2011年4月30日土曜日

おすすめリンク集(4月30日)

今週、記憶に残った記事は以下のとおり:

まず記事というよりか調査報告だが下の結果。
報告概要を読むと、どうも楽観的な見通しのような気がしてくる。

次に被災地復興について
「中央公論」掲載の震災関連の時論(大竹文雄氏のブログ)
復興の序盤は市場よりは計画が効率的という指摘以下、ほぼ小生も同感です。次の国有化提案だが著者の佐藤氏はややドライな紹介をしている。ただ被災地復興において国の土地買い上げが最も手っ取り早いという発想は理にかなう。
取得は現金で払う必要はなく、市場性のない交付公債がよい。土地を利用した事業が軌道に乗ってきた段階で、国が払い下げて交付公債とチャラにすれば良い。

東京電力関連の記事も相変わらず出てきている。やや古いのも混ざるが下を紹介する。
某評論家の発言について(切込隊長氏のブログ)
どうも耳に入る情報を総合すると、経団連を軸とする日本株式会社トップ層は菅政権との正面衝突已むなしとの決断をしたようだ。東京電力の経営瓦解が電力体制の改革を導き、それが徹底的な自由化を招き、外国資本が続々と日本に参入するという流れを経済界は最も警戒していると見る。良い意味でも、悪い意味でも、これが日本の本当の保守層である。小泉純一郎政権も完全突破はならなかったJapanese Establishmentの岩盤である。三番目の記事は、個人名が登場し井戸端会議風ではあるが、評論活動をする上での覚悟のようなものを論じており、やはり必見ではないかと判断した。

東電問題についてだが、個人的には決して好きではない菅政権だが、ここは踏ん張ってもらいたいというのが小生の気持ちだ。しかし、諸々の条件を考えると日本株式会社経営陣を相手に到底勝ち目はなく、まずは首相必敗の権力ゲームである、と見る。これは労働サイドの弱体化と裏腹の関係でもある。

最後に海外から二つ。一つ目はタイトルからしてショッキングだ。聖域をもうけずディスカッションをしてみようというアメリカ社会は実に健全だと感じる。間違うこともあるが、(正解があるのなら)間違いに気づき、正しい選択をする仕組みが備わっている社会ではないだろうか。ひょっとすると民主主義の恩恵とはこういうことなのかもしれない。
次は内容は月並みだが、アメリカで定期的に出てくるトーン。

2011年4月29日金曜日

今後の生産の皮算用

昨日(28日)公表された鉱工業生産指数の中身は以下のようだった(経済産業省HPより):


1. 生産
 3月の生産は、前月比▲15.3%の低下(前年同月比は▲12.9%の低下)となり、指数水準は82.9(季節調整済)となった。生産の低下に寄与した業種は、輸送機械工業、一般機械工業、化学工業(除. 医薬品)等であった。品目別にみると、普通乗用車、駆動伝導・操縦装置部品、小型乗用車の順に低下に寄与している。


2.出荷
3月の出荷は、前月比▲14.3%の低下と2か月ぶりの低下(前年同月比は▲11.8%の低下)となり、指数水準は85.3(季節調整済)となった。出荷の低下に寄与した業種は、輸送機械工業、一般機械工業、化学工業(除. 医薬品)等であった。



3.在庫
 3月の在庫は、前月比▲4.3%の低下と4か月ぶりの低下(前年同月比は3.4%の上昇)となり、指数水準97.6(季節調整済)となった。在庫の低下に寄与した業種は、輸送機械工業、電子部品・デバイス工業、一般機械工業等であった。
 3月の在庫率は、前月比4.0%の上昇(前年同月比は4.9%の上昇)となり、指数水準は108.5(季節調整済)となった。  (以上)


特に乗用車の生産が全体の低下に寄与したというのは予想通り。在庫をみると輸送機械(乗用車ほか)が減っている。これは生産が低下したので在庫を取り崩して出荷したため。これとIT関連が在庫減。被災した東北地方にはITメーカーが集まっている。サプライチェーンが寸断され部品在庫で何とかしのいだが、夏前に在庫切れになるという報道はこの関連だ。それにしても、想像したほどの大幅在庫減になっていない。生産低下が急速だったから、在庫率は上がり、産業全体ではかえって荷もたれ感があるくらいだ。マイナス方向の生産スピード調整すら起こりうる。


ただ4月、5月の予測は以下のとおり(経済産業省HPより):


 製造工業生産予測調査によると、4月は前月比3.9%の上昇、5月は同2.7%の上昇であった。4月の上昇は、一般機械工業、輸送機械工業、電気機械工業等により、5月の上昇は、一般機械工業、情報通信機械工業、化学工業等による。

3月の実現率は▲19.8%、4月の予測修正率は▲15.9%となった。(以上)


15%低下して夏までに低下分の半分を埋めることができるかどうか。残り半分を秋までに埋めて、10月以降は復興需要顕在化で急速拡大!?。

多分、政府はこんな皮算用を描いているのであろう・・・とらぬ狸か。


大体、エネルギー事情が根本的に悪化しているのに、元に戻れるのか?
成長戦略の議論を早く再開して、先取りしていかないと。エネルギー計画見直しも遅々としているし、全くどうなっているのでしょうね。

マグニチュード8クラスの地震が東京直下で近日うちに起こったら乗り切れるのか。政府機能を分散化する議論すらされていない・・・(国会があるからだろう)・・・いまの内閣に危機管理意識は本当にあるのだろうか?甚だ疑問だ。


最後にもう一つ補足。原発への国民感情が悪化していて、どの電力会社も運転再開をためらっている。東電管内で電気が足らないから西日本から回してもらおうと考えて、周波数変換増強などと言っているが、西日本でも夏には電気はそうそう余らない方向だ。これも絵に描いた餅だ。

2011年4月28日木曜日

大震災とマクロ経済統計の精度

経済産業省調査統計部から昨日(27日)メルマガが届いた。3月の商業販売額だ:

本日8:50発表の商業販売統計速報3月分のポイントをお届けします。

3月の小売業販売額は、東日本大震災の影響などにより前年同月比▲8.5%の減少、季節調整済前月比▲7.8%の減少となっています。前年同月比の推移を見ますと、1月0.%、2月0.1%、3月▲8.5%と推移し3ヶ月ぶりの大幅な減少となりました。業種別にみますと、震災の影響に加え、エコカー補助金が終了した影響などにより自動車小売業が▲32.8%の減少、薄型テレビが低調だったことなどにより機械器具小売業が▲17.3%の減少、百貨店・スーパーが不調であったことにより各種商品小売業が▲10.1%の減少となりました。一方、石油製品価格が上昇したことなどにより燃料小売業は5.1%の増加となりました。
3月の卸売業販売額は前年同月比0.5%の増加、季節調整済前月比▲11.3%の減少となっています。前年同月比では8ヶ月連続増加となっています。業種別にみますと、原油及び粗油や石炭の輸入増に加え、鉄鋼の輸出入増などにより鉱物・金属材料卸売業が9.9%の増加、通信機や音響映像機器(含部品)の輸入増などにより機械器具卸売業が2.6%の増加、穀物類の輸入減のほか、東日本大震災の影響による、野菜、水産物等の取扱い減などにより農畜産物・水産物卸売業は▲13.4%の減少、各種商品卸売業が自動車、同部分品の輸出減などにより▲7.5%の減少となりました。
被災地の数字ではなく全国ベースの数字だ。やはり前月までの水準に対して10%程度は落ちていて、これは新聞報道などから伝わっている実感と合う。(注: 卸売販売の前年同月比が0.5%増加というのは不自然。昨年の3月に特殊原因の凹みがあったのだろう・・・ちょっと思い出せないが)。


いま届いた日経速報メールでは「3月の鉱工業生産指数、15.3%低下 過去最大の落ち込み」とあった。15%減!足元の生産はマイナス10%というエコノミストの中位予測は少々甘かった。個人的感想だが、確報、更には生産動態統計ではなくGDPの確報でも使用する工業統計が出れば、もっと生産は落ちているような気がする。


さて、日本のマクロ経済の中間決算とも呼べるGDP統計はどう出るだろう?
大震災の影響は受けないのだろうか?


