先日の投稿では<歴史のIF>について断想を書いておいた。よく似た議論に「地政学」がある。
しかし、議論の内容としては「歴史の一つのIF」に過ぎない事柄を<地政学>という学問的薫りのする名前をかぶせてオープンの場で語るとすれば、それはもう「お笑い芸人」と言うより、むしろ<知的詐欺師>に近い存在と言っていいかもしれない。
その最適な一例がネットにあるのを見つけた。ロシアの保守系思想家、というより地政学的国家戦略の専門家であるアレクサンドル・ドゥーギンである。
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一部を引用するとこんな感じだ。
ドゥーギン氏の戦略論は「新ユーラシアニズム」ともいうべきものであり、目指すべき将来目標として、旧ソ連邦諸国を再びロシアが併合するとともに、欧州連合(EU)諸国もロシアの〝保護領protectorate〟にするという極論から成り立っている。
(中略)
「ドゥーギンは、欧州とアジアをリンクさせたユーラシア統合がロシアの戦略目標であるとの観点から、ライバルである米国においては、人種的、宗教的、信条的分裂を醸成させると同時に、英国についても、スコットランド、ウェールズ、アイルランド間の歴史的亀裂拡大の重要性を唱えてきた。英国以外の西欧諸国については、ロシアが保有する豊富な石油、天然ガス、農産物などの天然資源を餌食にして自陣に引き寄せ、いずれ北大西洋条約機構(NATO)自体の内部崩壊にいく、とも論じてきた」
(中略)
「ドゥーギンはさらに、アジア方面についても、ロシアの野望を実現するために、中国が内部的混乱、分裂、行政的分離などを通じ没落しなければならないと主張する一方、日本とは極東におけるパートナーとなることを提唱する。つまるところ、ドゥーギンは第二次大戦後の歴史の総括として、もし、ヒトラーがロシアに侵攻しなかったとしたら、英国はドイツによって破壊される一方、米国は参戦せず、孤立主義国として分断され、日本はロシアの〝ジュニア・パートナー〟として中国を統治していたはずだ、と論じている」
Source::Yahoo!ニュース、3/26(土) 6:01配信
Original:Wedge
URL:https://news.yahoo.co.jp/articles/115efaf324c6b3c16acc19b19211c2b114ce7b51?page=1
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日本は(幸か不幸か)《島国》であり、海岸線は複雑で良港が多い。加えて、人口は1億人に達している。適度に面積の大きな島から構成されており、かつ山岳地も多く、「寡兵を以て大軍を打ち破る」ような陸軍の機動的、集中的運用に向いている。特に厳冬期は日本海、太平洋とも強風と悪天候が続く。故に、制圧するよりは同盟を締結する方の利益が大きいと考えられるのだろう、と上のような思考の主旨が何となく伝わってくるではないか。
確かに戦前期の「大日本帝国」は、東アジアにおいて、特に東北部において、明らかにロシア帝国及びソ連の「ジュニア・パートナー」として行動した。(中国やアメリカからみれば)そう受け取られる一面があったと小生は考えている。
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周知のように、日本は昭和26年のサンフランシスコ講和によって国際社会に復帰した。しかし、中国は国共内戦の真っ最中であり講和には不参加。南北両朝鮮は日本とは交戦しなかったことから招請されず、この他にも諸々の理由から講和には署名をしなかった複数の国があった。その後、韓国とは昭和40年に日韓基本条約で国交が正常化し、日中平和友好条約は昭和53年に締結されて日中国交が回復したのだが、ソ連およびそれを継承したロシアとは今に至るまで平和条約を締結できずにいるわけだ。
ソ連が連合軍の一国としてサンフランシスコ講和条約に署名しなかった理由は、同じ共産党政権である北京政府が招かれていなかった点もあろうが、やはり日本が返還するべき「千島列島」に日本のポツダム宣言受諾伝達後にソ連が軍事占領した「北方4島」が含まれるのかどうかについて(特に米ソ間で)一致点を見いだせないだろうという事情があったに違いない。この当時、ソ連の最高指導者はまだスターリンであったのだ、な。アメリカの大統領はヤルタ密約を結んだルーズベルトから事情を知らないトルーマンに変わっていた。
その後、ソ連はフルシチョフが権力を握り、日ソ共同宣言を主導して平和条約締結後の2島返還の方向が出てきたのだが、どうもWikipediaによれば晩年のフルシチョフは、北方領土を返して日本と平和条約を結んでおいたほうがソ連にとってはよほど得であったろう、と。「日本との平和条約締結に失敗したのは、スターリン個人のプライドとモロトフの頑迷さにあった」と。そんな述懐を回想記の中で述べているそうである。
仮にそうなっていれば、米軍基地が現在ほどは日本国内に残存はせず、そもそも「日米安保体制」なるものが形成されることも(ほぼ確実に)なかったろうと思われる。
