2023年8月30日水曜日

一言メモ: ドイツ病と日本病と、病人仲間になれるだろうか?

今回のロシア=ウクライナ戦争で米英の胸の奥に最初からあった戦略は、確かにウクライナを支援することが直接的目的ではあっただろうが、本音はこうだろうと書いたのは昨年の春先だ。要点は:

これではまるで

ロシアと仲良くしたお前たちドイツが悪い!少しは辛い目にあって反省しろ!!

東アジアの外野から観ていると、旧連合軍がこう言っているのと同じなように思えたりする。なにやら英米にドイツがシバカレテイル、こんな感覚がある。

EUを隠れ蓑にして旨い汁ばかりすすりやがって・・・

と言いたいのか、と。ホント、旧東ドイツ出身であったメルケルさんが引退すると、早速こうなってしまう。

アメリカよりはロシアの宿敵・イギリスの方が明確な戦略的意図をもっていたのだと思っているが、第2次大戦後の国際平和維持体制を無視してウクライナを侵略したロシアを制裁するのは当然として、そのロシアと親和的な姿勢を示して憚らなかったドイツをも叩く丁度よい機会である、と。一発焼きを入れてやるか、と。更には、ロシアを助けるに違いない中国も不良債権の迷路に追い込んでやるか、と。こんな思惑が英米には絶対にあったと思うネエ……、まるでイギリス人の好きなキツネ狩りだ。表立っては言えないけどネ。この目線、結構自信があったりするのだ、な。

詰まるところ、命を犠牲にしてロシア軍と戦闘を続けるウクライナ人という国民の存在が、戦略上、絶対必要な条件であったわけだ。「以て奇貨とするべし」。もしも日本の幕末の前後、外国の支援を得て倒幕勢力と最後まで闘おうとする人物が15代将軍であったら、日本国内はひどい惨状になっていたはずだ。同じ理屈である。

果たして、そのドイツはいま(予想どおり)実に茨の道を歩んでいるようだ。

Wall Street Journalが"Germany Is Losing Its Mojo. Finding It Again Won’t Be Easy."というタイトルの記事を載せている。

例によって、Evernoteに保存する際に下線を付した箇所をそのまま並べて要約に代えよう:

Germany’s long industrial boom led to complacency about its domestic weaknesses, from an aging labor force to sclerotic services sectors and mounting bureaucracy. The country was doing better at supporting old industries such as cars, machinery and chemicals than at fostering new ones, such as digital technology. Germany’s only major software company, SAP, was founded in 1975.

Years of skimping on public investment have led to fraying infrastructure, an increasingly mediocre education system and poor high-speed internet and mobile-phone connectivity compared with other advanced economies.

Germany’s once-efficient trains have become a byword for lateness. The public administration’s continued reliance on fax machines became a national joke. Even the national soccer teams are being routinely beaten.

“We’ve kind of slept through a decade or so of challenges,” said Moritz Schularick, president of the Kiel Institute for the World Economy.

製造業大国・輸出大国ドイツは自らの成功ゆえに自らの弱点も自己満足と共にみることになったと言い切っている。高齢化、硬直的なサービス産業、はびこる官僚主義。自動車や機械など古い産業を支えた反面、デジタル分野には立ち遅れた。公共投資をケチって来たことでインフラにはガタが来ているし、教育システムもいいところはない。インターネットも遅く、繋がりにくい。もう10年程もチャレンジを避けてきた。

Complacency crept in. Service sectors, which made up the bulk of gross domestic product and jobs, were less dynamic than export-oriented manufacturers. Wage restraint sapped consumer demand. German companies saved rather than invested much of their profits.

自己満足が入り込んだ。サービス産業はGDP全体で高いシェアを占め、そこには多くの人々が従事しているが、活力を失い、賃金が抑えられ消費需要が伸び悩んだ。ドイツの企業は利益の大半をため込み投資には回さなかった……

更に、

BioNTech, a lauded biotech firm that developed the Covid-19 vaccine produced in partnership with Pfizer, recently decided to move some research and clinical-trial activities to the U.K. because of Germany’s restrictive rules on data protection.

German privacy laws made it impossible to run key studies for cancer cures, BioNTech’s co-founder Ugur Sahin said recently. German approvals processes for new treatments, which were accelerated during the pandemic, have reverted to their sluggish pace, he said.

コロナ禍を乗り越える切り札であったRNAワクチンをファイザーと共同開発したビオンテック社は地元のドイツではなく、イギリスに今後の研究拠点を置くことにした。その理由は、(個人)データ使用にドイツが課している厳しすぎる保護規制による、と。

そしてデータ活用ばかりではなく、環境配慮義務もドイツ経済の足を引っ張ると指摘されている。

One recent law required all German manufacturers to vouch for the environment, legal and ethical credentials of every component’s supplier, requiring even smaller companies to perform due diligence on many foreign firms, often based overseas, such as in China.

取引先企業が環境基準を守っているかをチェックせよと。ここまで義務付けられると、ドイツでビジネスなどは出来ませんとなるのは必至である。

これに加わるのが脱原発というドイツの「国是」であろう。

Energy costs are posing an existential challenge to sectors such as chemicals. Russia’s war on Ukraine has exposed Germany’s costly bet on Russian gas to help fill a gap left by the decision to shut down nuclear power plants.

そして最後に指摘されているのが人口減少問題と人出不足だ。

 One problem Germany can’t fix quickly is demographics. A shrinking labor force has left an estimated two million jobs unfilled. 

Source: Wall Street Journal

Date: Aug. 29, 2023 12:00 am ET

Author: Bojan Pancevski,  Paul Hannon and William Boston

URL: https://www.wsj.com/world/europe/germany-is-losing-its-mojo-finding-it-again-wont-be-easy-c4b46761

一読すると、トホホ……の状態になりつつあるドイツの現状が伝わって来る。しかし、この苦境は、(妬まれても仕方がないだろうが)英米の底意地の悪い国際政略があったかもしれないにせよ、ドイツが固執している政策を頑として変えないがため、自らが招いている面もあるのだ。融通無碍な方向転換が苦手なドイツ的思考の弱点だろう。

しかし、上の解説、ドイツを日本に置き換えてもそのまま当てはまりそうである。まるで症状といい、原因といい、日本経済の解説を聞くようではないか?


戦前期から今日まで日本人は不思議とドイツ文化を尊敬する傾向がある。ドイツの音楽、ドイツの文学、ドイツの哲学、ドイツの法学、ドイツの科学に始まり、エネルギー問題然り、環境問題然り、だ。しかし、何度も投稿しているが、ドイツは時々大失敗を犯す。

大正デモクラシーの土台は日本が第一次大戦でドイツではなく英米の側について勝利を得た事で築かれた。太平洋戦争の敗北は英米を捨ててドイツ、イタリアと組んだことが直接的とも言ってよいほどの敗因である。

ドイツ的思考法を評価するなら、ドイツ哲学、ドイツ文学を精読し、その思考法の長所、短所をよく理解しておくことが大事だ。「ドイツ的なるもの」と「日本的なるもの」は実は水と油ではないか。そう感じることはある。


今後おそらく、ドイツは「ドイツ病」に再罹患したと言われるのだろう。が、その症状は余りにも「日本病」と似ている。

同病相哀れむ

日本は決して「孤独」ではないのである。

2023年8月26日土曜日

一言メモ: ロシアと中国の戦争経済は理屈通りだ

先日のWall Street Journalが中露経済関係の現状について記事を載せていた。早速、Evernoteに保存する際にアンダーラインを付した箇所だけを抜粋して要約に代えよう:

中国は、ロシア経済を下支えし、ウクライナでの戦争を助ける上でますます重要な役割を果たしている。

今年1~7月の対ロシア貿易総額は前年同期比36%増の1340億ドル(約19兆5400億円)となり、ロシアは貿易相手先としてオーストラリア、台湾に次ぐ。

中国製品は今や、ロシアの輸入の45~50%を占めている。その比率はウクライナ侵攻前には25%程度

今年1~7月の中国の対ロシア輸出は、中国の輸出全体が5%減る中で73%増えた。

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が一部で予想されていたほど早く勝利を収められないことが一段と明白になり始めた1年前、ロシアによる中国製土木作業機器の輸入が急増し始めた。

ウクライナ国内(の占領地)でのロシアの要塞建設を、中国企業が可能にした

中国の今年1~7月のロシアからの輸入額は、前年同期比17%増の711億ドルに達した。

ロシアの需要のおかげで、中国は日本を抜き自動車輸出世界一となっている。

中国の今年上半期のロシア向け自動車輸出台数は34万1000台超と、前年同期のほぼ6倍に増えている。

 Source: Wall Street Journal

Date: 2023 年 8 月 23 日 06:39 JST

Author: Austin Ramzy in Hong Kong and Jason Douglas in Singapore

URL: https://jp.wsj.com/articles/booming-trade-with-china-helps-boost-russias-war-effort-42ca62f5