内閣府は2011(平成23)年1ー3月期四半期別GDP速報(1次速報値)における推計方法の変更についてを発表している。GDP速報値は生産側が4割程度、需要側のデータが6割程度のウェートで使われているが、基本は消費需要、住宅需要、設備投資需要、在庫投資需要、政府支出、輸出入を個別に推計していく手順をとっている。


最も困難を極めるのは<在庫投資>だろう。上の販売統計や生産統計をみても、3月の落ち込みは10%以上はある。生産と需要は結果としては売りと買いで同じ金額になる。だから生産が落ちていれば必ずGDPは落ちており、需要の合計も落ちている。


3月は消費や投資も落ちたが、それは品不足のせいだ。買いだめが多量に発生したことを思えば消費支出は増えている可能性もある。その一方で在庫が払底している。<必ず在庫投資は大きなマイナス>になっているはずだ。


在庫投資の出し方は内閣府の資料では次のように解説されている:
民間在庫品増加(原材料在庫及び仕掛品在庫)については1次QEにおいてはARIMAモデルにより推定している。ARIMAモデルでは予測しえない顕著な在庫変動が判明している石油について「石油統計速報」の月末在庫数量の情報をARIMAモデルによる推計値に加味し、民間在庫品増加(原材料在庫及び仕掛品在庫)を推計する。


ARIMAモデル、つまりは従来の変動パターンを外挿して延長するという方法なのだが、今回の場合はそれではフォローできない。石油については参考データで加味すると記載されているが、震災の影響はミネラルウォーター、日常品などあらゆる消費財の動向におよび、また建設資材の在庫、自動車部品、IT関連の在庫も払底している。


2次QEでは法人企業統計が出てくるので少し精度はあがる。しかし被災地所在の企業が統計調査にどの程度回答できるのか、これまた非常に不明である。


もっとも今回推定しているのは1ー3月期だ。3月の数字が一部わからないのも困ろうが、しかし次は4ー6月期の数字を推定しなければならない。こちらのほうが本質的には難しいのではないか。


GDP推定に曖昧さが出てくると、潜在的な生産能力の把握も定かでなくなり、経済成長率の数字もどの程度信用していいのか分からなくなる。日本経済のバイタル情報が追跡できなくなるという決定的状況に立ち至る。


GDP統計はまだ作れる。資本ストック統計はどうか?地震と津波による損壊は資本偶発損として計上しなければならない。おそらくそれは当面は<推定不能>であろう。


しばらくは日本のマクロ統計作成に目が離せない。

2011年4月27日水曜日

私感ー東京電力の責任

福島第一原発事故に関する東京電力の責任や今後行うべき処分については、小生の知る限り小宮一慶氏の「東電に公的資金を投入するなら、まずは株主と経営陣の責任を問うべき」に要点は尽きていると思う。

今日は上記の小宮氏の見解では十分とりあげられていない面に着目して東電の事故責任はどこまであると考えるべきかを整理してみたい。

原発事故に関する法制度としては周知のように原子力損害賠償法があり、事故の過失・無過失を問わない無限の責任が電力事業者にあるというのが現在の考え方だ。また異常に巨大な天変地異によって事故が生じた場合には事業者は賠償義務を免責されるという規定もあり、最近では免責の可能性も議論されている。

過失の有無を問わず<事業者>が無限責任を負うというのであれば、もはや議論の余地はない。責任を負う東京電力の支払い能力が問題となるのみである。

もちろん世の中には米倉経団連会長のように今回の原発事故について東電に全く責任はないという意見を主張する人もいるし、反対に事故の原因は東電の過失であり全て東電にのみ責任があると考える人もいるだろう。最終的には事実関係をすべて詳細に確認した上で裁判の場で決められるべき事柄である。おそらく損害賠償をめぐって数えきれぬ程の訴訟があるだろうから。

ここでは原賠法とは別の地点に立って、常識的には今回の福島原発事故の責任についてどんな論理になるのかを考えてみたい。

電力市場は極端に異質な業界である。まず電力販売は地域別の完全独占体制になっている。電気料金は公共料金であり、値下げは届け出でよいが、値上げには経済産業省の認可がいる。電気料金は顧客と企業のバランスで決まってくる価格とは言えない面があることをまず確認しておこう。

電気料金は国の認可で決まるものだが、基本的には<電力原価+一定率のマークアップ>という総括原価方式で決まる。つまり原材料価格が上昇する一方、製品価格が低迷して経常損失が続くという状況は制度的に避けられている。これが電力の安定供給というものだが、その中で発電施設の運営については十分な安全が求められている。特に原子力発電については専門の行政組織、専門委員会が設けられてきたことは今回の事故で国民周知のことになった。

そうした体制の下での事故だったという点が重要である。

原賠法の責任原則がないと仮定すれば、一般的には過失責任主義が採られるはずだ。つまり故意又は過失によって損害が発生した場合には賠償義務が生じ、無過失の場合は損害賠償義務は生じない。

しかし、今回の場合、東電に過失があったと考えるべきだろう。それは国会の委員会で安全についての疑念が呈されたことがあるし、先頃ロイターが報道したとおり、そもそも東電社内の技術陣までが福島第一の津波対策の不十分さを認識し、議論もしていたとのことであって、当面はこの2点を挙げるだけで十分だと思う。現に女川原発や福島第二原発は重大な事故には至っていないという事実もある。

東電に過失があったとなると、今度は東電の過失の可能性に十分注意を払って行政指導をしたかという経済産業省や原子力安全委員会などの過失も当然問われることになる。

つまりは、東電と国にそれぞれ過失があったはずだと認識するのが正しい訳であり、生じた損害の何割をそれぞれが負担するかという問題になる。おそらく自動車事故と同様で、どちらかが100%の責任を負うとは考えられまい。

東電の過失はどの点に着目して問われることになるだろうか?第一に施設建設、施設運転、施設補修等の側面で違法性がなかったかどうかであろう。第二に、単なる適法性にとどまらず、安全に対して「善良なる管理者の注意義務(=善管義務)」を払っていたかである。過失の軽重は主としてこの二点から判断されることになるだろう。特に、「想定外」の津波が原因となって電源を喪失し事態の重大化に至ったという時の想定外が本当に想定外であったのか、善管義務に反する点はなかったのかが議論の焦点になるのは必至である。

もちろん確率的な事象について議論をする際には、単に懸念される事柄が発生する確率は十分小さいということを主張するだけではいけないのであって、実際にそのような事柄が発生する場合にはどんなことが予想されるのか、更にどのように対応するのかという所まで検討しなければ、安全管理という名には値しない。この点で今回の事故を報道を通して観察する限り、東電に大きな落ち度があることは、概ね確実だと考えられる。

では東電が所要の経営判断をして、支出するべき投資的経費を計上して、その費用負担を電力料金に含めて回収することが経営者の裁量的権限で自由にできたのだろうか?おそらく千年に一度の大津波に対応するために必要な支出であるという理由だけでは経済産業省はその必要性を認めなかったのではあるまいか。今回明らかになってきたように経済産業省内で主流派は安全管理を所掌する部署ではなく、原子力発電の普及を図る部署の方だと聞く。原子力発電を安全に運転するためのコストが実は相当に高いものであるという考え方は、たとえ提案があったとしても抑えられたのではないか?もしも電力市場への参入や退出がある程度自由であり、不十分な安全管理体制で電力供給責任を果たすことにリスクを感じ、市場からの撤退を検討できるようであったなら又事情は異なる。しかし、現実には市場からの撤退はおろか特定分野の事業縮小、事業拡大といった経営者なら当然持つべき裁量も、国の「エネルギー基本計画」を定期的に策定する政府によって強く制限されていた。

言いたいことは、つまりこういうことである。今回の原発事故で裁かれるべき主体は先ずは東京電力であるが、それと同時に、というよりそれよりも電力行政を司ってきた経済産業省の責任が徹底的に問われなければならない。

論理的には以上のように考えるのが筋だと思われるのだが、そうなると今回の事故は環境汚染という点ではチッソによる水俣病事件、あるいは足尾鉱毒事件と類似しているようだが、国の意思決定が企業行動に深くコミットしていた側面をみれば寧ろ薬害訴訟事件とより多く共通しているとも考えられる。

こう考えるなら、今回原発事故において政府の責任は少なくとも水俣病のケースよりも大きく、薬害エイズ事件と比較しても公益事業を経営する東京電力には製薬企業ほどの経営の自由があったとは考えられず、政府の責任はより大きい。そう考えざるを得ない。

