地駐留部隊である「関東軍」を主導していた板垣征四郎や石原莞爾は、この惨状の責任を追及され、軍法会議にかけられ、おそらく陸軍を追放される憂き目になっていたに違いない ー というより、こうなることが確実視されるので暴挙に打って出ることを躊躇するうちに計画が露見し未遂に終わったかもしれない。

どちらにしても、結果は同じだ。失敗していれば日本の国内政治における陸軍の権威は失墜していたはずだ。実行されないということは外交環境が意思決定を左右したということだ。どちらにしても大正デモクラシー以来の日本の<政党政治>が揺らぐことはなかったに違いない。当時ブレーク中であった革新官僚による「新体制」願望の空気も雲散霧消しただろう。アメリカ政府も、過激派を粛正し親米路線を強化する日本をみて、制裁を解除したであろう。


ただ、日本外交はこの致命的な失敗が尾を引いて、(歴史的IFに「多分」という言葉を使うのは可笑しいが、多分)「生命線」である「満州権益」を喪失した可能性が高い。そうなると朝鮮半島の独立運動も激化しただろう。時代の潮流は日本にとっては非常な逆風になっただろう。折しも金本位復帰を目的とした「金解禁」政策と世界大恐慌とで、日本経済はどん底の不況にあり、朝鮮半島を独立させ植民地経営のコスト負担をゼロにするという「国際協調路線」を選んだ可能性すらある。

しかし、この逆風が日本にとっては幸することになる。その直後にヨーロッパで勃発する第二次世界大戦で日本は独伊の枢軸側には立たず、第一次世界大戦と同じく連合側に立って参戦していたはずだからだ。日本は第一次世界大戦に続き「二度目のドジョウ」ならぬ<二度目の戦時特需>で経済的苦境から脱出できたに違いない。

そもそも満州事変に失敗し、満州特殊権益も失っていれば、その後の日中戦争もなかったわけである。

まったく、この世は一寸先は闇。焦って暴発すれば、最後には負けである。

欧州の大戦は第一次大戦の戦後処理に原因があるので東アジアの情況とは関係なく勃発したことだろう。しかしながら、日本が英米との協調を続けていれば(満州事変失敗によって陸軍がメンツを失っていれば確実にそうなった)、アメリカが欧州の大戦に参戦することもなかったかもしれない。

となると・・・もうキリがないので止めよう。

言えることは、何かに成功したことがその後の失敗の原因になる、という歴史の綾とでも言える要素があることだ。

その歴史の綾を洞察するのは、吉田茂が言うように《直観》、というか《動物的勘》なのだろう。

これまでにない局面では一般的な学問的知見はあまり役に立たない。

関東軍作戦参謀であった石原莞爾は1万の駐留軍で20万の満州軍閥を攻略した実績から「天才的軍略家」と、事変の後は褒め称えられたそうだ ― 今でもそんな向きがある。しかし、自らの計画が及ぼす政治的ハレーションの広がりを正しく秤量できなかった点では、総合的には「凡人クラスか凡人未満」であったとも言えるだろう。

ある問題領域の解決に<1流>であっても、その他の分野には才能がなく<凡人未満>というような人材は星の数ほど多い。民主的に選ぶと、つまり多数の素人の支持によって人を選ぶとなると、結果として誰にも嫌われない、敵の少ない人が当選することが多い。そんな風に言う人がいるが、意外に的をついているのかもしれない。

誰にも嫌われないそんな<人畜無害の人>は、要するに何の才能も持たない<3流の人>であるには違ない・・・と言うのが、間違った屁理屈であれば、むしろ嬉しい限りだ。

今日は下らない<歴史SF>ということで。


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