朝鮮戦争の折には日本が戦争特需の受け手になり日本の戦後復興が確実なものになった。それと同様の経済事情が、多くのリスクを抱える今の中国経済にはあるようで、ロシア=ウクライナ戦争の特需が中国経済の崩壊を何とか防いでいる ― 中国経済のマクロ的不均衡が顕在化して長期低迷に入れば、日本経済が蒙る打撃は深刻になる。 ウクライナ勝利のためには、その位の打撃は日本としてもウェルカムだという御仁は、そうなってからどう感じるかを表明すればよい。

ロシア自体の経済状況についてもWSJはこんな記事を載せている。やはりアンダーラインを付けた箇所を並べることにすると:

ロシア政府は、ウクライナに駐留する自国軍に十分な物資を供給し、国内企業や市民を戦争から遮断しておくため、自国経済に大量のマネーを注入してきた。

今週に入り、ルーブル相場は開戦当初以来の安値に下落。

主要政策金利を3.5ポイント引き上げ12%とした。通貨を安定させ、インフレを抑える必要性を理由に挙げた。中銀によると、過去3カ月の物価上昇率は年率7.6%に達している。

ロシアは最も長期にわたり持ちこたえることができる数少ない国の一つだ。

来年3月の大統領選挙を前に、同氏は軍事生産を増強すると同時に、国民をなだめる必要があるからだ。

国内総生産(GDP)に占める政府支出の割合は、今年1-3月期に前年同期比13.5%増となり、1996年までさかのぼるデータで最も高い伸び率を記録した。

ロシアが自国工場で生産する能力はすでに限界に達している。

ロシアの工業企業の約65%が輸入設備に依存している。

今年1~7月の財の輸入は18%増加した。中国からの輸入が急増している。

技術面で高まるロシアの孤立は、戦争前でさえ暗かった長期的な経済成長見通しをさらに低下させる見込みだ。労働力は人口の高齢化に伴い、10年余り前から縮小し続けている。

ロシアは1990年代以降で最悪の労働力不足に見舞われている。

ロシア経済に残された供給はほぼなくなり、必然的な結果としてインフレが起きるだろう。

 Source: Wall Street Journal

Date: 2023 年 8 月 18 日 12:54 JST

Author: Chelsey Dulaney and Georgi Kantchev

URL: https://jp.wsj.com/articles/russias-war-torn-economy-hits-its-speed-limit-7a4f5f83

ホボ、ホボ、予測通りの経済状況になりつつある。

いわゆる《戦争経済》は、マクロ経済学の中では比較的古くから発展した分野で、遠くはケインズの『戦費調達論("How To Pay For The War" )』以降、議論は国民所得統計ベースで展開される。日本においても、太平洋戦争開戦直前の時期、「秋丸機関」や「総力戦研究所」で想像を超えるほど緻密に経済分析が行われ、開戦後の経済動向が予測されていたことは、牧野邦明『経済学者たちの日米開戦―秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』や猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』で詳細に述べられているとおりだ。戦時において一国の経済がどのような状況になるかは予測可能なのである。

この話題については昨年も本ブログで投稿している。たとえば<ロシア 消費>でブログ内検索をかけると、結構な数がかかってくる。

たとえば、こんなことも書いている。少し長いが一部を抜粋して再掲しておこう:

これは非常に大問題だ。特に歴史的に縁が深く、政治理念が似通っており、かつ長い国境を接している中国にはロシアの経済的混乱を防止する強い動機がある。ロシア財政が危機に陥れば、中国は必ずロシアを経済支援する。

マクロ的には総供給と総需要は必ず均衡しなければならない。総供給はGDPと輸入の合計、総需要は民需+公需+輸出である。つまり

Y+M=C+I+G+E

である。

いま軍事費という政府消費支出(G)が急増している ― 消費計上時点に関するテクニカルな部分は無視しておく。輸出は経済制裁で急減しているから双方がキャンセルすればマクロ的にはバランスを維持できる可能性はある。しかし、石油需要の急減で生じた余剰生産力を弾薬やミサイルの増産に転用できるわけではない。石油輸出需要の減少はそのまま左辺のGDP(Y)の減少になる可能性が高い。そもそもエネルギーの対西側輸出が減少する分を対中輸出でカバーしようと考えている。右辺の外需(E)は(ロシアにとって幸いに)変わらないとしよう。となれば、軍事費が増える分、消費などの民需を削減しなければ供給とバランスしない。消費需要はほぼ確実に落ちるのだ。が、それにも限度がある。従って、もしロシアの労働資源に余裕がないと仮定すれば、戦争経済を回すためには輸入を増加させるしかない(主に"Made in China"の消費財だろう) ― 自家消費で何とかしのげるとしても限界があるだろう。ロシアの国際収支は必然的に悪化して、ほぼ確実に赤字になるはずだ ― 普通、戦争をすれば財政は破綻し、国際収支も大赤字になるものだ。その赤字は海外からの資金調達で賄う必要がある。海外からみればロシアへの債権増加、つまり対ロシア投資である。しかしロシアは強い経済制裁を受けている。故に、具体的には、中国がロシアへの(金融)投資を増やさなければロシア経済が維持できない。一言でいえば、ロシアは中国からツケ(=負債)で消費財を輸入して国民生活を維持するのである。これが唯一の方法である。

昨年4月の投稿だ。つまり、この位は最初から分かっていたことでもある。

プーチン大統領はよほど短期間に決着させる自信があったのだろう。それが意に反して長引いている。結果は、大体、理屈の通りになっているようだ。

意に反して戦争が長引いてしまい経済的苦境に陥っているのは日本が太平洋戦争を仕掛けて失敗した例とうり二つである。


いま中国が(多分)人民元ベースのツケ(=信用|売掛金|融資)で対ロシア輸出を増やしている。それを軍事用に転換して戦争で使っている。

(ある時払いの?)ツケで商品を輸出するのは、限りなく贈与に近く、軍事支援にも見える。が、表向きは貿易取引である。この大半は貸し倒れ、もしくは回収不能になるに違いない。中国経済の先行きも暗い。

これまた必然的結果である。

そうなるだろうことがそうなっている……、だから、こうなればこうすると決めていた(はず)ことをバイデン政権は実行すればよい。

そのバイデン政権に日本もついていくかは(その時になって?)日本が決めることだが、その戦略的効果は日本とアメリカとでは対称的ではなく、多分、日本により大きなマイナス効果が及ぶだろうと思われる。結構深刻になるはずだ。そのマイナス効果を上回るプラスの戦略的効果を欧米から期待できるなら、日本はバイデン政権の選択に(とことん)追随していくと予想している。


【加筆】2023-8-27


2023年8月23日水曜日

ホンノ一言: 天気予報にも統計技術の進歩が反映されているようで

小生が暮らしている北海道の港町でも今夏の高温はハンパではない。例年ならお盆を過ぎれば早朝の気温が20度を割り、過ぎ去った夏が懐かしくなる程だが、今年は最低気温が25度を下回るかどうかだ。

こんな風なら来年辺りはエアコンを購入する必要があるのではないか?その前に、窓をエコ・ガラスに取り替えて断熱性を確保するべきではないか?夏の暑さよりは冬の寒さに配慮して、遮熱性よりは断熱性をあくまでも重視するべきではないか?この際だから、居間全体のリニューアルもやるべきではないか? 等々、思案に暮れる今日この頃である。

こんな夏は天気予報アプリ、天気予報サイトが欠かせない。

いま愛用しているのは、Meteoblueだ。Windy.comも内容が充実しているが、Meteoblueのアンサンブル予測をとても評価している。例えば今日現在で現住所近辺の予報を確かめると、下のグラフが表示される:


複数の予測モデルの平均を予測値とすれば予測精度の向上が期待できるというアンサンブル法はデータ・サイエンスで(ばかりではなく計量経済学の分野でも)もはや常識になっている。

天気予報の分野でも統計技術の進歩がこうして活用されているのかと思うと、何だか嬉しい気持ちにもなるのだ。

上の図をみると、アンサンブル平均は今日あたりをピークに今の猛暑は次第に衰える見通しになっているので一安心だ。

2023年8月22日火曜日

断想: 「それは税金のお陰だ」という時のロジックを考えると・・・

標題のテーマは暑さをしのぐには頃合いの深さをもっているかもしれない。 

前稿ではこんなことを書いている:

この伝で言うと、京都大学で学び、大阪大学、京都大学で研究をつづけた湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞したのは「私たちの税金」のお陰である。というより、ノーベル賞級の研究には大体が公費が入っているから、日本人が授与されたノーベル賞はほぼ全て「私たちの税金のお陰」である……

まあ、そんな理屈になるのだが、このレベルの世迷言を語る日本人は(幸にしてまだ)出現してはいないようだ。

これに対して、『国立大学に勤務する人には税金が入っている。これ自体は否定できない事実だ。だから「ノーベル賞級の研究ができるのも税金のお陰だ」と言うとして、これのどこが間違っているの?』と。こんな疑問が出てくる気配があるのが、今の日本社会の世相であるようで、小生、この点からも全般的な理解力の劣化を感じる。

よく考えてごらんなセエ……と、こんな喋りを落語家ならしそうだ。

湯川秀樹に限らず、実際にノーベル賞を受賞した日本人は少ない。レアケースである。問いたいのだが、

湯川秀樹は税金を支給されて(見事?)ノーベル賞を受賞した。とすると、それ以外の大半の国立大学教職員は、税金を支給されたにもかかわらず、期待した成果(=ノーベル賞?)を上げられなかったのだ、と。そう考えるべきなのだろうか?

