2022年3月6日日曜日

断想: コミットメントの出し惜しみという戦略的失策

 何度か投稿した記憶があるが、幕末の天才的軍略家・大村益次郎は

軍はタテに育て、ヨコに使うものである

と語ったそうである — その出所を知っているわけではないが中々の名言だと思っている。

《コミットメント》というゲーム論における術語は、これも何度か投稿してきたが、こちら側の揺るがぬ意志を伝えることによって相手が選ぶ戦略を条件下の最適戦略へと変更させるのを目的とする。

例えば、いま「ロシア‐ウクライナ戦争」がロシアの先攻で開始されているが、開始された後、旧・西側諸国は対ロシア経済政策を順次強化し、またウクライナへの軍事支援も強化する方針であることを表明している。

確かにこれはコミットメントである。今後、<長期的に>ロシアに発生するであろう損失をロシア側に予想させ、継戦が割に合わぬ行動であると判断させる。これが目的であるには違いない。・・・しかし、損失が余りにも大きいことを予想させ継戦の無理を認識させるということなら、今すぐ、一方の交戦国であるウクライナへの軍事支援を止め、これ以上の継戦が無理であることを認識させる方がよほど早期の結果を期待できるはずだ。こうすることはロシアへのソフト・コミットメントとなる。ソフト・コミットメントはプラスの戦略的効果を期待できるケースがある。分析の余地はあるだろう。これをせず、ウクライナへの軍事支援を続けるということは、旧・西側があくまでもロシアに敵対する意志を伝えるタフ・コミットメントにあたる。一般的には、タフ・コミットメントは相手側も同じタフ・コミットメントで応じると予想する筋合いにある。タカ対タカの状況で膠着する見通しとなる。

コミットメントは、ある時は<言葉>であり、ある時は<行動>、あるいは<形>によって伝えられるものだ。


というより、ロシアが侵攻した後になってコミットメントを出すのであれば、ロシアがウクライナを侵攻する前に出してこそ有効であったろう。

侵攻前に出すと言うことは《言葉》で出すわけであるが、そればかりではなくアメリカ、EUの欧州委員会のみならずドイツ政府、フランス政府も開戦後のSWIFT排除を決定した旨を言明するなど、言葉を裏付ける《行動》、決定事項を明記した文書などの《形》を伴わせる必要がある。

実際には、ドイツなどはロシアのSWIFT排除には極めて消極的であり(これは当然である)、かつウクライナへの軍事支援にも本腰を入れてはいなかった。旧・西側の「言葉」はともかく、「行動」をみると、侵攻後に旧・西側が選ぶだろう戦略をロシア側がどう予測するかという段階でロシア側の予測にミスが発生していた可能性が高い。結果的にはこの<不正確>がロシアの侵攻を誘った。ロジックとしてはこう解釈されるのではないか。

その意味では、旧・西側が事前に発するべき強いコミットメントを出さなかった。これは旧・西側諸国の戦略的な失策であると思われる。


例えて言えば、自社企業が得意とする製品市場にライバル企業が参入を検討している時、自社が先行して生産能力拡大投資を(言葉だけではなく)実際にスタートさせれば、ライバル企業はそれを見て参入するかどうか、あるいは参入するとしてどの程度の生産規模で参入するかについて計画を再検討するであろう。しかし、ライバル企業が参入に必要な設備投資を実行してしまってから、時には現実に参入されてから、自社が能力拡大投資を(急いで)行っても、ライバル企業は既に投入した投資資金を取り返すことはできないため、参入を断固実行し、投下した資金に見合うリターンを得ようとするだろう。その結果、自社も拡大された生産能力をフル稼働し体力勝負の安値競争に打って出る展開を余儀なくされる。そして誰もが避けたかった過当競争に自社、競合他社全てが陥るのである。むしろ参入された後に自社が行った無理な拡大投資は自社の経営にとって致命的な損失になった・・・というのが、ビジネススクールではよくとり上げられる市場競争のゲーム論的解説である。


ロシアの失策は、旧・西側の失策の上で発生したものである、とも言えると小生は考えている。ロシアが理論的には不合理な戦略を選択した以前に、旧・西側も理論的に悪手である選択をしている。

西側・東側双方の失策によって事態がこうなった以上、血みどろのチキンレースは回避するべきであり、安全保障の観点からリスク・コントロールの最適化を優先させるのが合理的である。事後になってから強硬な言明と措置を連発し、互いに返り血を浴びながら巨額の損失を被ること数カ月に及べば、払った犠牲に見合う成果に社会は固執し、勝敗をつけようとして世界は袋小路に入るだろう。後世の歴史家は — 「後世」という時代がひょっとしてやって来ない怖れすらあるが ―

2020年代という時代は「人材不足」というかマトモな政治家がいなかった

こんな評価をすることだろう。

昭和20年夏の日本ではそれまでに払った犠牲に申し訳なしと言いつつ<本土決戦>に固執した軍部を押さえ昭和天皇が英断を下されたお陰で国民は助かった。「善意から出る失策」というのは時にハタ迷惑で困ったモノなのである。


・・・こう書いてくると、なんだか

結局、アメリカのバイデン政権がもっとシッカリしていればなあ・・・でも、イギリスがEUから出ちゃったしナア、ということか

という話しになるのだが、この辺はもっと材料が集まってから外交専門家が議論するだろう。

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