2016年12月31日土曜日

どちらに「ニュース価値」があるのかと思わせること

格言のとおり『未辛抱、申酉騒ぐ』を地で行くような申年の一年間であった。

年末には安倍総理がオバマ米大統領とともに真珠湾・アリゾナ記念館を訪問し演説した。日本の稲田防衛相も同行したが、帰国した直後に単身で靖国神社に参拝した。与党からもその「軽率な」行動には疑問が呈されているようだ。

何と言っても「女性の防衛大臣」であるせいだろう。社会的なうねりになるような批判は起こっていない。しかし、日本の軍部(≒自衛隊)を統括する閣僚が、国際平和への誓いを述べた総理演説に陪席した直後、「自身の信念」だという理由で旧連合国が嫌悪している靖国神社に自ら参拝する、と・・・

連想されるのは「軍国主義」であろう。「武断主義」と言葉を変えれば、現代の日本人にも共感を感じる人は多いはずだ。日本人の小生でもそう思うくらいだ。だから問題なのだ。明治・大正の伝統であった国際(=列国との)協調がもはや賞味期限切れであると勘違いし、独善的な軍国主義への道をとろうと「覚悟」を決めたのが、その時代である。「志」といえば聞こえはいいが、かの石原莞爾も戦後になって「誤り」を認めている。

その他の論点は多数の文献もあり今更書く必要はない。

とにかくも、

自国の文化的な伝統を体現する、それでいて未来性を感じさせるスマートな歴史感覚を期待してやまない。防衛相の発言・行動から伝わってくるのは単に「カビの臭い」である。

普段は安倍政権の政策には厳しいマスメディアが、なぜこの件で一致して非難をしていないのか。メディアという会社の行動原理については、小生の理解力は確かに不十分だ。


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韓国・釜山に従軍慰安婦像が設置されることになったそうで、これまたニュースになっている。日本政府としては「遺憾」だと伝えているよし。

上の防衛相靖国神社参拝の一件とどちらが「ニュース価値」があるだろうか?

マスメディアなる会社の思考回路は、小生の理解を超えるものであるが、そもそも彫像をつくる位の自由はどこの国民であれあるだろうに・・・と、小生はそう思う。

まあ、芸術、というか審美的基準から創造しているというよりは、政治的主張のツールとして慰安婦像を制作しているのであろう。とすれば、従軍慰安婦像なる作品は美術的作品ではないのだろう。政治的主張なのだろう。政治的主張であれば、日本にも、その「責任」はともかくもあるとして、政治的反論として言いたいことがあるのも事実だろう。

それより、政治的行動であれば、もっと美しい(と日本人である小生は感じてしまうが)、颯爽とした政治戦略をとれるのではないか。どことなく、哀れであり、自虐的であり、誇りを失わせる行き方ではないのだろうか。個人的には、小生、そう感じることが多い。

が、これもまた「表現の自由」の範疇には含まれると考えるべきだろう。日本国内においては(たとえ政治的思惑があるにせよ)表現の自由を憲法で保証しておきながら、韓国人が韓国で、いや韓国外の世界のどこであってもだ、表現していることに険しい目を向ける、と。そんな権利は日本人にはないと思う。

ま、無論、立場を変えて逆のことをするにしても、日本人にも「表現の自由」はあるし、それがもしヘイトスピーチや(これは勘違いだと思うが)ワサビテロであるのであれば、韓国人も自由に表現すればいいのだろう。とはいえ、方法の選択、戦略的な深さ等々、どうしても「低レベル感」を感じてしまうし、誰でも自由である以上はそれがもたらす結果に対しても責任を負うべきなのだが。さて、どうなっていくやら……


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ただ、マア、あれである。

確かに原爆や東京大空襲による犠牲者を悼む彫像は、日本人は制作するだろう。もし、そんな感性に立つなら戊辰戦争で「賊軍」と呼ばれ、討ち死にを遂げた日本人を悼む彫像もあってしかるべきだし、どこかに既にあるのかもしれない。

しかし、たとえ「賊軍」とされたことが悔しいとしても、その彫像のレプリカを多数つくって、多数の場所に配置することは、日本人はしないのではないか。「ちょっと感覚的に違うなあ・・・」、是非はともかく、そんな感じがするのだ、な。

悲惨な記憶や敗北の記憶、失敗の歴史は形にして継承するのが文化だが、やはり現実に世界の各地に残っている歴史遺産の多くは、パリやローマの「凱旋門」であるにせよ、北京の壮大な故宮であるにせよ、壮大な成功を記念するモニュメントではなかろうか。いわゆる「レジェンド」とはそういうものを指す。いくら侵略を憎悪し、400年余り前に侵入してきた満州族が憎いと言っても、宮城内の景山で縊死した明朝最後の皇帝・崇禎帝の彫像を清朝が滅亡後に設置するなどは、やっていない(と思う)。

2001年9月11日にアメリカを見舞った同時多発テロで倒壊したワールドトレードセンター跡「グラウンド・ゼロ」には、犠牲者を悼むメモリアル・モニュメントが制作されている。それは訪れる人を厳粛にさせるものである。しかし、具象的な彫刻という形はとっていない --- アブストラクトな建築的作品になっている---犠牲者となった人の名は刻まれているが。いくらその人を生前に知っている、記憶がまだ明瞭であるとしても、その人(たち)の肖像画なり、彫刻を展示するなどは、今後もしないのではないかなあ・・・。

まして彫像のレプリカを、アルカイダ発祥の地であるアラブの地に多数設置する・・・。

いや、やりませんわ、こんなことは。そう感じるのも事実なのである。

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メッカではないが、犠牲者に哀悼を捧げ、慰藉を祈る中心は、唯一の地点に決めておくほうが求心性があると感じるし、日本に過半の責任があるのであれば(あると思うからカネを出したのだろう)、そんな祈りの場の建設にこそ協力するべきではないだろうか。

そのほうがずっと賢いわ、そう思ったりもするのだ。


2016年12月28日水曜日

父に対して子は何をやりとげたと言えるのか?

歳末である。また一年がたったが、比較的に短命で亡くなった両親は齢をとらない。時間を超越している。

父が亡くなってからもう37年余が経過した。父は息子が北海道で暮らしていることを知らない。母も知らない。

思い返してみると、父は「自宅」、というか「持家」という方が正確か、そういう自分が建てた家には生涯住んだことがなかった。ずっと社宅住まいであった。父の実家は、ずっと祖父の持家であり、父が亡くなったときもそうであった。父の弟である叔父たちは全員結構早く家を持ったが。やはり、落語ではないが『寿限無、寿限無、ごこうのすりきれ、しゅうりんがんのぐうりんだい、食う寝るところに住むところ・・・」だねえ。家は持っておいた方が安心だ。小生は、父ほどの才能にも、勤勉さにも恵まれず、根性に至ればまったく足元にも及ばないのだが、それでも今年の春、住宅ローンを完済したから、いま暮らしているマンションは小生個人の財産になった。

といっても、恥ずかしき限りである。

小生がずっと昔に小役人に採用された時、たまたま大臣秘書官をやっていて、資料を頻繁に手渡したS.N.先輩は次官にまで栄達したのだが、先ごろ奥様からハガキが届き、亡くなられたとのこと。縦の社会を横に移動して、北海道に移住したものだから、旧知の人と覚えず疎遠になった。こんな風に突然の訃報が届き、驚くのは何度目だろう。

いま驚くと書いたが、若いころは誰かが亡くなったと聞けば、文字通りエッと驚き、葬儀に駆け付けたものだが、そんな心境といまの心境は明らかに違っている。

散る落ち葉 残る紅葉と 別れけり

人生の少し先を歩いている人が曲がり角を曲がって、急に姿が見えなくなったのと似ている。ただそれだけのことのように感じる。

こんなことを考えるようになったいま、父には何をやったと話をすることができるだろう。

逝きてのち 三十七年 家一軒 
        我に残るや 父逝きてのち 


2016年12月26日月曜日

断想: 時間と存在、プラス流転

もう数年(以上?)前から時に愛読させてもらっているのが画家・菊池理氏によるブログ「イッキ描きブログ」である。本年12月12日の氏の投稿の中に小生の感性に触れる文章があった。『史上最強の哲学入門・東洋の哲人たち』を読書している中での感想を述べた所だ。

「存在とは時間なのである」と書いてある。自分で書いた。

ということは、時間とは存在なのか?
「早いねぇ~、もう12月だよ」とか言って、月日の経つ早さに驚き、おののき、ちょっと嫌っている。年寄りには特に早く感じる。寿命が近づいているから恐ろしい。
しかし、時間が存在なのだとすれば、月日が経つことによってわれわれは生きている。考えようによっては生きている証拠でもある。生を実感できる根本かも。「もう12月だよ。もう12日だよ」というのは生を謳歌しているのかもしれない。
生きているよぉ~~~。
確かにそうだと思う。

統計分析を専門にして授業もやっている身だが、特に強調しているのは『元のデータの値そのものを見ていても、将来など見通せませんよ。予測とは変化のパターンがこれまでと変わらないという一定の前提の下で、将来もこうなるという計算のことです』。

物事は変化して初めて知覚に触れるものである。「存在」といえば、一定不変の物と考えがちだが、周囲の世界が一定不変で、全てのものが一定の場所にとどまり、同じ状態を維持するなら、私たちはそれらを認識することはできないだろう、と小生は思うのだ。

そもそも「生命」は、変化の相に存在することは明らかだ。生は変化であり、一定の状態への復帰は死を、いや死後の解体プロセスの行きつく先を意味している。

この意味では、小生は『万物は流転する』といった古代ギリシアの哲学者に賛成するものだ。だから、変化が時間の中で生まれうるものである以上、「人間」にとっての「存在」とは「時間」に他ならないと考えているのだ。

・・・・・・いやあ、時間が出来てきた証拠である。連日の投稿ができるとは。世間では「歳末」といっているらしい・・・

2016年12月25日日曜日

「社説」とは何を語る場所なのか?

今年の業務も昨日のワークショップで終わりとなり、あとは年明け後の再開に向けて資料準備をするだけとなった。それをネットにアップロードして学生に提供すれば、目出度く御用納めとなる。

一昨日は天皇誕生日で記録的なドカ雪。昨日のクリスマスイブは雪晴れ、夜はホワイトクリスマスとなったが、JRは昼まで運休、高速道路では事故があった。交通は終日混乱した。

いやあ、まったくボロボロですわ・・・。それでも万難を排して大学までくるから、ずっと北海道で暮らしている学生たちは慣れているのだろうか、実にたくましいものである。

それで、今日は久しぶりに長閑な気持ちになって道新をパラパラとめくる。

と、社説の「給付型奨学金 さらなる拡充が必要だ」が目にはいる。普段は「社説」を読むことはないが、テーマがテーマだから目をとおす。

早速、「これはあかんなあ」と。教師をしている小生の悪い癖である、ついダメ出しをしてしまうのだ、な。

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まず「これって、もらう側の願望を述べているだけじゃないですか。もらえるなら、少しでも多くもらいたい。これは当たり前のことで、わざわざ書くまでもないですよね?支給する側の論理はどうなっているんですか?」、まずこう言うだろうねえ。

それから「重要な事実を指摘するときはデータを示さないといけませんね。最近の用語を使うとエビデンスはあるのか、ということです」。こんな指摘もするだろう。たとえば、支給型奨学金がないのはOECD加盟国の中では日本とアイスランドだけである(ウン、ウン)。しかも「日本は他国より学費が高めである」、そうかなあ、どこの数字を見ているの?こんなコメントは当然出す。

学生のレポートでも数字の出所は必ず入れるように言っているし、もし出所を明らかにしない場合、その数字が正しければ所謂「盗作」、正しくなければ「捏造」。そう非難されても仕方がないのですよ、と。

最近では、私的なブログでもデータの出所は明示し、何かを指摘するならエビデンスをつけるものである。それが出来なければエッセーとして書くべきだ。「これではブログ未満ですよ!」、ここまで言えば学生はしょげ返るので、多分言わないと思うけれど。

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ある家で父親の会社が経営不振に陥り、家計が苦しくなった。子供の小遣いを削るしかないと言い聞かせる。すると「△君は今月からお小遣いが増えるんだって、なぜうちはダメなの?」。いるだけのカネはないのが常態である以上、資金管理、家計管理、つまり「お金を工面すること」の重要性は、幼い頃からよく語りきかせ、理解させていくことが最も大事である。ここが欠けていると、単に「いるんだから仕方がない」となり自己破産一直線とあいなる。

単に「困っている人を助ける」という風なヤワヤワで甘口の言葉ではなく、「なぜ公金を使って困っている人に授業料を払ってあげる」ことが重要であるのか。もっと価値ある使い方はないのか。読者に伝える意見があるとすれば、この点を伝え、理解してもらう。これでこそ「社説」になろうというものだ。マスメディアの存在価値はここにあるのではないだろうか。

国から金をもらえるとなれば、そりゃあもらった方がいいわな、と。そう思う人は多い。年金、奨学金、児童手当。揺りかごから墓場までそうだ。で、費用を調達する必要があるからと「増税」をいうと「負担」が暮らしを圧迫すると言う。「国債」を増発すると言うと将来が心配だと言う。「どうするの?」と聞かれると「無駄を省けば」という。

非論理的である。それならそれで、財務省(と地方自治体)は無駄なところばかりに予算をつけている、彼らの目は節穴か、と。そういう具体論を語るべきだ。

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メディアの「社説」は色々な目的が込められているに違いない。大きな問題に対してロジカルに実証的な議論を展開する場所ではない。それには文字数が少なすぎる。とはいえ、エッセーではない。何かの主張をしたいに違いない。主張をするとしても、販売部数が減るような、顧客が離れるような主張はやめておく(のだろう)。

「社説」とは、論文にしては短く、レポートにしてはエビデンスがなく、エッセーにしては主張的であり、マーケティングのツールにしては営業臭がしない。

最近とみに鵺(ヌエ)的に感じてきているのが、メディアの「社説」なる記事である。

2016年12月23日金曜日

好きになれない『働き方改革』という言葉

安倍政権の一枚看板は『働き方改革』である。その推進ということもあって総理が労働組合・連合の神津会長と会談したという記事があった。

まあ、自民党政権の総理が労働組合のトップと会って悪いわけじゃあない。しかし、「シックリ来ねえなあ・・・」と言いたくなるのは小生がへそ曲がりだからである。

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『働き方改革』とは一体何を言いたいのだろう。

働くのは個々の普通の日本人なのだから、「働き方」くらいは自分で決めればよいではないか。

正規社員と非正規社員を分けることは止めよう。差別は禁止して同じ賃金を支給する。非正規社員にも賞与を支給する。主婦が仕事をしやすい環境にしよう、と。政府は色々と勤労者の側に立った提案をしているが、そもそも「政府」、というか「政治家」が自分の仕事に取り組んでいる普通の日本人全体が喜ぶようなことを真剣に実現しようとするものだろうか。そうしたいはずだと期待するその理由は小生には理解不能である。

『働き方改革』とは、1990年代から推進されてきた新自由主義、規制緩和、成果主義等々の方向転換のことである。それは「ゆとり教育」の見直しとほとんど違いはない。なぜ転換するかと言えば、企業という生産現場において、その欠陥が次第に明らかになってきたからである。更に、いま高齢化が進んでいる。人手不足である。働きやすいシステムを作るのは生産現場の要望である。賃金上昇を抑えることができる。この点が(ほぼ唯一の)ポイントである、な。

政府が財界に求めている賃金引上げとバランスをとる、いわば「埋め合わせ」であろう。

単にそれだけのことではないか。

大体、『働きやすい』といえばイメージは良いが、同じことは『雇いやすい』でもあるのだ。この点から論評しているメディアを、小生、見たことはない。

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マスメディアが「働き方改革」の推進を大義に掲げ、にわかシンパになって旗を振っているのはマッコト滑稽としか言いようがない。

いま必要なのは、高齢化と人出不足が進行するなら、そのための賃金上昇をモチベーションにして、ロボットやAIの導入を加速し、サービス部門の生産性を上げる。それがロボットやAI産業を発展させて就業機会を増やす。社会全体が豊かになる。これが最優先、というより抵抗し難い時代の流れというものだ。もう10年も前からわかっていることである。その方向を歩んでいけるような経済社会システムを考えることが現時点の課題だろう。賃金と利益、所得のありかたについて根底から考え直すことも大問題になるはずだ。

「働き方改革」を成し遂げれば、生産性は上がるか?生産性は下がる。ほぼ確実にという形容詞をつけておく。そして生産性が上がるモメントを阻害する効果を持つだろう。

生産性が上がらないことをするのは自由だが、競争優位性を築く手法ではないので、浸透するとか、拡大するという方向には向かわない。

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まして働き方を改革してもらって、仕事をするから社会に貢献していると勘違いし、それが一生の目的だと思い、だから家庭で過ごす時間を減らし、仕事につく時間を増やし、そうして自分の充実した人生がおくれる、と。こんな風に思う日本人が増えていくとしたら・・・もし、そんな社会になっていくなら、これは文字通りのあれだネ、チャップリンの『モダンタイムズ』だ。

ロボットに対抗しようと、人間がロボットのように働こうなど、アホのやることですぜ。社会の基盤である家族や家庭が破壊されるだけの結果になるだろう。

大体からして、家族や家庭の存在価値は法律上きわめて軽いものになっているのが、近年の潮流である ― 相当の保守的立場からではあるが。

「働いて」得るものは要するに「食い扶持」である。つまるところ、自分と家族が幸福になるためのカネである。戦友は命をかけた修羅場をともにするので親友となるが、仕事仲間は大体がカネでつながった縁だ。カネをもらう場でつながった知人は友人とはなり難いものである。

地縁・人縁とはいうが、金縁という言葉は辞書にない。『仕事は裏切らない』とよく言われることがあるが、統計的にみれば仕事に裏切られた人の方を数多く知っているような気がする。仕事を抜きで信じられる人をこそ愛することができ、また裏切られることもないのだと思う。

こんなことを書くとは、「流石はへそ曲がり」でありんしょう。

2016年12月22日木曜日

夢想: 今の姿とは違っていたかもしれない「沖縄」

オスプレイが海上に不時着したかと思えば、詳細が曖昧なまま飛行再開となったことで地元沖縄の人たちは憤りを感じているという。そうかと思えば、普天間基地の移転先に予定されている辺野古地区。埋め立て承認取消しは合法か違法かという事案で最高裁判決が出た。沖縄県は敗訴し、工事再開の目途が立った。

やれやれ、オスプレイは事故のあと飛行再開。辺野古も埋立て工事再開。これでいいのか、ということでマスメディアも結構批判的なトーンが強い。

そういえば、先般の新潟県知事選では柏崎原発再稼働を認めない(のは確実な)知事が誕生した。これは日本のエネルギー国家戦略が揺さぶられるほどの衝撃に(多分)なるだろう。

他方、沖縄で起きた今回のオスプレイ飛行再開と最高裁判決だが、今後沖縄県の人たちが日本という国の中でどう生きていくか、どんな未来を描くか、根底にまでさかのぼって考える一つのきっかけになっていくかもしれない。そんな風に、小生、思うのだな。

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12月の大きな「イベント」としては、やはり日本の首相とロシアの大統領が会談して、北方領土や経済協力について協議が行われたことが挙げられるだろう。

その北方領土だが、せめて小さな歯舞・色丹島は「返還」されるのではないか、と。日本の側ではそんな期待が高まっていたものである。

しかし国後島も択捉島も江戸時代からずっと日本の領土であった。日本(幕府)がロシア帝国と条約を結び国境を定めるまでは、二つの島に「国」というものはなかった。

北方領土が日本の統治から離れたのは第二次世界大戦の後である。ロシア政府がいうように「第二次世界大戦の結果」であると言えば確かにそうとも言えるが、「領土不拡大の原則」には違反した事例となっている。客観的にはそうなるのだろう。だから紛糾している。当のロシアにも今さら解決への名案などはないのだろう。