それは明らかに違うでしょう、と思う。


国立大学教職員に支給されている俸給は、ごく一般的な教職員に期待される授業や学内運営、平均的な研究活動に勤めるための対価であると観るのが適切だろう。

中には、結果が大いに期待される特定の研究活動には多額の研究補助金が入っているかもしれない。しかし、ノーベル賞級の研究は、結果がかなりの確度で見通され、経費を積算しやすいタイプの研究ではあるまい。新奇かつ独創的な着想段階から多額の税金が国から支援されることはない(はずだ)。

湯川秀樹や朝永振一郎をはじめ日本からは多数のノーベル賞受賞者が輩出されているが、こういった人たちに「税金」を支給することから期待されていた結果は、ごくごく平均的な国立大学教職員に期待されていた職務を果たすことであった。こう考えるべきだと思うのだ、な。

だとすれば、何人かの(これからも現れる可能性があるが)ノーベル賞受賞者は、「税金」のお陰で研究成果を出せたのだと考えると、それは少し筋が違う。投入された公費を遥かに超える成果を出せたのは寧ろ「嬉しい誤算」であったと言うべきだろう。主たる成功要因は本人の才能と努力である。こう理解するのが筋道である。


故に

金銭面で(多少の)世話になっているとしても、「……のお陰で」という風な義理を感じるだけの筋合いはない場合がある

要するに、世の中それほど単純なものではありませんゼ、ということだ。別に小生は精神主義者ではないが、成功したのはカネのお陰、公費のお陰、税金のお陰と強調する世相をみていると、

カネの寄与度はそんなに高くはありませんゼ。大事なのは本人の才能と根気です。

そう言いたくなるのだな。だから、精神主義が横行した頃の日本に小生はかえって懐かしみを感じたりもする。

ま、へそ曲がりだからこんな社会観をもっているのだ、な。 

前稿でも書いたが、現代日本人にとってカネは自分の血肉とも言える神聖なモノである。江戸時代に生きた武士・百姓にとってのコメと同様だ。ではあるが、そのカネを払うとき、期待できるのは「期待して当たり前のリターン」であって、期待を遥かに超える結果は「嬉しい誤算」と言うべきで、それはカネ以外の要素が働いたが故である。カネの成果だと考えてはいけない。

税金で何かを支援し、偶々、支援された人が望外の結果を残したとしても、それは支援した甲斐があったと考えるべきで、結果自体はその人自身の努力がもたらしたものである、と。リターンの大半はカネの出し手ではなく、努力した本人に帰属させるべきである、と。そう考えるのが理に適う。カネを出したという一点を強調し、あまり欲深になってはいけない。前にも書いたが、小生は労働価値説が本質的には当てはまっていると信じる立場にいるのである ― 反対に、カネの出し手からみて期待を遥かに下回る結果しか残せなかったなら、なぜそうなったかを検証しなければならないという理屈になる。


本日はロシアの戦争経済についてWall Street Journalが記事を載せていたので、それを話題にしようと思っていたが、偶々、気になったことをメモした次第。

2023年8月20日日曜日

一言メモ: 金利先高観と中国リスク。景気リスクというより当事者リスクと言えるようで。

先月のFOMC議事録が公開されたところ、インフレ警戒、金利追加引き上げ論が相変わらず根強いことが分かって、金利先高観がまた再びアメリカ国内で高まって来たようだ。

NHKではこう伝えている:

FRBは先月、金融政策を決める会合を開き、0.25%の利上げを決定しました。

6月の会合では利上げを見送りましたが、再開に踏み切り、政策金利は2001年以来、およそ22年ぶりの高い水準となりました。

16日に公表された会合の議事録によりますと、インフレはFRBの目標を依然として大きく上回り、労働市場も堅調な状況が続いていることから、大半の参加者がインフレの上昇リスクが大きいとして、追加の金融引き締めが必要になる可能性があるという見方を示していたことが明らかになりました。

また、FRBのスタッフは、銀行の破綻が相次いだことし3月以降も個人消費などのデータが予想を上回っており、「もはや景気後退を予測していない」と報告していました。

アメリカではインフレが落ち着く傾向が続く一方、堅調な経済指標が相次いで発表されていて、今回の議事録からは、会合の参加者がインフレが再び加速するリスクを警戒していることがうかがえます。

Date: 2023年8月17日 9時25分

URL:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230817/k10014165031000.html

一方で景気後退リスクはずいぶん以前から指摘されており、ニューヨーク連銀によれば今年6月時点で

今後1年以内に景気後退が起きる確率は71パーセントである

Source:Wall Street Journal、2023 年 6 月 9 日 07:12 JST

Author:Justin Lahart

URL:https://jp.wsj.com/articles/is-this-recession-in-the-room-with-us-now-2548206

長短金利スプレッドがマイナスになっている状態から算出された確率だが、かなりの景気後退リスクがあるという評価が報道されていた。

この報道から1カ月しか経っていない時点で、

FRBのスタッフは、銀行の破綻が相次いだことし3月以降も個人消費などのデータが予想を上回っており、「もはや景気後退を予測していない」と報告していました。

というのは文字通り『これいかに?』という感想だ。

データを見ながら真面目に審議しているの? 

最新データが入るたびに姿勢がブレてませんか?

当局の揺れる判断に思わず不安になってくる人もいるかもしれない。 

上のWSJ記事も結論としては

何だかよく分からん

というものだ。分からないから不安になるのだ。分からなくさせているのは、FRB当局ではないかという印象を小生はもっている。

不安要素は、金融当局であるFRBの分析能力、当事者能力(?)もそうだが、ここにきて中国リスクが世界を騒がせている。

バイデン大統領が中国経済を「時限爆弾」と表現するなど、ロシア=ウクライナ戦争の戦況がいまひとつピリッとしないのに苛立って、中国に目を向けさせる「目くらまし戦術」か。そんな推測もしたりしているのであるが

48兆円の負債を抱えた「恒大集団」がアメリカで破綻申請をした

こんな風に、中国の「不動産バブル崩壊」が満ち潮のようにメディアを賑わせている。

これでは不安も高まりましょう……。

金利先高感と中国不安が高まれば、当然、ニューヨーク市場の株価も下落へと向かわざるを得ない。東京市場もニューヨークの後を追う。

何だかハッキリしない。故に、「ハッキリしない」ことによる経済不安が高まっている。

極めて拙劣な経済運営だと思う。

それはともかく……

中でも感心したのは、次のグラフだ。



Source:econbrowser、August 11, 2023

Author:Menzie Chinn

URL:https://econbrowser.com/archives/2023/08/uncertainty-in-china

本文には

If you were wondering why FDI inflows had sharply decreased, why consumers were wary of spending, part of the reason might be elevated economic and economic policy uncertainty.