近頃、東京電力を救済するかのような処理案が噂され、それに対して救済するべきは被災者であり東京電力ではないという意見が提出されている。しかし、全体像を見れば東京電力は前線の師団であり、経済産業省は参謀本部である。敗れた師団を糾弾するのも救済するのも議論としては当然ある訳だが、真っ先に考えなければならないのはそのような戦略、作戦を立案した参謀本部であろう。百歩譲ったとしても、今回の事故調査に対して経済産業省に責任をもたせるべきではない。

2011年4月26日火曜日

日本発のサプライチェーン危機

 日本発の金融危機の可能性は何度も耳にしてきた。まずは国債増発、確かにそれは無際限とも無責任とも思われ、外国は恐怖を感じるはずだ。以前は日本の銀行の不良債権問題。ゾンビ企業の際限のない延命。それまた無責任と海外には映ったに違いない。いや全く日本人とても相当同感である。金融セクションは、日本の金融機関の国際競争力をも含めてウィークポイントだったのですな。だから多くの人が心配していた。
 製造業で外国に心配をかけたり、迷惑をかけたりする可能性はまず持ってはなかったはずだ。それが現実になっているのだから、この世の一寸先は闇である。
 本日の日本経済新聞に以下の報道がある。新聞は後で読めなくなるかもしれないので、この場に引用させていただいている。
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 【ニューヨーク=小高航】米主要企業の間で、東日本大震災の業績への影響が表面化してきた。米自動車部品最大手のジョンソン・コントロールズは25日、日米での完成車生産の混乱に伴い、4~6月期の売上高が5億ドル(約410億円)減るとの見通しを発表。半導体や衣料分野でも業績の減速傾向が出ている。「影響は短期的」とみる経営者も多いが、製造業を中心に先行きの不透明感への懸念が強まっている。
 自動車のシートや電子部品を製造するジョンソンは25日、4~6月期の売上高と利益の見通しを下方修正した。年40億ドルと売上高の約1割を占める取引先である日産自動車など日本の完成車メーカーが、日本や北米で大規模な減産を実施。納入する部品が減る結果、四半期売上高の約5%に相当する5億ドルの減収が見込まれるという。
 これに伴い1株利益も0.16~0.18ドル減少。震災の影響がなかった場合に比べ、25%程度の減益になる。同日発表した1~3月期決算は純利益が前年同期比で29%伸びる好内容。世界的な自動車市場の回復が鮮明になるなか、震災がブレーキになりつつある状況が浮き彫りになった。
 同社のロエル最高経営責任者(CEO)は「震災の影響は短期的なもの。年後半に挽回できる」と強調。2011年9月までの通期決算では、売上高の見通しを逆に上方修正した。ただ、25日の米株式市場で同社株は3%近く下落した。
 一方、半導体大手のテキサス・インスツルメンツは先週、茨城県にある主力の美浦工場が被災した影響で、4~6月期の1株利益が0.10ドル減るとの見通しを示した。同工場ではすでに生産を部分的に再開したが、フル生産への移行は7月中旬になると見込んでいる。
 製造業以外でも、日本に拠点を持つ外食や小売りで業績への影響が出始めている。日本に約150の店舗を持つ衣料大手ギャップは、3月の売上高が前年同月比で8%減少。震災も一因との見方を示した。
 米主要企業の経営者はこれまで「現時点で影響は軽微」(米ゼネラル・モーターズ=GM=のアカーソンCEO)と状況を精査する姿勢を強調していた。ただ、各社が決算発表を本格化するなかで、一部企業で具体的な業績への影響が顕在化。今後も製造業を中心に余波が広がる可能性がある。
(出所)2011年4月26日10:49発、日本経済新聞WEB版より引用。但し、下線、赤字は筆者による。
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別の報道によると、3月の日本の自動車生産は前年の50%程度ではなかったかと憶測されている。それは4月以降もそれほど解決されていないのではないかと想像される。エコノミストの中位予想では足元の鉱工業生産指数は前年比10%減程度と見ているようだ。しかし、常識的に考えて、東北の生産がほぼ壊滅状況であるとすれば、西日本で50%内外の猛烈な生産拡大がなければ追いつかない計算だ。しかし、サプライチェーンが寸断されていれば、西日本で正常な生産が続行できているのかどうか甚だ不明だ。
日銀は初夏から秋口へと生産回復を後へ段々とずらしている。これもまた将来予想の逐次修正だ。時間との勝負で問題を解決している状況下では甚だ良くない行動パターンである。
<いずれは>復興需要が発生して需要が増加する段階にはなる。しかし、生産システム立て直し期間中の落ち込みをいかにコントロールするかにおいて、市場が効率的に機能しているか、十分に注意する必要がある。市場は、つまりは価格メカニズムであり、低コストの情報処理システムではあるが、ディーゼルエンジンの起動と同様、一度混乱してしまうと自発的かつ速やかには再起動しない。(4/26以下削除)加えて、霞が関の規制本能。価格メカニズム活用への感覚的嫌悪感がないとは言えない。
状況に応じて<行政指導>が必要になることは念頭におくべきである。市場原理主義もそうであり、何事もそうだが、〇〇原理主義は問題解決には全く有害無益である。

2011年4月25日月曜日

今年度の経済成長見通し(日銀): プラス1.6%からプラス0.8%前後に

今日の報道によると、日本銀行は2011年度の実質GDP成長率の見通しを標題のように半分程度に下方修正するとのことだ。

東日本大震災によるサプライチェーン崩壊で多くの生産活動が停止状態にあることは何度も報告されている。その落ち込みが秋以降の復興需要で回復されるという筋書きだ。

この数字をみてちょっと吃驚したのは、これほどの大災害であるにもかかわらず、今年度もプラス成長するのか、というか、出来るのかという点。

これは成長のゲタの話しでもあるのだが、年度当初までずっと100の生産であったのが、以後、101、102、103、104と拡大して、平均では102.5になれば2.5%成長になる。これが最初に90に落ちてしまって、夏場の節電で95、秋には元に戻って100、その後110と急回復しても、平均では98.5。やっぱりマイナス成長で、成長率半減などではすまない。

よほど秋から冬にかけて需要が莫大な額で出てくる。そのように前提しているのだなあと解釈されるのだが、それには財源調達にケリがついていると仮定していることにもなる。それが増税で賄われるとなると、100の所得を100の復興へという形の移し替えになるので、需要はあまり増えない。では国債増発だと?本当に低金利で売れるのか。どうしても心配になる。国債を国内金融機関にはめこむには、銀行などはどうしても米国債を売るのじゃあないか?しかし、低金利継続、輸出低下でトレンドが円安だとすれば、銀行はまだしも米国債の方を持っていたいはずだ。本当に復興債なんて売れるのか?

ま、今後、詳細な情報が出てくるだろうから期待したいところだ。

それにしても「失われた20年」と言われながらも、日本の実質GDPがこの10年も増えている事実は、決して当たり前のように天から授かったものではない。下図はまた世界経済のネタ帳に作ってもらった。

[世] 日本の実質GDPの推移(1980~2011年)

上のグラフをみると、2001年度から2010年度(実績見込みであろう)までの10年間で7%強拡大している。年平均では1%にもならないが、労働力人口は減る、マーケットは縮む、リーマンショックはある、それでこの数字だ。今年38歳になるイチロー選手のようにはダイナミックでないが、現役の日本人は本当によくやっているなあ、と小生は感じるのだが、どうだろうか。

戦前の日本人も下のグラフのように頑張っていた。とにかく人口が増えていましたから、ね。戦前はとにかく第一次世界大戦の特需のあと一気にバブルがはじけ、その最中に関東大震災があったものだから、日本は大変苦労した。しかし図にみるとおり1920年代の失われた10年を経て、1930年代には輝きを取り戻している。重工業化の時代で、この時の技術がそのまま戦後日本の復興に生きた。


(データ)大川一司・篠原三代平・梅村又次「長期経済統計1 国民所得」から粗国民所得

直近のグラフをみて改めて分かること。大震災の今年にプラス成長できたとしても、やはりリーマンショックの傷跡は明らかだ。世界規模の金融パニックは文字通りの大災害、グローバル・ディザスターとも呼べる大事件であった。天災を制御することは難しい。しかし経済活動は人間がやることだ。恐慌には清浄化作用などのメリットもあると言われたりするが、そのメリットなる作用は本当に巨額の損害を上回るほど大きなメリットなのか?