★ ★ ★

沖縄は北方領土とはまったく違う。

そもそも江戸時代には沖縄には琉球王朝が存在していた。沖縄が公式に日本の領土になったのは明治5年。明治政権による琉球処分から以降のことだ。そして、第二次世界大戦に敗れ明治政権が崩壊した後、沖縄は再び日本の統治から離れ、アメリカが支配した。日本の統治下に「戻った」のは、1972年になってからだ。

もし、沖縄がアメリカに統治されている期間、地元の人たちが日本の統治下に戻ることを嫌悪し、歴史を通した沖縄の独立をアメリカに説明し、日本から独立した国家を形成したいと願望していれば、歴史の経緯から沖縄が単純に日本の統治下に戻るということはなかったのではなかろうか。そう思うことが、小生、ずっとあるのだな。

沖縄という土地が日本の一部だと主張するなら、それよりはもっと大きな声で国後島や択捉島が日本であると言わなければ、つじつまが合わないのだ。

しかし、世間ではそんな受け取り方はしていないようだ。

北方領土は戻らなくとも仕方がない、と。そう日本人が考えられるなら、沖縄県が日本の統治を離れて独立したいと言い出しても、それなら仕方がないと言わなければおかしい。

北方領土が日本ではないと感じるなら、沖縄の方がもっと強い意味で日本ではなかった。歴史はそうであったのだから。

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もし沖縄がまだアメリカ統治下にあるとき、日本には戻らず、さりとて独立した軍隊をもつことも選ばず、アメリカなりイギリスなりが保証国となって永世中立国としての地位が認められていたら、どうなっていただろう。

時代は、おそらく昭和20年代後半。日本本土は独立してからまだ日が浅い。内地に駐留していた米軍もあまたいた。

沖縄が非武装化されるなら、在日米軍の重点配置地区は沖縄ではなく、おそらく鹿児島県大隅半島、あるいは朝鮮半島に近い岩国基地。

沖縄という国は日本語を使用する永世中立国となり、日米にはやはり安保条約というものがあり、米軍は主として鹿児島県、山口県に配置される・・・・・・。

そんな想像をするのも歴史シミュレーションとしては面白い。

ま、薩長政権が明治という時代をつくり、その最後の結末として戦争に敗れ、米軍基地の大半を県内に配置されるという負担を抱えて現在に至る。

そんな図式になっていたかもしれず、もしそうであれば、それはそれで歴史を通した倫理の現実化という面では納得に行く結果であったかもしれない。

★ ★ ★

現実は夢想よりはずっと過酷である。

もし日米同盟を根拠に沖縄県内に多数の米軍が配置されているなら、ロジックからいえば多数の自衛隊も配置され共同で軍事活動をしているのでなければ、理屈に合わんだろう。

そんな姿になっていれば、たとえ最善の選択ではなかったかもしれないが、日本という国の統治下に戻るという選択をした沖縄県の人たちに、少しは納得のできる形になろうというものではないか。

これは日本のために日本人がやっている軍事活動なのだ、と。少なくともそんな情景でなければ、占領されているかのような感覚は抑えようがないわな、と。暮らしている郷土であれば誰しもそう思うはずである。

これまた歴史的シミュレーション。百戯の中である。


2016年12月15日木曜日

断想: 今日のATMは混んでいた・・・

小生が暮らす港町も白一色になった。昨日は、仕事の合間に年末・年始用の絵を水彩で描いていたのを一挙に仕上げた。水彩といってもガッシュで、支持体は水彩紙ではなく、キャンバス"Aqua Claessens"を使っている。中々、というより非常に気に入っている。

油彩は足し算、水彩は引き算。油彩は碁に似ていて、水彩は将棋に似ていると常々感じていたので、透明水彩なるものに苦手感がずっと尾を引きづっていた。ガッシュは、同じ水彩顔料とはいうものの、その表現手法は透明水彩とはまったく違い、異文化の世界である。これが油彩に慣れてきた者としては体感的にピンとくる。

ただ、絵具に置いた上に絵具を乗せると、往々にして溶け出して、混色されてしまうのには面食らったが、それはそれで水彩特有の想定外を演出することができるので、面白いと感じるようになった。


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それで、今日はカミさんと買い物に同行した。まず郵便局で用事があるというのでよると、結構混んでいる。次に、銀行通帳がATMを通らなくなったというので支店に行くと、ここもATMの前には結構人が並んでいる。スーパーに入ると、混雑である。『どうしたのかねえ?』、『今日は年金支給日じゃなかったかなあ・・・』。

そうか役所も俸給支給日は15日から16日だ。年金もそうなのか。それでATMというわけか。


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門をいずれば 我もゆく人 秋の暮

蕪村の名句である。

年ふりて 我も年金 雪の朝

こんな生活はまだ少し先のことだが、偶数月の15日には待ってましたとATMに駆け付けるのだろうか。クレジットカードや電子マネーががあるので、現金の必要性は昔よりは低下していると思うのだが。

2016年12月13日火曜日

妄想:時代によってキーワードは変わる、「偽善」と「責任」

少し前にNHKでドラマ『夏目漱石の妻』が放映され中々の出来栄えであると評価も高かったようだ。もちろん小生も毎回楽しみにしてリアルタイムで視聴した。

漱石の作品は大体は読んだ。明治生まれの祖父が好きだったので影響を受けたきらいがある。

漱石がよく使う言葉は「偽善」、あるいは「偽善者」である。作品中ではヒポクリットとフリガナが振られていることが多いが、この言葉の意味が実感としてわからなかったのは10代という年齢を考えれば無理はなかった。言うまでもなくネガティブな意味合いで使われているのはわかった。しかしながら、「偽善」のどこがいけないのか、それが感覚としてわからなかったのだ、な。

今では(勿論)わかる。そして偽善なる行為・発言が嫌でたまらないのは漱石と同じになった(と思う)。

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現代日本語で言うと、「偽善」イコール何になるだろう?

さっきまで風呂につかっていてふと思った。ひょっとすると「ぶりっ子」というのは偽善になるのではないか。「風を読む」、これも偽善かもしれない。心のホンネを隠して他人や社会にこびるような発言をしたり、気に入られる行為を故意に見せたりするのは、典型的な「偽善」である。

漱石は人間のそういう行為が嫌いであったようだ。とすれば、当然のことながら非社交的になるわな。確かにそうであったようだ。成長する過程において、状況の変化により手のひらを返すような「裏切り」を経験してきたことが原因かもしれない。

人間たるもの、いつかは決定的なタイミングで本音を出すものである。だから「偽善者」は危険なのだ。

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そんな「偽善」という言葉が使われる場面は最近ではほとんどなくなっている。日常的にネガティブな議論をしている時によく使われるのは「責任」という言葉だ。

何をしても「責任」を問うのが現代社会の井戸端会議である。何事も誰かの責任において管理運営されている、と。そんな共有感覚が日本社会に浸透しているためだろう。

「偽善」と「責任」。この二つの言葉には関係がある。そもそも偽善者は物事の責任を負うつもりはない。責任は、本来、リアルな概念である。自分の命をすらかけなければならない時もある。それが「責任」である。偽善者は責任をとろうとしない。だから漱石は何より嫌いだったのである。

責任から解放されれば、人は善人になれる。また善人でありたいと願うものだ。リアルな「責任」などと野暮なことをいわず、「人間関係」だけを目的にすれば、誰でも人は「偽善者」になる。というか、「偽善者」になるのが最も合理的である。

もちろん、リアルな意味で責任を持つ人がいなければ、社会は運営できない。そんな覚悟をもった人間が社会を本当の意味で管理する。必然的に、そんな種類の人は偽善者ではない。

ここまで言えば、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の大審判官で次兄イワンの語る社会哲学とほとんど同じになる。

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なんだか話が難しくなった。

心づくしが「偽善」だと言われることはあるだろう。「おもてなし」が「偽善」だと言われることもある。「おもてなし」が偽善ではなく、リアルな心を表現する行動なのだと相手に伝えるには、真に100パーセントの本気の気持ちで、相手と交流することが大事だ。

「おもてなし」を人間関係の面から語る時、なんとなく嫌な気持ちになるのは、小生がへそ曲がりであるからだ。とはいうものの、まったく的外れの感覚でもないと思っている。


2016年12月7日水曜日

この2、3日; 日本語の変化と統計教育の変化を思う

北海道地方はこの2、3日、にわかに冬らしくなり、昨日の吹雪のあと今日は冷え込んでいる。空は晴れているが雪晴れというやつであって、真冬日である。

若ければ、宅から車で10分のところにあるスキー場に急行していただろう。

昨朝、居間のカーテンを開けながら『結構、雪ってるなあ』、そんな単語が口をついて出たら、カミさんが「エッ?」と聞き返した。

雪ってる、そんな動詞はまだ現代日本語にはない。が、面白くもあるではないか。

「イヤア、雨ってるねえ・・・」、意味は通じるはずだ。そもそも、「曇ってる」という動詞がある以上、「雪ってる」、「雨ってる」だって、あっても可笑しくないだろう。神ってる、はちょっと違うような気もするが。「雨が降っていますね」よりは「雨ってますねえ」のほうが生活実感があるようにも感じるのだ、な。

言葉は風俗や生活習慣と同じで、これまでにも変態に次ぐ変態を遂げてきている。「をかし」という形容詞の意味は現代の「おかしい」と全く変わってしまったし、現代語の「すごい」も昔の「スゴシ」とはまったく意味が違う。

雪が降るを語源として「雪る」という動詞が派生する。ごくごく自然なメタモルフォーゼである。そもそもイタリア語もフランス語ももとはラテン語なのである。



***



学部向け授業の数理統計学も終盤である。昨日はカイ二乗分布と不偏分散の関係をとりあげた。

が、どうなのだろう。たとえば身長の分布が正規分布$N(170,10^2)$になっているとして、そこから6人の無作為データをとって不偏分散$\hat{\sigma^2}$を算出するとする。その値が144を超える確率はいくらあるのだろうか。そんな例題をとりあげた。

解答するだけなら、
jikken <- replicate(10000,var(rnorm(6,mean=170,sd=10)))
という10000回程度ののシミュレーションを行えばいい。そうすれば
sum(jikken > 144)/10000
実際に144を超えたケースの回数を数えるだけだ。大体20%程度の確率で不偏分散の値が144以上になるサンプルが出てきうるわけだ。

「これだけを知りたいなら、カイ二乗分布やそれが不偏分散の値とどのように関係づけられているかという勉強はいらないのですよ」と、そんな数理統計学担当者としては不適切な説明もせざるをえないのが、最近の統計教育の現状である。

ここを理論的にやれば

$$
P\left( \hat{\sigma^2} > 144 \right)
= P\left(\frac{10^2}{6-1} \chi^2_{6-1} > 144 \right)
= P\left( \chi^2_5 > 7.2 \right)
= 0.2061859
$$

となるのだが、普通の履修者にここまでさせる必要はないだろう。

更に、不偏分散という統計量の分散がどの程度出てくるのか。これまたたった1行の実験から様子はわかるのである。それを理論的に詰めると:

$$
V\left[\hat{\sigma^2}\right] = V\left[ \frac{10^2}{6-1} \chi^2_5 \right] = 20^2 \times 10 = 4000
$$

『この4000は、実験結果から得られる分散4084と大体近いでしょ?』、と。理論計算は、だから、事実にも当てはまっている。こんな講義になるのであるが、こんな風に理論的に成り立っている結論をわざわざ実験で確かめるのが必要かという疑問もあるだろうし、Rという統計ツールで簡単にわかる事柄に数学を使って考えさせる。これは統計学なのだろうか。そんな疑問をも感じるのだ、な。

数学の勉強に使っている時間を統計分析ソフトの勉強に使った方が生産性は遥かに高い。

確かに大学の統計教育は激変期にあるようだ。

2016年12月3日土曜日

荷風全集が届いた晩に思う

荷風全集が昨晩届いた。夕刻まで待っても届かないので、何かの事情で遅れたのだろうと、カミさんと話していた。

ところが、夜の9時半も過ぎてから電話があり『これから届けにうかがってもいいでしょうか』と。『まだ仕事をしているんだねえ』、『ブラック企業なんじゃないの』とカミさんも驚く。全集は四六判だが29冊揃うとなると結構ずっしりと重い。ダンボールを肩にかついだ担当者が玄関から入ってくる時は流石に気の毒に感じ、『重かったでしょ?』、『そうですね、結構・・・』、『本当に有難うございました』。やはりブラック企業なのかねえ・・・。

『あれだけ頑張って仕事をしていくらもらっているのかしらねえ』とカミさんは細かいことを云うが、ひょっとすると、もはや大した仕事をしていない小生よりも、案外水揚げは少ないのかもしれないと、そんな風に予想したりもする。

「格差拡大」がそれ自体として悪いというロジックは存在しない。悪いと云う人、構わないという人、すべてその人の価値観からそう言っている。そんな議論は本ブログでもとっくの昔にすませている。しかし、現在の賃金のあり方は確かにおかしい、と。直感的にそう感じるのも事実なのだな。

どうもロジックと感覚とが離れてきている。

◆ ◆ ◆

「競争」を良いこととして大前提をおくと、より多くの結果(=収入・成果)を少ない努力(=コスト)で得てこそ、その人(会社)は高く評価されるのである。

故に、頭脳と知恵 − それに天賦の才能があればなおさらいいが − で楽をして、利益を要領よくあげる人は豊かになる。逆に、大した利益にならない事に時間と労力を用いるのは愚かである。競争社会ではそんな風に考えることになってしまう。

この考え方からビジネススクールの顧客志向。プロダクトアウトよりはマーケットインという方向性はすぐに出てくる。
◆ ◆ ◆

しかし・・・。小生はへそ曲がりだ。どうも割り切れない。

カミさんと一緒に遅い朝食をとりながら朝ドラを視るのが、ここ数年の習慣になっているが、本日放映された「べっぴんさん」はこんな話だった。大手デパートに納品できるチャンスが舞い込んできたのだが、相手と相談するとシャツの襟裏の自社ブランド名を使えなくなるという。それは嫌だ。やっている意味がない。「この話はなかったことにしてほしい」と。これは自分たちがやりたいと思っている「仕事」ではないと。

我儘である。世間をなめている。ドラマはこんな展開だ。

が、「仕事」とは結局は何なのだろうか。自分にとって、である。でないと意味が伝わらなくなる。どうやらこれがドラマの基本テーマらしいのだな。

ビジネススクールでは『自分たちがいいと思っても、客がいいと思ってくれなければ、いいとは言えないんですよ』。そんな説明を常にやっているのだが、本当にそうだろうか?

◆ ◆ ◆

客に買ってもらえるのを有難いと考える所から話を始めてもよい。なるほどオーソドックスだ。一方、良いモノを作ってくれるのは有難いと考える所から話しをしてもいいだろう。

「いい仕事」をしたい。仕事をするときに思うことは、誰でも同じだろう。とすれば、どうすれば売れるかではなく、どうすればいい仕事が出来るのか。毎日を意味のあるものにできるのか。この問いかけに関心を持たない人はいまい。

いいモノを作ったからと言って、それで儲かるとは言えない。それは確かだ。しかし、いい仕事をしてきた人は、結局、チャンスが向こうからやってくる。社会はよい仕事師を放ってはおかないものである。これも少ない経験からだがわかっている。もちろん逆は逆である。ダメな仕事をしても結果はよいことがあるが、それは単なる運である。持続可能性がない。

よい仕事の本質を考える。こちらのほうが、今の日本には実はより必要な問いかけかもしれない。

人間集団である会社がよいビジネスをするより、少なくとも自分は良い仕事をしようと努力する。こちらのほうが、問題としては正解がありそうではないか。

***

とはいえ、聖人君子でない限り『人知らずして憤らず、亦た君子ならずや』という境地にはならないものだ。むしろ『恒産無くして恒心無し』。金欠病は人の心を荒ませるものだ。

一国だけで「福祉国家」をきどっても、他国が競争原理主義をとれば、国全体が金欠病になる。

とても難しい問題だ。政治で解決するわけにもいかないし、ね・・・

2016年11月30日水曜日

荷風全集を本日注文する

「日本の古本屋」で永井荷風全集(昭和47年刊行の再刊の方)全29巻が2万円で売られているのを見つけたので本日注文する。

若いころは、漱石、龍之介であったが、歳をとるにつれて永井荷風を愛読するようになってきた。

先週は『つゆのあとさき』を読み直し、昨日は『濹東綺譚』をまた読んだ。『つゆのあとさき』の結末、分かっていても味があり、しかも驚きが深い。

荷風は戦時中の昭和20年3月10日、東京大空襲で麻布区の自宅を失ってしまった。それで岡山市で谷崎潤一郎夫妻に面倒を見てもらいつつ疎開して暮らしたのであるが、『断腸亭日乗』には次のような記述がある。

8月14日。晴。朝7時谷崎君来り東道して町を歩む。2,3町にして橋に至る。渓流の眺望岡山後楽園のあたりにて見たるものに似たり。後に人に聞くにこれ岡山を流るる旭川の上流なりと。その水色山影の相似たるやけだし怪しむに及ばざるなり。正午招かれて谷崎君の客舎に至り午飯を恵まる、小豆餅米にて作りし東京風の赤飯なり・・・・
(出所)岩波文庫版『断腸亭日乗』下巻、272頁より引用

小生は新婚時代に岡山県庁に出向して勤務した。徳吉町の県立朝日高校側にあった古い公舎から、毎朝歩いて相生橋を渡り、右に烏城を、左に黒い本庁舎を視ながら通勤したものである。

庁舎の玄関を入り、階段を8階(であったと記憶しているが)まで上がり、上がった所の左側にある企画部で仕事をしていた。いま「していた」と記したが、若輩で土地勘のない小生は仕事の真似事をしていたにすぎない。それでも窓を背にして座っていたのだから、いま思い出しても、その恥知らずには赤面を禁じ得ず、汗が出そうである。

夕刻、操山を見ながら家路を急ぐときの気持ちは今でもありありと蘇る。不思議なものである。

歳月匆々。時間の前に変わらないものは何一つないが、記憶ばかりは何も古びない。古びないものが本当の財産だという言に従えば、旭川の水の色も小生にとっては、一つの財産である。

2016年11月27日日曜日

雑談: 「明治政権」とは結局何であったのか?

