日本社会も新しい時代に入りつつある一つの証左である。
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小生は体罰を加えながら二人の愚息を育てた。と同時に、小生もまた家庭内体罰を「受けまくって」育った世代である。小生の両親は、といっても父親を指すのだが、戦争も体験しているし、学校時代には軍事教練もあった。家庭内体罰どころか、鉄拳制裁も普通であった時代だ。更に、その前の時代といえば、もう語る必要もないだろう。明治維新前に遡れば口減らしのための間引きや姨捨などの慣習も家族の生き残り策の一つであった。武士の家庭では家門の名誉を守るために一人責めを負って腹を切るくらいのことは当然の道徳とされていた。
時代は変わるのである。
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家庭内から暴力を一掃したとしても、公権力は人々に対して懲役という体罰を課すことは許されているわけであるし、究極の体罰として「死刑」も(当面は)存続する見通しだ。
なので、日本社会から指導や懲戒のための体罰がなくなるわけではない。家庭に変わって社会がその役割を引き受けると理解するしかないだろう。
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小生が育った時代には家庭内で体罰が行われていた。
観方によれば暴力が家庭内にあった、と。そんな観方もあるわけだ。
しかし、その時代の「傾向」を思い出すと、現代と明らかに違う側面もあった。
亡くなった父に殴られたことはあったが、同時に頻繁に言われた言葉もあった。それは『喧嘩をするなら強いものとやれ、自分よりも弱いものと喧嘩はするな』という戒め、というか命令である。なぜなら『それは卑怯な男がすることだ』という一言で父は済ませていた。
いやまったく、簡単かつ明瞭な時代であった。『卑怯な振る舞いはするな』、『男なら男らしくしろ』の一言で息子を指導教育できたのだから……、現在の日本では「卑怯」という単語はほとんど死語になっているのではないだろうか。
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小生が通った学校でも同じような雰囲気であったと記憶している。喧嘩は毎日教室内であった。取っ組み合いである。もちろん顔を殴ったり、のど輪を食わせて息ができなくすることもある。実に荒々しかった。小生は弱虫であったので女子と一緒に後ろで見ていた ― 小生は本が好きで物知りであったので、その限りでリスペクトはされていた。
しかし、数人がかりで一人を攻撃するという状況は、小生は見たことがないし、聞いたこともない。なかったとまでは言わないが、現代でいうような「イジメ」はレアケースだったのではないだろうか?ひょっとすると、懐疑的で大人びた子供が多い大都市圏ではあったのかもしれないが、よく知らない。
まして数人の男児が一人の女児を長期間いじめるという行為は、小生の世代の「男子」ならば「感性」として、しようとしなかったはずではないだろうか?
ま、その後の人生を経てすでに老境にさしかかった現在、いまの時点で女性を殴るという行為をするかしないかと言われれば、それはありうると言うしかないが、まだ子供であった昔に「おんなの子」を数人の男がいじめるという情景は成立し難い……、当時の心情を思い出すとそう思ってしまうのだ。理由は単純。「かわいそう」だからだ。
ここで
惻隠の情は仁のはじめなりという孟子の名句を引用するのは嫌味だろう(が、連想してしまったので書いておく)。
昔は「体罰」があったという時の「体罰」とは、上にいう様な感性を共有した時代の「体罰」である。
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時代は変わった。日本社会も随分と変わった。
『強いものと喧嘩をしろ』とはいうが、強いものが力を振るうことは犯罪となっており、もう強いものはいなくなっているのかもしれない。『弱いものをいじめてはいけない』というが、そもそも「女の子」はもう弱く、区別される同級生ではないのかもしれない。「弱い人はだらしがない人、物事ができない無能な人」と、単純にそんなイメージが出来上がっているのかもしれない。そんな感性が共有されてしまったのかもしれない。だとすれば、大変な時代であり、それは矯正されるべきだと小生は思う。
そんな新しい時代において家庭内体罰を法律で禁止するというのは、社会が新しいステージに変化したということの反映である。
「家族」という営みが「家」や「一族」という旧来の慣習の名残であると受け止めるなら、家族が果たしてきた機能を停止するという選択が、ひょっとすると社会的な「進化」にあたるのかもしれない。あるいはどこかで社会の基盤が「解体」されてきているので、国が必要な機能をやむをえず引き受けようとしているのかもしれない。
小生には分からない。
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