こんな見解が述べられているが、最近見た中では中国経済を概観するのに、最も的をついているデータだと思った。

不確実性の高まりは、その地域、その分野における資本コストを高め、投資対象からは外れるというのがロジックだ。中国経済は、これまで個人消費ではなく、企業投資が成長をけん引してきた。その投資需要を阻害するファクターが働いている。これでは安定成長できるはずがない。

以前にも投稿したが、近年の中国は"China's Self-Disbranding Policy"を展開してきた(かのように見える)。それにはそれなりの言い分、理屈、ロジックが中国政府にはあるのだろうとは考えられるが、やはり自滅しつつあるのが今の状況かもしれない。

とはいうものの、「不確実」であるのは、アメリカもヨーロッパもご同様であると小生はみる。そして日本だって、韓国だって、今後将来どうするのかについては極めて不確実な国である ― 日本は変化を求める外圧に対して「何もしないかもしれない」というリスクがあるという意味になるが。


2023年8月16日水曜日

断想: 「カネは天下のまわりもの」、初歩的な常識ですぜ

 本ブログでも理屈にならない理屈の典型として

公費は「私たちの税金」ですよネ

こういう言い回しを挙げている。

現在の日本では(何度か投稿しているように)既に事実認識としても間違いなのであるが、それを差し置いても、これまた先日も投稿した「イカにももっともらしい」、「少し考えると雑すぎる」言い方の好例なのである。


昔は(というほどの昔でもないと思うが)例えば汚職をした役人に対して、イエローなマスコミが「税金泥棒」と罵声を浴びせたりしていたものだ。

しかし、ある程度まじめな記事や番組の中で(例えば)「国立大学の研究費は私たちの税金なわけですから…」とか、これに類したコメントを真面目に言うなど、ちょっと記憶にないのだな。

聞いたり、目に入るようになったのは最近である。そして中々減る様子がない。


この伝で言うと、京都大学で学び、大阪大学、京都大学で研究をつづけた湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞したのは「私たちの税金」のお陰である。というより、ノーベル賞級の研究には大体が公費が入っているから、日本人が授与されたノーベル賞はほぼ全て「私たちの税金のお陰」である……

まあ、そんな理屈になるのだが、このレベルの世迷言を語る日本人は(幸にしてまだ)出現してはいないようだ。

数日前にも書いたが

国民の税金を受領するほどの権力をもっている個人は日本には一人もいない。税金は年貢や小作料とは違いますゾエ。

納税に対して収税権限をもつのは国税庁、もしくは都道府県、市町村である。そこで勤務する公務員が受領するのは「給与」であって「税」ではない。それは、〇〇市の公共事業の請負業者が受領するカネが「税」ではなく「売上収入」であるのと同じことだ。

これが分からないほど理解力が劣化しているとは想像できない。

単純な事実だと思うが……

もし理解できないとすると変な話になる。

例えば小生が暮らしている北海道で電力を供給している北海道電力がある。北電に勤務する社員がもらう給料は元々は私たちが払う電気料金である。

私たちが払う電気料金のお陰で、北電社員の家族は家族旅行を楽しめるわけだ。旅行先ではしゃぎ回ってSNSに写真をアップするなど、ホント腹がたつ、家族を遊ばせるために私たちは高い電気料金を払っているわけではない……世間ではいまこれと同じ話をしている。


話しは続く。北電が火力発電に使用する重油を購入するカネ。元々は私たちの電気料金だ。それが石油会社に払われている。だから石油会社に勤務する職員も私たちに感謝するべきだ。元々は私たちのカネだったのだから。

まだ続く。石油会社の社員の奥さんがスーパーで購入する食料品の代金。元々は北電からもらったカネで、そのカネは元々「電気料金」だった。それをスーパーに払っている。私たちが払った電気料金でレジを打つパートの人の生活が成り立っている。感謝してほしいネエ、家族で旅行に行ってハシャグなんてとんでもない……

キリがないことに時間をかけてもバカバカしいからもう止めよう。

要するに

カネは天下のまわりもの

こんな簡単な道理は、江戸時代、学校に行ってない長屋の熊さん、八つぁんだって分かってましたゼ。


公費は確かに税金だ。その税金は納税者のAさんが納めたカネだ。しかし、Aさん、そのカネは誰からもらったの?ひょっとして道路工事や何かで国や自治体からもらったんじゃないの?

『そのカネ、もともと誰のカネやった思うとるネン』と威張るのは、バカにまかせておきましょう。

【加筆】2023-08-17

2023年8月14日月曜日

断想: 酷暑の八月に思うには生々しすぎる話題を二つ

拙宅では子供がまだ幼い頃からずっと続いている習慣がある―いまはカミさんと二人で同じ会話をしているのだが。

それは8月6日の広島原爆記念日から始まり、9日の長崎原爆記念日、12日の御巣鷹山慰霊祭、15日の終戦記念日、18日の施餓鬼会、23日の月参りまでの2週間余りを「鎮魂週間」と呼んでいる習慣だ。この期間のどこかには住職がやってきて仏壇に読経をあげるからその準備にカミさんは早起きをしてお霊供をつくる。だから今もまだ忙しい ― 「盆参り」は寺の方も多忙で読経と言ってもそれ自体は極めて短いものであるが。

そんな真夏の鎮魂瞬間の真っただ中、思うにしては現実的すぎる話題を二つ。

毎日新聞にこんな記事があるそうだ(毎日を購読したことはないがネットで概要が分かるのは便利なものだ)。無料版は「さわり」の部分だけであるが、記事内容のスタンスを察するには十分だ。

――わくわくシニアシングルズは、昨年、中高年シングル女性の生活状況の実態調査(同居している配偶者やパートナーがいない40代以上の単身女性約2400人を対象)を実施しました。

🔹 一番の問題はなんといっても年金では生活できないことです。今の年金制度は女性が1人で生活することを想定して設計されていません。

Source:毎日新聞、8月10日

思わず「設計ネエ…」、「年金ネエ…」と声が出てしまいました。齢です。

なにも女性に限ったことではない。男性も同じである。その人が暮らすための所得は政府の責任であると考えるなら、もはや現代日本人の意識は《社会主義国家》と同じである、旧ソ連の国民は「暮らしやすい」と感じていたというが、政府が全ての国民に暮らしやすさを保障するそんな社会がよいと、多くの日本人はいま感じているのではないか、そう思った次第。

社会主義国家は、原則として全ての国民に国が定めた標準的な生活を一律に保障するのが基本だ。そのためには完全平等な所得分配を目指し、極度に累進的な所得税を課す、というより国が定めた一律に近い給与を政府が支給する。私有財産は最小限の範囲でのみ保有が許される。利潤や資産所得は認められない。確かに、そうした社会制度が確立されれば、経済格差は原則として消失し、暮らしの不安を感じる人はいなくなる理屈だ ― それでも国家の経済が破綻すれば国民は塗炭の苦しみを味わうのであるが。

ただ日本は、有史以来、こうした制度を実施したことはない ― 7世紀後半から奈良時代にかけて律令が整備され、そこでは「公地公民制」が柱になったが、短期間のうちに私有財産制が復活し、以後の日本社会は強力な中央権力を嫌う分権的な構造で一貫している。

強い中央権力がない中で、自分の人生は自分で努力して歩くもので、政府に保証してもらうものではないという立場を小生は好んでいる。なぜなら生活を保障してくれると楽だが、フリーランチはないという理屈で、そうなると自分の意志が通らない時が増える。お仕着せの支援である。それでいて遠慮しながら暮らすのもきついではないか。

生きていくには、自ら事業を経営するか、でなければ他人に雇用されて暮らすか、この二択である。それでも困る事はある。そんな時は、政府を頼ってもよいが、役所でなくとも有力者の援助を得てもよい。親や子を頼ってもよい。親戚、知人を頼ってもよい。政府の役人よりは人の縁だと考える方を小生は好む。そもそも日本社会の伝統的エートス(≒ 気風)はこんな風ではなかったかと感じる。

濃密な人間関係を保つ社会の方が希薄な人間関係で成り立つ社会よりは頑丈である。

経済的弱者がいる。その人を上流階層のある人物が「利己的にか、自発的にか」何かの動機で(幸運にも)援助する。生活費や学資を贈与する。歴史を通して何も珍しくはなかった行為だ。そうした民間の自発的な支援に対して ― 「恩」という伝統的な行為に該当するが ― 政府は贈与税を課して財政収入とする。更に、そうした贈与という行為こそが所得分配、資産分配が不平等であることの証拠であると批判する。政府による公的福祉が不十分であることの証拠であると指摘する。不平等であるからこそ民間の相互扶助が発生するのだとコメントする。福祉は政府の責任であると主張する。寧ろ政府が独占的に福祉を行うべきであると言う。こう考えて「福祉国家」が構築された。福祉法人も認可法人であるから、つまりは公的組織である。《福祉国家の理念》は福祉活動を政府(及び政府が認可した機関)に独占させるという意味でホボ〃社会主義であると小生は思っている。

ここには福祉の一律主義がある。福祉の標準規格という発想がある。「一人残らず平等に」というコミュニズムへの共感がある。そう感じるのだ、な。

その信念がいま日本社会を縛っている。目的が善であるが故に日本社会を自縄自縛の状態に束縛している。最近はこんな社会観をもってみているのだ、な。

弱者を支援する意志と能力をもつ主体は政府とは限らないだろう。法や制度が人間が元来持っている親切、貧しい世帯を助けたいという善意を妨害してはならない。

これが第一歩だと思いますがネエ……。

NYTでコラム記事を書いているクルーグマンが中国経済、中国社会をどう観ているかは、足元で続けざまに寄稿しているのであるが、Wall Street Journalでもこんな記事がある。