昨日は卒業年次生による中間発表会があったのでその採点員を勤めた。昼食時、久しぶりにあった同僚とランチをした。その同僚の専門はベンチャービジネス論であり、小生の専門は統計分析であるのだが、話は世界やアジア、日本のヒストリー関係になることが多い。

昨日も話は戦前期日本の歩みの話になったが、小生はこんな話をした。

* * *

いわゆる「明治維新」とは、本質的には宮廷内クーデターですよね。主導者は薩摩系・長州系の勢力で、旧幕勢力は「賊軍」に指名されました。敵の名前を公然と指名するというのは、古代の共和制ローマにもあった最終兵器です。ま、敵を攻撃する大義名分です。(小生、歴史の専門家ではないが)色々と読み漁った結果、いまではこう認識するのが、事実に近かったのではないかと思っているのです。

その薩長勢力というのは、1853年の黒船来航から67年の大政奉還までの短い期間において、「薩英戦争」、「下関砲撃」など、欧米勢力に対する軍事的挑戦を組織的に、藩を挙げて実行したたった二つの地方勢力でした。。過激な攘夷戦争を藩を挙げて現実に実行したのはこの薩長二藩だけです。これに対して、幕府側の基本方針は戦争回避です。

軍事的攘夷戦略を現実に選択した地方勢力が、戦争回避を是としていた中央政権を駆逐して、明治政府を発足させた。そうでしょう。何でもそうですが、「創業の理念」はその後の戦略を方向づける基本的要素になるものです。

薩長両藩が選んだ戦争の結果、鹿児島と下関は丸焼けになりました。そして、長い時間をへてから、今度は国家として対外戦争を繰り返し、最終的には日本全土が焼土と化してしまいました。

これは歴史的な偶然ではないと思います。「明治政権」は、そもそもそのような行動を良しとする理念から始まった政権でした。

その結果、日本の国境、日本という国の広がりは江戸時代に逆戻りではなく、江戸時代未満になりました。

琉球は幕府時代から薩摩藩に事実上は服属していましたーま、明治12年の琉球処分がなければ、いまもって中国と紛争が継続していたでしょうが。北のほうは、これは安政元年(1855年)に幕府とロシアが日露和親条約を結んで、択捉島以南は日本の領土になっています。樺太は国境なしで混住地になりました。

アジア近隣諸国との外交関係は言わずもがなでしょう。

明治維新の最終的な結果は、領土だけをみると、逆戻りではなく、後退ですね。民主主義の発展や、身分なき平等な社会は、「明治政権」ではなくて、「戦後日本」の成果ですよ。

明治維新の評価は、これから20年、30年の間に下がることはあっても、上がることは決してないと、私は思ってますよ。

* * *

昨日は、こんな話しをした。

万延元年(1860年)、日米修好通商条約批准書交換のために遣米使節一行が渡米した。随行した咸臨丸には勝海舟や福沢諭吉も乗船していたが、日の丸を掲げたその情景は記念切手にもなっている。その図柄は、発展に向けての第一歩にふさわしく、姿としても、登場人物としても、小生はこちらの話の方が好きである。その時の経緯は福沢の『福翁自伝』で詳細に記されている。

徳川昭武を代表に幕府が参加した慶応3年(1867年)のパリ万国博覧会。出展は幕府だけではなく、薩摩藩、佐賀藩もブースを設けていた。この時点では既に幕府による資金調達、これを阻止する倒閣戦略が水面下で進んでいた。幕臣・渋沢栄一がこのとき欧州を見聞し、その成果を後に還元したのは、予定外の副産物といえる。

大政奉還と明治維新は陰謀の果てにたどり着いた一つの結末である。凛々しいと見るか、「醜悪至極なり」と見るか、立場によって違っていただろう。

2016年11月23日水曜日

宗教 → 神と人間の話題になる

本日の道新に函館・トラピスト修道院の記事があった。

函館市内で訪れるのに便利なのはトラピスチヌス修道院のほうだが、こちらは修道女が祈りをささげる場所である。上のトラピスト修道院では記事の案内によれば20名ほどの修道士が共同生活をおくりつつ修行を続けているそうである。

高台にある。内覧は男性にのみ許されている。いわゆる「女人禁制」である。最近では男女平等原則が広く認められ、教育機関、株式会社、官公庁、更には軍隊においてさえも、性差別的な扱いは全て禁止されるのが時代の潮流になっている。

しかし宗教施設内では、必ずしも現代社会の「常識」にそった運営がなされているわけではない。

これをどう見ればいいか?

***

男女平等観は、日本でも明治の昔、既に福沢諭吉が唱えているところだが、その根底にはヒューマニズムがあるのだと解釈している。

そして、「ヒューマニズム」とは、見えない神よりは現にいる人間の思いに配慮する。そんな思想だと小生は勝手に解釈している。

なので、宗教が命じる行動規範よりは、家族の愛情、男女の愛情。異なった宗派に属していようとも親友が抱く互いの友情。そんな人間的な、自然な思いを尊重するという価値基準から発する。そう思っている。

そんな人間尊重の見方は、信仰から科学、理念から観察への方向転換が支えてきたのだろう。

それをマイナスにとらえるなどあり得ない。

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しかし、ヒューマニズム過剰の時代になれば、神よりは人間、信仰よりは感情の傾向がどうしても出てくる。

信仰よりは感情となれば、次は信仰よりは欲望にもなるだろう。

ヒューマニズムは、バーバリズムとなり、バーバリズムは動物的なアニマリズムになるのは極めてロジカルである。

アニマリズムに、個人の自由が社会の福祉を実現するという新自由主義がミックスされると、どんな社会になるか?

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人間に完璧なことはできない。完璧なものも作れない。完全に優れたモラルも思想もない。たとえ大多数の人間が信ずる理念があるとしても、その理念に反した具体例が存在し続けるというのは、否定するべきではない。

宗教の自由、表現の自由というのは、そういうことだろう。

「許せない」という意見は、常に「自分(or 自分たち)の思うとおりにせよ」という独善(or 偽善?)と裏腹である。

2016年11月21日月曜日

未納問題: 給食費 ≒ 放送受信料

先週だったか、TVのワイドショーで某県某市の小学校給食費未納問題をとりあげていた。

「なぜ払わないのか」という理由について当局が調査したところでは、経済的困窮は半分に満たず、過半の保護者は払えるのに払わない。そんな結果であると言うことだ。

理由は実に簡単だ。払わなくても食べられる。これに尽きる。

給食費を払っていない家庭の子供には昼食時に給食を与えない、と。この措置がもしとれるならば、保護者は慌てて給食費を払う可能性がある。給食を出さないなら昼に帰るかもしれない。いずれにせよ、払わないなら提供しない。原理的にはこうなる。

とはいえ、子供に給食を出さないという訳にはいくまい。だから支払わなくともいいのだ、となる。

★ ★ ★

類似の問題はNHKの放送受信料だろう。払わなくともNHKは視れる。だから払わない。

『払っていない人がいるのになぜ私に払えって言うの?おかしいじゃない!』、この本質的疑問に説得力ある論理を示せない限り、現行システムは持続可能ではない。

公園も同じだ。ゴミをポイ捨てしても誰かが清掃してくれる。だから公園はいつも清潔だ。故に、安心してゴミを捨てる。もしも清掃費をまかなう入場料が任意であれば、払った人は損をし、払わない人が得をする。不公平である。故に、公園を維持するコストは税で負担する。規則に違反した場合は「みんな」に迷惑をかけている以上は処罰する。これがフェアであるという理屈になる。

「排除不可能性」があれば必ずタダ乗りを決め込む人が発生する。この点はとうの昔にわかっている。

◆ ◆ ◆

二つの選択肢しかないだろう。

たとえば毎月の給食を任意にして前払いにする。払わない家庭の子供には本当に給食を出さない。ただ、これを円滑に実施するには、今のように教室内で配膳するのではなく、全校共通の大食堂があった方が抵抗感が少ない。昼になれば、給食費を払った子供達は大食堂に行き、そこで食べればよい。払っていない子供は・・・教室内で各自が持参した食品を食することになるのではないか(不憫であるが)。

そうでなければ、税で100パーセント負担するという方式。こうすれば、払っていないのに給食を食べる。そんな不公平はなくなる。

◆ ◆ ◆

ワイドショーによれば某市では給食費未納の家庭に対して債権回収業者に依頼して納入を迫るという。

怖いですねえ・・・、これが第一印象だ。

払わないモチベーションを与えておいて、実際に未納を続ければ、脅す。これでは住民を罠にかけるようなものだ。

もっと理にかなった方法があるはずだ。

2016年11月18日金曜日

先のことは分からないものだ

将来のことはわからない。

2008年にアメリカでオバマ大統領が勝つとは誰も予想していなかったことだ。2016年の大統領選挙でトランプが勝つことも専門家にとっては「想定外?」であったそうだ、と伝えられている。

若い頃に約束したことは、結局、ほとんど守られなかったし、そうしようと思ったことのほとんどは、時間の経過とともに、形を変更し、目的を変更し、結局は予想もしなかった結末になってしまった。

みんなそうではないか、と。

年齢とともに増えるのはシワだけではない。後悔も増える。

◆ ◆ ◆

1920年代から30年代、第一次大戦後の複雑な国際情勢の中で、中国統一を目指して蒋介石が北伐に踏み切り、北京政権が危うくなってきた頃、日本は何もせず干渉せず静観していればどうなっていただろうと考えたことがあった。

日本が蒋介石と敵対しなければ、中国のことは中国国民が解決していたであろうし、おそらく蒋介石が統一政権をつくりえただろう。泥沼の日中戦争もなかった。ソ連が体質的に反共である蒋介石政権を支えるはずはなく、満州の利権は統一政権発足後の交渉マターになっていたであろうし、仮にそうなれば日本は国境を犯すことなく東北部に静かに駐屯し、中国共産党が歴史に登場できる余地も結局はなかっただろう。

まったく別の歴史になっていたに違いない。

その時に合理的だと思われることが、後になってみれば後悔のタネになる。

◆ ◆ ◆

先手必勝はビジネススクールでもよくいう成功への王道だとされる。しかし、失敗への王道でもありうることは教えていない。

これまで数限りなくやってきた失敗。その失敗の原因は、何かの問題を解決するため、将来を先読みして良かれと思って決めたことが、実は失敗の原因になっている。

もう少し放っておけば良かったのさ。遅くはなかったろう。

『まだ、まだ』、『もう少し待て』。実は、こちらのほうが有効な経験則なのだろう。

2016年11月13日日曜日

望ましくないことは最初から分かっている・・・

現内閣の右翼的(極右?)傾向がこの国にとって望ましくはないことは最初から分かっている。トップ(=首相)ご本人はいざ知らず、その取り巻きの暴言・失言・妄言によって、次第に支持率を落とし、早晩自壊するであろうという予測は、2012年後半から2013年にかけての株価急騰で見事に外れてしまった。

思えば、その頃から1~2年がアベノミクスの黄金時代ではあった。

が、本質的な支持基盤の特徴はそうそう変わるものではない。現政権の本質的欠陥が次第に露になる時が増えてきたようにも思われる今日この頃である:
 沖縄県の米軍北部訓練場周辺に派遣されていた大阪府警の機動隊員が反対派に「土人」と発言した問題に関し、鶴保沖縄相が「差別であると断定できない」と述べたことについて、同県の翁長雄志おながたけし知事は11日の定例記者会見で、「大変遺憾で残念だ」と批判した。

 翁長氏は「なぜ沖縄相という役割があるのかも含めて、議論する機会があるなら、しっかりと伝えたい」と述べた。
 また、公明党の井上幹事長は11日の記者会見で、鶴保氏の発言について、「沖縄の皆さんが差別と受け止めることを重く見る必要がある」と苦言を呈した。
(出所)YOMIURI ONLINE, 2016-11-11

『差別であると断定できる』ような妄言が政府関係者の口から発言されていたなら、内閣支持率はその日のうちに5%落ちていただろう。更迭が後手に回れば10%落ちるのではないだろうか。

謝罪することに問題はないのではないだろうか。

これでは本来の政治的目的である憲法審議にとっても逆風が強まるだろう。

取り巻きのチョンボだろう。

人材がいない、のみならず黙って担がれているのではなく、日常思っている不適切な思想をそのまま表現してしまう、そんな政治家が思ったよりも多くいる政権。

ワンマン政権といってもよいし、ツートップ政権であるのかもしれない。が、弱体化は予想されているより案外早く来るのではないか。そんな予想もしているところだ。米政権の交代とは関わりなく。

2016年11月10日木曜日

先行き不透明なアメリカ?

昨日1000円下がった日経平均株価は本日1000円上げて元の鞘に収まった。

大統領選挙でトランプ氏が勝利した直後のNY市場で株価が上げているという事実に安心したものとみえる。昨日は文字通り「吃驚した」から、狼狽売りに出たのだろう。

そのトランプ氏。新大統領が直面する問題は山積だとマスメディアでは評されている。それはそうだろうとも言えるが、特に「来年にはアメリカ景気が後退入りするかもしれません」という人もいるのだネ、これが。

実は最近、アメリカ景気はこの先景気後退入りする可能性が高いという(自称?)エコノミストが結構いる。

本当だろうか?

☆ ☆ ☆

今年の10月時点でこんな報道があった。

 米国は2つの筋書きのどちらかに必ず直面する。次期大統領の任期中にリセッション(景気後退)に陥るか、あるいは米史上最長の景気拡大を経験するかのどちらかだ。
 確率が高いのはリセッションの方だ。ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の最新月次調査によると、エコノミストらは今後4年以内に景気後退入りする確率が60%近いとみている。
 これは、次期大統領が景気悪化を招くという評価ではない。むしろ、米経済がその歴史においてリセッション無しに10年以上成長を続けたことがないとの認識に基づくものだ。向こう4年に何らかの要因で経済が変調を来す可能性がある。その要因は景気回復の失速かもしれないし、連邦準備制度理事会(FRB)の政策ミス、あるいは海外発の衝撃かもしれない。
(出所) WSJ、2016年10月14日

もっと前の2月にはこんな記事があった。

米国はリセッション(景気後退)に向かっているのだろうか。市場はそう示唆している。
 ダウ工業株30種平均は12日時点で2015年5月につけた過去最高値から12.7%安の水準にある。安全逃避先としての需要が高い米国債の利回りが低下する一方、高リスク債券の利回りは上昇し続けている。そして、原油価格は約12年ぶりの安値を記録した。
 とはいえ、経済指標からはリセッション入りの気配は見受けられない。1月の雇用の伸びは堅調で、雇用主は人員補充に苦労している。

(出所)WSJ、2016年2月15日

確かにNY市場の株価は上がっていない。上がらない状況はリーマン危機直前に似ている。



しかし、2014年末から横ばい基調はもう2年近く続いている。2年横ばいを続けて、その後で改めて急落するというのは記憶にない。

今回の景気循環は典型的な設備投資循環である。これは株価の水準ではわかりにくいが、NY株価の前年比には明瞭に表れている。


前回の景気の山である2007年第4四半期は金融景気が形成したものだった。今回とは状況が違う―中国は多分にバブル気味ではあるが。

上の図を見る限り、すでに底入れを終えている印象である。というより、前年比という指標は位相差が混じり、現状判断としては後手になりがちである。

実際、鋼材価格は回復基調にある。鉄鉱石も足元では価格が急上昇している。

国際商品市況は景気先行性がある。気が付いてみると、来年初にはかなり景気の体感温度が高くなっている。そんな足取りをたどるのではないか。

最近OECDから以下の公表があった。

[パリ 9日 ロイター] - 経済協力開発機構(OECD)が発表した9月の景気先行指数(CLI)で、ブラジルやロシアなどの新興国に加えて中国やインドなどで成長が加速していることが示された。
米国や日本および、フランスやイタリアなどのユーロ圏では安定成長が見込まれるという。OECDによると、短期的には英国も安定的に成長する見通しだが「欧州連合(EU)離脱をめぐるEUと英国の合意内容に対しては根強い不透明感がある」もよう。


ドイツ、カナダでも成長は加速しているという。

(出所)ロイター、2016年11月9日

先行き不安は景気に明るさが見えてくる、その間際に最も高まるものである。

それにしても「申酉騒ぐ」とは言うが、今年は文字通り騒がしい一年であった。いい加減にしてもらいたいのだが、来年も酉年。経験則によれば、落ち着いた年になりそうもない。が、そろそろ騒擾の時期は終わりかけている。

将来への種まきをするべき時機だと思われる。

2016年11月9日水曜日

米大統領選はBREXITと同じ、二連発となったか

APの米大統領選挙速報を見ているが、どうやらトランプ大統領誕生の形勢になった。トランプ優勢の開票状況を幾つかの州で逆転しない限りクリントン候補に勝機は無くなった。

これで英国民投票に続けて二連発で予想外の結果になる。

世論調査とはなんだったのであろうか?

東京市場は午後になって大暴落。13:45現在で前日比946円安。

2016年11月5日土曜日

石油価格: 供給過剰期の価格カルテルの難しさ

石油価格がまた低下してきた。

たとえばNasdaqからBrent価格を引用すると:


さる9月28日、石油輸出国機構(OPEC)が実に8年振りに石油生産量を減らすことで合意してから世界の石油価格は急速な回復傾向にあった。非OPEC加盟国のロシアもこう言っていた。
減産をめぐっては、OPEC非加盟国のロシアのプーチン大統領がこの日、「世界的なエネルギー部門の安定を維持するためには、現在の状況下では増産凍結、もしくは減産が唯一の正しい決定となる公算が大きい」とし、OPECの減産合意にロシアも参加する用意があることを明らかにしている。
(出所)ロイター、2016年9月29日

しかしながら、イラン、イラクなどサウジアラビアが主導する状況に反発する非主流派が果たして減産でまとまるか。こんな懸念が強まり、再び下落基調に戻っている。

サウジのファリハ・エネルギー産業鉱物資源相は今月のOPEC総会で減産に向けた具体的な合意が得られる「可能性」があると語っている(Newsweek, 2016-10-11)。

***

価格下落期に協調減産ができるかどうかという問題は典型的な「囚人のジレンマ」になる。ライバルが減産に協調するかしないかにかかわらず、自国としては抜け駆けをして増産するという戦略が支配戦略になるからだ。

もちろんライバルも余剰能力をもっているから、自国が抜け駆けをすると報復的な増産を招き、価格は下落へと戻る。

この「囚人のジレンマ」を解くのは極めて困難だ。協調とペナルティを組み合わせたメカニズムを産油国の側で構築しなければならない。そのためには統一的な理念が必要だ。

1973年10月の第一次石油危機の時は第4次中東戦争でイスラエルに勝つというアラブ産油国共通の大義があった。

1979年2月から始まった第二次石油危機は、アラブの大義というのはなかったものの、イランのホメイニ革命による石油生産停止が招いた需給逼迫の中、OPECが協調値上げを決定したことから進行した。米国のシェールオイル業者など有力なアウトサイダーはいなかった。

供給過剰期に理念なき価格カルテルを発動しようとしても決して機能するものではない。

というか、意図的な石油価格低迷はロシアに対するアメリカの経済制裁の一環であるとも解釈できる。

TPP承認案:予想どおり強行採決

TPP特別委員会で本日承認案が強行採決された。

民進党の理事は「安倍総理は強行採決なんて考えたこともないと言いましたけど、うそじゃないですか。今まで見た中で一番ひどい強行採決ですよ」、こう怒っているそうだ。

ハテ、行政府である内閣には国会における強行採決を実行する権限はないはずなのだが ・・・、ま、気持ちはわかる。衆議院議長も怒っているとのことだから。

それはともかく、実際には、理屈は抜きに反対することしか野党に合理的な作戦はない。

なぜなら、ここで協調して可決しても、それは与党の功績だ。野党の支持を増やすという効果はない。いまやっているように反対をして、万が一でもTPP承認案が否決されれば、それは日本の国益を損ねる可能性がある。結果に責任が生じる。が、そんな結果には絶対にならない。とすれば、徹底抗戦することで国民のTPP反対派を自陣にとりこめる以上、安心して反対できる。それが最適反応戦略だ。

与党には多国間TPP折衝で合意済みの内容しか提案しようがない。民進党・共産党は盲滅法バットを振るのと同じ、ただ反対すれば十分である。これ以上に単純な政治ゲームはない。

強行採決は、政権獲得の可能性がほぼゼロに近い「弱体野党」ならではの、必然的結果には違いない。

以上、一言メモ。

追記:
これほど簡単に意図を見透かされてしまうようでは、民進党にとって今回の作戦選択は長期的にはマイナスになるのではないだろうか。そのレベルダウンは憂慮にたえない。

2016年11月1日火曜日

日本はすでに「7割社会主義」の国である

職業生活の終盤に入ってくると、短期の目的に集中することが増える。その分、夢を抱くことは減る。夢が減るので、実際に目覚める前にみる夢もチンマリとツマラナイことばかりを見るようになる。要するに、人間の器が小さくなる。これは悲しいことだ。

悲しいことに、今朝もくだらないことを目覚める前に一生懸命考えていた。ちょっとシミュレーションをしてみたのだな。

もし「お国」が経営管理する公的年金などはなく、各自の創意工夫でやりくりしてきたと仮定すれば、いまどうなっていただろうか、と。

無年金?老後不安?