(現在のような)日米安保体制下に置かれることがなく、米ソ両国と平和条約を締結できていれば、中国・北京政府との国交回復ももう少し早く可能であっただろうし、安全保障はじめ経済的相互関係を含め、戦後日本は一体どうなっていただろうと想像を刺激される。もちろんGHQの基本構成や日本国憲法など、戦後日本の基本的な骨格は同じであったろうが、ずいぶん雰囲気が違ったものになったのではないか。歴史のIFは「そのほうが幸福であったに違いない」という歴史的評価ではまったくない。しかし、<思考実験>としてこの上なく面白い作業であるのは確かだ。
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それにしても、上のようなロシア超保守派の議論の中の
日本はジュニア・パートナー
と位置付ける見解に対して、評者は「言語道断」と切り捨てている。
思うのだが、「言語道断」って、英語では何と言うのだろう?これは小生の習慣で、意味が曖昧でよく分からないとき、英語では何と言うのかと自問すると、使われている言葉の方が可笑しいことが分かったりするのだ。
言語道断・・・まあ、"absolutely wrong"あたりカナとは思う。が、言語道断にはモラル的に『そんな事を言うな!』という怒りの情念が追加的スパイスのように込められている感じがする。感情が入ると議論が濁るのが常だ。やはり地政学的ロジックに沿って、
戦後の世界秩序の中で、日本がソ連のジュニア・パートナーとして行動する戦略を、日本が選ぶ可能性はなかったであろう。何故なら・・・
という具合に書くべきであった。
そういえば、最近流行の『寄り添う』。これは英語ではどうなるのだろう?バイデン大統領もよく使う"The US stands with Ukraine"の"stand with"か?しかし、これは「アメリカはウクライナの味方だ」という意味で「寄り添う」とはニュアンスが違う。それとも"get close"とか、"stay close"か?これは何だか「寄り添う」より「すり寄る」に近いと感じる。では何だろう・・・やっぱり"have sympathy for you"の"sympathy"が近いかネエというのが今日の感想だ。
『日本はウクライナの人々に常に寄り添う』というのは、『日本はウクライナの人々に対して痛切な同情の気持ちを持っています』。意味としてはこれに最も近いのではないだろうか?
しかし今の世界情勢では
同情するならカネをくれ
とも言われるだろうし、ウクライナ動乱の当事国と話すなら
同情するなら武器をくれ
と要請されるだろう。
しかし、それは断る、というか「あまりは期待しないでほしい」と。具体的に何かを本気で支援して、率先垂範、リーダーシップを発揮して一肌も二肌も脱ぐ。それとも違うような気がする。何だかどことなく「お悔やみ致します」に近いような、気持ちの表現。「些少ではございますが」という儀礼的表現にも通じるような。やはり「行かないわけにはいかないっショ」に近い気持ちであって、「味方になるから安心しろ、頑張れ」とは違う、「何があっても応援する、一緒にやろう」とも違う、それが「寄り添う」という言葉のニュアンスか。どうもそんな印象があるこの頃である。
***付言***
何ごとも言葉と言うのは意味をハッキリさせておくほうが将来の誤解がなくてすむ。いかに遠い国で勃発した「戦争」とはいえ、戦争の悲惨は現実であって、それを日本のTVスタジオで現地の動画を見ながら色々な言葉でお喋りするという情景は、朝一番で新情報をニュースとして初見する時はまだ耐えられるのだが、同じ話を繰り返し他局、他番組で放送されると、それも視聴率獲得のための競争なのだから仕方ないとはいえ、『どうもすまないネエ、こちらもこれが仕事なモノだからサ、これをやれって上から言われててどうしようもないんだヨ・・・それにアタシたちも何もしないわけじゃあないんだヨ、勘弁しておくれ』とでも言いたげだ。まして部屋のTVの液晶画面でそれを視るっていうのも、いかにも傍観者的、かつ非人情に思えて気分が浮き立たない。どこか尻が落ち着かない感じがしてグツが悪い — 「グツが悪い」という表現も小生の田舎である四国の方言かもしれない。
まあ、メディア現場の人たちにとっては<ロシア=ウクライナ戦争>が近ごろ稀な「大商い」で、他を顧みる余裕などはゼロなのだろうが、日本のマスコミが日本の世間で話をするなら、ウクライナよりかは日本のエネルギー戦略の方向性を問題にする方がよっぽど現実的で、重要、一層差し迫った話題なのではないだろうか?
電力不安はホント待ったがないよ。そう思いますがネエ、エッ!いまそれを話すと、まずい方へ話が進むって、フ~~~ン、何か考えておいでのようだが、言いたいことがあれば、それを早く世間にしゃべっちまったほうがイイんじゃないんですかい?
この辺が今日のしめくくりにはイイか。
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