先日、議論には建前があるが、政治が建前に束縛されると機能しなくなる、と。そんな風なことを書いた。
臨時国会が始まり菅新首相による初の所信表明演説があった。それに対して、野党を代表する立場だからか、立憲民主党の枝野代表が演説には中身がないと批判を加えていた。
この図式は、ずっと昔の自民党vs社会党の対立構造を想い起こさせたりして、小生には大変馴染みがあるものだが、何がなしどこか空虚感が漂う気分を抑えることができない。
今日は「ホンネと建前」という古くて新しいテーマについて投稿しておきたい。
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自民党はもはや公明党の支援なくして国政選挙を戦うことができないと言われる。立憲民主党もまた共産党の人的支援なくして選挙戦は戦えない、と。
その公明党の基盤は言うまでもなく宗教団体である創価学会である。自民党vs立憲民主党の対立とはいうが、生の現実をみると上層部の政党の活動を縁の下で支えている創価学会員や共産党員、その家族たちの存在なくして、日本の政治は成り立たなくなってきている。
その意味では、自民党も立憲民主党もある意味で「公家化」しているようだ。議員として生き残るためには末端の創価学会員や共産党員の心情を忖度しなければ身動きがとれなくなりつつある。頭や口ではない。動いてくれる人の数である。その動いてくれる人たちは、ホンネでは自民党という組織も立憲民主党という組織も実はどうなってもいい。これが今の日本のホンネともいえる現実かもしれない。自民党にせよ、立憲民主党にせよ、地元と東京をつなぐ人間関係のためのインフラ。ただそれだけの存在かもしれない。組織自体にロイヤリティを感じる多数の人間がいるわけではない、と。どうもそう感じられてしまうのだ、な。
戦前期日本では陸軍幼年学校が全国にあり、その上の陸軍士官学校、陸軍大学と一貫した人材養成システムが完備されていた。陸軍を退職したあとは在郷軍人会に所属した。正に草の根組織として日本全体に根を張っていた。陸軍で生きた人物が(極端なまでに)組織への帰属意識が強かった理由はこうしたハードな制度基盤にある。これほどハードな制度インフラがあったため戦前期の日本では陸軍が政府から独立して暴走することがが可能になった。
一方、反対例になるかどうか怪しいが平安時代の権力者であった藤原家は違った方法をとった。その力の源泉はといえば全国に所有する土地にあった。しかし、それらの土地は藤原家が費用を負担して開拓した土地ではない。地方の開拓地主が土地所有権を藤原家に寄進(=譲渡)して中央の権威と人間関係を取り結び、所有権を藤原家に譲渡する見返りに、租税免除と給田(=手当)の支給、さらに土地管理権も認められることが多かった。藤原家に年貢は納めるが、これは外部勢力との紛争に際したとき藤原氏が所有する土地であることと自分が庄司(=管理者)である事実を証明してくれることへのFEE(=手数料)であった。要するに、中央の権力者である藤原家は自らが直接的に人間集団を家臣として支配し、軍事力を保有していたわけではなかったが、皇室の外戚として高い官位を独占する一族であることから人間関係を取り結びたいと願う人間集団が地方に多くいた。朝廷(=政府)にいて法を運用することができた。ここが決定的である。統治システムとしては、建前としての権力と実質的な勢力とがずれていたシステムであり、だから小生は「荘園」という平安期の統治システムを最初に教えられた時、その本質が理解できるまでに時間を要した記憶がある。
どうも日本では同型の統治メカニズムが繰り返し現れるような気もするのだ。近年の「政党」とその力を支える基盤との関係もどこか平安時代の公家と武士のような関係を連想させるところがある。逆に言うと、戦前期の陸軍のような強固な組織は認めない。そんな傾向も戦後日本には濃厚にある。
政府周辺に強固な組織を置くことは忌避される一方で、系列を基軸とする大企業組織は極めて強固に機能した。が、それも「経済のグローバル化」、「働き方改革」、「中国の台頭」等々を通じて、次第に解体されようとしている。小生が、現時点の戦後日本がどこか建前的であり、ホンネとずれて来ているように感じるのは、こんな流れが背景にあるのかもしれない。
いま大河ドラマでは室町幕府最後の将軍・足利義昭が登場しているが、そのはるか以前から幕府は有力な守護大名の支援なくしては日本国内を統治できなくなっていた。それでも幕府が消滅しなかったのは、将軍家が戦国大名たちの権威付けの役に立ったからである。徳川幕府の大老・井伊直弼が桜田門外で横死してから250年以上続いた幕府が瓦解するまで僅かに7年である。幕府の国内統治は「建前」になっていたという事実がよく分かる。