イヤイヤ、そんなことはない。夢の中では意外といい結果になっていた。そんな筋だったのだ、な。

***

毎月の保険料支払い額は高額である。特に年金保険料は高い。

職業生活を40年続けるとする。年金保険料を毎月平均で5万円納めてきたとする。そうすると支払い合計で一年60万円、40年では元本が2400万円になる。これを投資してきたはずだ。それが40年でどれだけ増えているか、投資成果の評価になる。

小生が仕事をしている間には「バブル景気」もあったし、「失われた20年」もあった。グローバル資本主義の繁栄もあったし、リーマン危機もあった。が、もし自分で自由に米株や英株、欧州株にも投資できたとすれば、2400万円を3倍強の7500万円には出来ていたと、これは自信をもって言える。

米株のIBM、GE、Fordは若い頃から憧れの対象であった。英国の鉱山株(Rio TintoやAnglo Americanなど)は大英帝国の薫りがしてやはり持つのが夢であった。

実際にこんな投資をしていれば国にとられるよりは、ずっと資産を増やせていたはずだ・・・いや、全く夢の中でもカネのことを考えるとは、前に投稿した『徒然草』が書いている通りだ。

起きてからYahoo!で調べてみた。

IBMは1980年前後の14ドルから2000年には118ドルまで上昇した。その後、エクセレント企業としての輝きを失っているが、それでもいま153ドル。10倍に上がっている。フォードを買って持ち続けていれば、リーマン危機で後悔していたろう。しかし、1980年前後の0.99ドルの株価が2000年には24ドルにあがった、その後の崩壊の中で半値まで下がった2002年ごろに売却していれば・・・それでも12倍だ。キリがないので止めておくが、もし自分で投資先を自由に選んでいれば、元本を3倍強に増やすことができていたはずだという想定は、小生の感覚では極めて保守的なのである。

まあ、概算で(もし公的年金制度という厄介なものがなければ)引退時に1億円の資産を築いていた、まあそんな人生であったのではないかな、と。それを世界規模で投資をするとして、1割は現金でもち、残り9千万円を手取り4%で回すとする。そうすれば360万円の年間収入となる。いまの前提では年金はゼロだから、引退後は手取り360万円を柱に夫婦二人が暮らしていくことになる。手元流動性は1千万円である。もし世界経済が成長するとすれば、9千万円の資産額が3割増しの1億2千万円に増えることもあり、その場合「成長の果実」はすべて自分自身が獲得できる。

・・・・・・、これは夢の続きである ー まあ、すべて「取らぬ狸の皮算用」ではあるが。

とはいうものの、現実の生活設計と上のシミュレーションは金額的にそれほどかけ離れているわけではない。いや、おそらくはIT株を基本に今の現実よりは多額の資産を築けていたに違いない・・・。


*** ***


現実には自身で築けていたはずの財産は「年金積立金」という名の国有財産として管理されている。その国有財産の配当を「年金」として受け取るに過ぎない。そして国の都合で、政治情勢によっては、減額されたりする。

小生の引退後の生活は、自分の収入であったにもかかわらず課税されて(公的保険料とはつまり税負担と変わらぬだろう)国家管理されている財産7割と自分が管理する財産3割によって支えられる計算である。

私人に基礎をおく純粋の資本主義社会であれば、国家が個人を生活面で助けるなどということは絶対にない。自分の人生は自分で、そして家族と支えあって生きる。自分の人生はすべて自分で決めるし、家族との情愛の経済的基盤もここにある ー 故に、「家族」を踏みにじる「徴兵」などという制度と「国家による生活保障」とは表裏一体なのであるが、これはまた別の話題だ。

現実には、生活基盤の7割は国が管理している。

日本は(そして欧州も)すでに「実質・社会主義国」であると感じるのは、むしろ自然な思いではないだろうか。

冷戦終結の先例をみるまでもなく、経済制度として競争優位性があるとは思われない。

今朝の夢もまったく内容のない絵空事ではなかったようだ。しかし、そうはならなかった夢のようなことを改めて本当の夢の中でみるというのは、どういうことだ。「正夢」ではないわな、定義からして。

備考:
基礎年金の公費負担は些末な点なので上では無視している。保険料雇主負担がどうなるかという論点も些事なので触れなかった。


2016年10月29日土曜日

反・富裕層: これは「富の正当性」への疑惑なのか

何度も書いているが『徒然草』の第140段には次の下りがある。

身死して財(たから)残る事は、智者のせざるところなり。よからぬ物蓄へ置きたるもつたなく、よき物は、心をとめけむんとはかなし。こちたく多かる、まして口惜し。「我こそ得め」などいふ者どもありて、あとにあらそひたる、様(さま)あし。後は誰にと心ざすものあらば、生けらんうちにぞ譲るべき。朝夕なくてかなはざらん物こそあらめ、その外は何も持たでぞあらまほしき。

(口語訳)
死んだ後に財産が残る事は、知恵のある者のしないことである。よからぬ物を蓄え置いたのも見苦しく、いい物は、それに執着したのだと思うと情けなくなる。財産をやたら残すのは、まして残念だ。「私こそが手に入れよう」など言う者どもがあって、死んだ後に争っているのは、無様だ。死んだ後誰に譲ろうと心に思う相手がいるなら、生きているうちに譲るべきだ。朝夕必要な物はあってもよいが、その他は何も持たないでいたいものだ。

(出所)徒然草 現代語訳つき朗読|第百四十段 

■ ■ ■

報道では高層マンションの高層階には低層階よりも高い固定資産税率を課する方向になりそうだ。

近所の奥さんが視ているはずの今朝のワイドショーでも「それはそうですよ!」という意見が多いようだ。

何と言っても、「富裕層」よりは「庶民」の方が人数では圧倒的に多い。これは国を問わず、時代を問わず、まず当てはまっている事実だ。他方、その社会の経済的発展を「演出」してきたのは、富裕層であり(事業が成功したからこそ富裕になった)、その事業に「従業員」として協力してきたのが多くの庶民である。

ではあるのだが、高層階向けのエレベーターに乗る人を見ると「腹が立ちますね」というコメントがTVから聞こえてきたのは面白い。感性的になんとなく共感できる自分がいるのに気づいているのが情けない。

■ ■ ■

そういえば先日の日経には『相続税逃れの海外移住に網』というタイトルで次の報道があった。
政府・与党は海外資産への相続課税を抜本的に見直す方針だ。相続人と被相続人が海外に5年超居住している場合、海外資産には相続税がかからないが、課税できるようにする。税逃れに歯止めをかける狙いだ。日本で一時的に働く外国人が死亡した場合、海外資産にも日本の相続税をかける現状も変える。

(出所)日本経済新聞、2016年10月21日

米欧では反・富裕層の意識、反・グローバル企業の意識が高まっている。特に「成功した企業」による節税・脱税への社会的反感が高まっている。

一言で言えば、形成された「富」の正当性に社会的な疑惑が生まれてきている。

反・自由資本主義がこれからの時代の潮流になっていくことがほぼ確実になってきたが、この方向にかけては米国よりも寧ろ日本の方がはるかに歴史があり、筋金入りともいえ、行政当局の経験もある。国民の姿勢・社会心理も寧ろ「反・経営者」、「親・社会主義」であるともいえ、さらにいえば「容共的」であるとさえもいえるのが日本社会ではあるまいか(実際、共産党への警戒感は現在の日本にほとんどない)。

日本の財政赤字と財政再建は、経済問題としてはそれほど破滅的なものではない。「日本の財政はもう絶望的だ」と真に日本人が考えているなら、国債相場が暴落する局面がもう何度も発生しているはずであるが、そんな兆候はない。日銀が国債を買っているからであるが、それが心配であるなら、円の現預金を早く手放して外貨や金を買っているはずだ。しかし、日本人が心配しているのは円高である。

財政問題を根拠にあげながら税制改革を進めるのは実は「行政戦略」であろう。そう思っている。

但し、所得課税、資産課税をリニューアルすることは、いま最もやるべきことである。これだけは同感する − 富裕層を「成功者」として、日本社会に貢献した人として尊敬するにしても、その家族を末代まで優遇する必要はないだろう。

■ ■ ■

『徒然草』が書かれたのは鎌倉幕府が滅亡するかしないかという14世紀初めという時代である。

時代を問わず、富を残したいという行為の恥ずかしさ、醜さが挙げられているのは、それが自然の人情だからだろう。

稼いだものは使った方がいい。配偶者は自分の人生の伴侶であったかもしれないが、親の資産は子供の財産ではない。これだけは明白なのだから。

まあ、夫婦二人が死んだ後、自分たちの財産がすべて国にとられるとすれば、子供達が財産分配で争うこともない。それもまた安心立命というものか・・・

以上、覚書きまで。

2016年10月25日火曜日

学者の人生がドラマになるのか

世間では結構評判になっているようなのでニコラス・ワプショットの『ケインズとハイエク』(久保恵美子訳; 新潮文庫)を読んでみた。

二人の経済学者はともに歴史的人物であるのだが、あくまでも経済学者として著者はどう見ているのかという点に絞れば、著者ワプショットは明らかに、歴然としてケインズをより高く評価しているので、学者ハイエクのシンパは本書を読みながら慨嘆するのではないかと思われる。

学者としてばかりではなく、人間ハイエクをどう描写しているかという点についてみても、どこか哀感の漂うハイエクというイメージには共感できないところがある。もちろん、ハイエクは1974年のノーベル経済学賞受賞者であり、十分成功した人生を歩んだと、そういえば言えるのだが、本人のハイエク自身は必ずしもそう思ってはいなかったという印象も伝わってくる。

にもかかわらず、人間描写という点に限れば、ケインズよりもハイエクの人物表現のほうが遥かに精彩があり、やはりそれだけケインズは昔の人である。名前のみが残っているが、本人の息づかいは歴史の彼方に消え去りつつある。そういうことだと思う。何といってもケインズは1946年に62歳で世を去っているが、ハイエクは92歳まで長命し1992年に他界した。その時間差が作品の中の表現の違いになっているのだろう。

◆ ◆ ◆

そもそも学者の人生など、単調で平坦で、栄枯盛衰とも無縁であり、とうていドラマになるはずがない。そう思うのが常識だ。

ハイエクが「シクジリ先生」であったとまでは言わないが、そうなりかかった人生を、実に長い間、歩んだことは事実だ。

そんな学者が、なぜ最終的にノーベル経済学賞を受賞するまでに復活したのか。確かにそれはドラマにはなっているようだ―『ケインズとハイエク』には詳細にわたる事も書かれているので。が、相当つらい人生でありましたでしょうなあ・・・そんな慰めを言いたくもなるというものだ。


◆ ◆ ◆

それにしても、だ。

江戸時代の学者・新井白石はなぜNHKの大河ドラマの主人公にならないのか、小生はずっと不思議でしようがない、そんな人物なのだが、もし徳川家宣が長命し、新井白石がずっと政権を担当し、やり残すことなく存分に腕をふるっていれば、どう評価されていただろうか。

将軍家宣が長生きすれば、徳川吉宗が八代将軍になることもなかったろうし、そうすれば前政権の寵臣であると冷遇されることもなかったろう。しかし、そうなればそうなったで、政務や政策的な協議に忙殺され、傑作『折りたく柴の記』を書く時間的な暇もなかったに違いない。

今生きている我々としては、冷遇された新井白石に多くを負っている。

もし冷遇されていなければ・・・何より学者・新井白石の実行した経済政策は、現実を踏まえたものではなく、学問的な理想に基づくものであったので、おそらくはよい結果は出ず、政治家・白石は失望したことだろう。

権力に冷遇されていなければ、自分の理想を追求できた代わりに、それが効果的ではなかったことを悟り、人生というものの苦みを味わっていたに違いない。政権を追われ、長く冷遇された晩年をおくったからこそ、今に残る学問的な仕事にとりくめた・・・浮世というのは情け容赦がないものだ。

いま歴史に残る新井白石は、失脚した悲運の学者政治家であると同時に、その人柄は独特の薫りをはなっていて実に魅力的な人物であるのだが、成功した政治家・白石がいたとすれば、いま伝わっている「新井白石」は存在していなかったはずなのだ。少しさびしくなっていただろう。

まあ、そうなればそうなったで、「白石先生のしくじり人生」がドラマの素材になっていたには違いない。

とにかく・・・・・・ 歴史を舞台に想像をめぐらせるのは楽しい。後世の人に最も有益なのは、先達の成功より、むしろ失敗の経験である。

成功には幸運という神様の意図が混じり、再現可能性は(実は)ないものだが、失敗には合理的な理由があるもので、後になって敗因分析をすれば実に豊かなメッセージをくみ取ることができる。

それ故に、ビジネススクールでは主流になっている「ケーススタディ」だが、いくら成功した企業を研究しても、そこから「勝利の方程式」は決して見えてくるものではない、と。本当はそう思っているのだ。

2016年10月21日金曜日

誰でも誰かに似ているものだ

この人だけは空前絶後にして、独立自尊。そんな人は一人もいない。人はバラバラで、人それぞれだがよく見ると云っていることや、行っていることは、これまでの誰かに似ている。そう感じる時はたしかにある。

その人と似ている誰かとは誰か。この問いを考えることによって、目の前のその人を一層よく理解できるようになる。これも日常よく経験することだ。


いまの政権を担う安倍首相はほかのどの総理と似ているだろうか。

ズバリ、小生は(個人的にはリアルタイムで同じ時間を共有してはいないが)近衛文麿元首相をあげる。

小生自身は本や資料(それに父の思い出話し)を通してしか知ることはできない戦前期の首相であるが、時代の主流に反抗した反骨精神、国民からの高い支持と一部勢力の熱狂的支持、熱い説得力と裏腹のどこか淡白で弱気な突破力。悪く言えば鈍感というか傍観者的な冷淡。それと表裏をなす洗練された感性。何よりもいかにも育ちの良さそうなキャラクターが醸し出されているところなど、亡くなった小生の父なら今の安倍総理をみて、同じことをいうに違いない、と。そう思ったりしている。

近衛文麿は当時の主流派に対抗して様々の独自の戦略を提唱したのだが、結局は第一次大戦終結後のベルサイユ体制への批判に根ざすものだった − それ自体は極めて正当であり、感覚の良さを窺わせる。その反・ベルサイユ体制の精神は、悪名高いヒトラーのみならず、イギリスの経済学者ケインズも同じであり、その激しい批判は『平和の経済的帰結』にこめられている。

近衛元首相は、軍部を取り込む形で明治憲法体制を実質的に改革しようと志したものの、支持者を得たと豆殻のように跳ね返る軍部の革新勢力を抑えることに失敗した。


為すべきことを為すのは天才である。秀才は為しうることを為す。

為すべきことを為そうとしつつ、所詮は為すことのできないことを為そうとした以上、近衛文麿は天才では絶対になく、秀才でもなく、さらに言えば志そのものは凡才でなかった以上、結局は一人の愚才であった。そんな評価もやむをえないだろう(と、個人的には思っている)。

孫である細川元首相が、祖父・近衛文麿とは違った思想をもっていたように、安倍首相もよく見ると祖父・岸信介とは本質的人柄は全く別であるようだ。

よく似ているかどうかと血縁関係とはまったく別物らしい。

イヤ、イヤ、もう書くのを止めておこう・・・日本という国にはなるほど憲法上は「表現の自由」があるが、「現に迷惑を被っている人がいる」と、そんな理由があるのであれば、このブログコーナーを管理しているGoogle本社もクレームに応じて、著者に同意を求めることなく投稿は削除される。それが現実であることを以前経験しているから。

この文章も別に保存しておくか、な。

2016年10月17日月曜日

新潟県知事選: 不良債権処理と原発事故処理のあまりの違い

新潟県知事選で与党候補が敗北した。もし与党候補が勝っていれば、柏崎原発は再稼働に向けて粛々と手続きが進められ、東京電力という会社は復活への第一歩をきざむことができたはずだ。それが夢のまた夢となった・・・。

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細かな事実をここにまた書くつもりはもうないが、1990年代10年間を通して日本経済全体の大問題であったのは(言うまでもなく)「不良債権」、つまり「バブル処理」であった。

巨大金融機関とリゾート、不動産業界との不透明な関係、裏社会との関係、無理な貸し込みと延命、果ては飛ばし、粉飾決算等々、「まあ出てくるわ、出てくるわ」ともいうべき惨状であった。

事件処理の火の粉は大蔵省・日銀にも飛び火して接待不祥事から何人かの幹部が免職(依願退職)されたりしたものだが、金融機関の経営幹部の中には取り調べの厳しさに自殺を遂げた人もいたくらいだ、辞める程度で済むなら軽いものだった。それが「混迷の10年間」という時代だった。

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福島第一原発事故とバブル処理と、どちらが大きな問題であるか。意味のない問いかけだが、どちらも日常の経営活動で恒常的に発生するマネジメントの範囲には入らない。どんな大事件にもあることだが、ちょっとしたチョンボや思い込みが重大な結果を招いてしまった、そんな側面も共通しているようだ。どちらも特異かつ例外的なスケールをもつ。経済史年表にも記載されることは間違いない大事件である。

それにしては、原発事故とその後の東電処理は外から見ていると「甘々の処分」でお茶を濁している、というイメージを拭きれない。

世間に潜在している「東電不信」には堅い根っこがある。不信の念が継続する限り、問題は根本的に解決されず、再稼働には政治的リスクがある、と同時に国民もまた不幸であると言わざるを得ない。こちらの処理のほうが政府にとっては難しい課題だろう ー いまから鬼の手を揮うには時機を逸したし、経営責任を負う立場にあった関係者も十分に社会的な制裁をうけてきているわけなのだが。

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ただ一つ想像できることがある。

もし原発事故を起こした電力会社が北海道電力であったらどうであったろう?