中国は過去10年間、世界的な人気を高めるために何百億ドルもの資金を投じてきた。しかし、功を奏していない。ソフトパワー(国の理念や制度、文化によって人を引きつける力)においては、米国の方が中国よりはるかに勝っている。これは米政府にとってチャンスだ。

(中略)

 尊敬されているのであれば、不人気でも構わないという見方はあるが、中国の軍隊が世界最良だと答えたのはわずか9%だった。中国が最良だと答えた人がそれより少なかった分野は、大学(6%)、エンターテインメント(3%)、生活水準(3%)だった。中国が提供するものが世界最良だと考えている人の割合がかなり多かったのはテクノロジーのみで、19%がだった。

(中略)

 経済面でのこれまでの中国の台頭ぶりは目覚ましかった。しかし、メキシコの労働者やケンブリッジ大学の教員、マレーシアの医師らがすぐさま理解できる思想が中国には欠けている。かつてのソ連は、それとは対照的だ。ソ連も、プロパガンダを通じて影響力を行使したが、ソ連の共産主義への傾倒はずっと明確だった。そして多くの国々で共産主義を信奉する人々を生み出した。中国人以外で、漢民族至上主義に魅了される人などいるだろうか。

Source:WSJ、 2023 年 8 月 10 日 15:16 JST

URL: https://jp.wsj.com/articles/china-cant-seem-to-make-friends-or-influence-people-830e1c96?mod=hp_opin_pos_1

Author: Sadanand Dhume

同じ主旨のことは先日も投稿したが、経済発展で大成功した割には「これが中国発の文化だ」と言えるものが、「何一つとしてない」。ホント、小生の情報不足かもしれないが、主観としては、何一つ思い浮かばない。

漢字や、漢詩、水墨画はあまりに昔の文物でありすぎる。『孫悟空』、『三国志演義』、『水滸伝』、『紅楼夢』、『金瓶梅』を挙げられても遥か昔の作品で古すぎる。もっと最近で、という意味だ。

ロシアがまだソ連であった時代、旅行は不自由であったが、それでもドストエフスキーの『罪と罰』の舞台となったサンクト・ペテルブルグのネフスキー大通りには行ってみたいと思ったものだ。ソーニャがラスコーリニコフに老婆殺しの告白を求めたセンナヤ広場も欠かせない。チャイコフスキーのVCを聴きながら『カラマーゾフの兄弟』を読むのは至福の時間であった。小生が小役人をしていた頃の同僚は、まだソ連であった時の同地に一人旅をしてエルミタージュ美術館を観てきたものである。

ロシアですら(と言うのは大変失礼なのだが)そうだ。

小生の下の愚息がまだ高校2年生であった年末、家族で中国に行ったことがある。訪れた八達嶺長城は500年以上も昔の構築物である。同じ明王朝が建てた紫禁城は中が空っぽである ― その当時、ドラマ「瓔珞」が既にヒットしていれば、紫禁城内の延禧宮を訪れ、乾隆帝の御代華やかなりし時代を偲ぶこともできたのだが。

ま、いずれにせよ、世界が納得する中国発の魅力ある文明が何一つとしてない、あるのは過去から継承した歴史的遺産のみという情況は、今後の中国の最大のウィークポイントではないかと思う。

そして、これをもたらした主たる原因はというと、そもそも「共産主義思想」そのものの貧困さに目が向くだろう。かつては普遍的魅力を放ったこともあった。が、いまは魅力ある社会を構築する政治思想としては有効性に疑問符がつけられてしまった……経済成長は遂げたが、その上に開花するはずの文芸、芸術がさっぱり出て来ないのは、結局、コミュニズムという思想そのものに含まれる抑圧性や独善性がもたらす精神的な貧困によるのだろう。こう思ったりしているわけだ。ま、それでなくともソ連の壮大な失敗はまだ記憶に新らしいのである。

だとすれば、いまもなお社会主義的な制度に魅力を感じ、それが善であると考える姿勢は、どこかもう古臭く、心情は理解できるものの、進歩にはつながっていかない。そういうことかもしれない。

デジタル化だけではなく、不平等を解決するための思想的準備という面でも、日本は遅れつつあるのではないかと感じることが多い。

いや、いや、「遅れている」というより、「方向音痴」で分からなくなっているのかもしれない。貧困の救済は資本主義では不可能で社会主義によるしかないと考える思考回路そのものが、現代においては、もはや陳腐化している。そう思っているのだ、な。

だから、ヨーロッパの<高付加価値税率+高福祉>という国家モデルも、日本では羨望の的になることが多いが、人口減少、移民増加、軍事費増大という21世紀的情勢の下では、非常に脆弱なのではないか。これもまた、制度疲労が進んで、そろそろ限界ではないのかナと、いまそんな風に思っているわけだ。


こんなことを考えているから、北海道と言えども、暑くてたまりません。


【加筆】2023-08-16


2023年8月11日金曜日

断想: ロシア=ウクライナ戦争も曲がり角に来たようで

 米国の対ウクライナ軍事支援に関して日経が以下の報道をしている:

ロシアが侵攻を始めてから1年半近くがたち、ウクライナ支援を支持してきた米世論に変化の兆しが出ている。

米CNNテレビが7月1〜31日に実施した世論調査によると、全体の55%が議会はウクライナ支援の追加予算を承認すべきでないと答えた。「すでに十分な支援をしている」との回答が51%、「もっとすべきだ」は48%だった。侵攻直後の22年2月下旬の調査では「もっと支援すべきだ」は62%だった。

党派別にみると、より顕著になる。共和支持層の71%が「追加の資金供与を認めるべきではない」と答え、「認めるべきだ」の28%を上回った。民主支持層は62%が追加支援を支持し、38%が認めるべきでないと主張した。

明らかに民主党支持層と共和党支持層ではウクライナ軍事支援の積極度において大きな違いがある。 もはや「米国内世論」なる世論はないといえる情勢だ。

ところが上の日経報道の結論は

世論の変化は24年11月の大統領選にも響くおそれがある。選挙をにらんで与野党が内向き志向に傾けば、ロシアを利する結果になりかねない。

Source:2023年8月11日 7:33

URL:https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN10DB90Q3A810C2000000/

こんな結びになっている。


「ロシアを利する結果になりかねない」と、日本がまるで西側諸国を代表するかのように、心配してさしあげる義理はあるのかと思ってしまいました。まるで「上様」にご注進する「家老」のようではないか。無様である。

支援金額では突出しているもののアメリカが対ロシア急先鋒(?)であった印象は薄く、当のアメリカでも今回のロシアの行動を招いた遠因としてNATOの拡大戦略を指摘する人物がいる位だ。ウクライナ軍事支援に消極的な意見は、アメリカ国内でも「世論を忖度することなく」平気で発表されている。実に健全な民主主義社会ではないか。


世界的に広がりつつある潮の流れは、

ロシアを勝たせる、ウクライナを勝たせるのいずれでもなく、両者の痛み分けとする停戦案は何か?

つまりは、日本の自民党が得意とする《落としどころ》を探っているのが現状ではないだろうか?

日本は今でも「ウクライナを勝たせるための努力」を喜んで続ける意思を持っているのだろうか?

非常に疑問である。


多分、アメリカも含めて、ジョンソン首相が去った後のイギリス、それにドイツ、フランス、イタリア辺りは当然のこと、今後来年にかけて

戦争をしかけ、戦争に応じたロシア、ウクライナはもちろん、軍事支援を続けた西側諸国を入れて、《三方一両損》のような停戦を目指す

そんな機運が醸成されてくるのではないかと予想している。そうなって行くとしても「今の世界は非合理的である」という思考法は極めて危険である。「三方痛み分け」で戦争を止める。そうした世界的潮流が勢いを増せば、それでも勝利を目指してあくまでも継戦しようと主張する人物は排除されるとしても、それは自然な成り行きだ。時勢に抗う人間は時勢によって排除される定めにあることは誰でも知っている。

曲がり角である。


とにかく、アメリカもロシアも来年は選挙の年なのだ。最初に投稿したが、プーチンさん、バイデンさん、お二人とも選挙のことが心配でやった事なんでしょ、という見方は小生なにも変えていない。


勝者なき戦争。つまりは勝敗という点では「引き分け」ということだが、ロシアも損をし、ウクライナも損をする。双方がどれだけのことを諦めるか。ここが最大のポイントになると予想する。西側諸国は既に莫大な金額を支出し、それが報われないという損失がほぼ確定している。ドイツをみよ。失ったものは大きく惨憺たるものではないか。

この損失を招いた主たる要因は、バイデン政権の対ロシア外交、対ウクライナ外交(さらに対中外交も?)がそれだけ拙劣であったのだという批判は、今回の戦争が停戦に至った後で噴出してくるに違いない。