※ 【10月28日】本節、「繰り返し現れる同型の統治システム」に思い至ったものだから書き足しを繰り返し、ゴタツキ感が出た。「建前とホンネとの乖離」という言葉でいいのか?別の機会にまた展開したい。
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戦後日本の建前とリアリティがここ近年ほど乖離してきている時代はなかったのではないだろうか。
日本国憲法では政治と宗教とは分離されているはずだ。にも拘わらず、創価学会という宗教団体が公明党を通して政治とのつながりを深めている。与野党の重鎮政治家が宗教団体のトップや幹部と会談してもおかしいと思う人がいない。そもそも宗教と政治が分離できないことは海外をみても明らかだ。ドイツの与党は「キリスト教民主・社会同盟」である。アメリカ大統領選挙ではカトリックがどちらの候補者を支持するかが注目されている。これもホンネでは認めなくてはならない事実だろう。
日本国憲法では私有財産が保護されている。にも拘わらず、(天皇制はともかくとして)産業国有化を核心とする(はずの)共産党が立派に日本の国政で活動している。
共産党が「護憲的」であると錯覚するのは、保守政党であるはずの自民党が憲法改正を提唱するからである。ロジックでいえば真の意味での改憲派は共産党である。ホンネを語らず、建前を語り続け、欺瞞を貫いているのは与党ではなく共産党であると小生は観ている。これも今日の標題の一例だ。欺瞞を続ければ必ず堕落するのは中国共産党ばかりではない。日本共産党も同じである。
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アカデミックな世界でも建前とホンネが捻じれてきている。「憲法学者」と呼ばれる人達は、専門外の人間にとっては、ある意味で驚くべき頭脳構造をもっていると。そう感じるようになった。
下の愚息は法律の仕事をしているのだが、日常使っているのは刑法や民法、商法、その他諸々の法律だろう。民法や商法は憲法を前提として編纂、制定されている。だから、その分野の専門家が現行憲法の理念を重視するのは当たり前である。憲法を大前提としながら、しかし、専門の民法や商法については常に問題点を探り、改善の方向性を考え、実際何度も社会の変化に合わせて法改正されてきた。専門家というのはそういうものである。
一方、憲法学者はそうではないようだ。民法の専門家が民法の改善に努力し、刑法の専門家が刑法の改善を考えるのと同様に、憲法の専門家であれば憲法を超える統治の基本を為す観点から現行憲法の改善の方向に頭を使う、そんな理屈になるのだが、そこが違う。日本国内の憲法専門家は、現行憲法が既に最高の到達点に達しており、一切の変更は憲法を改悪するものであると、どうもそう考えているように見えてしまうのだ、な。実際、現行憲法は施行後70年を超えてまだ一度も修正されていない。
『現行憲法が理想の憲法そのものである』と、その分野の専門家であるはずの憲法学者が考えてしまっているところに、戦後日本社会の奇妙な安定と停滞が持続する根本的な原因があると思うようになったが、どうだろう。そう言えば、戦前期日本にあっても憲法学者は専門家として無力であり、実質的な仕事を為さなかった。戦前期日本の崩壊の責任の一部は当時の憲法学者達にあると小生は思っている。
企業にとっても理念は大切である。しかし、その理念は活動を通して表現されるべきものである。活動をすれば必ず問題が発生する。事業においては、常にPDCAというサイクルの中で問題が提起され、問題は解決されなければならない。そんな毎日の努力の中で理念は守られ、守られると同時に堅固に骨太になるのである。国も企業もこの点では同じである。学説によって憲法は守られるのではない。守るのは日本人である、というのが基本だ。
『いまのあり方が最高なのです』と主張してやまない人は、問題に目を向けず、解決を考えない、その意味ではDogmatism(独断主義)そのものであると、そう言われても仕方がないだろう。自由な思考を意味するリベラリズムとは正反対の立場だ。「リベラルです」と自称する人々が実は心のホンネでは「最高のものを守るのだ」という保守主義者である。これほどのパラドックスがあるだろうか。日本のリベラルは真の意味でリベラルではない。実は原理主義者であり保守派である。ここにも普通の日本人をとりまく哀しい現実がある。
これまた戦後日本社会の建前とホンネとの乖離の一例である。
※ 【10月29日】本節のポイントはマアマア本筋をついていると思う。