たとえ津波の中での事故であったにしても、事故の直接的原因・間接的原因は徹底的に調査されていたに違いない。そして国有化にとどまらず、北電が所有する発送電設備の大半を東京電力(今の仮定では事故を起こしていない)、東北電力など他の電力会社、電力市場に参入したいと念願してきた北海道ガス(外資も政府機関もありえただろう)などへ売却するよう、半ば強制されていたであろう。経営幹部も責任を追求され、おそらくは起訴され、「有罪」となっていたのではないだろうか。

発送電施設は大半が他社に渡り、設備をカネに変えた電力会社は事故処理会社を作って、賠償と廃炉を粛々と進める。処理が終わったら清算し、世の中から退場する。

旧・従業員はそれぞれ「第二の人生」を探す(あくまで個人的な事柄で政府が関知するはずがない)。

もちろん公的資金もどこかのステージで注入されたろう。

拓銀(北海道拓殖銀行)を破綻させた後の「行政実験」もそうであったが、原発事故においても又、こんな実験が北海道という場で試されていたはずである。

これだけは、確実に想像できるし、それが現実でなかったことをいま嬉しいと感じる。

と同時に、首都圏に電力をおくる企業であるために僅かでもリスクのある革新ができずにいる。生殺しのように国家管理の下に置かれている。これもまた悲しいことである。

2016年10月15日土曜日

ノーベル文学賞のいう「文学」とはどんな文学なのだろう

今年度のノーベル文学賞は(何と)ボブ・ディランが受賞した。予想する向きもあったらしいが、これまでの経緯を素直に考えれば、びっくりした人のほうが多かったのではないだろうか。

ノーベル文学賞は、チェコのフランツ・カフカ賞とも、英国のブッカー賞とも、日本の芥川賞とも違っているのかもしれない。実際、英国の文豪サマセット=モームも20世紀文学の創始者ともいわれる英人・ジェームズ=ジョイスや仏人・マルセル=プルーストもノーベル文学賞は受賞していない。

おかしい・・・。「文学」の専門家なら思う(と思う)。

しかし、「だからノーベル文学賞は国々と民族回り持ちの単なる名誉賞」というわけではないだろう。

結局、何のために「ノーベル賞」という表彰基金ができたのかという、そんな設立理念によるのだろう(と思う)。


小生は文学には素人の単なる読書好きでしかないが、過去の受賞者をよく見ると、多くの人は何か「主張」というか「、もっと言うなら「主義」をもっていた人物ではなかったか。そんな気がしないでもない。トーマス・マン(1929年)然り、ヘッセ(1949年)然り、パール・バック(1939年)然り、だ。要するに、ノーベル賞を授与する側は何か「思想」を求めているのではないか。そんな気配がするのだな。

それに作家だけではない。哲学者ベルグソンは1927年に新しい哲学への功績で文学賞を授与されている。もっと遡って、1902年に受賞したモムゼンは歴史家にしてローマ法学者であった。モムゼンのローマ史は有名なギボンの『ローマ帝国衰亡史』と同じく文学的香りをそなえていると同時に、近代歴史学の礎石としての価値もあるそうだ(Wikipediaによる)。

ミュージカル・キャッツの原作ともなった作品で有名な詩人T.S.エリオットは1948年に、『第2次大戦回顧録』で有名な英国の元首相・チャーチルは平和賞ではなく、ノーベル文学賞を1953年に授与されている。どちらも重量級の文化人(政治家?)といえよう。

どうもノーベル賞を授与する側としては、世界を変えるような思想、哲学、創作世界を提示するような、そんな「道を切り開いた人物」をイメージにもっているような気がする。

まあ、確かにボブ・ディランはその詩と歌を通してベトナム反戦運動の口火をきり、その後のフォークソング文化なるものの狼煙をあげたわけだから、アメリカ社会を「変えた」といえば変えた人物だ。

エンターテインメントとは、あくまで別の尺度で選んでいるのだ、と。要するに、そういうことではないか。といって、村上春樹の小説に魅力的な創作世界を超えるような、何か社会を変えつつある力があるのかないのか。小生はこれ以上の知識をもっていない。

以上、単なるメモである。

2016年10月12日水曜日

これは「大学の自殺」にあたるかも

古い本だが、時々、大内兵衛の自伝『経済学五十年』を読み返す。少年時代から大学を退官した後の人生を振り返っているのだが、最も生彩を放っているのは戦前の軍部独裁時代に東京帝国大学が過剰なまでに「時代」というか、「時勢」なるものと協調しようとして、そうする中で自ら大学として崩壊していった頃の思い出話しである。

中でも「左翼分子」を大学から放逐するときに大学執行部と協力的姿勢を示した自由主義者・河合栄治郎が、今度は自分が自由主義者である咎で大学を追われることになった下りは、文字通り1930年代という時代がいかに「下らない時代」であったか、限られた10数年ではあるがそんな戦前期・日本の現実を伝えてくれている。

亡くなった父も当然に戦前派であったが、その時代が実に下らなかったことは、小生の幼少期に折に触れ、朝の昼の晩の食卓を囲みながら、語り草にしていたものである。いやまあ、個別の話題はここでは省こう。

下の記事があったので全文を引用しておく:

 「残業100時間で過労死は情けない」とするコメントを武蔵野大学(東京)の教授がインターネットのニュースサイトに投稿したことについて、同大学が10日、謝罪した。7日に電通の女性新入社員の過労自殺のニュースが配信された時間帯の投稿で、ネット上では「炎上」していた。
 投稿したのは、グローバルビジネス学科の長谷川秀夫教授。東芝で財務畑を歩み、ニトリなどの役員を歴任した後、昨年から同大教授を務める。
 武蔵野大などによると、長谷川教授は7日夜、「過労死等防止対策白書」の政府発表を受けてニュースサイトにコメントを投稿。「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない」「自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない」などと記した。
 電通社員の過労自殺のニュースが配信された時間帯に投稿されたもので、コメントがネット上に拡散。「こういう人たちが労災被害者を生み出している」「死者にむち打つ発言だ」などと批判が広がった。長谷川教授は8日に投稿を削除し、「つらい長時間労働を乗り切らないと会社が危なくなる自分の過去の経験のみで判断した」などと釈明する謝罪コメントを改めて投稿した。
 武蔵野大は10日、公式ホームページに「誠に遺憾であり、残念」などとする謝罪コメントを西本照真学長名で掲載。「不快感を覚える方がいるのは当然」とし、長谷川教授の処分を検討している。(千葉卓朗)

(出所)Yahoo!ニュース、(元記事)朝日新聞デジタル、2016年10月11日22時3分配信

なるほど、意見を公開したら職場から「処分」ですか・・・。井戸端会議ならよいとでも・・・。

以前に具体的な人名を含めた記事をこのように引用し、小生の意見を述べた投稿をしたことがあった。ところが何週間かたってから「指摘に応じ削除しました」という通知がGoogleから届いた。

戦前期のくだらない時代と何がなし共通点があると思うのだが・・・まあ、削除されたくはないので、これ以上は書かないー マ、念のために原文は別に保存しておこうか、ネ。

2016年10月11日火曜日

「データ音痴」のサンプル

自分の主張に都合の良い事実を見つけると、他のデータとの整合性をチェックすることなく、自分の元来の主張と目の前の事実を単純に結びつける・・・、これは人の常である。

「幽霊はいる」と日ごろ信じている人は、夜一人で歩いているとき、風に揺れるススキの穂も幽霊にみえる。同じことだ。

いいサンプルをみつけた:
 それにしても、なぜノーベル賞を受賞した日本人科学者は全員男性なのでしょうか。
 その最も大きな理由として、理系学生に占める女性の割合が低いこと(修士課程で理学22%、工学12%)があります。
 また各国の研究者に占める女性の割合は、アメリカ34%、イギリス38%であるのに対し、日本は15%程度にとどまっています。
 さらに、家事・育児は女性の役割という意識が根強い社会で、妻が全面的にサポートするという働き方が求められる状況も、原因ではないでしょうか。これでは、女性研究者が同じほどの業績をあげることは難しいでしょう。
(出所)Yahoo!ニュース (元記事)毎日新聞2016年10月9日

要するに、日本社会は学界を含めて、「家事・育児は女性の役割という意識が根強い社会で、妻が全面的にサポートするという働き方が求められている 」が故に、いくら才能豊かな女性であってもノーベル賞を受賞するような研究には従事できないでいるのだ、故に日本からは女性受賞者が出ないのである・・・と。そういう主旨であるようだ。

しかし、この論法でいけば、アメリカは学界における女性の割合が34パーセント、イギリスでは38%の高率を占めるのであるから、英米両国の女性研究者のノーベル賞受賞回数は日本よりはずっと多い。そうなっているはずである。

しかし、そもそもの話し、自然科学分野における女性のノーベル賞受賞者はこれまでに延べ人数で僅か16人である。全分野に広げても女性は延べ44人、全受賞者中5%程度を占めるに過ぎない(参考サイト)。アメリカやイギリスは女性研究者がはるかに恵まれた研究生活を送っているので、日本よりはずっとノーベル賞受賞者が多い、というわけではない。

また最近20年間に限っても女性の(自然科学分野の)ノーベル賞受賞者が増えてきているという兆候もない。

日本の女性でノーベル賞受賞者が現れない原因は、日本社会に特有の原因によるというよりも、科学の純粋研究、特にノーベル賞を得られるような(ある意味で)突飛な研究を続ける活動に占めている女性の比率。この比率が世界的に低い。だからではないか。とすれば、それは何故か。こうした面から語るべきではないか。

日本社会に根強い「女性観」がもたらしている事実ではない。また、研究活動のあり方を倫理的な観点から論評する目線にも(個人的には)反対である。

2016年10月8日土曜日

時代背景、トレンド・・・小説の予定外の効用

小説は特定の時代に書かれたものだから、作者が生きていた時代では常識であった考え方や時代背景などが、自然に書き込まれていることがある。

ずっと以前になるが学部ゼミで有島武郎の『生まれ出づる悩み』を読ませたことがある。主人公は、言うまでもなく、岩内で家族とともに漁師として生きていた木田金次郎青年であり、絵を捨てきれない木田青年と交流のあった有島がこの作品を発表したのは1918年のことであった。

1918年といえば14年から始まった欧州大戦(=第一次世界大戦)が終わった年であり、それまで未曽有の好景気にわいた日本に次第に不況の影が忍び寄ってきていた時期にあたる。そんな時代背景が有島の描いた岩内町の風景描写にもそこはかとなく漂っているのだ。


最近は岡本綺堂の『半七捕物長』に久方ぶりではまっていることは以前にも本ブログに投稿した。昨晩、光文社から出ている時代小説文庫版の第3巻に収められている「雪達磨」を読んでいると、≪文久元年の冬には、江戸に一度も雪が降らなかった。冬じゅうに少しも雪を見ないというのは、殆ど前代未聞の奇蹟であるかのように、江戸の人々が不思議がって云いはやしていると、その埋め合わせというのか、あくる年の文久二年の春には、正月の元旦から大雪がふり出して、三が日の間ふり通した結果は、八百八町を真っ白に埋めてしまった。故老の口碑によると、この雪は三尺も積もったと伝えられている・・・≫、こんな風な叙述があるのだ、な。

文久二年といえば1862年、・・・、まだまだ寒冷期であったろう。岡本綺堂は旧幕臣の息子として明治五年(1872年)に東京で生まれた人である。長じてからもまだ文久二年の大雪のことを記憶している人は周りに大勢いたはずだ。


以前、天保時代に制作された歌川広重の浮世絵「蒲原夜之雪」の豪雪は、江戸に暮らしていた広重のおそらく寒かった天保の実際の経験に基づきながら描いたものであったろうとの覚書をこのブログに残したこともある。

文久二年は1862年、かと思えば銚子の沖合にある海鹿島には、明治時代になっても2、300頭のアシカが(まだ)棲息していたという。

明治時代は、少なくとも前半20年間は、いまと(また、前の時代に比べて)比べて非常に寒い時代であった。

よく「観測史上最高」という形容がされるが、東京気象台が気象電報を開始したのは1883(明治16)年。いま気象庁のホームページで日本の月平均気温の長期トレンドを図に描くと、日清戦争後の1898年からデータがそろっているようである。

いずれにしても、いま言われている気温の長期トレンドとは、最近において最も寒かった時代の気温を開始時点にしてトレンドをみていることになる。

ミス・ジャッジメントにならないか。ちょうど、前回の景気の谷を開始時点として販売の回復をみているようなものだ。そういう面があるのではないだろうか、と。一寸、気になったので覚書にしておいた。



2016年10月4日火曜日

反・「役に立つ」の名言

ノーベル医学・生理学賞を受賞した大隅良典博士は、科学が「役に立つ」という見方が日本の社会をダメにしている、と。本日の道新朝刊のコラム記事にそんな紹介があった。

2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹博士は「セレンディピティ」という言葉を愛用したそうだ。セレンディピティ・・・「偶然による予定外の発見」である。

つまり、計画された実験なり、観察は、それ自体としては目的を達成せず、失敗であったことを意味する。よくいえば試行錯誤、悪く言えば偶然のたまもの。それが「発見」である。そう言えるだろう。

その伝でいえば、科学的発見とは求めて得られるものではなく、そもそもそれ自体として成功がある程度見通されている、失敗の可能性がほとんどないような研究をしていては、高い確率で計画がうまく行くが故に「発見」もまた無し。こういうロジックになる。

「発見」とは、というより一般に「イノベーション」とはといってもよいが、研究それ自体としては結果の見通しが立っていない、そんな研究から高い確率で偶然生まれてくるものである。う~ん、きわめてロジカルだ。

だから、「役に立つ」ことを求めていては社会はダメになる。この結論が出てくるわけだ。「役に立て」とは、意味のないことはするな、という意味が含まれている。さらにいえば、危ないことはするな。そんな要請がこめられることも多い。

「役に立て」と言うがあまり、「役に立たない」ことばかりを皆がするようになる・・・逆説ではあるが、現実の本質をついているかもしれない。


◆ ◆ ◆


大隅博士の名言は、単なるコメントではなく、科学的進歩とは何かという本質をわきまえた極めてロジカルな指摘である。反論するのは難しい。

もちろん、一定の時間と費用をかければ、必ず一定の成果が得られるような研究や調査もある。こちらは、「役に立つ」ことが求められている活動である。そんな種類の研究調査が必要なことも当たり前である。

いまどのような商品・サービスが求められているか?この疑問に答えるには、一定の調査費用をかければよい。そうすれば、必ずわかることなのだ。故に、役に立たないマーケット・リサーチは存在意義がない。これもロジカルな結論である。


2016年10月1日土曜日

配偶者控除・・・迷走しているような

昨日投稿の後、本日付で標記のテーマについて報道があり、政府は「配偶者控除撤廃+夫婦控除導入」の提案は見送り、配偶者控除を拡大するという方向が出てきたとのこと。

うちのカミサンなどは、配偶者控除の上限を引き上げるなら、それが一番いいんじゃないのと話している。多分、近所の奥様連と情報交換する中で、現在の配偶者控除という税制がどう受け取られているか、ある程度の感覚が形成されているのだろう。

この辺に大多数の意識はあるのだと思われる。

ただ、103万円を150万円まで上げる位でいいのか・・・。『非正規でフルに働いても170万円とか、200万円までいかないし、嬉しんじゃないかなあ』。そんなことを言っているから、井戸端会議も結構「データのエビデンス」に裏付けられ、それなりの水準の話しになっているようだ。

ただ、フルに働きやすくするというのは、子育て支援としては落第の政策だと(個人的には)思っている。これは最近何度か投稿したとおりだ。

2016年9月30日金曜日

配偶者控除撤廃 ー まず撤廃するのは次の展開に向けた戦略なのか?

配偶者控除が撤廃されれば、専業主婦は単なる無収入者もしくは少額所得者となり、専業主婦であるが故のメリットはなくなる。働けば働くほど、収入が増えるので専業主婦であり続けることの機会費用は大幅に上がることになる。

この件は前の投稿でも議論したのだが、ひょっとしてこれは政府の戦略かもしれんなあ、と。そんな気もするようになった。


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まず配偶者控除を撤廃してから、次に『育児控除/子育て支援控除』・・・名称はともかく、現在の児童手当を更に一層かさ上げした優遇措置を導入する可能性も否定できない、と。

子供が成人するまでは、現在の配偶者控除に相当するほどの額を「子育て控除」として認める。現に子供を育てている世帯は優遇する。そうでない夫婦は除外される。働けばいい。実に、身もふたもない。が、「ええぞなもし」、そんな評価をする夫婦も多いかもしれない。

今でも扶養控除はある。が、家計における老親、配偶者、子供のそれぞれのポジショニングはいま確かに変わりつつあるのだろう。税制上の取り扱いも整理したほうがいい。こんな思考も確かに可能だ。

子供がいない夫婦も多数いる中で、いきなり『来年度から配偶者控除を撤廃して、育児控除にリニューアルします』というわけにはいくまい。

結局、政府というのはいつも子供の数を数えている。一人一人の顔ではなく、数が大事なのだ。要するにそういうことかもしれないのだ、というよりそうであろう。

そのうち基礎年金額(税が投入されている)にも育てた子供の数が反映されるようになるかもしれない。

一応、覚書きにしておこう。

2016年9月27日火曜日

断想: 長生きについて

何度も引用する言葉だが、福沢諭吉は人間に関することで絶対的に善であることは一つもないと『学問のすすめ』の中で書いている。
たとえば銭を好んで飽くことを知らざるを貪吝と言う。されども銭を好むは人の天性なれば、その天性に従いて十分にこれを満足せしめんとするもけっして咎むべきにあらず。ただ理外の銭を得んとしてその場所を誤り、銭を好むの心に限度なくして理の外に出で、銭を求むるの方向に迷うて理に反するときは、これを貪吝の不徳と名づくるのみ。ゆえに銭を好む心の働きを見て、直ちに不徳の名をくだすべからず。その徳と不徳との分界には一片の道理なるものありて、この分界の内にあるものはすなわちこれを節倹と言い、また経済と称して、まさに人間の勉むべき美徳の一ヵ条なり。 
右のほか、驕傲と勇敢と、粗野と率直と、固陋と実着と、浮薄と穎敏と相対するがごとく、いずれもみな働きの場所と、強弱の度と、向かうところの方角とによりて、あるいは不徳ともなるべく、あるいは徳ともなるべきのみ。ひとり働きの素質においてまったく不徳の一方に偏し、場所にも方向にもかかわらずして不善の不善なる者は怨望の一ヵ条なり。 
怨望は働きの陰なるものにて、進んで取ることなく、他の有様によりて我に不平をいだき、我を顧みずして他人に多を求め、その不平を満足せしむるの術は、我を益するにあらずして他人を損ずるにあり。譬えば他人の幸と我の不幸とを比較して、我に不足するところあれば、わが有様を進めて満足するの法を求めずして、かえって他人を不幸に陥いれ、他人の有様を下して、もって彼我の平均をなさんと欲するがごとし。いわゆるこれを悪んでその死を欲するとはこのことなり。ゆえにこの輩の不平を満足せしむれば、世上一般の幸福をば損ずるのみにて少しも益するところあるべからず。
(出所)青空文庫『学問のすすめ』十三編

金儲けに専念する人は強欲であると人は言うが、確かに強欲そのものは不道徳ではあるが、筋道に沿った節約であれば人は褒めるわけである、と。明治維新直後であるにもかかわらず、というか維新直後で価値観が混乱している時であればこそ、偏見や先入観に染まらず当たり前の事実をズバリと言えたのだろう。

その福沢も嫉妬や妬み、やっかみは全く同情の余地がなしと断言している。自分が得をするわけでもなく、何かの価値を創造するわけではなく、ただ他人を自分と同じ水準にそろえようと画策するのが妬みの感情だ。妬みを肯定しては世は進歩しない。だから社会には害があると断言している。

◆ ◆ ◆

朝方、目覚める前のボンヤリとした状態で何かを一生懸命考えていた。

自分が100歳になるまで生きるとしたら・・・カミさんと結婚してから過ごしてきたと同じ位の時間をこれから生きなければならない。

とんでもない話しだ。真っ平御免だ。

いま生きている、マアマア幸福な現在という時が、40年も、50年も昔のことに過ぎ去ってしまうなど、耐え難い未来である。

前に引用したことがある。吉田兼好の『徒然草』では次のように平均寿命未満の人生を好ましいとしている。
あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
(出所)吉田兼好『徒然草』第七段

親が長命している人が羨ましいわけではない。長寿を楽しんでいる人が羨ましいわけではない。

ただ、小生は個人的には、人生八十年がバランスがとれ、やりたいことは概ね全てやり終え、具合もよく、子供も寿命を納得し、自分も過ごした人生を納得できる丁度良い長さの人生である。そう思う。

いや八十年という時間がそもそも長すぎるのだと思う。

ほぼすべての人が八十年、九十年、百年と・・・ますます長い人生を生きることで、それ自体は確かに善いことには違いないが、失われる幸福も増えることを何故人は語らないのだろう、と。そう思う。

人生五十年時代に四十にたらぬ寿命をよしとした兼好の伝でいえば、小生が希望する人生は古希。八十に満たぬ七十歳で、「もう十年生きていれば・・・」と言われつつ、浄土に参るのが最もきれいな人生ではないか、と。そう思ったりしながら、今朝は目覚めたのだ。