ま、頭の体操という程度の個人的予想ということで。

【加筆】2023-08-12

2023年8月10日木曜日

断想: アピールはするが実質のない言葉のいくつか

小生がまだ経済学部の学生であった頃、ガルブレイスと言えば結構著名な学者であった。ガ氏の『豊かな社会(Affluent Society)』は一世を風靡したし、消費者の選択が民間企業の宣伝・CMに歪められてしまうという「依存効果」は同氏によって学術用語となり、世間でもとても重宝に使われる言葉になった。ところが、いまガルブレイスの学術的業績を引用するアカデミックな論文はほとんどない ― 小生の不勉強かもしれないが、実際そんな印象を受けている。

多くの人が思わず「そうだよネ」と納得する「学術的説明」が、実は「観察日記」と同レベルの「ジャーナリズム」であり、真のリアリティを解明したものではない例は大変多い。

古くは古代の大哲学者アリストテレスが説明した「重いものは軽いものより速く地面に落下する ≒ 2倍の重さをもった物体は2倍の速さで地面に落ちる」。この説明ももっともらしい学説だった。ガリレオが主張した「全ての物は同じ速さで落ちる」という「落体の法則」の方こそ目で見た印象とは違う。しかし、高校(中学の理科でも?)の物理で勉強するように、全ての物体に働く重力は等しいという意味で、正しかったのはガリレオの側であった。

「観察」と「洞察」とはしばしば逆の内容になるのである ― こんな当たり前のことは、ミステリー・ファンならとっくの昔から分かっているのだが。

もっともらしい説明、もっともらしい概念、もっともらしい術語。どれほど多くの人を惑わし、間違った世論を形成しているのだろう?

間違った概念は、長い時間の中で化けの皮がはがれて消えて行くものである。

最近の例では、たとえば『知る権利』。これはどうだろう?

最近はマスメディアが「知る権利」と口にすることがあまり目立たなくなったように感じる。

小生は、もともと「知る権利」という概念はメディア事業から自然発生したもので

知る権利 = 取材をする自社の側が正しいとする理屈

こう考えてきた。知る権利と知らせる義務、知られる義務は表裏一体であるロジックだ。怪しいことは誰でも分かる。そもそも日本国憲法が定める基本的人権の中に「知る権利」は規定されていない。だからマスコミが使わなくなれば、やがて消えて行く運命にある。そうなるだろうと予想してもいる。やはり「個人情報の尊厳」、「安全保障の重要性の高まり」が軽視できない論点として認知されると、「知る権利」の居場所は見つけにくくなるものだ。そういう事情になってきた。

どう知るか、どう知らせるか、どう知られるのかという問題は、権利=義務の問題ではなく、もっと精緻に行動科学の観点に立ってその最適化を考えなくてはならない問題なのである。

これがすぐに思いつく一例だ。

もう一つは「公費は私たちの税金です」という認識だ。この認識が何かの主張と合体すると結構強力な説得力を発揮するのが昨今の世相だ。たとえば、自民党女性局主催のパリ研修旅行も同じ言葉で批判されている。

これについても小生自身の見方は既に投稿したが、以前にもこんなことを書いている。

「原資は税金」という点が、それほど重要なのであれば、より多くの税金を納めた国民はより多くの貢献を日本国にしていることになるのではないか。

より多くの貢献をしているのであれば、より多くの権利を持っても不思議はないのではないか。

投票権だって納めた税金額に比例するようにしたほうが良いのではないか。理屈が通るのではないか。実際、株式会社はそうしている。税金を納めていないのであれば、参政権もなくて仕方がないのではないか。そもそも多額納税者が真っ先に参政権を得たのだ。

カネに話しを戻すなら、必ず上のような話になる。格調が低いことおびただしい。

非課税証明の対象になっている人は、「原資は税金だから」という言葉を(自称)ジャーナリストから聞くたびに、肩身の狭い思いをしなければならないということか・・・。いやいや、税金を一切納めていない人はいない。消費税は必ず納めているはずだから。しかしねえ・・・。

どちらにしても、よく聞く「これも税金なんですから」という表現、実にデリカシーのない言い方だと思う。

日本人というと、海外の人と比べると、淡々とした生き方が好きで、成功した創業者を尊敬するというより「カネの亡者」と揶揄したりするところがあったりする。世界の中ではかなりの変物かもしれない。ところが、何としたことか、これも国際化の副作用か、日本のマスコミはすぐに金の話しをするようになっている。

本当に、一般視聴者もマスコミの編集現場と同じ感覚をもちつつあるのだろうか?

就活の場、転職の場で、最も知りたいと思うのは(ぶっちゃけた話し)「勤務時間」と「報酬」であろう。 タイパ、コスパで仕事を決めたい。そう思う人は確かに増えている。

いくらやりたいと思う職業でも、安月給と長時間労働ではいくら自主性、多様性があるとはいっても、心は折れるものである。

だから、最後は《カネの話し》になる。それは分かる。「……には私たちの税金が入っているんです」という主張で伝えたい気持ちもわかる。

マスコミ現場で働いている人も、所詮はビジネスマンだ。ビジネスマンにはビジネスマンの行動基準、価値基準がある。損益計算書と貸借対照表で成績評価される世界だ。カネは生きる糧である。武士にとってのコメは、現代ビジネスマンにとってのカネと同じだ。

カネほど神聖なるものはなし。一銭のカネをもおろそかにするべからず。

無意識で是認している価値は、番組内容、記事内容にもにじみ出て来るのだ。

とはいえ、カネの話しばかりしたがる人は嫌がられますぜ。カネは自分の血肉だが、日本人は生臭いモノが嫌いなんですぜ。

最近のマスコミには品がない理由の一つは、すぐに「カネの話し」に持っていきたがる所だ。

これもまた

貧すれば鈍す

という格言の現れであろうと思って視ている。だから

これは私たちの税金です

という指摘も、指摘自体は誤りではないが、「だから何?」となるわけだ。

この道路には税金が入っているんだよネ

この橋って、税金で出来たんでしょ?

この会社、多分、研究開発支援で税金もらってますよネ?

うちのお婆ちゃん、税金で暮らしてるんだヨネ…… 

幾らでも出てくる。しかし、「だから何?」、"So what?"を考えるのが、報道でも、ドキュメンタリーでも第一歩になるはずで、そこで何を書くかで知的能力の違いが出てくる。そう思っているところです。

2023年8月8日火曜日

一言メモ: 景気は濃い霧に包まれていたが、晴れつつある、ということなのか?

 昨年春以降、アメリカ・FRBは、それまでの見守り姿勢をかなぐり捨てたように「攻撃的金利引き上げ」を繰り返し、強引にインフレを抑え込む姿勢を堅持してきた。

ところが、ここに来てインフレは明らかに落ち着きの気配。労働市場も、失業率がそれほど上がらない一方で、雇用者数増加はペースが鈍化するなど、懸念された景気後退も避けられそうだ、と。

そんな楽観論がにわかに浮上して、「それ見ろ、見事にやり遂げたじゃないか!」といった風の高揚感が何となく伝わって来ているようで……と思ったら、米国債の格付けが(突然?)引き下げられ、今度は長期金利の先高観が出てきた。民主党好みの財政拡大路線は変わらず、エコノミストなら「この一連の出来事は、典型的なクラウディングアウトの症状です」と語るところのはずだ……、が、バイデン財政政策を正面から批判する専門家がほとんどいないのは(なんと言うべきか)実に不可思議なことである ― ニューヨーク・タイムズが基本的にバイデノミクス賛同の立場にいるのは予想できることだが。

こんな風に「インフレ抑制、うまくやったネ」という見方をよくみるが、他方、景気見通しはやっぱり心配だ、と。そんな見方も増えてきた。

米国で企業倒産が増えている。2023年1〜7月の倒産件数は402件となり、前年同期の2倍になった。過去10年で最多の水準で推移する。7日には、物流分野の有力企業イエロー・コーポレーションの経営破綻が明らかになった。インフレをうけた需要減と金利高による借り入れ負担の増大が、業績が低迷する企業に追い打ちをかける事例が目立つ。

これは本日の日本経済新聞だ。

URL:https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN2203W0S3A720C2000000/

 …PMIは購買担当者景気指数のことで、企業の購買担当者に新規受注や生産、雇用の状況などを聞き取り、景況感を指数化した景気指標。製造業と非製造業に分けて発表される。特に製造業PMIは鉱工業生産や雇用統計などと比べて、景気動向の変化をいち早く示す指標として市場関係者から注目される。

…PMIは50を上回ると好況、下回ると不況とされる。国・地域別の指標に加え、主要国をまとめたグローバルの指標もある。米国や世界景気を左右する中国などの注目度が高い。S&Pグローバルが算出した7月のグローバル製造業PMIは48.7と、11カ月連続で50を下回った。50割れの期間は、2008年のリーマン・ショック直後の景気後退期に次ぐ長さだ。

