2019年6月25日火曜日

一言メモ: 「それができる人がいない」、これが日本の社会保障で最大の問題では?

年金問題はすぐに炎上しがちである。先般炎上した「老後に備える2000万円説」もそう。国民年金保険料の実質的納付率がいまだに40%程度にとどまっている事実がワイドショーでとりあげられれば、これまた数日はその話題でもちきりになるだろう。

政権・与党がどう言うとしても、労働市場の現況、基礎年金の現況をみれば、既に日本の年金システムは大半の日本人に老後の不安を与えている、この事実を否定することはもはや無理だろう。

『そこで例えば……』という話は、(とりあえず)カミさんとの雑談の形で本ブログでも少し書いておいたのだが、「安心できる社会保障システム」を構築したいなら、成功例は欧州型の20パーセント付加価値税(≒消費税)方式か、でなければ全面的に国有化するソ連流の社会主義の二つしか思い浮かばない、というよりこの二つのいずれかでしか成功しないと思う。これが長い歴史を通して確認された経験である。後者の社会主義国家建設は既に失敗した国家モデルになった。であれば、長寿社会の中でほぼ全員が安心して長生きできる国にしたいのであれば、欧州型ではなくて他にどんな社会保障モデルがあるのか、非常に疑問である。高累進度の所得税を主たる財源にして、節税や租税回避を招くことなく安定した老齢年金を実現している国があれば教えてほしいくらいだ。

日本の消費税率は30年間の平成時代から令和の初めにかけて3%からようやく10%にまで上がるかという状況である。それでも何とかなったのは現役世代から保険料を徴収したからだ。少額の基礎年金も現役時代の保険料支払いに基づくが、それのみの自営業者には定年がない。サラリーマンには定年があるが、現役時代の厚生年金保険料の半分は雇主が負担する。一見すると公平である。しかし、これでは出来る保障が限られるのは当たり前である。

「現状のレベルがよい」と日本人の多くが感じるなら、それでよいのである。しかし、日本人の心理がそうであるとはとても思えない。だから問題意識を持つ必要がある、というのが今日の一言メモである。

公務員給与を引き下げるのが先であるとか、行政改革が先であるとか等々、すべてヤリクリと組織いじりであって、こんな細部の話を今後10年続けても問題解決には至るまい。平和ボケである。

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現在の年金システムが信頼できないのであれば、信頼可能なシステムについて「臨調(臨時行政調査会)」、「臨教審(=臨時教育審議会)」、「行政改革会議」のような大型の臨時機関を設けて国民的な議論に持っていくのが有効である、それがこれまでに得た経験則である。つまり、歴史的使命を終えた国鉄、電電公社、専売公社を一挙に民営化するというレベルの、その時の内閣一つでは解決不能と思われるほどの課題をそれでも解決するにはどうすればよいかという、その成功体験をもっている。

成功体験をそのままなぞったからといって次回もうまく行くとは限らない。とはいえ、これ以外のどんな方式で年金システムの改革案をまとめられるだろう?

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こんなテーマを色々と思案しながら、風呂に入っていると結構面白いものだ。

しかしながら、いまの日本で一体だれが上のような国民的審議機関をまとめられるだろう?

臨調、特に鈴木・中曽根内閣が設けた第二次臨調の中心人物は大物財界人であった土光敏夫氏であった。瀬島龍三、加藤寛といったある意味で「力量」のある論客も参加していた。臨教審も中曽根内閣時に設けられたが、当時の慶應義塾長であった石川忠雄氏は肝のすわった大学人であった。財界人・中山素平氏の発案力も当時の世間においては著名であった。

ま、人物談義は本日のテーマではない。

いま例えば「臨時社会保障制度改革調査会」を立ち上げるとしても、一体、まともな結論に集約できる人物が現在の日本にいるのだろうか?その問いかけである。

汗が出るまで風呂につかっていても、財界、官界、学界、論壇を含め、小生には誰一人思いつかなかった。

いつかは将来の日本の年金制度を検討しなければならない。そんな問題はずっとこの20年間、潜在していたと考えるべきだ。
もっと早期に人を得て、発足させておくべきだった。遅きに過ぎた。今となっては、まとめられる人物がいない。
残念ながら、そんな感じがする。





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