日本でも読者は多いと思うが、ジョージ・フリードマンの『ヨーロッパ炎上 新・100年予測—動乱の地政学』は最後の16章「終わりに」でこんなことを書いている:
戦争は何も「歴史に学ばなかったから」起きるわけではないし、その人たちの人間性が悪いから起きるのでもない。戦争が起きるのはまず、利害の対立があるからだ。利害の対立があまりに大きくなり、戦った場合に生じる結果の方が、戦わなかった場合に生じる結果よりもましだ、と判断した時、人間は戦争をする。
「その人たちの人間性が悪いから起きるのではない」というのは、倫理的観点から戦争を否定していても実効性はないという思考をしている表れで、この思考は実は他力本願を旨とする日本の鎌倉仏教とも通じる所がある。例えば、親鸞『歎異抄』の1節(これもずっと以前に投稿したことがあるが)
わがこころのよくて人殺さずにあらず。人害せじとおもうとも、百人千人殺すことあるべし。(第13章)
などは、上と同じ哲学を共有しているではないか。 流石、武士の時代に生まれた宗教である。話を戻すと、フリードマンは
戦争がいかに悲惨なものかは誰もが知っており、したいと望む人間はいない。戦争をするのはその必要に迫られるからだ。戦争をするよう現実に強制されるのである。
こんな叙述で締めくくっている。
「戦争をするよう現実に強制される」というのは、何らかの《政治的力》が作用して、責任を負っている政治家が戦争を選ぶ強い誘因を与えるということである。そういう<戦争理解>があって、もしこの見方が妥当であれば(小生もそう思うのだが)、そのような政治的力を受け止め、反応する主体が《政治家》であるのは当然の理屈である。であれば、たとえ事態を戦争へと向かわせる強い力が働いている情勢であるにもかかわらず、それを理解しようとせず、必要な対応をせず、結果として現実に戦争を引き起こすとすれば、丁度それはダムの決壊を懸念する意見が提出されていたにも拘わらず、その危険を正しく理解し、必要な対応をとらず、ついにダム決壊という惨禍を招いてしまったダム管理責任者と同じ失態を演じたことになる。
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2月24日にウクライナ動乱が始まり1カ月余りが経ったところだ。この間、平常ペースを超えて投稿をしてきたので、覚え書きまでに何が言いたいことのポイントであったかを整理しておきたい。これが本日投稿の主旨だ。
上に引用したジョージ・フリードマンの目線から自然に出てくる理解は、次のパラグラフを含む3月15日の投稿の主旨にかなり近いものがある。
要するに、政治の失敗の責任をとるべきところが、開き直って「正義の戦い」を外に拡大している
こういう事でしょう、と小生には思われる。つまりは、プーチン大統領、バイデン大統領、お二人とも次の選挙のことが心配なのである。
これが物事の本質だろう。
この三流政治家が、お前たちが考えていることは全部マルっとお見通しだ!
と、言いたいところだネエ。
そうそう・・・ウクライナのゼレンスキー大統領。狂言回しの役回りだ。彼もまたホンネで何を考えているか分からない御仁だ。それと常に見え隠れする《イギリス》という世界歴史の黒子役、今回も仕事をしているナアという印象だ。
そもそも動乱が始まった直後の小生の視方は、いま日本の世間で浸透している視覚とは随分違っていた ― これも極め付きのへそ曲がりである小生だから、かもしれない。ロシアによる侵攻直前であった2月22日にはこんなことを書いている:
要するに、近年盛んに用いられる論法だが、目的が「人権」で「権益」ではないなら他国の内政に立ち入っても「侵略」にはあたらないという法理(?)が一方にある。しかし、国と言うのは例外なく真の目的としては「国益(≒権益)」を追求するものなのだ。だから、今回のロシアの行動も心の底ではロシアの国益を拡張しようとしている、と。ホンネはこうだろう、と。そう非難するのはよいが、そうであれば「人権」を目的とする「干渉」なら許されるなどとは言わないことだ。「内政干渉」は全て「主権の侵害」であり、「侵略」であるというロジックを通すべきだろう。しかし、相手が中国になるとウイグルの人権抑圧を批判したい。中国の内政に干渉したい。その論拠が要る。そのためには建て前を語る必要がある。その一方でロシアにはホンネの部分を議論している。
同じ内政干渉であっても、旧・西側がやれば人権擁護、中露がやると侵略になる。「それはないでしょう」という人が出てきてもおかしくない。これでは韓国で大流行した「ネロナムブル」と同じ、自分(ネ)がやればロマンスだが、他人(ナム)がやると不倫(ブルユン)。これと中身は同じである。
ま、古来、このような議論を「二枚舌」という。どうもへそ曲がりなもので、こんな風な印象がある。
こんなことを言うのは小生がよほど変わっているからか・・・必ずしもそうでもないのではないかという気もするが。
実は、アメリカのThe New York Timesを見ていると、アメリカの論壇も(日本にはもう「論壇」などと言える世界はなくなってしまったようだが)完全にロシア悪者説で固まっていたわけではない。著名なコラムニストであるThomas Friedmanは"This Is Putin’s War. But America and NATO Aren’t Innocent Bystanders."、こんなタイトルの寄稿を2月21日にしている。全文、ロジックの通った視線が貫徹されているが、特に以下の部分には著者トーマス・フリードマンの主旨がそのまま表れている:
In my view, there are two huge logs fueling this fire. The first log was the ill-considered decision by the U.S. in the 1990s to expand NATO after — indeed, despite — the collapse of the Soviet Union.