多くの人が不安定よりも安定を望むのであれば、社会を安定化することの意義をもう一度考えるべきかもしれない。

たとえそれが市場の自由な活動を少し制限して、計画経済的な要素を少し導入し、経済が少し不効率になって、毎年のGDP成長率が1%から0%に下がることになるとしても、だ。それでもなお、人口減少社会で一人ひとりの視点に立てば、高い生活水準を守る、否、より高い生活水準を実現して行くことだってできるわけだから。

2011年4月24日日曜日

小鳥の話(4/24)

2010年4月15日。何年も可愛がっていた白い文鳥が死んだ。

2010年5月15日。私は白い文鳥を絵に描いて飾った。いい出来映えの小さな絵だ。

2011年1月25日。誕生日。私は降る雪の中を歩いて家に帰っていた。蝶の形をした雪を見つけたのは小枝をはらおうとして手を上げたときだ。はじめて見る柔らかい羽のような雪はすぐにとけ、手の上に小さな芯のようなものが残った。氷に違いないその芯は、いつまでもとけず、街灯の光の下で輝いた。部屋に戻ってルーペでみると、1mmもないその粒は拡大されて、透明な小鳥になった。その透明な粒子をむかし西表島で集めた星の砂が入っている小瓶に落とした。寝室の壁に飾っている絵が真っ白なキャンバスに戻っていた。

2011年4月15日。絵の消えたキャンバスの上に死んだ文鳥の絵をまた描き始めた。

2011年4月23日土曜日

おすすめリンク集(4月23日)

今週も多くの記事を読んだ。大震災、原発事故、かと思うと増税、国債増発、中国の成長などなど誠に世の中は騒然としている。


おそらく幕末という時代も騒然としていたのだろう。考えられないことが立て続けに起こって、世の中全体が全く違った有様になってしまった。そんな感じか。福沢諭吉が晩年に「私は二世を生きた気持ちだ」という意味のことをどこかで書いていた。二つの世の中を生きたという意味だ。そんな一大転換が10年ごと、20年ごとに来られちゃ、かなわない。ついていけない。それは誰でも共通だと思う。


でも幕末と維新の時代にもお茶を喫したくなる一時はあったろうし、男女の出会い、家族の絆は同じであったろうと思う。そんな共感は時空を超えて伝わるのだな、やっぱり。


最初に挙げるのは田中秀臣氏の<おすすめリンク集>、マトリョーシカのような入れ子構造ではあるがお許し願いたい。


次に自民党の小池百合子氏がProject Syndicateで公表した文章。このサイトは超一流の寄稿者で知られている。書かれている内容自体は意外と平凡だが、日本の国会議員のしっかりとした意見になっていると小生は思う。

次に電力問題について、最初は佐藤健氏のブログから

価格は社会経済で非常に重要な役割を果たしており、時に「神の見えざる手」とも形容されるのだが、次の野口悠紀雄氏の意見とも相通じている。これは2008年の記事だから多少旧聞に属する。
現在進行中のTPP参加の是非を議論するときにも、賛否は別として各自が熟考を要する意見だと思う。

原子力発電関係は非常に記事が増えてきた。考える時間が必要だった、ということかなあ。4月上旬で少し時間が経過したが八田達夫氏の
池田信夫氏の
池田氏はご自身のブログ他にもエネルギー関連で多くの意見を公表している。
切込隊長氏の
社会を運営するには専門家が必要だし、専門家は行動プランについて説明を行い、多くの人から理解を得る、そのための努力を惜しんではいけない。この点は、一般論としては、誰でも分かっているのだが、情報を伝達するメディアが何をどう伝えるか。それと、人間は一つの動機しかもっていないわけではない。だから言っていることは正当でも曲解されることはままある。そこが世の中の難しいところだ。邪推という奴です、な。またまた福沢を出して恐縮だが、人間の劣情はそれはそれで可愛いところがあり、半ば憎むべきであるが、半ば愛しうる面もあるのが普通だ。しかし、こればかりは許せない。それは<嫉妬>であると書いている。嫉妬の感情は害悪のみを流し、何の価値も生み出さない。現在の世の中にも放射能汚染のごとく<嫉妬の感情>が社会に障害を与えていないか・・・いや、これは話が広がりすぎた。また別の機会に。

かように浮世は中々生きるのが難しいのだが、被災者は更に困難な状況に置かれている。岩本康志氏の
これは現在の政情の現実を伝えている。

最後に海外の意見から
前者はリスク評価の問題で経済学のティピカルな問題。非常に面白い内容だ。後者はある意味で怖い。一部を引用しておこう。
Eventually, most likely after 2013, China will suffer a hard landing. All historical episodes of excessive investment – including East Asia in the 1990’s – have ended with a financial crisis and/or a long period of slow growth. To avoid this fate, China needs to save less, reduce fixed investment, cut net exports as a share of GDP, and boost the share of consumption.
The trouble is that the reasons the Chinese save so much and consume so little are structural. It will take two decades of reforms to change the incentive to overinvest.
常々不思議に思っていたのは、安い輸入品が増加してデフレが解消できず失われた20年になってしまったという解釈だ。日本で高く販売されているなら、なぜ中国企業も協調して高値で販売しないのか?なぜ攻撃的な安値をしかけるのか?安値で攻撃すれば日本企業から報復的な対抗措置を誘発する。中国企業にとっても長い目でみれば協調するのが賢明ではないか。これは典型的な経営戦略の問題なのです、な。
稼働率が低下し、余剰能力がある場合は、安値攻撃をしかける誘因が高まる。小生思うに、このような背景でこの種の販売行為を行えばダンピング行為として摘発できるのではないか?
中国経済は「近いうちにクラッシュする」とそれこそ「狼少年」が何年も言い続けているのであるが、よく見なさいという上の記事は実に的を射ている。ちなみにRoubini氏はリーマンショックを早くから警告していた人である。




2011年4月22日金曜日

OECDによる消費税率引き上げの提案

今日は金曜日のせいか面白い報道が多い。商売柄、日本経済新聞からの引用になるが、内容は同じだ:



消費税率の段階的上げ案も例示 OECD、日本に早期改革求める

 経済協力開発機構(OECD)のグリア事務総長は21日、日本記者クラブで記者会見し、日本の財政について「はっきりとメッセージを出せば市場は信認する」と述べ、税制の抜本改革案を早急にまとめるよう求めた。債務圧縮には基礎的財政収支(プライマリーバランス=PB)の均衡だけでは不十分として、消費税率を年1%ずつ段階的に引き上げる案も例示した。(1面参照
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 PBは国債の償還費と利払い費を除く政策的な経費を税収で賄えているか示す指標。名目成長率が長期金利を下回る状況では、一定のPB黒字額を確保しない限り、債務残高が増え続ける。
 OECDは日本の消費税率について(1)PBを均衡させるためには5~9%上げ(2)国内総生産(GDP)比3%のPB黒字を確保するためにはさらに6%の引き上げが必要と明記した。
 だが日本の消費税率上げ論議は、高齢化で膨らむ社会保障費の財源確保を念頭に行われている段階。OECDが提言した財政健全化につながる税率上げ論議にはほど遠い。グリア氏は「欧州の税率は16~26%。日本は引き上げ余地がある」と指摘。「消費税は経済に対するゆがみが小さく成長とも整合的だ」として、消費税増税を軸とする財政健全化策を提案した。
 米格付け会社が米国債の長期格付け見通しを引き下げるなど、金融市場はソブリンリスク(政府債務の信認危機)に敏感になっている。東日本大震災で歳出拡大が見込まれる日本を市場や国際機関が見る目は厳しい
(出所:2011年4月22日付け日本経済新聞朝刊)
提案をそのまま実行すると、まず少なくとも10%程度までは上げる。以後段階的に毎年引上げて、10年後には20%にする。そうすれば財政は何とかやっていける。そういう趣旨だ。所得税を引換に減税するとか、法人税を減税するとか、そのようなことはOECDの計算の前提に入ってないのではないか。そんなこともやるなら、もっと上げないと財政がもたないという指摘があったわけだ。
大体、財政がもたないとはどういうことか?具体的なイメージがわかないという向きも多い。ギリシア辺りを調べてみればよいが、上でアンダーラインを引いた最下行に尽きる。
国債が売れなくなる
という一点だ。日本は国内で消化できているから大丈夫という人も多いが、いまのような低金利の国債、よほどの円高メリットがあって初めて引きあうという理屈を忘れてはいけない。
加えて、数年から10年の間には中国が資本を自由化して、人民元が国際的に取引されるようになるだろう。そうすると、円で財産を持っているより成長率の高い中国の金融資産を持っておいたほうが有利に決まっている。10年後の中国もやはり経常収支は大幅黒字で国際競争力は一層高まり、中産階級も育っているだろう。銀行から預金は流れだし、中国へ流出し、日本国内の国債は売り叩かれる状況になる。暴落である。そんな非国民は日本にはいない?とんでもない。ミセスワタナベをご存じないか。愛国心があるからと言って、背に腹は変えられない。それが普通の人の理屈だ。
その時、財政が健全化していないと預金封鎖しかない。その後に、デノミを行って新円が発足し、旧円1万円は新円5千円程度で引き継がれよう。こうして既存国債は償還される。
他にも政策ツールは様々あるが、経済の冷厳な論理を最後まで騙し通すことは、いかなる国家、国民にも不可能だ。
「さてどうする?」という切所に差し掛かっているわけだが、大震災とエネルギー危機、それから年金大改革、これらを解決しなければならないのが現実だ。一つだけでも大変だ。国鉄改革、郵政改革、ちょろい、ちょろい。カリスマ的リーダーが二、三人は登場しないとしのげないのである。戦国末期には織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と同地域から連続して英雄が輩出し、さしもの混乱を極めた日本に天下泰平が到来した。これら歴史上の人物レベルの人間が相次いで登場しなければ日本は土俵を割って、この国はIMFかOECDといった国際機関の管理下に置かれる可能性が完全に否定できない。否定したくとも躊躇する。そこが怖い。それが、正直、昨今の政情だ。
今日の新聞は他にも「これは!」という記事があった。
  1. 品不足。値上がり続々。店頭価格、震災後に一変。 ⇒ 一過性か、それともインフレマインドが台頭するかを要注意。インフレマインドは長期金利にまず反映されてくる。国債の流通利回りの動きがポイント。通常債とインフレ連動債の金利との差が期待インフレ率に相当する。
  2. 対日輸出、アジアで停滞。シンガポールは電子機器28減。成長率押し下げ要因。 ⇒ 日本の生産低下はアジアの生産を抑える要因になる。国際産業連関表からもわかる。日本の復興投資が上向けばグローバルな生産にもプラスになる。
  3. 日銀の西村副総裁が会見「秋口から回復、可能性高い」 ⇒ 5月から6月にかけて回復へ、というのは大阪支店の見方だった。サプライチェーンは6月から7月にかけて回復へという見込み。ここが新しい内容。まあ、やはり半年程度は生産が低迷するだろう。復興への動きは秋以降に顕在化というのが妥当なところか。

それにしても県の復興本部設立と復興計画策定方針を表明した宮城県知事が「国も速く復興への総合的な枠組みを示してほしい」と言っているのは当然至極のことだ。一番不思議なのは、なぜ基本法案すら出せないのか?この点につきる。野党は協力すると言っているのだが・・・。
現在の菅内閣は故意に復興体制作りを遅らせているのじゃあるまいな?既存の統治機構を破壊して、なにか創造したいことを隠しているのではあるまいな?東電の株価が風評に翻弄されるままに放置しているのも解せぬ。あとでインサイダー取引疑惑で摘発するターゲットを既に絞っているのかもしれぬなあ・・・
色々な疑念が様々によぎる現内閣である。


2011年4月21日木曜日

産業の盛衰について(その2)

電力価格が今後高止まりするとなるとエネルギー多消費産業の収益性が低下して国内から流出することが予想される。

経済産業省から平成20年の産業連関表延長表(固定価格表示)80分類が公表されているので、ちょっと確かめてみた。

まず生産額に占める電力投入係数だが、トップ10は
金属鉱物 0.21
無機化学基礎製品 0.12
石炭・原油・天然ガス 0.086
鋳鍛造品 0.080499165
パルプ・紙・板紙・加工紙 0.068
化学繊維 0.0576
水道・廃棄物処理 0.050
非鉄金属製錬・精製 0.048
銑鉄・粗鋼 0.046
再生資源回収・加工処理 0.041
のとおりだ。

確かに鉱物、化学、パルプ・紙、鉄鋼・非鉄辺りが並んでいる。いわゆる重厚長大型の産業である。これに対して

電子計算機・同付属装置 0.004741991
乗用車 0.004293639
広告 0.003818693
電子応用装置・電気計測器 0.003746671
医薬品 0.003652496
その他の自動車 0.003489738
建築及び補修 0.00307753
金融・保険 0.002811465
映像・文字情報制作 0.002669619
物品賃貸サービス 0.001540085

といった産業は省電力産業であり電力価格上昇が直ちにコスト高にはならない。ざっと見ると、自動車、コンピューター、IT製品などが並んでいて、新聞などでよく報道される内容と一致している。同じ化学系でも製薬業は素材分野と違って電力価格アップに対して頑健だ。

ところが電力の供給制約から生産活動に対してどの程度の影響を予測しておくべきかとなると、また少し違う。これは電力生産が各産業の生産に与える影響力を比較すればよい。いわゆる逆行列表


の中の電力の列を上から下に見ていこう。そうすると「その他の対事業所サービス」、「金融・保険」、「建築及び補修」、「石油製品」、「教育・研究」、「運輸」、「商業」、「情報サービス」、「物品賃貸サービス」あたりが電力の供給低下から最終的には大きなマイナスの波及効果を受ける産業であることがわかる。これらは産業活動全体を支えるインフラ産業のような性質をもっているので、電力の供給制約 ⇒ 直接的影響からエネルギー多消費産業が低下 ⇒ その波及効果 ⇒ 省エネルギー産業へマイナスの影響 ⇒ 波及効果、・・・という各ステップでその都度影響を受けてしまう。合計としては、直接の影響を被る産業よりも影響は大きいという点に目を払っておかないといけない。(4/21追加:但し上で見ているのは、電力需要が消費者の段階でまず抑えられ、それが電力部門の中間財投入減、それが各商品の生産を抑えて・・・という波及だ。実際には、各産業部門の電力投入をアドホックに節電するということも行われている。これがどんな結果をうむか?こちらは少々計算を要するので時間をおいた後、改めてアップしたい。)

要するに、エネルギーが割高になることで産業構造全体が変化を迫られるわけだが、その過程で何もイノベーションを起こせないならば、日本の経済活動全体が決定的な損壊を被る。これが結論である。

2011年4月20日水曜日

産業の盛衰について(その1)

日本のエネルギー価格が海外に比べて、より割高になるのはまず避けられない。このブログでも記したところだ。しかしながら、日本の産業のすべてが共通で一様のダメージを受けるわけではない。

経済学の基本原理に限界効用均等の法則、限界生産力均等の法則がある。入場料が2000円の映画と2000円の展覧会があれば、両方同じ程度の満足を感じないと割が合わないと思うものだし、1万円のセーターは5千円のセータよりも満足度は2倍あって当たり前だと考えるだろう。価格に比例した満足を期待するものだし、企業であれば生産物の生産に貢献してくれないと困る。故に、高くなったものは割が合わなくなって使わなくなり、安いものを使う。単純なロジックだ。

節約しても電力を使わないわけにはいかない。だからコストが増える。エネルギーコストが高い割合を占める商品は、省エネルギー型商品に比べて高くなる。今のままではエネルギー多消費型商品が売れなくなるのは必然だ。

もうひとつ、価格ばかりではなく顧客価値。使い道が確認され、顧客評価が上がった商品は価格が上がっても売上は伸びる。

では具体的に何が伸びてくるだろう。現時点で以下の商品は市場拡大が確実:

  • 太陽光発電設備、その他の自家発電設備、家庭用蓄電池

大本命だ。太陽光だと初期に200万円程度、蓄電池なら100万円程度か。出荷数量が増えれば単価は下がるだろう。それがまた購入を刺激する。今年に限らず需要は拡大するはずだ。スマートグリッドと併せて要マーク。地熱発電事業も地方では有望だ。このことが電力事業自由化へのステップにもなってしまう。送電市場への新規参入をどのように認めるかどうか。これが最大の鍵だが、はっきりと言えることは遠隔地で発電した電力を大都市圏で一社が独占的に販売するビジネスモデルは地元感情を考えれば既に死に体である。