これも本日の日経朝刊。

URL:https://www.nikkei.com/article/DGKKZO73434060X00C23A8EA2000/

決して景気の現状は楽観できない。

ただ、OCEDから米、英、仏、独をとって景気先行指数を確かめると、下図のようになる。


Source: https://shigeru-nishiyama.shinyapps.io/get_draw_oecd_lei/

先行指数だから景気の実態に対して先行性がある。半年かもう少し長い期間のリードタイムをみておくとよい。ということは、景気後退が心配されていたのは、今よりは少し以前のことであって、その心配が企業倒産増加や経営者マインドの悪化にいま現れている。こういう見方も可能だ。とすれば、先行指数はいま景気後退懸念が弱まりつつあることの根拠として使える。

日本の景気動向指数もほぼ同じ形をしている。
 

Source: https://shigeru-nishiyama.shinyapps.io/getdrawci/

先行指数が低下していたのは、(やはり)少し以前のことであり、ごく足元では底打ち気味である。今後半年間ないし1年程度の景気にそれほどの不安はないということだ。


足元の景気の実態は確かに弱いものがある。何となくネガティブにもなる。PMIもリーマン危機以来の長きにわたって50を下回っているという。

とはいえ、元の記事をみると、50を下回っていると言っても、ごく僅か下回っているに過ぎない。

濃い霧で何も見えなかったが次第に晴れてきた。が、薄い霧の向こうに何があるかまだシカと見えない。そんな心理に似ているのか?


2023年8月5日土曜日

ホンノ一言: マイナ保険証紐づけによる混乱は「乗り越えるべき壁」。ガラパゴス化の彼方には貧困化があるだけ。

 表題の件に関して岸田首相が

マイナ保険証への統合による保険証廃止を延期するかどうかの最終決定は延期することにした。

実質的にはこんな意思決定を当面はしたということだ。

何だかどこかのCMと同じだ。

止めるのを止めるってことは止めたわ……

どっちなんだよ!?

まさか、このコマーシャルに習って、「延期するかどうかは延期したワ」ではなかったと思うが、そう信じたいものだ。

小生は、何事も《進歩による利益》は日本人なら誰もが享受する権利をもつべきだと考える立場にいるので、マイナ保険証への一本化には賛成だ。

これは「幸福追求の権利」に直結する話で、誰かがそれは嫌だと言って守旧的な行動をするのを許すとしても、利益へのアクセスは国として提供するべきだという意味である。マア、明治初めの文明開化のご時世にあっても旧幕以来のちょん髷をしている御仁はいたし、それは犯罪ではなかったのと同じ道理である。

ただ、訳が分からないのだが、数日前にも

どうしても医者に知られたくはない病歴だってあるわけですよね。マイナ保険証だと、医師がこれまでの保険診療歴をすべて閲覧できてしまうので、それは嫌だと。そんな人もいると思うんです。ですから拒否する権利も認めるべきではないでしょうか?

こんな風に語るコメンテーターが某ワイドショーに出演していた。どんな病歴なら知られたくないと感じるのか、マア、察しはつくが、こんな言い分を認めるなら、そもそも社会主義的な「公的年金」、「公的医療保険」も加入を義務化するべきではないだろう。拒否する権利を認めるべきだ。自動車保険も自賠責などは廃止して全て個人の選択に任せるべきだろう。選択の自由を与えるべきだ。そんな理屈になる。かなり以前にも投稿したように、小生は利回りの低い公的年金制度に加入するのは、もともと嫌であった。年金保険料などは支払わず、全て自分で資産運用したかったのだ。もしそれが可能であったなら、いま現在の経済状況は一層良いモノであったと確信している。

「国民皆年金」、「国民皆保険」は、一種の《社会契約》で、自分には選択の自由があるという次元を超えているのではないだろうか?マ、諦めの境地にも近いのだが……

よって、多数の日本人にとって利便性があり、国際的にも利便性の向上が確認されていることなら、国ごとの手法の違いはあるにせよ《行政のデジタル化》を鋭意進め、プラス効果がマイナスの副作用を上回るよう制度を進化させるべきだと。そんな立場にいる。

効率化の遅れは、生産力の停滞、日本経済の衰退と同じ意味であるので、海外の富裕化、日本社会の貧困化を招くだけである ― もちろん不平等化の高まりにも注意して顕在化した問題には対処しなければならない。

行政とは関係ないことだが、日本のデジタル化の遅れを感じることがあった。実は、カミさんは小生名義の楽天カードの家族カードを持っていたのだが、先日、カミさん名義の口座を決済口座とする本カードを申請したのである。

楽天e-Naviは家族カードに登録しているIDとパスワードでログインしていた。本カードが到着後、色々な設定をしようと楽天e-Naviに入っても、新たに届いた本カードが表示されないことに気がついた。新規カードを追加する機能もあるのだが、本カードが認識されないのである。

これには困惑して、結局、楽天カードに電話した。先ずは家族カードを持っていた女性と新たに本カードを申請した女性とが、同一同名の別人物ではないことを証明する作業からスタートしたのだが、まあ、これは会社と本人が直接1対1で電話で話しているので、幾つかの確認事項を確認すればクリアされる。

その後、先方でなぜ本カードが認識されないか、データ内容を精査してくれた。すると何事にも原因はあるものだ。どうやら小生名義の楽天カードで登録している<小生の住所表記>と、カミさんが本カードを申請する時に入力した<カミさんの住所表記>が違うので、既存のアカウントから新規到着した本カードが見えないのだ、と。小生の住所「**丁目**番**号」とカミさんの住所「**の**の**」では異なった住所、異なった人物と認識するわけだ。

要するに、実質的には同じ住所なのだが、機械の上では異なる住所だと認識されてしまうため、同一人物が持つ家族カードと本カードを紐づけできないのだというのだ。

そしてもう一点。もともと使っていた家族カード側では登録電話番号が「いえ電」であるが、カミさんの本カードではカミさんの携帯電話番号になっていた。これも二人の女性が別人物であると推測する根拠になると言われた。

正にいまマイナンバーカードと保険証との紐づけ作業が泥沼化している原因と同じ状況が楽天カード紐づけにもあったわけである。

原因が分かったので、楽天カード本社の担当者が、カミさん本人の直接了解をとったうえで、本カードの住所を小生保有の登録住所にそろえる、家族カードの電話番号をカミさんの携帯番号に上書き修正することで、問題は解決された ― 家族カードは小生の本カードに付属している情報であるので、家族カードの登録電話番号を修正するには小生の承諾が要るはずだがそこは割愛する。いずれにしても小生も傍らにいたので承諾は当然のことでもあった。

こうして本カードがe-Naviからも認識され無事にカードを追加できた。


今回のトラブルでは、楽天カード本社が関係するデータを一元管理できているので、紐づけ不良の原因となっている個所を特定の上、楽天カード本社の権限でデータ修正ができたわけだ。しかるに、これと同じ対応は、デジタル庁も、総務省も、厚生労働省も、どこの都道府県、市町村も可能ではない。データ書き換えの調整権限がないのだ。現場のITエンジニアなら『〇〇さえ可能なら問題は短期間に解決できる」』という突破口が分かっているはずだ。しかるに、発注元の政治家と役人(それと国民も?)が「それは出来ない。それ以外の方法でやってくれ」と。まあ、状況はこんな所だと憶測している。

他にも、漢字氏名の読み方が分からない下でカタカナ氏名とのマッチングをどう行えばよいかという悪名高い難問などなど、作業を困難にしている原因は複数ある。そして、困難を解決するために必要な調整権限を与えられている機関はない。

転居だって頻繁にあるし、転職して加入する保険組合が変わることもある。マイナンバーをキーにしてマージで紐づけすれば人手などかけず一発でしょうに…

と小生などはこう思うが、一方のデータにマイナンバーが含まれていなければマッチングは出来ないし、原理的に出来るとしてもマイナンバー使用が紐づけ作業では容認されていないのかもしれない ― 小生の不勉強もあって現場をとりまく作業環境はよく知らない。


予想だが、来秋までの1年どころか、このままでは3年経っても、いや5年経っても10年経っても、マイナンバーとの紐づけ作業には不具合が発生し続けるだろう ― 不具合率は例えば入試センター試験のリスニングに用いるICプレーヤーの不具合率と同水準程度には収束していくかもしれないが、いずれにしても非効率なIT作業を延々と続けるという情況に変わりはない。

そして日本国と日本社会は、意図せずして「ガラパゴス化」し、効率の悪い貧困国への道を歩む……、民主主義と個人情報は守り抜きましたと、善意でやったことですと、その時の高齢者世代は現役世代に語るのだろうが、感謝されるかどうかは定かではない。おそらく、未来は未来で「失われた30年」と言ったりするのであろう……