仮想敵国であるソ連とその軍事同盟であるワルシャワ条約機構が消失したにも拘らず(=despite)、なぜ西側の軍事同盟であるNATOはそのまま存続し、仮想敵国であったはずのロシアに向かってアグレッシブな拡大路線をとっていったのか?著者トーマス・フリードマンはそれが情勢を炎上させる大きな歩みになったと言っている。それは冷戦に勝利したと受け止めたアメリカの"Euphoria"(=高揚感)がとらせた冒険的な行動であったと小生は思っていて、そんなアメリカの「自己肯定感」が日本を含むあらゆる国に対して放射されていたのが1990年代という時代だったと記憶している。
それはともかく、話を戻すと
The mystery was why the U.S. — which throughout the Cold War dreamed that Russia might one day have a democratic revolution and a leader who, however haltingly, would try to make Russia into a democracy and join the West — would choose to quickly push NATO into Russia’s face when it was weak.
ソ連に民主革命が起きて、民主主義的社会を志向する政治家がいずれ出現するだろうと、ずっとアメリカが夢みていたにも拘わらず、現にソ連解体後のロシアが混乱しつつも民主化への道を歩もうとし始めた時、なぜロシアからみれば敵陣営であったNATOがロシアが最も弱体であったその時に、(軍事同盟であるNATOという組織を温存させたうえ)ロシアに向かって速やかに勢力を拡大、押し出していったのか、それは"Mystery"だと書いている。それが謎だと書いたあと、クリントン政権当時の国防長官であったBill Perryの回顧を紹介しているところが非常に面白い。
“At that time, we were working closely with Russia and they were beginning to get used to the idea that NATO could be a friend rather than an enemy … but they were very uncomfortable about having NATO right up on their border and they made a strong appeal for us not to go ahead with that.”
On May 2, 1998, immediately after the Senate ratified NATO expansion, I called George Kennan, the architect of America’s successful containment of the Soviet Union. Having joined the State Department in 1926 and served as U.S. ambassador to Moscow in 1952, Kennan was arguably America’s greatest expert on Russia. Though 94 at the time and frail of voice, he was sharp of mind when I asked for his opinion of NATO expansion.
I am going to share Kennan’s whole answer:
“I think it is the beginning of a new cold war. I think the Russians will gradually react quite adversely and it will affect their policies. I think it is a tragic mistake. There was no reason for this whatsoever. No one was threatening anybody else. This expansion would make the founding fathers of this country turn over in their graves.
『この3流政治家が!』と言いたい政治家は、何も現在のバイデン大統領、プーチン大統領、ゼレンスキー大統領といった、いま現在、世界という舞台で政治家の役回りを演じている人々と限ったわけではないのである。
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日本では、
どんな言い分があるにしても、武力侵攻したこと自体は許されない
まるで「刑事裁判」さながら、そんな「当然過ぎる発言」で議論をストップさせてしまうのが常である。しかし、ここはキチンと考え抜かなければ、同じ失敗を繰り返すのが確実なのだ。マア、日本は「論壇」も「ジャーナリズム」も視野が狭く脆弱で、重大な失敗を繰り返させてもらえるような立場はとっくの昔に失ってしまった、そんな国際的政治勢力ではなくなった。しかしアメリカがこうであるとすれば非常に危険である。幸いなことに、アメリカではするべき議論はキチンと議論する雰囲気があるようで、安心させるものがある。
最初に引用したように、戦争はモラルで議論をしても実効性がなく、国際法に違反する行為はそれ自体が悪だと主張しても、その主張が問題を解決できるわけではない — 日本は解決を期待される立場にいるわけでもないので、そんな議論が出来るわけでもある。必要なのは《平和維持のためのルール》だというのは、これも上に引用した3月15日投稿に書いたことだが、やはりこれは今後の本筋になるのではないかと思っている。
だから、舞台は次第に「国連」(と、安全保障理事会)に移っていくと想像するが、さてどうなることか・・・