  • ロボット

アメリカからロボットが移送され建屋内放射能を測定したという報道をみて悔しい思いをした人は多いのではないだろうか?介護用ロボット、愛玩用ロボットなど、なぜ日本市場でロボット市場が立ち上がらないのか不思議に思ってきた。

  • FacebookなどのSNS

今回は通信経路としてインターネットの頑健性が証明された。避難先で連絡が取れなくなった隣人、知人、学友が多数に上るという。最近のチュニジア、エジプトの事情を見るまでもなく、本名ベースのネット上バーチャル空間が日本でも本格的に浸透していくと思う。

  • Eラーニング

フリーの遠隔授業を含むバーチャル・ユニバーシティ。正しい知識に飢えている社会で、YouTubeを超える知識伝達の場が強く求められていると思う。既にiPodベースのPodcastでは著名な大学の授業録画などが部分的に提供されている。しかし、実際の授業を単に録画しただけでは不十分だ。声と画像、動画をシンクロして編集する必要があり、本当は極めて労働集約的な製品である。これをフリーで提供するとなると、多人数の参加、確固としたメディアビジネスという条件を満たすGoogleやYahoo、Microsoft等でなければ展開できない。おそらくGoogleが電子ライブラリーの次のステップで<無料の>知の体系化に乗り出してくるのではないだろうか。これは既存の学校にとって競合相手になる。本来、知識は公共財産であり利用者にはフリーであるべきだ。ストールマンの理想を実現させる方向へ歴史の力が働いているかもしれない。

新技術は社会を変えると言われる。インターネットは社会を変えてきたが、インターネットはICT技術の一つの応用例に過ぎない。バイオ技術などは上には含まれていない。あるに違いない。考えてみよう。

では衰退する商品は何か?
エネルギー投入比率が高い商品をリストアップするのが第1歩。
産業連関表の本表をみれば細かいレベルでピックアップできる。延長表はどの程度まで提供しているだろうか?

(その2に続く)

2011年4月19日火曜日

日本の所得力

大震災と津波、原発事故によって日本という国が大きな曲がり角を迎えている。もう何度も耳にする言葉だ。

「誠に残念ですが日本は貧しい国になるでしょう」

アメリカの経済学者がこんな認識を持っていると聴いて愕然とした人も多いと思う。

中国にGDPで追い越され、韓国製造業にも押しまくられている。そんな状況で大きなダメージを被ったのだからマイナス思考に陥るのも仕方がないとは言える。

しかし、過去の歴史においてどんな大帝国も国家も、あるいはどんな巨大なメガ企業も一直線に大きくなったわけではなく。紆余曲折を経ながら、上がったり下がったりしながら大きくなったことは誰でも知っている。時には亡国寸前までいった例は枚挙にいとまないし、それこそ国が一度亡くなって、何年もたってから再建されたことだってある。

下のグラフは世界経済のネタ帳に描画してもらった。

[世] 一人当たりの名目GDP(USドル)の推移(1980~2011年)の比較(日本、韓国、中国、アメリカ)

俗に先進国は一人当たりGDPが<4万ドルグループ>と呼ばれている。GDPはその国が創りだした価値だから生産力と言ってもよいし所得力とも言える。それを国際通貨であるドルで評価しているわけだ。国民一人当たりでどの位の価値を世界に提供しているかを上のグラフは表している。日本は1980年代末のバブル景気前後でアメリカを上回っていた。その後の低迷で水を開けられたが、最近はちょっと近づいている。これはアメリカ国民が使うドルが価値を失い、日本が使っている円が価値を上げている(=円高)ためだ。

韓国はいま2万ドルグループに属している。中国は5千ドルというレベルだ。一人当たりで比較すると中国は日本の10分の1程度の価値しか生み出していない。こんな風に表現すると実感とあわないかもしれないし、頑張っている中国の人たちの気持ちを逆なでする虞もある。それは十分承知している。

しかし企業の力は社員の自信とか、振る舞いとか、感性とは別に客観的な決算数値に顕れるものだ。へとへとに疲れていても、いやだからこそ、数字で測定してみると結構いい線をいっている。そんなことだってあるのだ。

テレビドラマの「Jin‐仁」ではないが、神は乗り越えられる試練だけを人に与える。危機を乗り越えられる十分な年収を持っているということだ。自信を失うことが、そのあと更に自信を失う原因になるってことだ。

もちろん中国は国土も広く、人口も日本の10倍だ。同じ所得力を得る頃には日本は中国の10分の1のGDPしかないという計算になる。しかし、そんなことを言えば功成り名を遂げた芸術家はもはや現役としてバリバリと作品を発表しないものだ。それでも分野分野の将来を見通し、新しい創造へのきっかけを与える刺激を提供している。パブリックな活動を展開する。それが価値の創造につながる。

GDPとは国内領土で作った価値のことだ。領土の外と内とを問わず、日本人が受け取る所得はGNPになる。GDPでは測れない、それ以外にやれることは沢山ある。それでやっていけるし、国際社会でも評価される。そのやり方を考えるのが国家の将来戦略ではないだろうか?

☓ ☓ ☓

以下、投稿後30分経過後に追加:

使ったグラフをドルベースだけにすると片手落ちかなあ・・・とも感じられる。それも一理あるので国際比較によく使う<購買力平価ベース>の一人当たりGDPも作っておくことにした。下がそのグラフだ。

[世] 一人当たりの購買力平価ベースのGDP(USドル)の推移(1980~2011年)の比較(日本、韓国、中国、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ)

アメリカの上昇が際立っているが、日、英、仏、独は概ねパラレルだ。韓国がこの三国とほぼ同じ水準に近付いている。中国は日・欧州グループの10分の1とまでは言えないが、5分の1程度か。

ま、このように図柄は少々違ったものになるが、上で述べたことの趣旨は伝わると思う。

もちろん上のグラフもGDPであってGNP、つまり国民が受け取った所得を表すものではない。GDPは国内で生まれた価値であって、それを所得としてどこの人が受け取るかはまた別の話である。GDPで見るときは、この点に注意をしないといけない。

2011年4月18日月曜日

震災復興、いくつかの疑問(その3)

3月29日4月1日に大震災、原発事故について疑問や覚書を書いておいた。


震災を織り込んだ諸々の経済データが出始めるのは今月末あたりからだ。統計屋の話題としては今は端境期だ。こんな風なので、最初の疑問がその後の時間経過の中でどう解消されてきたか、確かめたくなった。


下が最初の疑問だった。
  1. 首相、官房長官以下、被災者支援、原発対応等々で忙殺されているのは分かるが、いずれも息の長い仕事である。首相官邸は基本方針を立てて人を使う役割を期待されている。いまなお忙殺されていて、何分かの記者会見しか説明の時間を持つことができないのか? ⇒ 官房長官は頻繁にやっているが、首相はほとんど出てこない。時折、メッセージと称してやっているが、「あの無内容な」演説は何とかならないかと酷評されている。
  2. 多忙を理由に国会を休会にしているのは理解できる。常任委員会に出席し続けるのは無理であろう。(注を追加: 参院予算委員会の本日開催を確認)それなら「大震災復興特別委員会」を設置し、政府の基本方針を国会に説明するべきである。なぜ国会に早く特別委員会を設置しないのか?なぜマスメディアは国会が震災復興に関連した審議を行っていない点を批判しないのか? ⇒ 特別委員会は出来ないようだ。議論されているという報道もない。与野党参加で会議を作りたいと首相は考えているらしいが、野党は乗ってこない様子。何故に、国会の場で集中審議するのではなく、首相官邸の会議室で会議をやりたがるのか、遠隔地からみている小生には全く理解不能。現内閣の<国会軽視>を象徴している。こう言われても仕方がないのではないか。
  3. 計画停電についてはわざわざ東電の記者会見を遅らせてでも首相自らが説明した。しかし農産物の県内一律の出荷停止については指示責任があるにもかかわらず首相自ら説明をしていない。何故か? ⇒ この点に関してはその後も説明なしと存ずる。ただ一律停止指示は控えられ、自粛などという穏やかなやり方にシフトしている。あれはパニックだったのではないか。
  4. なぜ震災翌日の時点で、まだ担当大臣、担当局長、東電社長も詳細を把握していないにも拘わらず、ほとんど情報を持たないままで(本当にそうだったのか?)、福島第一原発を首相が直接視察する必要があったのか?視察したことで、いかなる知見が得られたのか?それはどう生かされたのか? ⇒ 国会でも追求された。視察で応急措置が遅れたということはないと弁明している。この関連だが、東電社内に統合本部を設けたことは「東電に任せていたらどうなっていたかわからない」と判断を評価する向きもあるらしい。
  5. 官房副長官が各府省連絡会を隔日で開催しているというが、いつまでこの体制を続けるのか? ⇒ 週刊誌には「復興構想会議」が設けられハシゴを外された官房副長官と評されている。
  6. そもそも閣議と震災復興に関わる案件処理の関係はどのような状態になっているのか?内閣の意思決定は適法に行われているのか? ⇒ <聞くところでは>20以上の会議が既に設けられているよし。それぞれの検討事項、役割、相互関連は首相官邸のホームページを見ても全く不明。
このように書いてくると、小生は何がなし暗澹としてくる。寂しい、悲しいという表現にも近いが、虚無感、漂流感も混じっている心持ち。無情という言葉も使いたいし、哀情をも感じる。これはむしろ作家、詩人の領域かもしれない。