いやあ、根暗な夢だ。

結局、我が家は曽祖父も父もそうであったが、長寿社会には順応できない家系かもしれない。

2016年9月24日土曜日

当然の真理は将来にも必ず貫かれる

日本国内にも社会・経済系で優れたブログは多くある。

最近注意をひいた文章を二つ引用する。
よく日本の政府債務は1100兆円といわれるが、これは政府のバランスシートに載っているオンバランスの債務だけだ。純債務はこれより少ないが、財務省の推計では約670兆円で、GDPの1.35倍だ。
これとは別に、社会保障特別会計で向こう30年に払う約束をしているオフバランスの債務は、次の表のように純債務ベースで約1600兆円ある(鈴木氏の推計)。これは毎年約50兆円の財政赤字として一般会計から穴埋めされる。それが社会保障関係費である。したがって日本政府の借金は、合計で2200兆円以上あるのだ。
(中略) 
もはや財政赤字の要因として、社会保障以外は取るに足りないといってもよい。事業仕分けで「無駄の削減」なんてやっても、焼け石に水にもならないのだ。安倍首相がこの問題に手をつけないで「高齢化はチャンス」などと意味不明の話をしているのは理解できない。社会保障危機=財政危機は国を滅ぼす、憲法改正よりはるかに重大な問題だ。
(出所)池田信夫「財政危機とは社会保障の危機である」 << Agora 、2016年9月24日

指摘されている問題の本質はまさにその通りだ。家族に高齢者がいて、私的な資産運用収入か公的な年金収入で生計費が賄わなければ、資産を取りくずすか、負債を増やすしか方法はないのである。これは常に当てはまるロジックだ。

負債は、その時点では資産の減少としては認識されないが、返済の義務が生じている以上、資産は既に減っている。もちろん純資産の意味である。

実支出が実収入を超えれば、必ず純資産としては減っている。

もし高齢者が自分の名義で借金することができなければ、現役世代が借りる。家庭ならこの時点で現役世代が借金増加を拒否するので、高齢者は自分の資産を取り崩すか、資産がなければ生計費を削るか、いずれかを選ぶしかない。

しかし、日本社会全体で高齢者を支える「社会保障」では、政府が負債を増やしている。が、負債が増えたその時点で日本全体の純資産が減っていることにはなかなか気が付かない。

いや、もう少し厳密にいう必要がある。

なるほど国債の大半を外国人が買っているわけではない。つまり外国から金を借りているわけではない。ただ、財政赤字の原因は主に高齢者に対する社会保障給付である。政府がカネを持っている人からカネを借りている。政府名義で借りているわけだ。

一見、カネを持っている人の資産は減ってはいない。しかし、歴史上、膨張した公債が問題なく償還された例はない。日本の国債も正常に返済されることはないであろう。

ということは、日本で究極の資産保有者である家計の純資産がこの時点ですでに取り崩されている。こう見るのが理屈である。

消費税率の引き上げ、あるいはインフレの進行は、いま進行中の経済取引と一対一に対応してはいない。いま進んでいることは、資産保有者から社会保障受給者への富の移転なのである。

要するに、私有財産不可侵を原則とする資本主義はすでに風前の灯、あえていうなら既に名目上の体制と化しており、日本社会の実質は社会主義であると言っても過言ではなかろう、と。小生はそう思うのだ、な。

前に投降したように、資本課税か、相続税強化が最もロジカルである。まず十中八九そうなるであろうと敢えて予言しておく ― 海外移住、資産の海外移転等による節税・脱税については別にとりあげる。すでに世界共通の政策課題であり、日本政府からみれば大した問題ではない。

■ ■ ■

注意を引いたもう一つのブログがある。

こに来て元官僚の高橋洋一氏が、日本政府の徴税権を資産計上しろと言い出した(J-CASTニュース)。

こういうと、まだ債務超過であるという批判もある。しかし、政府の場合、強制的に税金を徴収できる徴税権がある。どんなに少なく見積もっても毎年30兆円以上の税金徴収ができるのだから、その資産価値は数百兆円以上だろう。というわけで、政府バランスシートでみても、統合政府バランスシートで見ても債務超過ではない。
(中略) 
東インド会社のように営利企業であれば、利潤最大を目指して徴税や歳出ができるので、徴税権から利益を得ることはできるであろうが、日本政府は営利企業では無い。徴税権を生かして、国民資産を無闇に接収することは許されない。いつかはプライマリー・バランスの赤字を解消するのであろうが、大きな黒字にはならないであろう。それを割り引いて現在価値を出しても、ゼロと見なせる数字にしかならない。つまり、日本政府の徴税権の資産価値はゼロである。
(出所)ニュースの社会学的な裏側 、2016年8月14日


論争的な文章の外見とは異なり、指摘している点は正にシンプルこの上ない一点である。

政府は"Ponzi Game"を行えない。借金は必ず最後には返す。無期限であれ、収支は必ずバランスする。この公理である。ゆえに、政府の徴税権の資産価値はゼロとなる。

同じ理屈は実は家計にも当てはまっている。なぜなら、家計は生産主体ではないからだ。付加価値を産むのは企業部門であり、家計は効用を最大化しようとする消費主体である。故に、最終的には必ず収支バランスする。

この理屈で社会保障を考えれば、いま進んでいるのは政府の債務増加というよりは、家計の資産減少であるとみるのが正しい。政府の負債であるから、家計の資産減少という真の姿が見えにくいだけである。

将来的には、資産を奪われたあとの家計部門、内部留保を蓄積した民間企業、そして民主主義勢力によっては倒されえない民主的政府の純資産ゼロという状態。この三つが日本を構成するだろう。なんといっても、日本は資本主義社会であり、オンゴーイングの企業から資産を接収することはなしえないはずだ。

■ ■ ■

実は、政府はサービス生産者である。さらに、国営企業を独占的に経営すれば、利益追求主体になりうる。この点は、家計も個人企業を経営できることと変わらない ― というか、持ち家の住宅賃貸サービスは帰属処理された個人企業としてとらえるのが理屈だ。

なので、政府や家計に当てはまる"No Ponzi Game"という前提は、あくまでも教科書の中のことである。だから、政府や家計の今後の行動によっては、うえで述べたとおりのことが起こるとは断言できない。

上に書いているのは、普通に考えればという前提付きのあくまでも形式的な論理である。


2016年9月20日火曜日

政治は必然的に劇場になる

最近はTVドラマ不毛の時代である。なので、バラエティだかニュースだか分からないようなワイドショーが花盛りになっている。

我が家もカミさんが友人(=四国に居住する年下の義理の姉)から送ってもらっている韓流ドラマの録画をみないときは大体はワイドショーを観ている。

ワイドショーというのは、同じテーマで何日もずっと話し続けるという傾向がある。登場するコメンテーターの顔ぶれもほぼ一定である。同じ配役のドラマに相通じるところもあるし、それは同じ面子の井戸端会議でいつも同じ話をし続けるのと大変似ている。これ即ちFacebookでも提供しているTrendingというものなのだろう。

この一週間、いやもう二週間になるか、このところずっと築地と豊洲の話を続けている。どのチャンネルをみても、ワイドショーであれば全局そうである。午前も午後もだ。

一つの地方自治体の流通卸センター移転の問題でこうである。もし万が一、尖閣諸島に中国の武力集団が(あくまでも民間の過激派グループであるとして)上陸したとしたなら、日本の全放送局は狂ったようにそればかりを一日24時間ずっと放送し続けるであろう、と。

いやいや杞憂に終わってほしいものだ。

いずれにしても、いま民間のTV放送局の経営理念では限定的であるにせよ突然勃発する武力衝突について日本社会を啓蒙するようなバランスのとれた番組を放送する能力はどこも有していない。これだけは言えると。そう感じるのだ、な。


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築地と豊洲。一体どうするのだろうか。

いまこのくらい面白いトピックがあるだろうか。

単なる「移転延期」から「誰も知らない地下空間の存在」へ話が進み、そして工事契約時点ですでに地下空間が工事内容に含まれていた、それを石原元都知事も承認していた。

安全性に根本的疑問がついてしまった以上、食品流通センターが豊洲に移転すること全体の適否が改めて検討課題になってしまった。

小池都知事は築地移転の問題に世間の目を集めることには成功した。「旧勢力」の弱点を突くことには成功した。しかし、自分の手でボールを握ってしまった。今後、都知事が下す判断にはすべて政治リスクが伴う。

粛々と築地から豊洲への移転をするなら安全面で発生する全てのリスクはこの時点で移転を決定する小池都知事が負担する。

移転を中止するという決定も可能である。豊洲に建設した建物は、スポーツアリーナ、衣料・雑貨などのショッピングセンターなどであれば使用に問題はないという。用途変更のうえ、どこか民間企業に売却し、改めて築地の今後について議論する。こんな方向転換も可能だ。

しかし方向転換をするとすれば、その後の進展については100パーセント、小池知事が責任を負担する。そもそも2020年のオリンピック道路はどうするのだ。築地移転をまっているはずだ。

どんな判断をするかによらず、小池都知事は大きな政治リスクを負担してしまったことになる。

責任回避のスキルにたけた官僚出身政治家であれば、いまは粛々として当初のプラン通りに進め、(確実に発生するであろう)具体的な問題が(現実に)発生した時点で調査委員会を立ち上げ、後手の先をとるような戦略をとったに違いない。

小池都知事の戦略は、後手の先ではなく、先手必勝の一手である。が、その一手に含まれているそもそもの意図、そして次の二手が見えているわけではない(と思われる)。

これからどうするつもりなのか。戦闘は華々しいが、戦略が見えないところは、豊洲移転を推進してきた旧勢力も小池都知事をとりまく新勢力も同じである。

シナリオなき政治ドラマがいま進行中なのだろう。一人の脚本家の脳みそにうかぶ架空のドラマより余程面白いのは当たり前である。

2016年9月16日金曜日

メモ ― アホな(=愚かな)意見の典型

民進党代表に蓮舫女史が当選した。前原氏にダブルスコアをつけたというのは(個人的には)予想外であった。

幹事長に野田前首相をあてたいというので調整中だと報道されている。

ところが野田氏は民進党(当時の民主党)が選挙に大敗して野に下ったことの「戦犯」だというので党内には反発が強いという・・・。


この発想でいうと、日本が戦争を始めた責任は開戦時の総理である東條英機にあり(これはそう解釈されているのがいわゆる「正統派歴史観」になっているが)、戦争に負けたのは負けた時の首相である鈴木貫太郎に責任がある。

同じ発想、同じ議論であるのには、吃驚した次第。

なぜ旧・民主党が政権から転落したのか、その真の理由を支持者たちは議員に話してはいないのだろうか・・・分からん人などいないと思うのだが。

日本人が政治をするとなると進歩しないものだねえ。

『そういうことにしておきたい』という邪念が混じると、その人間集団は限りなくアホに、愚かになるようだ。

2016年9月10日土曜日

断想―人工知能と正義に関する実験

人工知能で動作するロボットに「感情」を与えることが可能かどうか。この点が大きな問題になっているそうだ。

もちろん、現時点では疑似感情、感情をもっているかのように機能する、そのくらいは可能だということは色々な報告から把握している(つもりだ)。

とすれば、将来は感情機能を有したロボットと、感情機能をオフにしたロボットと、二つの異なった仕様のロボットに同じデータを与えて、何らかの司法判断を出させてみる。

この二つの司法ロボットが下す判決が大きく違う点に対して、生きた人間がどちらの判決が<正義>により適っているのかを判断する。

その結果、人間が持っている正義の観念は、ロジック、つまり純粋理性から生まれるものか、単なる感情に由来するものか、それとも(二つのロボットが同じ判決を常に出すのであれば)、過去に蓄積された経験、いうなれば「伝統」とか「慣習」が正義として意識されるものなのか。

人工知能が進化することでこんな実験も可能になるだろう。

2016年9月6日火曜日

老兵の目

時代の潮目というテーマを先日の企業向けゼミで話した。

たとえば規格化大量販売から「匠の技」への変化がまずあって、それがいままた逆転しつつあるという話だ。

日本の高度成長は昭和30(1955)年から45(1965)年までの15年間を指すというのが「標準的見解」だが、この時代にあった個別企業の立場からみれば、シェア獲得とそれを目的とした拡大投資戦略が正しい戦略だった。当たり前のことである。拡大投資は予想が外れれば財務悪化と倒産のリスクがあるとはいうものの、守りの姿勢をとればシェアを奪われ、コスト優位を失いー時代は規格化・大量生産が花形の時代だったー事業継続が難しい。守りのリスクはあまりにも大きかったのだ。

石油危機を間に挟んで日本は多品種少量販売へと戦略を変更し、その完成形が「匠の技」である。20世紀早々のアメリカでフォードが展開したT型単品販売が新興企業GMの差別化マルチライン戦略を前にして敗れ去ったと同様、高度成長時代の終わりにさしかかって拡大戦略から差別化戦略への転換が日本の「進化」だと思われていたのだ ー 実は、進化ではなく、単なる戦略変更にすぎなかったのだが。

日本企業が陥った硬直化は、危機の時代のGMが陥った硬直化と似ている面がある。もともと多様化戦略にはマネジメントコストがかさむという弱みがあるが、一度その戦略が成功すると確立された組織文化となってしまう。目的を達成するための単なる組織戦略であったものが、組織文化になってしまうと、よほどの英雄的経営者をもってしても、変更が不可となるものだ。そして、失敗する。

最近話題になることが増えてきたブルーオーシャン戦略は、匠の技とは正反対であり、むしろ先手をとって参入し、標準化を経てから拡大を目指す点では、昔の規格化大量販売と実質は同じである。すでに政府もとっくに方向転換していて、『ものづくり白書2012年版』では、過少投資を繰り返す日本企業と大規模投資を怖れない韓国企業が対比されている。

「時代」というのは変わるものである。そしてその潮目の変化は、先日当地を訪れた某企業グループの課長級参加者たちも日常ヒシヒシと感じているように思われた。そしていまはそれが正しい方向だと信じているようでもあった。

文字どおり「今までが間違いであり、これからは正しい方向を目指す」と、そんなメンタリティがビジネス現場で浸透しつつある。この変化は大きい。ちょうど、戦前の昔、第一次大戦後の、というより日露戦争以後の日本が徹底してとってきた大国との「共存共栄・協調戦略」を間違いとして、対立紛争を覚悟してでも国益のため拡大戦略をとる。方向転換するべきだ。そんな意識が中堅層に形成されてきた1920年代に通ずる雰囲気がある。

いま「時代」は一回転しつつあるードイツ人の好きな"Die Welt dreht sich"である。


数日前にみたTVのワイドショーで辻村深月の『東京会館と私』が紹介されていた。

古建築の保存を第一に考える、街の旧観をとりもどす。そんなメンタリティがいま浸透しつつある。作り変えることが進歩であると考えていた旧世代とは哲学が違うと言ってしまえば簡単だ。

近いうちに江戸の昔を懐かしむ思いが、趣味の域を超えて、江戸の昔が正しいと誰もが考える時代がやってこよう。

そうなれば、明治政府は本当に日本人にとって正しい政治をやってくれたのか。もう一度考える。そんな時代がやってこよう。

一言で言えば、それが「歴史」である。

いま行動している人間たちには、自分たちが歴史の中でどう評価されるか全くわからないものだ。

なぜなら「時代」というのは必ず変わるからである。



2016年9月2日金曜日

老兵は死なずただ消えゆくのみ

終戦記念日から三週間続いていた某企業グループ向け研修が本日終了した。小生は一昨年の第1回から参加し「戦略的思考のためのツール」を担当してきたが、今年限りで引退することを申し入れてある。

今回の参加者は13名。全国から選抜された課長クラスである。いわばビジネス戦争の前線で部隊長として勤務している13名が当地に集結したわけだ。そんな13名を特訓せよと委嘱された我々こそ、特訓されているという感覚を覚えるのは、今年も同じであった。

昨日、今日の派遣元企業役員向け最終発表会で配られた資料は記念に保存しておこう。

ただ、もうやることはないのかと思うと、いささか寂しくもある。

Old soldiers never die, they just fade away ...

老兵は死なず、ただ消えゆくのみ

小生なら最後に "with no remarks" をつけるだろう。『老兵は死なず、語らず、ただ消えゆくのみ』。

そして、本来ずっとやりたかったことをする。

歸去來兮     歸去來兮(かへりなん いざ) 
田園將蕪胡不歸  田園 將に蕪れなんとす 胡(なん)ぞ歸らざる 
既自以心爲形役  既に自ら心を以て形の役と爲す 
奚惆悵而獨悲   奚(なん)ぞ惆悵して獨り悲しむ
實迷途其未遠   實に途に迷ふこと 其れ未だ遠からずして

覺今是而昨非    覺る 今は是にして 昨は非なるを

(出所) 陶淵明「帰去来」


生活のために報酬をもらうためにする仕事はすべて面白くはないものだ。これまでが間違っていたのであり、これから正しいことをするのだ。

若いころから詩人の心境をうらやましく思っていた。

2016年8月30日火曜日

習路線が日本の国益に沿う?

こんな報道がされているが、同じ趣旨の内容はこれまでにも度々伝えらているので、まあまあ実態に近いのだろうと憶測される。

国有企業を保護し、経済に対する共産党の主導を強化したい習氏と、規制緩和を進めて民間企業を育てたい李克強氏の間で、以前からすきま風が吹いていたが、最近になって対立が本格化したとの見方がある。(中略)習主席は7月8日、北京で「経済情勢についての専門家座談会」を主催した。経済学者らを集め、自らが提唱した新しいスローガン「サプライサイド(供給側)重視の構造改革」について談話を発表した。李首相はこの日、北京にいたが会議に参加しなかった。共産党幹部は「“李首相外し”はここまで来たのか」と驚いたという。

その後、
8月に河北省の避暑地で開かれた党の重要会合、北戴河会議で、「習主席が経済政策の主導権を握ることが決まった」(米国の中国語ニュースサイト「博訊」)との情報も流れる。
(出所)上は産経ニュース2016年7月31日、下は同じく8月29日

中国経済がいま「転型期」にあることは間違いない。この先もバランスのとれた成長を続けていけば、中国国内に豊かな中産階級が形成されてくるのは確実で、それが中国国民の政治感覚を根本から変容させていく。これも確実に見通される。この変化を、共産党一党独裁を絶対正義とする立場からみれば、「避けるべき混乱」としか目に映らないはずだ。

日本の国益にとっては、抗日戦争に自らの正当性をおく現在の中国の体制を温存したまま規制緩和→超経済大国への道筋を許すよりは ー 日本の自民党を見るまでもなく豊かな社会を実現することにより中国共産党の永久政権は(強権を用いずとも)可能だろう ー 共産党体制の中国と今のままリスク管理を行いつつ、中国が採るべきではない方向を中国が自ら採るように動機付けていく戦略が日本の国益には適うのではないかねえ、と。

そう思われる昨今である。

2016年8月27日土曜日

最高の社風・・・?まだそんなことを言うの

今週は某企業グループの特訓ゼミで担当しているビジネスエコノミクスのレクチャーがあった。この週末をはさんで来週はいよいよチームに分かれて新規事業のプランニングに入り、最後は役員プレゼンを行って終了する。

そのレクチャーでこんな素材をとりあげた。ベサンコ他『戦略の経済学』に出てくるケースなのでマネージャークラスであれば知っていても不思議ではない話だ。

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1983年、フィリップス社は巨額の研究開発投資の成果である新メディア"CD"のプレス工場をアメリカに建設するかどうかで迷っていた。なぜならCDというメディアを市場が本当に評価するかどうかが不確定だったからである。

アメリカに進出する場合、建設投資額は1億ドルである。それに対し、売り上げ収入の現在価値は、うまくいった場合で3億ドル。市場が評価してくれなかった場合は0.5億ドルと予測しなければならなかったーちなみに、この見通しはある程度大方の専門家が合意していたものだ(と前提する)。

要するに、アメリカに新規進出する場合、大きなリスクがあった。確率50%でプラス2の利益(=3-1)が見込めるものの、確率50%でマイナス0.5(=0.5-1)の損失がありえた。単純に期待値をとれば、利益を$X$として$E[X] = 0.5 \times 2 + 0.5 \times (-0.5) = 0.75$のようにプラス値であった。が、損失を被る可能性はリスクとして意識せざるを得なかった。