大体、たった一つか、二つ位の価値を大事に守っていけば、後はどうでもよいことにならないのは、猿でも分かる道理だ。学者はともかく、社会を相手に長く評価される結果を残した人は、多くの複雑な目的を同時に追求して、その不透明さが嫌がられるようなタイプの人物だ。要するに、小人物は浅く器の小さい意見しか出せない。ところが理念が純粋な人は意見までも善いとされるところが日本社会にはある。危なっかしい。この点で、日本社会の傾向は、非・功利主義というより、「反・功利主義社会」ではないかと思うことがある。

それはさておき、まとめはこうなるか。

実施体制が出来ていない。デジタル化はおろか、第一歩のマイナンバーカードと保険証データとの紐づけさえも苦労するのは、問題の概観と作業課題の整理、課題解決を行う組織戦略が確立されていないが故である。

要するに、準備不足。 

この一言ではないかと観ている ― 「戦争」などという国家プロジェクトに取り組める国ではないという事実が明らかでありんす、な。と同時に、

日本人には行政効率化への理解と覚悟がまだできていない。

そもそも理解などは期待しても難しいのである。だから、せめて覚悟が出来ていれば十分なのだが、信頼性に欠ける政府が進める新規政策に(突然?)<覚悟>を求められても、怪しすぎてとても覚悟など出来ない、というのが現状かもしれない。


幕末の時代、坂本龍馬は「日本を今一度せんたくいたし申候」と言ったそうだが、洗濯されるなど迷惑千万。そう感じる日本人が多数派を占めているなら、実行は無理である。幕末にそれが可能であったのは、少数の過激・討幕派が錦の御旗を手に入れたからであって、民主主義の勝利ではない。

とはいえ、現状をもって戦後日本の民主主義の失敗と言えるのかどうか、中々、難しい問題だと思う。そもそも「戦後日本」と一口に言っても、「昭和の民主主義」と「平成・令和の民主主義」は似て非なるものでござんすヨ。

【加筆】2023-08-06、08-07



2023年8月2日水曜日

ホンノ一言: 『税金が入ってますから自腹と言うのはデマです』という見事な妄言

自民党の女性議員たちが(男性議員も多数参加同伴していたようだが)フランスに「研修旅行」に行き、集合写真ばかりではなく、まるで遊んでいるようなノリで撮影した写真をSNSにアップしたという不行跡(?)が世間を騒がせている。

一部には「こんな些細な事でクレームをつけるのは嫉妬だ」と指摘するお方もいるかと思えば、リーダー格(?)の松川議員が「党費と各議員の自腹で渡航しているので公費による渡航ではない」と語ったのに対して、2チャンネルの創業者は「自民党には政党交付金として、税金が159億円投入されています。旅費が党費で支払われてる時点で自腹ではありません。フランス研修が自腹というのは明確にデマです」と反撃したよし。

まあ、ちょっとした騒動になっているわけだ。

最近は《うらやまけしからん》という形容詞もある位だから、堀江氏のように贅沢な研修旅行を楽しんだ国会議員エリートが世間の凡百の大衆から妬みをかっているのだ、と。そう言われればそんな気もするが、しかし「普通に暮らしている人が研修旅行を楽しんだ(?)女性議員達にそれほど嫉妬しているかナア?」と、そんな疑問も感じる。

むしろ、問題の女性議員達がアップした写真に反映されている感性が、まあ「可愛い」とも言えるのだが、何だか所作動作とも非常に幼稚で、まるで大学のゼミ旅行ではないか。そんな感じに近いのではないか?嫉妬ではなく、国会議員達が余りに幼稚で、幼く、失望に値するような行動履歴を目にして、何だか自分の子供がテストで落第点をもらって帰った時にも似たような、「情けなさ」の余り、力も抜けるような落胆を覚えた。こう表現するほうが正確ではないのか。そう感じた次第。

それより2ちゃんねる創業者の「ひろゆき」氏だが、言っている意見はちょっとおかしい。

例えば警察官は税金から給与をもらっている。その警察官家族が子供の夏休みに家族で旅行に出かけるとする。

公務員の給与は税金そのものだ。家族で旅行を楽しむとしても自腹で旅行に行ったというのはデマである。

こう言ってよいのか?同じ理屈ではないか?

警察官のお父さんは「今回の旅行は私の自腹です」と言うはずだが、この言い分は間違いなのか?

「税金が入っている以上、自腹ではないですね」という御仁は、かなり飛んでいる人で、真面目に話をきくのはバカバカしい。それどころか、何だか納税者の優越的地位の濫用にならないかと心配だ。相手を従属的地位に抑え込もうという意図が透けて見えて下品である。分厚い財布をとりだしながら『兄さんがいま使うたその金ナア、そもそも誰のカネやった思うとるネン?尊いカネなんやデエ』と強面でどやすような御仁は紛れもなく下品と思いませんか?なので、これは多勢の納税者集団による個々の公費利用者に対する数を頼んだパワハラではないかとすら感じる。

警察官(とは限らず公務員ならそうなるが)の家族旅行は、税金が入っている以上、自腹で払うプライベート旅行ではない、と。それほど言うなら、更にロジカルに考えて、家族旅行中に事故にあった場合も「公私の公」、つまり業務災害と認識するべきではないか?

公務員たるもの税で生計を立てている以上、行住坐臥、公のために尽くしているのである、いや尽くすべきなのだ、と。こうなる筋道ではないか?

まるで江戸・旧幕時代のサムライである。


別に松川議員の肩を持つわけではないが、松川議員が言いたかった主旨を小生なりに推測してみよう。

そもそも旅行目的は私費が入る「私用」であった。「公用」ではない。公用で出張するのに私費で一部を負担するはずがない ― パスポートが緑や茶の「公用旅券」ではなく、赤か紺の「一般旅券」であったかまでは分からないが。政党交付金の財源はなるほど「税」である。それは政党が果たす公共的役割を日本社会が認識しているから制度化されているのである。自民党だけが政党交付金を受け取っているのではない。一方、私たち(=議員団)が受け取ったカネは「政党交付金」ではない。自民党の「党費」から支給された。色々な産業補助金を受け取る民間企業は利益がその分だけ増える。補助金には税が入っている。それが企業利益になっている。政党交付金は政党活動への補助金なのである。自民党は自民党のために使う。自民党の党費から旅費を補助される以上、自民党という一つの政党の利益になるように活動するのは自民党議員としては当たり前である。誰と会い、どのような活動をするかも裁量に任されている。公のための旅行ではないのです。そんな行為を反自民党の立場にいる国民は歓迎しない可能性は大いにある。こういう理屈になるのではないですかネエ…

例えば、税金が投入されている科研費から半額を補助されながらフランスで開催される国際学会に出席する大学教授がいるとする。確かに財源は「税金」である。しかしこの大学教授は「税金」を受領したとは思わないだろう。そもそも税金を受け取る権限があるのは国税庁だ。一人の大学教授に国民の税金を受け取る権限があるはずがない。受け取るカネは文科省 ― 日本学術振興会が実施組織だが ― から支給される「科学研究費補助金」と認識しているはずだ。財源が税金であることは意識する義務はないし、意識せよというのであれば、上の警察官の家族旅行を云々する愚か者と同じレベルになる。学会に出席すれば、懇親会にも出席するし、ダンスもする。最終日には親睦のための旅行には参加するし、「お近づきの印」に何枚も写真をとり、SNSにアップする位の事は多くの人がするだろう。

はしゃぐ様子に幼稚さを感じガッカリしたものの、大した問題ではないと思いますがネエ。誰かが仕組んだ言いがかりじゃないの?……こんなまとめになるのではないか。

(注)「公費」という場合、「私たちの税金です」という言い方は、近年の日本では間違いで、「税金も少なからず入っている」と言うべきだが、細かい点なので省略する。以前にも同じような話題で投稿したことがある。


【加筆 2023/08/03】

件の「研修旅行」に松川議員は娘を連れて行き現地の日本大使館職員が娘の世話をしたとの報道があるようだ。旅行が公私の私と言いたいなら、これはアウトだ。が、同議員は外務省OGであるので大使館に友人がいたのかもしれず、娘の世話は友情によるものであったかもしれず、友人が週末にお嬢さんに「パリ案内」をするというなら特に問題ではないと思う。とはいえ、尾を引く状況になってきたようで。何ごとも「油断」、「鈍感」というのは失敗のもと。怖い、怖い。世間の口が怖いというのは「源氏物語」の昔から同じである。「研修旅行」などは自民党の政党活動なのだから、政敵も見ているオープンなSNSには投稿せず、FBには多数設けられているクローズドなグループ内に限った内輪のやりとりにすれば良かったのだ。