最近になって新たに疑問を感じる点も出てきた。
  • 東京電力という企業が、結局は、残るという見通しが週刊誌の記事になっているかと思えば、賠償負担は長期分割払いにする、かと思えば支払い上限を設けるべきだ、福島原発関連業務を切り離し別企業にするべきだ、とにかく原発事故をとりまく状況は百家争鳴だ。しかしながら、事故の原因と責任を分析する事故調査委員会について全く構想が漏れ聞こえてこない。賠償も東電処理も事故調査の進展と密接に関連していることではないのだろうか。おそらく事故調査委員会には米、仏の専門家が何らかの立場で参加することは必至と小生は思っている。分析も結論も国際的な透明性を持たせる必要がある。それなのに事故調査体制について何故いっさい憶測が流れてこないのか?首相が語るべきだと思うのだが、なぜクリントン長官訪日後も一切憶測が流れてこないのか?
  • 経団連の米倉会長が数日前に「東電にはいっさい責任はないし、賠償の責任もない。悪いのは安全基準を設けた国であり国有化などはとんでもない話である」という趣旨の発言をした。その後、経済界の人はなぜ会長発言をフォローしないのか?あれでは一発花火になる。東電に頼まれて発言をした。もう義理は果たした。このように痛くもない腹を探られるだけではないか。なぜだろう?
  • 復興庁は出来ると思っていたが、どうやら出来ない方向だ。それでは復興総合計画は行政事務としてはどの官庁が所掌するのだろうか?1995年時点では国土庁もあり、経済企画庁もあり、政府内の総合調整を担当する組織もあった―中央省庁再編があったのは2001年1月だ。経済企画庁の前身の経済安定本部は戦後復興の中で誕生した。もう復興でもないだろうというので廃止された。いまはまた復興が政策課題ではないか。2001年時点の状況と同じ考え方で政治行政が回るのだろうか?
追加した三つはどうも相当深刻な論点でもある。いずれフォローアップしたいが、中々、すっぱり解消とは行かないだろう。

2011年4月17日日曜日

日曜日の話し(4/17)

いつも使っているPCで投稿している。今日は先週アップできなかった画像を使えそうだ。その前に朝方考えた話しを一つ。



  • 知らない顔はあなたの奥さんですよ



夢をみた。知らない女と一緒に歩いていた。夢にしろ知らない人間が出てくるのは解せぬ。奇妙だなあとつぶやきながら二人でずっと歩いているのがおかしい・・・そこで目が覚めた。横を見るとカミさんが呑気に寝息をたてている。


同じ女が何度も夢に出てくる。話はしないのだ。俺の横を手をつないで歩いていたり、街角のカフェでテーブルの向こうに座ってじっと俺の顔を見ている。それだけだ。それにしても一度もお目にかかったことのない女をなぜ俺は見ることができるのだろう。


心配になって医者を訪ねてみた。何だか訳の分からない検査をしたかと思えば、えらく念のいった問診があった後、こんな話をした。
「知らない女の方なのですね?」
「そう言ったじゃないですか。そもそも知らない人の顔を夢に見るなんて、そんなことあるのですか?」
「知らないということはないんですよ」
「どこかで会ってると言うんですか?」
「調べたところ、あなたの視覚神経には異常が見つかりまして、何といえばいいかなあ、色盲という症状がありますよね、それと似ているんですが、視覚的な認識が正常に伝わらなくなっているんです。」
「といいますと、もっと分かりやすく言ってくれませんか」
医者は一枚の紙と一枚の写真をとりだした。何だか文字が書いている。
「よくインターネットでも聞かれますよね?歪んだ文字が表示されて、その文字を入力しろと」
「ええ」
「この写真の人は誰だかわかりますか?」
「◯◯☓☓でしょ?」
「そうではないんです。あなたにはそう見えるのですね?」
「違うんですか?エエッ、そんな、そんなはずはないと思うんですが、もう一度見せてください!」
確かに俺が好きだった女優の顔がそこには印刷されている。
「あなたは、自分が見ていると認識しているのですが、それは正しい認識ではなくて、現実とは違った映像になって脳が解釈しているんです。極めて珍しい症例ですが、ないわけではない。」
「そんな・・・じゃあ、私が夢でみている知らない女というのは・・・?」
「あなたが愛した女の方だと思います。おそらくあなたの奥様ではないでしょうか?」
そんな馬鹿なことがあるか!
カミさんの顔くらい昔から知っている・・・
「若い頃の奥様のお顔はよく覚えておられますか?」
「もちろん」
「この症状は徐々に進行するんです。現実に見えていると思っている奥様のお顔と、本当の奥様のお顔が異なった映像となってきた場合、あなたがその違いを違いとして認識すると脳の処理能力を越えてしまいます。なので、いまの映像で昔の記憶を上書きしようとなさるのです。つまり本当の奥様のお顔を忘れて、いまあなたの目に映るお顔が本当の姿なんだと、そうとらえてしまうのですね。これは自己防衛反応なんです。」
「では、・・・それじゃあ、昔のあれの顔を夢に見たというのは・・・」
「日常生活では忘れています。というか、認識としては顕在化しないように、いわば意識に化粧をしているのですが、睡眠中は化粧がとれてしまいますから、無意識界に潜在している昔のご記憶が蘇生することが多いのです。夢にみた女性があなたの本当の奥様の姿ですよ。」


☓ ☓ ☓


私は家に戻った。かみさんが出迎える。俺は本当の姿を見てはいない、見られなくなっているのか。不憫というか、罪の意識というか、形容しがたい気持ちだ。


翌朝、髭をそろうと鏡を見る。待てよ、俺のこの顔は俺の顔なのか?本当の俺の顔は別の顔として周りの人間達は認識しているのだろうな。しかし、周りの人間で俺と同じような病気にかかっている奴がいるとしたら、そいつも俺の現実の姿はわかっちゃいないわけだ。病気にかかっているかどうかも分からないしな。どうすれば確かめられるんだ?