検討の結果、1983年の時点でフィリップス社はアメリカ進出を1年間延期するという選択をした。なぜなら、1年間待つことによって市場がCDを評価しないことが明確になれば建設計画を放棄するという選択肢を留保できるからだ。すなわち、いま直面しているプラス2か、マイナス0.5という二択ではなく、1年待てばプラス2(=進出)か、0(=中止)という二択になるのである。その期待値を83年という時点で求めれば$E[X] = 0.5 \times 2 + 0.5 \times 0 = 1$となる。

「待つ」という選択は十分意味があったのだ。

ところがフィリップス社が待っている間にSONYが1984年にインディアナ州テレポートに新規工場を建設してしまった。フィリップス社からみれば、SONYもまた同じ合理的判断をするはずだと読んだのだろう。名人の手から水が漏れたわけだ(という見方も可能だ)。

フィリップス社のアメリカ進出は大幅に遅れ、SONYの米工場がフル稼働になるのを待たなければならなかった。

特訓ゼミの履修者に課した論題は、フィリップス社が1983年に下した「1年待つ」という判断に合理的根拠はあったかどうかというものだった。さらに、待っている間にSONYが進出するかもしれないという脅威があったにもかかわらず、なぜ待ったのか。それも検討課題にあげたのだ。

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履修者には結構面白かったようである。もちろん彼らには、当初、期待値の計算は伏せておいたし、待つことによる期待利益、というか選択肢の変化は彼ら自身で考えさせた。

面白いのは、フィリップス社の判断が合理的なものであり、役員会議に十分耐えられる根拠を有していたという結論には到達した反面、SONYが1983年の時点で、まだ大きなリスクが残っていたにもかかわらず、よくアメリカ進出を決断できたというその点については、合理的な説明を思いつくチームがなかったことである。



あれから30年・・・である。その後、SONYは往年のバイタリティをなくしてしまった。最近こそ、復活の気配があるが、30年前のSONYと今のSONYはズバリ言えば別の会社であろう。人も違っている。作るものも違っている。フィリップス社は相変わらず「合理的な会社」である。常に「正論」に沿った選択を続けてきた。

『フィリップス社の特徴は、とにかく戦略的な撤退の名人である点です。撤退を、それ自体としてみれば単なる敗北ですよね、しかし撤退することによって、本来の自分の目的をより確実に達成する見通しができてくるなら、これは立派な戦略になります。フィリップス社はここが上手い』。

結局は社風というものだろう。

フィリップス社の行動パターンが好きか、(往年の)SONYの行動パターンが好きか。これは日本の戦国大名の誰が好きかという、そんな問いかけに似ている。

誰が天下をとったか。それには「能力」もあるだろうが、それ以上に時代の巡りあわせがそうさせた。こう見るしかないのが現実だと思う。「時代」がその人、というかその人達を選んだのである。



日経からメールが届いた。

『マッキンゼー流 最高の社風のつくり方』
 http://mx4.nikkei.com/?4_--_53670_--_20395_--_1


最高の社風のつくりかた・・・いやあ、まだそんなことを言っているのか。そう思いました。

なぜ優劣をつけたがるのでしょう。「最高の」社風などつくれませんよ。読むに値しないので読んではいません。

変わる時代のその環境に(タマタマ)最も適合した会社が選ばれていくのだ。適者生存とはそういうものである。そこで生きている人間の目には、その結果は必然だと思われるだろうが、あとから考えれば、その人が、その会社がタマタマそこにあったから、選ばれたに過ぎない。

変わる世界に自らを合わせて変わっていくことが大事だ・・・?

何を言っているのだか ― まあ、言いたいことはわかるが。そんなブレる会社をどの投資家が信頼するか。何をするかわからない会社は、うまく行くかもしれないが、消えてなくなるかもしれないのだ。

この会社は、こういう会社だ。それが社風である。だから受け入れられ、信頼されるのではないのか。そんな会社は(No.1にはなれなくとも)残るものだ。

いつの時代でも生き残る会社はある。あってほしいと思うような会社はある。しかし、どの会社が時代に適合し、ナンバーワンになるか。それは誰にもコントロールできるものではない。

「最高の社風」を意図的につくろうと思うその段階で、その会社は負けである。時は過ぎゆく(Tempus Fugit)。「最高の社風」だと思うその瞬間に、その会社は脆弱になり、衰退への道を歩き始める。「我が社の社風は問題ですヨ」と、そう語る人で構成される会社は何かを考えているのである。

そう思うのだ、な。

人間も会社も、「己の道を行く」。それしかないし、それでいいのではあるまいか。『人生意気に感ず、功名誰かまた論ぜん』というのは、こういう意味であろう。

2016年8月22日月曜日

(昨日の続き)素人のスポーツ談義

昨日はリオ五輪のことだったので、今日は夏の甲子園大会でいま話題になっている点に触れておきたい。

熊本代表の秀岳館が批判、というより「非難」されているそうだ。というのは、(最近はよくあることだが)選手全員が熊本県外出身者であるからである。そう報道されている。たとえば:
様々な話題をふりまいた夏の全国高校野球選手権甲子園大会も佳境に突入。優勝の座をかけて20日に準決勝、21日に決勝を行う。ここまで勝ち残るチームはどこも強豪で、充実した施設とスカウティング網をもっている。 
県外から「野球留学」してきた選手がレギュラーとして出場しているチームも多く、毎年「規制するべきではないか」との声があがるが、とくにルールが設けられていないのが現状。 
「おらが街」のチームを応援しようとメンバーをみたら全員他県出身者だったとなれば、複雑な感情を抱く人がでてくるのは当然だ。 
そこでしらべぇ編集部では全国の男女に「高校野球の地元代表チームに他県出身者が入っていることについて違和感を覚えるか」聞いてみた。

結果、世代があがるほど違和感を覚える割合が増加することが判明。20代は2割程度であるのに対し、40代は5割が複雑な感情を抱いている。 
野球留学が一般化し「あたりまえ」と感じている世代と、当該県出身者で甲子園に出ることが常識と感じる年代の違いかもしれない。 
今大会の出場チームも、県外選手が主力に名を連ねているチームが多い。とくに熊本県代表の秀岳館はベンチ入り選手全員が県外出身者。スタメンの半数が、監督が以前指揮をとっていた大阪のボーイズリーグ出身となっている。 
それだけに県内での風当たりは強いようで、県予選の観客たちはまるで県外のチームと戦うような目で相手チームを応援したという。しかしこれも「甲子園で勝つため」だそうで、手段を選ばず勝ちにいくことが使命と考えているようだ。 
これは秀岳館ではなく、高知県代表の明徳義塾や八戸学院光星も同様。県内選手は殆どおらず、大阪や東京などの県外出身者が中心。地元ファンは複雑な心境をもち、野球留学されてしまった県のファンからは嘆きの声があがる状況だ。(後略)
(出所)@niftyニュース、2016年8月20日

小生が暮らしている北海道の代表は北海高校であったが、選手のほとんどは道内出身であるそうだ。この事情は、10年ほど前に3連覇の寸前まで達成した駒大苫小牧も同じであったときくーV2と3年目の準優勝のエースであった田中投手は大阪出身だったと聞くが。このことが地元・北海道内の共感形成にどれほど寄与したか分からない。


まあ、とにかく小生は保守的、つまりは昔は良かったと語ることが多い右翼である。だから、この件については「全員が県外出身者なんて、その地域代表であるはずがない」。そう断言する。

だって、プロ野球でも外人枠があるんだよ、と。優勝したいなら日本ハム球団だって、どこから選手を調達しても自由でしょ、と。プロなんだから。優勝したいのだから。しかし、外人枠でそれは制限されている。自国の日本人選手がチームの多数を占めること。そう制限されているんだよね、と。プロでもそうなっているのだ。

高校に入学するまで、本人も両親もその県のどこにも住んだ経験がなく、親戚もおらず、その県とはまったく無縁で、ただ野球をしたいのでその県内に進学したのであれば、その県からみれば「県外者」である。100パーセント、県外者で構成される野球チームは、現時点でもちろんその県に居住しているのだが、「地域代表」となる資格を欠いているのではないか。極めて常識的な問いかけである。

そもそも県外出身者のみで構成された学校がその県の地域大会に出場することで、その県の出身者は大会出場機会を幾分かずつ奪われるのだ。地域代表制をとる甲子園大会の原則と矛盾している。

学校進学の自由はあるが、地域代表制をとる限り、「県内出身者」が過半数は占めているべきである。小生はそう思うー「県内出身者」の定義はそれなりに決める必要があるが。

上の議論は実にロジカルである。プロ野球のルールとも整合性があってバランスがとれている。


が、当の選手個々人に責任はまったくなく、そのようなチーム編成をとった当該高校にも責任はない。

地域バランスというトンチンカンな美名(?)、というより勘違いから、こうした学校経営戦略を容認してきた高野連と朝日新聞社に運営責任がある。

オリンピックに限らず、スポーツはそれ自体としては清々しく、プレーしている選手に雑念が入り込む隙はないはずなのだが、大会を主催し、集客している機関、関係している組織がとっている行動には、何がなし政治的要素が混じるのは、そもそも当たり前のことだ。優勝経験のない県が甲子園大会で躍進する。それはその県における朝日新聞の販売部数拡大に資するのだ。これまた現実だろうと思うのだ、な。

2016年8月20日土曜日

男子陸上長距離界と駅伝についての素人談義

専門は統計分析である。データは数字であることもあるし、文字情報であることもあるが、やろうとしていることは互いの関係や傾向を見て取ること。これに尽きる。

陸上競技は中学生のときに長距離を一寸やっていたくらいで、まあ、素人である。それでもマラソンや800、1500の中距離、5000、10000など長距離の結果には大いに関心がある。

今回のリオ五輪でも陸上長距離に出た日本選手の結果は芳しいものではなかった。というか、「惨敗」に近いだろうー本日現在、男子マラソンの結果がまだ出てはいないのだが・・・

小生の若い頃は必ずしもそうではなかった。円谷、君原はマラソンのメダルを獲得したし(メダルをもらったから価値があると言いたいわけではないが)、五輪での活躍は見られなかったが瀬古選手の鮮烈な快走ぶりは記憶に鮮やかである。ところが、最近はというと「活躍」という言葉がまったく当てはまらなくなった。

男子に対して、まだ女子の長距離は元気がある。高橋、野口と日本選手が連覇したのはシドニー(2000年)、アテネ(2004年)にかけてである。その後、エチオピア、ケニアといった勢力に劣勢をしいられているが、その凋落が視聴していて痛々しさを感じるというほどではない。

男子・長距離は1992年のバルセロナで森下選手がマラソンで銀メダルをとって以降、メダリストは現れていない。10000メートルでは、高岡選手がシドニー(2000年)で7位入賞を果たしている。高岡選手が2002年にシカゴで出した2時間6分16秒は、フルマラソンの記録としては2016年現在で依然として日本最高とのことだ。

箱根駅伝では区間記録が次々に塗り替えられ、高速駅伝時代の到来などと騒がれているのに、世界中の選手が参加している長距離競争ではほとんど進化していないのが日本である。そんな印象すらある。

駅伝大会というビジネスの発展に目的を置くならそれでもいいが、競技としての陸上長距離の成長を目的にするなら、いまやっていることには勘違い、というか方向違いを見てとれる気がする。


箱根駅伝は毎年の正月の年中行事であるが、日本テレビ系列による生中継が始まったのは1987年である。そして、その視聴率の推移をみると、当初は総じて20%未満であったが、1990年台になると20%を超えるようになり、最近では往路・復路とも30%に迫るほどの人気番組になっている。山登り、山下りの名人が世間の注目を集め、総合記録の更新も毎年話題になるほどで、一見すると日本陸上・長距離界は花盛りである印象をうける。

ところが現実には、世界で戦ってみると、むしろ一昔も二昔も前のほうが、日本の長距離選手は活躍できていた。それが事実であることを目にすると、むしろ驚いてしまう。

正式なデータ分析をやったわけではないが、30年から40年位まで視野を広げて、男子長距離界の成績の変化と箱根駅伝を始めとする駅伝大会の視聴率上昇の相関に着目すれば、両者の間には有意な因果関係が確認できるのではないだろうか。

もし駅伝大会の人気上昇と長距離界の練習実態との間に何かの関連性があり、箱根駅伝に出ること、そこで勝つことを目標とするような姿勢が本来の実力養成には結びついていないことが立証されるとするならば、女子長距離界が示している<男子と比べた相対的な>活躍は、箱根駅伝やその他人気のある大会がないからである。そんな結論すらひき出せそうである。


むしろ陸上男子・短距離界で、世界に対抗して勝負できる選手が育ちつつあるのではないか。可能性があるのではないか。そう思われる状況になってきたのは、短距離には「箱根駅伝」に相当するような人気イベントが国内にはないため、じっくりと実力をつけられる環境になっているからではないか。そんな推測も仮説としての興味をそそられる。

どうも色々なデータをざっと見ると、駅伝の興行的成功は陸上競技界にとってプラスにはなっていない。そう思われるのだ、な。

リオ五輪では50キロ競歩で史上初めて銅メダルを獲得した。そして、男子4×100メートルリレーでは日本がトラック競技で人見絹枝以来の銀メダル、驚きの"surprise winner of the silver medal"(NYT)となった。このショック度はラグビーW杯で南アフリカに勝利した日を上回る。

同じ男子・陸上競技でも箱根駅伝を代表とする高視聴率イベントが大学広報の戦略的ツールとなっている長距離界は、そのビジネス的盛況とは逆に、憂うべき状態にあるのではないか。

(もう間に合わないだろうが)東京オリンピックまでにはデータに基づくきちんとした検証をするべきだろう。

2016年8月17日水曜日

帰省した愚息との会話―採用後3回目の夏

下の愚息が赴任地の新潟市から夏季休暇で帰省してきた。この晩春にも向こうで会っているので、それほど久しぶりでもない。

とはいうものの、片足はもうリタイアしている小生自身の昔の姿を改めて振り返ると、息子が毎年の夏に帰省してくる、その帰省先に自分がもうなってしまったのかという気持ちになる。時間のたつのは早いものだ。また、どこでどんな暮らしをしていてもよいから親にはいつまでも元気でいてもらい、と。ずっと昔にそう考えていた自分と、いまそう思っているのかもしれないなあと推測される愚息を同時に意識させられて、どこか複雑な心持ちだ。

その愚息にあまり話としては伝えることもなくなってきた。だから一緒に飲むだけのことである。この夏は、ワインセラーの超小型版(6本サイズ)を買ったのでアルザスを入れておいたのと、3月頃に買ったDarkest Bowmore(15年)を開けた。



とはいえ、まだまだ青臭さが残っている愚息には、まだいくらか話しておいたほうがいいことがある。そんな風に以下のことをメモしておいた。

  1. なんでも仕事になると面白くはなく、つまらないものだ。
  2. 自分の長所、すなわち短所である。

ところがどうも詰まらないので、例によって小生の祖父や父が喫した大敗北の話をして、それがケーススタディだとすると結論部分をどう書くかを質問してみたのだ。

以前の投稿にも父のことはメモっている。

小生: 俺の父親、つまりお前の祖父のことはどれだけ知ってる?何度も話したことはあるような気はするが・・・

愚息: あまり知らないよ。

小生: そうか。じゃあザッと話すとな・・・東レって会社はいまでは炭素繊維で有名だが、戦後からずっと三井物産から独立した新興の合成繊維メーカーとして有名だったんだ。ナイロンとか、テトロンとか、いまでも使われてる素材だが、その製造技術をアメリカから導入して大きくなったんだ。お前の祖父は京大で工業化学を勉強して恩師の小田先生だったかな、大学に残らないかと勧められたらしいが、長男だったしな、弟もまだ学校に行ってたし、それでお前の曽祖父だ、銀行マンだったことは話したことがあるよな・・・

愚息: うん、伊予銀行にいたときに大きなトラブルにあった人だよね。

小生: そうだね。その曽祖父に言われて東レに入ることになったんだ。この東レって会社を選んだことは、昭和20年代早々という時点を考えると、すごい鋭い着眼だと思うよ。ただ東レって会社の本流は主力工場が滋賀工場だったから、松山(松前)工場に入ったオヤジは傍流からスタートしたことは間違いない。そこで10年勤務したろうかな。まあ、田舎で安気な生産管理をしていれば、興奮はない代わりに安穏な一生が送れたはずなんだが、ちょうどその頃はナイロンとか、合成繊維事業で競争が激しくなって、東レとしては新規事業を開発する必要があった。それはプラスチックだろうと、な。中でもアクリルが有望だと。いまでもアクリル樹脂はいろいろな所で使われている。これで行こう。そんな戦略的な方針を会社として採って、それで松山工場で上司部下の関係にあった先輩がオヤジを抜擢したわけさ。こういうプロジェクトを起こすからアメリカやヨーロッパを見て回ってこい。プロジェクトの基本技術を確かめてこい。そうなったわけだ。それで、まずはその先輩がいる静岡・三島工場に来いということになってな。それでうちは四国から出て、引っ越していった。俺が小学校4年、9歳の時、昭和37年の夏のことだ。どうだ、ビッグチャンスだと思うだろ?

愚息: ワクワクしただろうね。

小生: 何度行ったかなあ・・・あの時代は海外旅行が制限されていたし、外貨を持って出るなんてことも楽じゃあなかった。その時代に、俺よりも色々なところに行って、その合間にローマや、アルプスや、ベルサイユや、ナイヤガラ、大陸横断バスとか、全部経験しているわけだから、トップをきって疾走している感覚だったんじゃないかなあ。家もすごく楽しくて、休みになると旅行したり、一番楽しかった時代だな。日本経済全体は昭和40年不況がこれまでにない構造不況で、ボーナスが減ったとか、そんな話をおふくろが話していた記憶もあるが、まあエネルギーに満ちていたかな。

それで、いよいよ調査研究から試験的生産という段階になって、オヤジは本社直属になって、うちも東京に引っ越したんだ。で、ジョイント先としては藤倉化成っていう化学分野では経験がある、まあまあ名門の中堅企業を選んだ。オーソドックスな選択だと思うよ、俺がいまみるとしても。

ところが、新規事業ですぐに利益が出ることはない。大体、アクリルに進出するなんてことは、化学分野の世界の潮流でもあったから、こちらが考えていることはライバル企業も考えるさ。価格は上がらない、数量が伸びないから原材料の仕入れ価格も高めになってしまう。で、利益が出ない。作れば作るほど損が出る。そんな泥沼になってしまったんだ。

そうなると、職場の士気は下がる。下がるから人心が荒廃する。未来が見えない。そもそもオヤジは自分の会社でやってるわけじゃあなかった。他人の家に派遣されたプロジェクトマネージャーだ。他人を巻き込んでやっている。それがうまくいかない。工場では他人の親父がいうことを聞かなくなる、労働組合との紛争が激化する、共産党系列の分子が入ってきて大企業による支配への反対活動を展開する、工場が閉鎖される、オヤジに出来ることがなくなってくる、そんな展開になってきた。

それで親父は、東レの副社長をつとめていた先輩に撤退を進言するんだな。俺が高校1年、昭和44年頃じゃなかったかなあ・・・お前はこれをどう思う?