俺はもう一度医者を訪ねた。ところが、病院が見つからない。どこにもないのだ。あの医者は本当にいたのか?確かに俺は病院を訪ねた。ここにあったんだ。あれはこの世界であったことなのか・・・



  • 昔住んだ家

東京都区内で10代を過ごした時分、こんな家に住んで、こんな風に暮らしていた。




この家は取り壊されて、今はもうない。そこには別の人が住んでいる。

2011年4月16日土曜日

おすすめリンク集(4月16日)

今週、記憶に残ったリンク集 です:


率直、過激かつ有益なブログから


震災復興で国債増発が心配される中で


日本の総理大臣が海外で論評されている典型例。まあ、施政方針のことだから首相の哲学にそってやればいいが、結果の責任はとるべきだ。下はWall Street Journalから




それから今後の経済活動の先行きだが、日銀大阪支店の関西経済見通しが注意を引いた。あとで読めなくなるかもしれないので、これはペーストしておこう:

日銀大阪支店の関西経済見通し
TOKYO, April 11 | Mon Apr 11, 2011 2:44am EDT
(Reuters) - The head of the Bank of Japan's Osaka branch in western Japan said on Monday that production in the region, home to several big electronics manufacturers, may decline near term due to last month's deadly earthquake and tsunami but is likely to turn up in May or June.
"Output falls are likely to become conspicuous in March and April," Hideo Hayakawa told a news conference, adding that manufacturers of electronic devices for cars and other auto-related companies in the area had been affected.
"But production is likely to turn up in May or June," he said. Hayakawa was previously the central bank's top economist. (Reporting by Rie Ishiguro; Editing by Edmund Klamann)
このように、「5月から6月にかけて生産が上向いてくる」と予測している。

この関連で大事な資料は何と言っても日銀総裁の国会報告。
要点は次の下り:
先行きについては、わが国経済は、当面、生産面を中心に下押し圧 
力が強い状態が続くとみられます。しかし、新興国経済の拡大に支え 
られた世界経済の高い成長率という、震災前までの日本経済の回復の 
動きを支えていた基本的な条件は維持されています。このため、その
後、供給面での制約が和らぎ、生産活動が回復していくにつれて、海 
外経済の改善を背景に輸出が増加するほか、資本ストックの復元に向 
けた動きが顕現化することなどから、わが国経済は、緩やかな回復経 
路に復していくと考えています。このように申し上げた上で、今回の 
震災がわが国経済に及ぼす影響については不確実性が大きいことは 
十分認識しており、注意深く経済の動きを点検していく必要があると 
考えています。 

下線を引いた三点につきるわけだが、ともかく未曾有の経験でどうなっていくか不確実性が高い。リスクが大きい。これ以上のことは言えないに違いない。(小生の個人的見解は何といっても政治リスク!(4/16修正:政治リスク、いや政治不在!)これが阪神大震災との最大の違いだ。1995年には良くも悪くも日本は官僚国家だった)
最後に

リーマン危機と福島第一原発には共通点がある。とても洞察に満ちた論評だ。



2011年4月15日金曜日

水野・萱野「超マクロ展望世界経済の真実」

水野和夫・萱野稔人両氏による標記の対談を読んだ。集英社新書0568Aだ。

2010年11月刊行だから大震災で激変したエネルギー事情を考慮すれば、一部の展望が変更されるのかもしれないが、基本は変わらないだろう。ともかく一気に読める本だ。

記憶に残るポイントを整理しておきたい。

  1. 1974年以降の世界市場における交易条件変化が資本主義経済の大きな曲がり角を画している。その中で日本経済を見ないといけない。
  2. 「低成長社会のもと金融経済化していく先進国のなかで(日本は)ひとつの先行性をもっている(もっていた)」<括弧は小生>
  3. 16世紀のスペインの戦争と財政赤字を支えたイタリアはオランダの独立とスペインの債務不履行の中で没落していった。この事情はアメリカと日本に相似の関係だ。
  4. レーガン政権の戦略は時代に先行しすぎていた。ルービン財務長官がとった1995年以降の「強いドル政策」は資本の完全移動性に支えられて見事に成功した。その戦略の破綻がリーマン危機。
  5. 現在の利子率革命と資本の海外流出によって国家が資本に裏切られれつつある。
  6. 環境規制という規制が新しいビジネス、新しい価値創造を生み出すかもしれない。だとすると、規制緩和、市場原理が問題を解決する一つの時代が過ぎ去ったのかもしれない。国際的な金融取引にトービン税を課すことは新興国の一人当たりGDPが2万ドルの高さに接近する段階で検討されることがあるのではないか。

そして何よりも
ソ連崩壊、冷戦終了とシンクロさせながら日本のバブル景気、バブル崩壊をとらえる視点!これには降参しました。批判は多々あるだろうが、一つの視座には違いない。

全般を通して伝わってきたのは<マネーという猛獣>の感覚。騎虎の勢いという言葉があるが、資本主義経済は元来が制御不可能な虎に乗って生きるようなものかもしれない。

2011年4月14日木曜日

あてにならない予測は有害か?

Bloombergから以下の情報を得た。全文をペーストしておこう:



4月14日(ブルームバーグ):日本政府は東京周辺を含めさまざまな地域での大地震の発生時期を予測することをやめるべきだと、東京大学のロバート・ゲラー教授が指摘した。地震予測のモデルに欠陥があるためだという。  日本では1978年に大地震を発生の3日前に予測することを目的としたシステムが導入された。同教授によると、この翌年の1979年以降、死者10人以上を出した地震が低リスクに指定された地域で起こっている。  同教授は英国の科学誌ネーチャーの記事で、「地震予測は不可能だと、率直に公言するべき時だ」とし、「代わりに国民と政府に対し『予想外の事態に備えよ』と伝え、われわれに分かっていることと分からないことを伝達する最大限の努力をするべきだ」と論じた。  3月11日の東日本大震災による死者・行方不明者は約2万7500人に達し、原子力発電所の事故で発生した放射能漏れを含め、戦後最大の危機となっている。大震災が起こったのは日本の予測モデルで大地震の確率が最低0.1%と見積もられていた地域だった。ゲラー教授が示した政府のデータによると、東京の南東の地域では確率は最大100%となっている。  ゲラー教授によると、日本の地震モデルは地域にはそれぞれ「特徴的な地震」があり、これによって各地域の地震発生の確率を算出できるというものだ。しかし1979年以降に10人以上の死者を出した地震が高リスク地域以外で発生していることは「リスク分布地図とその作成に使われたモデルに欠陥があり、採用すべきではないことを示唆している」と同教授は論じている。-Editors: Paul Gordon, Aaron Sheldrick
経済予測はともかく、地震の予測には私は素人だ。が、おそらくは「XX日以内に、YY地点を震源地にして、ZZマグニチュード以上の地震が起こる確率はPP%以上である」、計算結果はこんな風な形で得られるのだと思う。ゲラー氏によれば、予測が大きく外れたケースが何ケースか発生しており、それは採用しているモデルが不完全であることの証拠である。だから使うべきではないという、これが考えの趣旨だと考えられる。
予測には予測誤差がつきものである。そもそもガリレオの落体の法則にしてからが、地上では空気抵抗や風向きなど様々の要因が働くので、物体の落下を説明できない。物理学などの精密科学では諸条件を制御してやれば、十分満足のいく程度に予測できる、だから精密科学と呼ばれている。
ご存知のように経済予測は<当たらない予測>として知られている。今後1年間の経済活動は引き続き拡大を続けていくだろうと予測しながら、実際は急転直下の景気悪化に陥るなどとしても、専門家はそれ自体について驚くことはないだろう。それでも経済予測はなくならない。決して、経済予測がとるに足らない、つまらないことだから、許されているわけではない。経済予測を信じて拡大投資を実行して、それが原因で経営が破綻する企業もゼロではないのだ。
もしも予測と現実の進展がまったく何の関係もなく、それこそ「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という程度のものであれば、誰も本気に予測に耳を傾けることはない。それはサイコロを振って、奇数が出れば景気拡大、偶数が出れば景気後退と予測するのと何も変わらないからだ。しかし、いささかでも予測と実際の推移に相関があるとすれば、予測の計算結果を確かめておくことは有用な情報になる。もちろん予測には予測誤差がつきものだから、「予測では拡大に出ているが、下ぶれリスクには十分注意しなくてはならないな」と言う風に利用しないといけない。それは丁度、台風の進路予測をどう使うかという問題と同じである。
台風によっては迷走する台風もある。進路予測とは全く異なる進路をとり、「この土地には来ないだろう」と安心しきっていた町に上陸し、たまたま(悪いことは重なるから)大潮の時点と豪雨が重なり、その町に大変な災害を招いてしまう。そんな事態も可能性としてはある。だから、そんな予測は聞かなかった方がよかった。それも理解できることであり、当事者になれば小生もそのように言うであろう。
しかし、上のようなケースが現に何例か確認できるからと言って、「予測は何の情報にもなっていない」と断言するのは行き過ぎである。非常に大きな予測誤差が発生することは、確率的には想定が難しいほどの大災害が発生することと裏腹の関係にある。予測できなかったケースがあるので予測には意味がない、というのは防波堤を越える津波が現に発生している以上、防波堤を作って安心するのは意味がない、というのとそれ程大きな違いはないような気がするのである。
このような理由で、私はどうしても報道されたゲラー氏の意見には賛成できかねるのである。