愚息: う~ん、八方ふさがりで利益が出ないなら、無理はしないで、撤退を考えるのはわかる。

小生: ところが東レの副社長は、撤退はできないという(小生がその場にいたわけではないが)。で、親父は苦悩するんだ。どうしたらいいかって毎日考えているうちに、まず神経性胃炎が治らなくなる。そのうち心身症になる。で、お前の曽祖父、オヤジの父親がまだ四国・松山で健在だったから相談したんだが、田舎には帰るな、大体事業が成功するか失敗するか、撤退するか撤退しないかという判断はお前の(=俺のオヤジ)責任じゃないだろう。悩んだりするな。そう語ったらしい。それで、おれのオヤジは「無責任だ」と自分の父親を批判してたなあ。まあ、お袋から間接的に聞いたんだがな・・・

で、いまでいう鬱病が悪化して、会社にも行けなくなって1年以上は部屋に閉じこもって、布団の中から出てこれなくなってしまったんだ。もともと心臓に毛が生えているのかって言われる人柄で、コストカットの名人、その割に工場の現場では人望抜群と言われていた人なんだけどね。

担当から外れて、そのプロジェクトも結局は頓挫して、親父は別の先輩が呼んでくれた名古屋工場に移ってまた仕事につくようになったんだけど、以前の人柄とは別人のようになってしまっていてね。窓際族と自称する数年を名古屋で過ごした後、胃癌になったというわけさ。

さてと、これをだね、お前の祖父が経験した人生をケーススタディだとして、この敗北からくみとるべき教訓、どこに間違いの原因があったか。結論をお前ならどうまとめる?


× × ×



愚息: (しばらく考える様子を示した後) 撤退を進言したんだよね。そこが分かれ目だったんじゃないかと思う。この判断の誤りがその後の進展の発端だった・・・

小生: 目の付け所はまあいい。が、それでは成績としては<不可>だ。なぜなら、そもそも撤退を進言するという状態になったこと自体、何かの判断ミスの現れであり、問題はそうなってしまった原因は何か、これに回答しなくてはならないんだ。なぜ撤退を進言するような事態になったんだと思う。

愚息: 利益が出なかったからだよね。

小生: そうだ。それは確かだ。

愚息: ・・・利益が出なかったとしても、それは新規事業だから仕方がないというか、

小生: いい線をいってるぞ。ヒントをいうとな、現在では東レもアクリル事業、というかプラスチック事業を大きく発展させて成功しているし、藤倉化成もアクリル事業は主力分野になってるんだ。お前の祖父が取り組んだ事業は、戦略的には正しかった。これは事実なんだよ。しかし、その時は失敗し、敗北をした。どこに敗因があったか?

愚息: 今は損失が出るけど、長期的には必ず利益が出るという展望を示して、それを共有化することが必要だったよね。

小生: そうだ。そこまでいうと92点、まあギリギリ<秀>になるな。じゃあ、結論部分の第1行は何と書く?

愚息: 新規事業の見通しについて数字を示し、事業に取り組む関係者の意識を統一する作業が最も重要であったが、この段階における努力が不十分であったため、導入段階の不調が生産現場の士気低下を招き、事業の継続を困難ならしめた……、こんな感じかなあ

小生: そうだね。ビジネススクールでは新規事業のスタートアップ失敗は典型的な素材なんだな。大体、新規事業で最初に何年か損失を出すというのは日常茶飯事だ。『10年たったら結果は出せると思いますが、最初は損ばかりですよ、それでもやりますか?』、オヤジとしてはそういうべきだったし、そういわずにまず利益が出ないことを解決するべき問題にしたのは―それ自体としては間違いじゃあないんだが―目的の置き方が間違っていた。

おれならそういうだろうね。

お前の祖父は利益確保を目的にした。しかし、10年かかるなら10年実行できる基盤をまず最初につくるべきだった。二社の相互信頼の形成をまず第一の目標にするべきだった。

何年か損失が出ようと、それならば中でも行けそうな具体的な製品は何にしぼるか?そんな改善システム(=採算化への仕組み)を目的にするべきだった。進むべき方向を選んで、必ず成功させる、協力体制から抜けることはないという信頼を形成する。これを目的にして、現場の士気低下を極力さける。実際に利益を出して、採算のとれる事業にする、その役回りは後任にゆずってもよかったくらいだ。正しい目的を設定して、それに徹していたなら、オヤジは困難な新規事業立ち上げの功労者になって、その先将来も東レという会社の柱として活躍できていたはずさ。おれならこれを結論に書くだろうかなあ。

どちらにしても、失敗はそれをつらい経験、忘れたい経験、それだけを意識するなら単なるマイナスの資産にしかならない。しかし、大敗北も、それを経験した人にとってはプラスの財産だ。失敗からしかわからないことがあるからね。もし同じパターンの失敗をするなら、お前、これ以上の不孝はないよ。


× × ×


目的設定の誤りは、現場を疲弊させ、リーダーその人の失敗だけじゃあなく、参加したすべての人の人生、家族の人生をも辛いものにしてしまう。

戦略上の劣勢を戦術で補うことはできず、戦術上の劣勢を(個々人の)戦闘で補うことはできない。

まあ、亀のような愚息ではあるが、方向性は大分あってきたかなと感じさせる。飛行高度を上げながら順調に上昇しているようである。




2016年8月14日日曜日

ドーピング防止の特効薬?

リオ五輪は、トイレやプールの水質など施設上の不備、国旗や国歌の間違いなど運営上のミスに加えて、ロシアによる国家的ドーピング制裁から始まるドーピング防止でも色々と話題を提供するオリンピックになった。

オーストラリアの某競泳選手が中国の長距離スイマーが以前にドーピングによる出場停止処分歴があることをとりあげ、「インチキ野郎」と痛罵し、これに対して中国の組織委員会が正式に抗議する。こんな事件もあった。

上のやりとりに品格はないが、処分歴のあるアスリートの公式記録を本当に信頼してよいのかという問いかけには、なかなか、回答が難しいのも事実だろう。




小生は大学という場で教育・研究サービスに従事しているので、「インチキな手段」で成績をあげる誘惑にどう対抗するかが大変な難問であるのは日常的に体感している。

レポートや試験で、コピペをしたり、カンニングをしたり―あるいは研究上の論文で盗作をしたり―そんな不正は国を問わず、時代を問わず、常にあり続けたわけであり、スリや詐欺がなくならないのと同じく、こういう行為は人間性そのものから発していると考えれば、不正の発生を嘆くことそのものには大した意味がない。

「不正」は人間社会に常にある。

大学では(小生の勤務先に限った措置かもしれないが)、試験室でカンニングなど不正が確認されれば、その学期の他の試験科目はすべてゼロ点となる。たとえ、他の科目で不正を行ってはいなくとも、すべて零点である。定期試験が零点となれば、もちろん単位も認定されない。レポートの盗作など他の不正についても同様である。

要するに、一回の不正を行うことにより、不正を行わなかった他の成果もすべて抹消されることになる。

(重要な事実は)それでも現実に不正は時に発生しているということだ。今後将来とも不正は永遠になくならないだろう。


もし、当該学期の試験科目だけではなく、不正を犯したその学生が入学後に修得したすべての科目をゼロ点にするという方式だとどうだろうか?

これは極端に厳しい。上級生の場合、一回の不正でその学生は卒業が事実上困難になる。だから退学を余儀なくされる。つまりは、一度のカンニングで放校にするという考え方に等しいわけだ。

「不正」を決して許さないという観点にたてば、一度でもそれが確認されれば、ただちにレッドカードを出す。これ以外の選択はない。不正をおかしたその大学を退学し、別の大学に入りなおして、やり直してほしい。確かにこんな発想もあってよいかもしれない。

これをさらに厳しくすれば、不正で処分された学生は、他の大学の受験資格をも失う。こんな方法もあるわけだ。不正を決して許さないと考えれば、いくらでも厳しくしてもよい。理屈はこうなるだろう。大学ではなく、別のところで人生を生きてほしい・・・こう考える立場である。

・・・ホント、きりがありません。



しかし、苛酷にすぎる制裁は、本人が潜在的にもっている成長の可能性を一挙に奪う。これは全体の利益を損なうものである。そう考えれば、制裁の厳しさには合理的な水準がある。

現在の法律・規則・制裁については大体はこんな考え方で構築されている。

簡単に言えば、不正を十分に抑止できれば制度としては機能しているわけである。


一度でもドーピングが確認されれば、その選手のそれまでの公式記録をすべて抹消する。但し、その後の試合への出場権はそのまま保持させる。積み重ねてきた実績を失う一方で、未来への機会は与える。一度の不正でその競技者が参加している競技の場から「追放」されることはないという点で、この方式は大学における現在の不正処理にかなり近くなる。



まあ、不正を行わなかった試合の記録がすべて取り消され、それまでに得たメダルもすべて剥奪されるとなれば、かなりの厳格化にはなる。が、世界の大学ではこの位はやっているものであり、なにも甘いわけではない。

中国の長距離スイマーがもっている世界記録は、したがって、上の観点に立てば処分された時点で抹消されていることになろう。また検体が残っている限り、将来いつかの時点で自らの不正が暴露されるかもしれない。自分の成果がいつか抹消されるかもしれない。これは相当の心理的プレッシャーになるだろう。

ドーピング防止の特効薬は、未来に向けての出場停止ではなく(服用効果の消失まで一定期間の停止は必要だろうが)、過去の実績抹消のほうが一層厳格であって、小生はこちらのほうが抑止効果があると思う。

とはいうものの、仮にこうしたとしてもドーピングはなくならないだろう。スポーツで失敗しても、人は、いろいろな生き方ができるからだ。賭ける値打ちがあることなら、人は自分の人生をそれに賭けるものだ。

それに、個人競技なら適用も容易だが、団体競技で、それも短時間だけ出場した選手に不正が確認された場合はどうするか。そんな細かい点も残されている。


2016年8月12日金曜日

エネルギーの価格破壊もそろそろ終焉か

北海道の海水浴は、毎年の夏、それほど何度も好機があるわけではなく、その日に行けるなら行っておくのが秘訣である。今年は、週末に暑い日が多く、少なくとも2回のチャンスはあった。今日もひどい暑さだ。先刻買い物の帰途、浜の方を眺めると、たいそうな人出だ。お盆には海で泳がないと少年の頃に言われたものだが、もう何の関係もないようだ。

気温も暑いが、このところ株価も上がり調子だ。特に石油株の復調が目立つ。NY市場における石油大手の株価をみると、エクソンモービル(XOM)、シェブロン(CVX)、BP(BP)各社とも、昨夏の上海暴落、今冬の二度目の上海暴落に見舞われながらも、次第に回復を続けている。図の出所はどれもYahoo! Financeである。







この背景には、歴史的低水準にまで暴落していた資源価格が次第に回復している。これが当然あげられるわけだ。

日本国内の景気動向指数(先行指数)だけに基づいて予測計算をすると、すでに5月時点、つまり3月までのデータを見るだけで「7月ボトム」という見通しが得られていた ー 直近足元のデータを織り込んだ再計算はまだしていないが。

米国のエネルギー情報局(Energy Information Administration)が公表している石油価格の短期見通しによれば、現在バーレル当たり40ドル台前半で変動しているウェスト・テキサス・インターミディエイト(WTI)価格が、今秋には底入れをして、来年にかけて緩やかに上昇し、来年中ごろには50ドルを超える見通しになっている。それ以降も石油価格は上昇トレンドをたどり、2017年12月には60ドルに戻る。石油価格についてはそう展望されているわけだ。下に一部の図を引用しておく。



米国内でシェールオイル企業の掘削リグが再び増勢を示しているということだが、中国経済はともかくとして、インド、アフリカなど今後20~30年の世界経済はまだまだ成長の余地がある。これも確実に言えるわけであり、輸送用、電力、化学分野など、石油需要はまだなお拡大を続けるとみている。というより、先進国ではロボット革命が進行する中で、やるべきこと、投資するべきこと、育てるべき人材は山積しているのが現実だ。お金の使い道がないわけではなく、新規投資分野はまだ漠然としていてリスクが高いので様子をみているのが率直なところだろう。そうでなければ、アマゾンやフェースブックの株価が飛ぶような急上昇を何年も続けられるはずがない。

2015年以降の停滞は、というより2014年夏場から始まった「価格破壊」はそろそろ終息する。そう見ている。下図はブレント先物価格だが、手元にあったのでペーストしておく。指標価格はどれもパラレルに動いている。

(出所)Nasdaq

中国経済?確かに不良債権、過剰債務を何とかしなければならない。ただ、離陸期から成熟期にさしかかった転型期に進めるべき構造調整が中国経済の本質的問題だ。資本損失もあるが、同時に今後の拡大が確実である市場は中国国内にある。経済政策を間違えなければ、安定した中成長を続ける可能性は高い。

中国リスクは、マクロ経済面から見る限り、それほどの心配には当たらない。そうみているところだ ー今後の 生活水準向上に伴って、政治参加への国民の要求がますます高まり、それが体制不安をもたらし、経済的リスクを増す要因になりうる点がジレンマといえばジレンマだろうが。



2016年8月9日火曜日

時間のみが解決できる問題なのか

毎年の夏、8月6日の広島・原爆記念日から盆明けの8月16日まで幾つかの祭りや慰霊祭ががあい続き、日本は鎮魂週間に入るかのようである。

ケネディ米大使が新潟・長岡市の花火大会を訪れー長岡花火大会は非常に有名であるー長岡空襲の犠牲者への献花台にも献花したとの報道だ。

長岡まつりに合わせて2日から長岡入りしたアメリカのケネディ駐日大使がアオーレ長岡に設置された空襲犠牲者のための献花台に献花しました。長岡市によるとアメリカの駐日大使が長岡空襲の犠牲者に対して献花をしたのは初めてのこと。ケネディ大使は「ここで亡くなった方々を悼むとても意味のある機会でした。我々が長岡市民と共に平和へと手を取り合って行きたいと思いました。」と話しました。

(出所)UX新潟テレビ21、2016年8月3日

その契機となったことは新潟日報が本日伝えている。
 長岡花火には長岡空襲の犠牲者を慰霊するとともに、平和への願いが込められている。市が戦後70年の昨夏、日米開戦の舞台となった米ハワイ州の真珠湾で花火を打ち上げたことなどが縁になり、ケネディ大使を招待した。
 花火の前に、ケネディ大使は市主催のパーティーに出席。「長年、長岡の花火を見てみたいと思っていた。長岡の平和への思いについて学ばせていただければ、と思う」とあいさつした。
 森民夫市長は「花火に込められたメッセージをご理解いただけたと思う」と語った。
(出所)新潟日報、2016年8月9日

越後長岡は太平洋戦争開戦時の連合艦隊司令長官・山本五十六の故郷である。戦時中、長岡市にはこれといった軍需産業もないはずであったし、大都市圏の中枢機能もなかったはずだが、 Wikipediaによれば1945年8月2日から3日にかけての空襲で市街地の8割が焼亡、1500人弱の犠牲者が出た。

Wikipediaに記載されている概説によれば、アメリカが事前に計画した攻撃でもなかったようであり、多分に偶然によるものと憶測されている。

小生は、真珠湾奇襲作戦の最高責任者の出身地に対するアメリカ側の報復であろうとずっと思っていた。

が、どちらでもいいことである。時間がたてば、上の報道のようなことも出来てくるのだなと思った次第。

日米は4年間戦争をしたにすぎない。1931年の満州事変から数えても日米関係が非常に悪化したのは15年ほどである。この時間は戦前期日本78年のごく一部でしかない。それでも大統領が広島を訪問し、大使が長岡市を訪れるのに71年がたっている。

日中戦争を1937年以降とすれば8年間、日清戦争以後はずっと敵対関係にあったとみれば51年間。韓国併合という路線をとって以降、終戦まで35年間。帝国日本が韓国への圧力を強める第一歩になった第一次日朝修好条規(1876年)から数えると69年間。これだけの時間を敵対的にすごしたとすれば、現時点においてもなお日中間、日韓間に悪感情が残るのはむしろ自然なことであるとも思われる。

「歴史」は人間が書き残したり、語ったりするにすぎないが、歴史をどう書くかに関係なく、起こった事実は現在の状況にもそのままつながって今に生きる人間を縛っている。それは人間社会の出来事なのだから、やはり「責任」というのがある。これを論じない限り、「和解」という節目はこれから以後もずっと訪れないのだろう。それまでに必要な時間は、日米間の71年よりはずっと長いはずである。

2016年8月8日月曜日

配偶者控除見直しへのへそ曲がり的反対

日経での報道:
政府の経済財政諮問会議の民間議員は8日の会合で配偶者控除の見直しをめぐり、年内に結論を出すよう政府に求める。専業主婦世帯の税負担を軽くする配偶者控除は女性の就労促進を妨げているとの指摘があり、政府・与党も見直しが必要との認識を共有している。年末にまとめる2017年度税制改正大綱に盛り込むよう要請する。

 現在の制度は妻の年収が103万円以下であれば、夫の課税所得から38万円の控除を受けられる。政府はこれまでも「国民的議論が必要」として見直しを議論してきた。控除を廃止し、新たに夫婦単位で一定額の控除を設けるなどの案が検討されたが、消費増税時に導入する軽減税率の議論に時間を割かれ16年度税制改正で結論は棚上げされた。

 政府が経済政策「アベノミクス」推進の柱とする働き方改革でも女性が就労しやすい環境を整備することが課題になる。
(出所)2016年8月8日、日本経済新聞

現役引退が間近に迫った小生としては、個人的には「無関係のことでありんす」とやり過ごすのが正解だ。細かいことで頭を使うのは損である。

しかし、『女性が就労しやすい環境を整備する』という下りには疑問がある。

そもそも絶対的に善である物事はこの世にはないものだ。ある視点からみれば良いことが、別の面からみれば悪いのが、自然・社会の鉄則だ。

確かに「女性が就労しやすい」ことで達成しやすくなる目的はある。労働供給のボトルネックを緩和して、潜在成長力を上げるという目的にはプラスだろう。ある意味で「経済合理性」があるとは思う。しかし、プラス効果は一面的だ。ロジックとしては、就労しやすい=主婦専業を奨励しない。これも別の面で言えることだ。

女性が就労を選びやすくすることは、女性が主婦専業を選びにくくすることと同じである。本当に、こうすることが今の日本社会の現実にマッチしたことなのか。

 少子化に加えて、子供と過ごす時間、親子のあり方、幼児期の育て方など様々な問題が指摘されているにもかかわらず、専業主婦の利益を抑え、仕事につくことを奨励する。こんな制度改革が、真に社会の利益になるのだろうか。社会の潮流に合致していない。学齢期前の幼児に食事と保育士を与えればそれで育つと考えるのは誤りである。小生は心の底からへそ曲がり、かつ相当の右翼である。リベラルな発想など糞食らえだ。故に、反対である。

2016年8月3日水曜日

少数派をみるときのバランス感覚

内閣改造も終わりこの国の将来も少し変わるのだろうか?

と思いながらネットをみていると

 社民党の又市征治幹事長は3日、同日発足する第3次安倍晋三再改造内閣について、「インパクトや新鮮味は感じられない。『入閣待機組』約70人の在庫一掃セールのようだ」とする談話を発表した。

(出所)産経ニュース、2016年8月3日

うん?確か、社民党というのは先日の参院選で当選者がほとんど出なかったはずだが・・・Wikipediaによれば当選者数1名か。

まあ、確かに「政党」である以上は個人ではなく、支えている人が何十万人か何百万人位はいるわけだ。どこかの誰かが言っているのではない。

が、なぜ報道するのだろう。

同様の疑問は、NHKでよく放映する政談で与野党の代表が出演する番組である。

国会ではないので、議席数に比例して出演者数を決めるのは野暮というものだ。しかし、あらゆる政党から1名ずつ出てしまうと、与党は二人、野党は数人。視聴者には、少数の勢力が大多数の声を抑圧して大事なことを決めようとしている。そんな印象になってしまう。が、現実はその反対であるわけだ。

だから、TVの政談番組は非現実的だ。世間とは逆さの状況を作っている。そうすることの価値とはなんだろう。民主主義か?政治的平等か?

物理的に評価すれば、巨大政党は巨大な声をもち、少数派は小さい声しか出せない。それが現実であり、社会全体は大多数の人が望むように動いていくのが合理的だ、というのが「天声人語」というものだと思うがどうだろう。

少数の人の声に耳を傾け、それを考察し分析し評価するのは、政治家やメディアというより、真理を追求する知識人、学者の仕事だろう。